3ー19友達昇格
俺の目の前で沼田さんが泣いている。
俺は何で泣いているのか分からずに彼女を見つめたまま固まった。
彼女は涙が止まらないのか手で顔を隠して必死に拭おうとしている。
俺は動揺して目を泳がせたあと、少し俯いてから言った。
「俺とつきあう?」
俺の言葉に今度は彼女が固まった。
俺は口が勝手に思ってもいないことをしゃべりだした。
「俺とつきあおうよ。沼田さん。」
彼女はやっと理解したのか、少し頬を赤らめるとガタッと椅子ごと俺から離れて立ち上がった。
「なに……冗談言って…!」
「まぁ…冗談みたいなものなんだけど、そんなに誰かに頼りたくないなら何か肩書きでもあれば…と思ってさ。」
俺は別に彼女が好きだからこんな事を言い出したわけじゃなかった。
泣かれていることに戸惑って、咄嗟に泣き止ませたくて出た言葉だった。
彼女は訳が分からないという表情をして、俺を険しい顔で見下ろしている。
「そっ…えっ…?肩書きって…え?」
「うん。泣き止んだね。」
俺は彼女の困惑顔を見て微笑んだ。
彼女は俺の言葉に自分の顔を触って、驚いたように俺を見た。
「付き合うってのは冗談だけど。頼ってほしいのは本当。
翔平も…きっと周りの人もみんな同じことを思ってる。沼田さんは何でも一人で抱え込み過ぎだよ。」
彼女は胸の前で手を握りしめて、真剣な顔で俺を見ている。
俺は立ち上がると気楽な感じで伝えた。
「もうケー番聞いたりしないからさ。何かあったら電話してくれよな?」
沼田さんは少し下を向いて悩んだあと、また泣きそうな顔で俺を見て静かに頷いた。
何か誰かに頼るきっかけになってほしいと思った。
おそらく俺に電話がかかってくることはないだろうが、
彼女のため込んだ気持ちが軽くなるなら…と少し寂しい気持ちを胸の中にしまった。
***
それから何日か後、俺は沼田さんの友達に昇格した事を翔平に伝えるため、翔平の家にやってきた。
あいつはすごく上機嫌で気持ち悪いくらいにやけて俺を出迎えた。
何だか話を聞いてくれと言わんばかりのご機嫌っプリに負けて、俺は自分の用件を後回しにして尋ねた。
「何か良いことでもあったわけ?」
翔平はキメ顔で俺を見るとふんぞり返った。
「聞け!紗英の就職先が東京に決まった!!俺と一緒なんて、もう運命としかいいようがない!」
俺はそんなことか…と拍子抜けした。
「そんなん、俺だって東京なんだけど。」
「お前も!?」
翔平は知らなかったのか驚いた後、ゴホンとわざとらしく咳払いして強がった。
「まぁ、いいさ。仕方ないからお前も仲間に入れてやるよ。」
俺はその上から目線に苛立って、本題を口に出した。
「仲間は別にいいかな。あ、そうだ。俺、沼田さんと友達になった。」
「はぁ?」
俺は困惑している翔平に挑発するように笑った。
「友達って…この間、拒否られたって言って落ち込んでなかったか?」
「まぁ、あのあと色々あってさ…ちょっと心を許してもらえた感じかな?」
「色々!?」
翔平は俺にじりじりと近づいてくると、困惑顔で「色々って何だ!?」と詰め寄ってきた。
俺はそこの説明が面倒くさかったので笑って「まぁ、色々だよ。」と誤魔化した。
それが余計に翔平の想像を混乱させたようだった。
俺に背を向けて頭を抱えている。
なんて疑り深い奴だ…何もないのに勝手に悩んでる…
あいつの沼田さんへの想いはそれほど大きいのかと呆れる。
そんなとき俺のケータイが着信を知らせた。
悩み続ける翔平を横目に俺はケータイの画面を開ける。
知らない番号が表示されていた。
出ようか少し悩んだが、通話ボタンを押してケータイを耳にあてた。
「はい。もしもし。」
『あの…沼田です。』
「へっ!?」
俺は予想外の電話に思わず立ち上がった。
俺の様子に驚いたのか、翔平もちらっと俺に振り返って見つめてくる。
やべ…今、翔平に沼田さんと話してるのは気づかれたくない…
俺は翔平の横を通り過ぎると、翔平の家の洗面所に入って扉を閉めた。
これで声は聞こえないはずだ。
「沼田さん?どうしたの?電話するなんて…」
『……その…、少し聞いてほしい事があって…。』
「うん。何?」
電話の向こうの沼田さんは言うのを躊躇っているのか、少し間が空いたあと言った。
『…山本君は吉田君と同じ高校だったんだよね?』
「うん。そうだけど。」
『じゃあ、宇佐美さんって人…知ってる?』
「宇佐美?」
沼田さんの口から宇佐美の名前が出るなんて驚いた。
宇佐美は高校のときから、何かと竜聖の近くに現れていた。
接触してきたのは高3のときだったが、宇佐美の行動から竜聖に気があるのは見え見えだった。
竜聖のストーカーとしても有名だった奴だ。
そんな宇佐美と沼田さんの接点が見つからない。
「沼田さん…何で宇佐美のこと知ってんの?」
『……吉田君がいなくなる直前に…会った事があって…。吉田君の彼女の私に興味があったみたいだった…。それで…ほんのちょっとだけ…吉田君を疑ったりもしたんだけど…。その宇佐美さんが、今地元に帰って来てるって聞いて…。』
「は!?宇佐美が?」
『うん。』
宇佐美は竜聖と同じ時期に学校を辞めている。
俺は竜聖と関係があるんじゃないかと疑った時期もあったが、俺たちでさえ見つけられなかった竜聖を宇佐美が見つけられるはずはないと思って、その考えを打ち消していた。
でも…翔平が竜聖を見たというときに、同じように宇佐美も目撃されているとなると関係性が気になってくる。
『高校のときのお友達の加地君って分かる?一つ下の…その加地君が宇佐美さんを見たんだって…。
私…就職の面接の帰りに…東京駅で吉田君を見つけて……、だから…高校のときの疑念が蘇ってきて…どうしても二人の関係が気になって…。』
「沼田さん…竜聖を見たのか…?」
『うん…。名前呼んでも…気づいてもらえなかったけど…。』
翔平に続き沼田さんまで目撃したとなると、これは確実だ。
竜聖はこっちに戻って来てる。
沼田さんの言うように、二人の関係が気になって胸が苦しくなってくる。
解けない問題をずっと考えているような気分だ。
『ねぇ…高校のとき…吉田君と宇佐美さんて本当に何もなかったんだよね?』
「―――――っ…あるわけねーよ!!」
沼田さんの疑問を打ち壊したくて、思わず声を荒げた。
電話の向こうの沼田さんが息をのむのが伝わってきた。
俺は取り乱した気持ちを落ち着けると、今度は冷静に返した。
「俺の見てきた竜聖は沼田さん一筋だった。嬉しい事があったら分かりやすいほど顔に出して、沼田さんと何かあったときには目に見えて落ち込んでた。そんなあいつが俺に隠れて宇佐美と何かあったなんて絶対考えられねぇ。あいつはそんな器用な奴じゃねぇよ。」
言葉の通りだ。
あいつがどれだけ沼田さんの事を想ってきたかは、中学のときからずっと見てきた。
あいつはずっと一途に…まっすぐ沼田さんにだけ、心を動かされてた。
遊んでた時期もあったけど、でも…沼田さんだけは違った。
あいつがあんなに自分に自信がないのは沼田さんに対してだけだった。
そんなあいつが沼田さんを悲しませるような事だけはするはずがない。
これだけは断言できた。
『そっか…。みんな…そう言うんだね…。私…吉田君からどれだけ想われてたかとか…言葉であまり言われた事なかったから…、すぐ不安になって疑って…本当…弱いなぁ…。』
沼田さんの小さな笑い声が聞こえてきたが、悲しんでいるのは声で伝わってきた。
俺に気を遣わせないように明るく振る舞っているつもりなのだろう…
でも、沼田さんの心の声が聞こえるようだった。
会いたい。
会って話がしたい。
竜聖を目撃したという事だから当然だろう。
俺だって同じだ。
近くにいるなら、会いたい。
会ってこの4年のことを訊きたい。
でも、おそらく今も記憶のないあいつに会うのは難しいだろう。
会うためには余程の運が必要だ。
もう偶然にかけるしかない。
それなら、今は会えない奴のことを考えていても仕方ない。
「弱くたっていいんだよ。そのために人に頼るんだろ。
一人じゃ弱くても、こうして誰かと一緒にいれば強くなれる。
そのための友達なんだからな。もちろん俺もな。」
『…っふふ…だね…。ありがと。山本君。』
少し元気の出てきた彼女に俺はいつも通りおちゃらけて返す。
「まぁ、これで沼田さんの番号も俺のケータイに登録されるから、いつでもかけられるしな。
弱い沼田さんのためにかけまくってやるよ。」
『……それ、迷惑電話だよね?』
「俺の親切を迷惑電話なんて、沼田さんは冷てーなぁ!」
俺が笑って返すと、沼田さんはかけてきた時とは違いいつものように笑っていた。
それが嬉しくて心が温かくなるのを感じた。
翔平が沼田さんのことを支えたいと言っていた気持ちが、このとき初めて分かった。
一段落つきました。
次はサイドストーリーに入っていきます。




