19 唯一無二
それを聞いてアリネアは一瞬固まると、突然不機嫌そうな顔になった。
「なんだか私気分が悪いですわ。失礼いたします」
そう言い放ち、その場を去っていった。その背を見つめながらイーファは呟く。
「相変わらず下卑た令嬢だ」
「相変わらず?」
オルヘルスがそう尋ねると、イーファは苦笑した。
「なんでもない。オリ、気を取り直して散歩の続きをしよう」
「そうですわね」
アリネアのことをさっさと忘れてしまいたかったオルヘルスは、そう答えて微笑んだ。
それから一か月ほど、グランツはオルヘルスの前に姿を表さず、オルヘルスはアリネアの言っていたことを思い出し不安になることもあった。
だが、グランツに限って裏切るなんて絶対にありえないと考え直し、信じて戻るのを待った。
その日、早朝オルヘルスはいつものように厩舎に向かい準備をすると、スノウを馬場へだし歩かせながらイーファが現れるのを待った。
遠くに人影が見えイーファが来たのだろうと思い近づくが、そのシルエットはイーファのものではなかった。
誰だろうと思いながら近づき、それがグランツだと気づくと思わず叫ぶ。
「殿下?!」
「ただいま」
グランツはそう言うと、優しく微笑み両手を広げた。オルヘルスが躊躇なくその胸に飛び込むと、グランツは力強く包み込むようにオルヘルスを抱きしめる。
ふたりはお互いの存在を確認するように抱きしめ合うと、オルヘルスはグランツの顔を見上げて言った。
「いつもどられたのですか?!」
「夜半にもどった。本当はもう少し遅くなる予定だったが、君に会いたくて調べものを早く終わらせた」
「私も会いたかったですわ」
するとグランツは照れ臭そうに微笑む。
「そうか……」
そうして少し無言で見つめ合ったあと、グランツは我に返ったようにオルヘルスに尋ねる。
「ところで、私がいないあいだなにか変わったことは?」
オルヘルスはゆっくり首を横に振ると答える。
「とくになにもありませんでしたわ」
「そうか。イーファに聞いたのだが、だいぶ乗馬が上達したそうだな」
「はい、私頑張りましたわ」
すると、グランツはオルヘルスの頭にキスの雨を降らせた。
「殿下! 恥ずかしいですわ」
「すまない、あまりにも可愛くて」
「か、可愛いなんて……」
オルヘルスがうつむくと、グランツは目を閉じなにかを堪えている顔をして呟く。
「今日から、また忍耐の日々か……」
オルヘルスは驚いて顔を上げる。
「またが痛い? 殿下?! 大丈夫ですの?!」
グランツは慌てて答える。
「いや、違う! 多少あっているが……。いや、そうではない。私は大丈夫だ」
そう答えて大きく咳払いをすると言った。
「それより今日はこのあと、私がいないあいだどう過ごしていたのかを聞かせてくれないか?」
「わかりましたわ」
そうして二人はこの日、乗馬の訓練を短時間で切り上げ、王宮の庭でゆっくりお茶を飲んで過ごすことにした。
グランツと離れている間、とくに大きな問題はなかったが一度海岸でアリネアに会ったことを思い出すと報告する。
「殿下、実はお兄様と一度だけ外へ出かけたのですけれど、そのとき海岸でアリネア様に会いましたの」
「あぁ、イーファから報告を受けている。海岸に突然現れたそうだな」
「そうなんですの。そのときなんですけれど、リートフェルト家を監視しているようなことを仰ってましたわ」
「だが、イーファが帰ってきていたことには気づいていなかったようだが」
「お兄様のことは、ただの護衛だと思っていたみたいですの」
「だとすると、単純に人の出入りだけ監視しているということか?」
「そうですわね。でもなぜんそんなことをするのか本当に謎ですわ」
「私が君の家にいるときを狙って、訪ねて来ようとしているのではないか?」
オルヘルスはその意見に納得した。狩猟会のときもグランツやエリ女王、フィリベルト国王との仲を取り持つように迫られたのを思い出したからだ。
それに、アリネアはグランツの愛人になるつもりでいるような発言をしていた。
以前はグランツに興味を持っているような素振りがなかったのを考えると、エーリクのときのようにオルヘルスからグランツを奪おうとしているのではないかと思った。
オルヘルスがその考えをグランツに話すと、グランツは大きくため息をついた。
「ありえないな」
「そうですわよね。こんなことをしていれば、余計に心象が悪くなりますもの」
「それ以前に私が君以外に心を移す訳が無い。まして自分を選んでもらえると思う、その考えがどこから出てくるのか」
オルヘルスは苦笑した。
「アリネア様は、私のことを見下してらっしゃるところがありますもの。なんにせよ私に殿下の相手が務まるなら、自分にだってできると思ってらっしゃるんじゃないでしょうか」
「馬鹿な、下も上もない。それにオリは私にとっての唯一無二だ。そこが理解できないとはな」
それを聞いて、オルヘルスは急速に恥ずかしくなりうつむくと言った。
「ありがとうございます。私も同じ気持ちですわ」
グランツは苦笑して答える。
「いや、私の君に対する気持ちの方が勝っているはずだ」
そんなことを言われ、オルヘルスはさらにうつむく。その様子を見て、グランツはオルヘルスの頭に優しくキスをした。
「本当のことだ」
「殿下……」
そうしてしばらく見つめ合っていると、後ろの方でイーファが大きな咳払いをしたのでふたりともはっとして話を続ける。
「それより今後のことだが、君の屋敷へ行くときはなるべく目立たないようにしよう」
「そこまで気になさらなくても」
「いや。そもそも、私と君が親密にすることで妬むものも出てくるだろう。そこは少し私の配慮が足りなかった。いらぬ争いで君になにかあってからでは遅い。用心するに越したことはないだろう」
「そんなものでしょうか」
そう答えるとグランツは苦笑した。
「君が気にしていなくてよかった」
「はい。それに、今はお兄様も護衛でついてきてくれますし、以前より一層安全ですわ」
「そうだな。イーファは血縁だしそう言った意味でも君の護衛には最適だ」
グランツはそう答えると満足そうに微笑んだ。そして、ふと思い出したように言った。
「そういえば、エメラルドピアリアドだが……」
エメラルドピアリアドとは、婚約者同士で行われる風習のことである。
婚約後一ヶ月間、女性の社交界デビューのときに身に付けていたリボンと、男性の父親から一人前と認めたときにプレゼントされたタイを交換し、お互いに身につけるというこの国特有の風習だった。
グランツにエメラルドピアリアドのことを言われるまで、オルヘルスはすっかりリボンのことを忘れてしまっていた。
オルヘルスはエーリクと婚約したときにリボンを渡してしまっていたので、手元にはなかった。
「殿下、申し訳ありません。私のリボンはエーリクが持っていますの」
するとグランツは険しい顔をした。
「婚約解消したあともエーリクは返却してこなかったのか?」
「そういうことですわ」
そう答えるとグランツに質問する。
「私存じませんでしたけれど、あのリボンは婚約解消をしたら返却するものですの?」
「当然だ、直ちに返却されるはずだ。まぁ、君が知らなくても仕方がない。婚約解消なんて滅多にあることでもないしな。わかった、私のほうからホルト家に直接言っておこう。エーリクに言うより、ハインリッヒに言った方が早いだろうしな」
ハインリッヒとはエーリクの父親のことで、ステファンとも仲がよく屋敷で何度か会ったことがある。
エーリクとは違い、とても常識的で礼儀正しい人物である。なので、きっとハインリッヒはこの件に関して知らないのだろう。
「わかりましたわ、ありがとうございます。では返却されたらすぐに殿下にお渡ししますわ」
「そうだな。ところで君はエーリクにタイを返したのか?」
「もちろんですわ。すぐに送りつけてしまいました」
「それはなにより」
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