4. Su-102 'Стервятник' (禿鷹)
■ 4.4.1
そのトンネルは車一台がちょうど通れるくらい、人で言えば五人余裕を持って横に並んで歩けるくらいの幅があった。
食堂に集まっていた俺達は少将の後について兵舎を抜け、この基地の中心となる建物である管制棟の中を抜けて、建物の裏に続く通路を通った。
元々管制棟には余り用事は無く、どんなものが建物内に存在するのかは殆ど知らなかったのだが、それにしても建物の裏手に延々と伸びるこのような通路があるとは今日の今まで全く気付かなかった。
通路はそのまま曲がることなく管制棟の裏手にある小高い山に向かって真っ直ぐ進み、そしていつの間にか山をくりぬいたトンネルへと変わっていた。
真っ直ぐで反対側の端が見えないトンネルを延々と歩き続けた。
トンネルの中の気温は低いが、風が余り無いことと、ずっと歩いているお陰で身体が温まり、寒さを感じることは無い。
どれ程歩いただろうか、多分数kmほど歩いたんじゃないかと思う。
トンネルは唐突に終わりを告げ、ナントカ中佐が先回りして開けた扉を通って、俺達は少将の後を追ってトンネルから出た。
そこには信じられない光景が広がっていた。
冷たい真っ白い大地の上に無数の機械が横たわり、数え切れない程多くの人間と車輌がその間を行き来して作業していた。
空は無く、高さ20mほどの骨組みに支えられた銀色の天井がどこまでも続いている。
眼の前に広がる光景の明るさは太陽の明かりでは無く、天井の構造材に無数に取り付けられた小さなライトから発せられた照明であるようだった。
明らかに宇宙船であろうと分かる、長さ20mほどの暗い銀色の物体が地面に幾つも横たわり、あるものは構造物に固定され、また別のものはまばらに作業員が取り付いてその作業を待っている。
俺達が居た名ばかりの宇宙軍基地ではなく、見るからに確かに宇宙軍基地であるその眼の前の光景は、トンネルを出た俺達の僅か数十m先から始まり、走り回る車輌が巻き上げる雪煙で煙って見えなくなる遙か彼方まで続いていた。
その驚くべき光景に全員が息を呑み、感嘆の声を上げた。
それは俺も同じだった。
国連宇宙軍9012TFSという、いかにも宇宙で活躍していそうな名前の部隊に配属されはしたものの、この三ヶ月の間にやったことと言えば、訳の分からない理論に関する座学と、ただのシミュレータ訓練と、あとは掘っ立て小屋のような兵舎と訓練施設の間をもそもそと行ったり来たりしただけだった。
航空機の操縦さえ一切行っていなかった。
任務であるので不平不満をこぼしつつもこなしてはいたが、一体自分達は何をやらされているのか、何をやらされようとしているのか全く分からず、外に出ることさえ出来ない状態で、滑走路と掘っ立て小屋以外に何もないこの基地で三ヶ月間鬱々と過ごしてきた。
そもそも本当に宇宙戦闘機なんてものを操縦する事になるのか、それどころか宇宙軍などというものが本当に存在するのかさえ疑わしいものと思い始めていたのだった。
それらの疑念と不満が、今一瞬で全て払拭された。
今俺達の眼の前には、雪が薄らと積もった真っ白い地面の上に見渡す限りに何十機という宇宙戦闘機らしい機体が並べられていた。
多分担当によって色分けられているのであろう、様々な色の防寒着を着た数百、或いは千を越えるかという作業者がその間を忙しく歩き回っている。
戦闘機の間には、いかにも宇宙空間に打ち上げられそうな構造材が幾つも置かれており、戦闘機をその構造材に接続する作業が忙しく続けられている。
その光景は俺達に、この三ヶ月で訓練してきた成果を示せと威圧感を持って語りかけてきており、そこにある色々な物の「訳のわからなさ」は、確かにこれが今までに無い戦い、宇宙空間で敵と戦う為の準備であるという事を雄弁に物語っていた。
俺は星や宇宙などといったものにそれ程興味があった訳では無いのだが、それでも眼の前に置かれた戦闘機が航空機では無く、空気の無い宇宙空間で戦う為のものだという事くらいは一瞬にして理解出来た。
眼の前の想像を絶する光景に目を奪われ気付かなかったが、例の厳めしい名前の少将が得意げに何か言っていた。
「・・・の天井は、布の内側にアルミニウム箔を貼ったものであり、外部に熱や光をできるだけ漏らさない様になっている。そして諸君らの眼の前に広がる平らな地面は、実は地面では無い。ブフタ・デジュニョヴァ湾の海水を凍らせたものだ。冷却器を設置した構造材を骨格にして加重による割れを防ぎ、骨格の一部で海底にアンカーを打ったことで氷の移動を防止している。
「ブフタ・デジュニョヴァ湾は2/3程が凍っている。一部は運河のように凍っていない水面が湾の最奥まで続いている。離着床を湾の氷とすることで、潜輸を運河に進入させて、離着床までの移動距離を最短に抑えている、という訳だ。」
少将は話を終えると、氷の平原である離着床に向けて僅かに下っている通路を歩き始めた。
「Su-102を初めて見る者も多いだろう。この度新たに開発された、宇宙空間での格闘戦を想定した史上初めての宇宙戦闘機だ。エンジンは核融合ジェットで、30Gもの加速を十時間連続でかけることが出来る。
「勿論その様な高加速は人間が耐えられないので、常識的に10G程度の加速が上限になると思われるが、ところで諸君、10Gの加速を掛け続けた時、どれ位の時間で月に到達出来るか知っているかね?」
厳めしい名前の少将は得意げに振り返って俺達の顔を見回した。
加速度と移動距離についてはこの三ヶ月の座学で習ったが、嬉しげなオッサンに付き合ってそれを計算するのも面倒臭い。
どうやらほぼ全員が意見の一致をみたようだった。或いは、未だ計算中で答えが出ていないだけかも知れないが。
誰も答えを言わないのを見て、オッサンの得意満面が加速する。
「月までの距離を38万kmとした時、10Gで加速し続ければ僅か三十分強で月に到達することが出来るのだ。尤も、月に着陸する気ならば減速せねばならんのでその倍の一時間かかってしまうのだがね。
「いずれにしても米国がアポロ宇宙船を飛ばし月に到達するまで三日かかったところを、このSu-102は僅か一時間でこなしてしまうのだ。七十年の時代の隔たりがあるとは云え、これは革命的な進歩だよ。そうは思わんかね、諸君。」
ああ、それが言いたかったのね。
と、皆も思っただろう。
今の世の中、アメリカがどうの、ロシアがどうのなんてどうでも良い。
そんな事を考えているのは各国政府の上の方に鎮座在しているオエライ奴等だけで、現場で戦っている俺達はアメリカだろうがロシアだろうが、そんな事を気にして戦闘機に乗ったことなど無い。
そもそも世界中どこに行っても、国連軍の前線部隊は実際にあらゆる国籍と人種がごった混ぜになった状態で皆肩を並べて戦っているのだ。
「その能力があるとは言え、核融合の炎を地上で吹かしてもらう訳にはいかん。その為、Su-102は機動空母(Orbital Carrier)と呼ばれる母艦に固定して地上を離れることになる。諸君らが今見ているのがそうだ。この基地には六隻の軌道空母があり、それぞれ「созвездие(サズヴィエーズヂィ:英constellation:星座)」 01(アジーン)から06(シェースチ)と呼ばれる。」
俺の視野の中には、空母らしいものは何もなかった。
あるのは宇宙戦闘機であるSu-102と、それを固定している骨格・・・まさかこの鉄骨のことを「空母」と呼んでるんじゃなかろうな?
「軌道空母サズヴィエーズヂィは、見た目こそ少々頼りなさげに見えるが、使われている技術は最新のものだ。エンジンには人工重力発生器(AGG)の実用化モデルが三基搭載されており、AGGにパワーを供給する反応炉も宇宙船搭載用に開発されたものだ。見栄えは悪かろうとも、骨格には新たに開発された超高張力チタン合金が使用されている。
「特筆すべきはなんと言ってもその加速力だ。先ほど話したSu-102は最高30Gが機体としての限界だったが、本軌道空母はSu-102を満載、十五機搭載した状態で200Gという極めて高い加速を行うことが出来る。勿論、Su-102の機体にも、そこに搭乗する諸君等にも全く負担を掛けることなく、だ。200Gでの加速によって、この基地を発進した諸君等攻撃隊は、僅か5分後にはL1ポイントに到達し、攻撃態勢に移行することが可能となる。
「信じられるか? 月のすぐ手前、30万kmもの彼方までたったの五分だ。これは我ら人類の快挙だよ。いかなファラゾアとて、まさかそれ程の短時間で我々の戦闘機が30万kmの彼方に投入可能であるなどとは思うまい。奴等が慌てふためいている間に、思う存分暴れ回ってくるが良い。」
五分で月まで行けようが、人類初の快挙だろうが、そこが人類にとって、いや、俺にとって、想像さえしたこともない初めての慣れない戦場である事に変わりは無い。
最新鋭の自称宇宙空母で五分の距離だろうが、歩いて三分の距離だろうが、初めて経験する戦場の環境で、初めて乗る機体で戦闘することの不利に気付かないほど俺達は馬鹿じゃ無いぞ。
ましてやその「自称」空母の外観と言えば、ちょっと太めの鉄骨が組み合わさって、そのところどころにエンジンらしい箱を取り付けただけの残念極まりない姿だ。
水も空気もない宇宙空間なので、俺達が想像する空母や航空機などと言ったものからかけ離れた姿であっても行動に問題無いことくらいは俺でも理解できるが、いかに言ってもこの姿は余りに頼りなさ過ぎた。
「諸君等も知っての通り、これまで人類が手を伸ばすことが出来なかった地球大気圏外は、完全なるファラゾアの制空圏と言って良い。諸君等には申し訳のないことだが、これだけの機体を用意しながらも、諸君等に実際の環境で実機を動かして訓練して貰うことが出来ない。しかし、この三ヶ月間の厳しい訓練はその為のものだ。実機シミュレータは実際の機体よりも少々厳しい環境で設定してある。諸君等は実際にこのSu-102に搭乗して、シミュレータよりも扱いやすいことに気付くはずだ。何も心配することは無い。遺憾なく思う存分諸君等の戦闘力を発揮してくれ給え。」
厳めしい名前の少々のその得意げで自信に満ちあふれた力強い激励に、「あ、これはヤバイやつだ」と気付いた。
新興宗教の勧誘、悪徳商法の利益説明、怪しげなプロジェクトの将来構想。
力強く自信に満ちあふれ、こちら側聞き手に安心感を与えるような口上を述べる奴の言うことなど聞くもんじゃない。それ程胡散臭いものも無い。
用意された「空母」の余りの酷さと、ウサンクサイ少将の説明の余りの疑わしさに今まで気付かなかったが、俺のすぐ前にはマイスイートエンジェルの艶やかな黒髪が照明の光を反射して美しい光沢を放っていた。
数歩進んで、厳しい目で戦闘機と空母の群れを眺める彼女の脇に立つ。
「あれが俺達のオモチャだそうだ。月まで行って戦って、月の向こうを回って帰って来い、だとさ。」
難しい顔をした我が天使は、俺の方にちらりと一瞥をくれると、いつもよりもさらに不機嫌そうな声で言った。
「クソッタレな話だ。胡散臭ぇ。仮設テントじゃねえんだ。なんだあの鉄骨は。」
その余りに言い得て妙な言い草に、俺は思わず噴き出した。
俺達の会話はどうやらナントカ中佐には聞こえていたらしく、中佐が鬼のような形相でこちらを睨んでいる。
それがどうした。
ウサンクサイ少将の腰巾着野郎の歓心を買うことよりも、この瞬間俺にはもっと大切な事がある。
おおマイスイートエンジェル。
君と俺の意見が初めて完全一致したね。
どうだろう。今日の夕食をご一緒に。
いつもの煮豆とボソボソのトナカイ肉のシチューもどきだけれど。
そう思って笑顔で近付くと、黒髪の天使はいつもの完全平常運転でこう言った。
「寄んな。キメェ。」
月の向こう側でランデヴーを決めた後には、その藪睨みの眼も優しくにこやかに変わっていると信じている。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
ちなみに国連宇宙軍の日本にある基地は沖縄本島にあります。
ファラゾア侵攻により、米国が国外に駐留している殆どの軍を本国に引き揚げた為、沖縄の基地が空っぽになりました。
勿論日本軍が引き継いで使用していますが、相当場所が広く有り余っているので、一部国連軍に貸与しています。
(このタイミングで中国が沖縄に侵攻してこないのがちょっと変なのですが、そこはご容赦ねがいます。スミマセン。四川省辺りに初期降下ポイントを作ると辻褄を合わせられるのですが、後々物語の進行と干渉する為出来ませんでした・・・)




