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A CRISIS (接触戦争)  作者: 松由実行
第三章 失うもの、還らぬもの
74/405

21. カフェテリア「コロナド・ビーチ」

 

■ 3.21.1

 

 

 エアコンの効いた屋内からドアを開けて外に出ると、カリフォルニアの空は今日も突き抜けるように青く澄み渡っていて、夏の暑く乾燥した空気とともに、いかにもカリフォルニアという、その名前から受ける印象そのものの気候が達也の全身を包んだ。

 達也は、今日の日替わりランチセットの内容を書き込んだボードを僅か数段しか無い入り口の階段に立てかけ、海に向き直って両手を広げて大きく伸びをした。

 

 目の前には白い砂浜が広がっており、その向こうには青い太平洋が遙か彼方まで続いている。

 水平線上に積乱雲が沸き立ち、いかにも夏らしい雰囲気を醸し出すのに一役買っている。

 砂浜では、多分非番の兵士達なのだろう、十人ほどの若い男女のグループがビーチバレーを楽しみながら時々歓声を上げているのが聞こえてくる。

 

 達也は店の前のコンクリートの道を歩いて建物の脇に回ると、倉庫からパラソルを取り出してきて、再び店の入り口の前に戻った。

 広げたパラソルを階段脇のパラソル立てに突き刺し、先ほど階段に立てかけておいた看板をパラソルの柄に付いているフックに引っかける。

 軽く息を吐いた達也は、店の前から海に向かって少し歩いて振り返る。

 平屋建ての白い店の建物と、入り口脇に生えているココヤシの木、白いビーチパラソルが良いバランスを醸し出していて、いかにも南国のリゾートといった風に見える。

 カンペキだ。

 サーフボードを担いだ水着の男女や、いかにもお高そうな小型犬を連れた身なりの言い女などが歩いたりしていれば更に雰囲気が増すのだが、この戦時下の海軍の敷地内でそれを望むのは無理というものだった。

 

 達也は砂浜から上がってきた砂を踏みしめてコンクリートの道に戻り、道を横断して再び店の前に戻った。

 階段を上がり店のドアを引くと、店内からエアコンの効いた冷たい風が流れ出てくる。

 

「マーチン、店の前はOKだ。」

 

「おう。じゃ看板返してこっち手伝ってくれ。」

 

「分かった。」

 

 達也はガラス戸に掛けられた横長の看板をひっくり返して店の外から「OPEN」の文字が見えるようにしてから、店内に戻った。

 テーブルの間を歩き、マーチンが今日のランチセットを仕込んでいる厨房に入った。

 

「そこの鶏のモモ肉を半分の大きさに切って、全部そっちの容器の中に漬け込んでおいてくれるか?」

 

「諒解。」

 

 達也は脇にあった包丁を持ち、仕入れたばかりで山のようになっている鶏のモモ肉と格闘し始めた。

 

 ここはサンディエゴ港にあるアメリカ海軍航空基地、ノースアイランド。

 ファラゾアによる物理的攻撃と電子的攻撃を一気に受けて壊滅し、ありとあらゆる面で立ち行かなくなったアメリカ合衆国という国を、国連を通して世界各国が支援するための物資の陸揚げ地。

 太平洋の反対側、主に日本の鹿島港と台湾の基隆港で支援物資を満載した日本海軍と台湾海軍の輸送潜水艦が、はるばる太平洋を横断してきた後に物資を陸揚げするのがこのノースアイランドであった。

 

 ノースアイランドには元々、米海軍航空司令部や米太平洋艦隊航空司令部が置かれており、北米大陸西海岸における最大規模の海軍航空基地であった。

 ところが、その海軍航空隊を搭載する空母とその機動艦隊がファラゾア来襲後ごく短期間で壊滅した。

 空母を持たない海軍航空隊は空軍と変わりなく、壊滅的な打撃を受けた空軍と海軍がそれぞれ再編される中で、海軍航空隊は出向という形で空軍に吸収されていった。

 

 更に、国連軍を窓口として大型の潜輸で大量の物資を陸揚げするため、国連軍には外洋に直接面した大きな港が必要であり、さらに陸揚げした物資を仕分け保管する場所も必要であった。

 更に言うならば、比較的安全な北米大陸内陸部とを結ぶ航空輸送の為の滑走路と、アジア方面から搬入される航空機を組み立てて飛び立たせるための地上設備も必要であった。

 隣接するコロナド海軍基地を含めたノースアイランド海軍航空基地は、それらの要求にまさにうってつけの立地であった。

 

 勿論それは、元々ノースアイランドを所有していた米海軍にとっても同じ好条件の場所である訳なのだが、どのような政治的力学が作用したのか、或いは保有する艦船の殆どを撃破され、機動艦隊も消滅し、空母を持たない艦載機航空隊を空軍に出向させた為に有効な打撃力のある航空戦力がもはや残って居らず、新型の潜水艦をなかなか就航させることが出来ないため海中輸送を他国に頼り切りになってしまっている元世界最強の海軍が自発的にその一等地を明け渡したのか、その辺りの詳細については文書として記録されたものが残っていないために、その正確な直接的理由を知るためには後世刊行されるであろう暴露本を待たねばならなかった。

 

 と言う様な、少々疑問の残る理由で国連軍がこの巨大な空海複合基地を手に入れたことが達也がこの基地にいる理由の大体半分ほどで、残る半分の理由は達也自身にあった。

 

 エドワーズ空軍基地で、イスパニョーラ島で受けた傷を治す為に生じたブランクを埋めるためのリハビリ課程をこなし、最後のステップで躓いた。

 地上で実施するあらゆる検査は鼻歌交じりに全て簡単にクリアできたのだが、それらを全て無事完了し、最後に実機上で検査を行うことになり、乗り慣れたF16Cのコクピットに腰を落ち着けた。

 突然表面化したPTSDによって、手の震えや目眩、吐き気、思考能力低下、記憶障害、判断力低下、反射速度低下など、考えつくありとあらゆる症状が噴出し、とても戦闘機を飛ばせるような状態では無く、ましてや空戦機動を行ってリハビリ課程の検査など受けられるような状態である筈も無く、達也は新兵にも劣る成績で実機操縦確認試験に落第した。

 死んでしまったシャーリーや父親の為にも戦わなければならないのだと、どれ程自分に言い聞かせ、意志の力で強引に不調を押さえ付けようとしても、コクピットに座り、自機のエンジンが回り始めた途端にありとあらゆる体調不良が発生して達也が飛ぶ事を阻んだ。

 二日ずつ時間をおいて行われる実機上試験に、同じ理由で三回連続して酷い成績で落第し、そして達也の人事調書には「飛行不可」の烙印が押されることとなったのだった。

 

 勿論、これまで達也が極めて優秀な成績を残した、最前線を渡り歩いてきたパイロットである事は国連軍もよく知っていた。

 それどころか、良い意味と悪い意味の両方で、人類が存続する限りその歴史上に深く刻み込まれることとなったイスパニョーラ島でのOperation `Santo Domingo`の数少ない生き残りとして、今や各国軍の上層部で達也のことを知らぬものは無いほどの有名人でさえあった。

 国連軍は空を飛べなくなってしまった達也をパイロットから除名するのでは無く、「戦時PTSDによる一時的機能障害が理由の飛行能力喪失」という判断を下し、「ちょっと今調子が悪いので飛べませんが、明日になったら多分大丈夫です」的な曖昧な扱いとした。

 

 調子が悪くなってしまい本来の能力を発揮できなくなった兵士に対しては、当然調子を復調させるための何らかの処置を取る必要がある事が、国連軍務規定に明記されている。

 それが元エース級パイロットとなればなおさら当たり前のことだった。

 達也は北米大陸にて国連軍最大の基地であるノースアイランドに配属されることとなり、直接的な軍務を離れてPTSDからの回復を待つ事となった。

 

 ところが軍の基地、特に北米大陸最大の国連軍の基地の中に、直接的な軍務に付かない兵士が担当するような仕事など存在するはずも無かった。

 基地内の掃除や草刈り、建物や設備の点検補修等と云った、兵士にならなくても出来る仕事は、全て地元サンディエゴの民間人材派遣会社によってとうに全て占有されていた。

 前代未聞人類史上最大最悪世界的に悪化した経済の中、唯一潤沢な資金を常に運用出来る軍とその周辺産業には、民間に就労機会を与える事が当然の事であり、半ば義務でもあった。

 そして不況などと言う言葉も生易しい、生きていく事自体が非常に厳しいこの北米大陸で、金を稼ぐ手段を見つけたなら死んでも離さないとばかりに誰もがそれに食らい付いて離さない。

 常に暴動や強盗に怯えて暮らす市中の悲惨な状況を知っているだけに、国連軍も民間の嘱託職員を無碍にすることも出来なかった。

 

 最近では余り使われなくなった、基地南側の海沿いに造られた高級士官用宿泊施設に隣接している軍専用ビーチに、テラス席も無い、二十人も入れば一杯になってしまう様な小さなカフェテリアがあった。

 高級士官用宿泊施設の建物の陰に隠れて目立たない場所にあるのだが、目の前に広がる太平洋とそれに面したビーチに隣接し、窓が大きく取られた見晴らしの良いその小さなカフェテリアは、知る人ぞ知るという基地内の穴場的場所でもあった。

 本来は高級士官用宿泊施設の付帯設備として設置され、少数の高級士官が人払いをした上で食事をしながら、或いは酒を飲みながら、会議室の中で行うよりももう少し砕けた雰囲気での話し合いや情報交換を行う事を目的とした場所であった。

 しかし、質素倹約が身についてしまっている国連軍の将官がこの高級な宿を使う事は余りなく、その為このカフェテリアが客で埋まってしまうようなことは無く、売り上げも軍の施設でなければ二月と保たずに閉店してしまう様な額であった。

 余りに小さなカフェテリアなので、市内から通勤する民間の料理人を一人だけ雇って全て任せていたのだが、稀に宿泊施設の方に人が沢山宿泊することがあると途端に人手が足りず殺人的な忙しさになるため、忙しいときの短期だけでも良いので人手をどうにかしてくれと、その民間から雇っていた施設管理運営業務委託受注者、すなわち料理人から悲鳴のような要求が上がってきていたことを、総務課内務係の担当者がふと思い出した。

 

 それが達也がこの基地に居て、椰子の木の生えたビーチの脇に立つカフェテリアの厨房で大量に入荷した鶏のモモ肉と格闘している、残り半分の理由だった。

 基本的に暇なカフェテリアなのだが、隣の将官用宿泊施設で会議などが行われたりすると、思わぬ量の食事や軽食のデリバリーを受注する事がある。

 今日がまさにその様な日だった。

 

「今何時だ?」

 

「1113時。」

 

 煮込み続けているトマトスープに次から次へと顔を上げること無く刻んだ野菜を投入し続けるマーチンからの問いかけに、達也はカフェカウンター上に置いてある透明なアクリル板に反転して浮き出すデジタル文字を読んで言った。

 

「そろそろサラダ用の野菜をカットしなくちゃな。頼めるか。」

 

「諒解。サラダ用の野菜をカットする。」

 

 達也は復唱すると、大型の冷蔵庫の中からレタスを取り出し、まな板の上に置いて包丁を手にした。

 

「バカヤロウ。レタスは包丁で切ったら不味くなるって何回言ったら覚えんだ、おめえ。手で千切んだよ。」

 

 鍋で煮込んでいるトマトスープに集中しているはずのマーチンが、こちらを見ることも無く注意してきた。

 そう言われてみれば、数日前にもサニーレタスを包丁で切ろうとして似たような事を言われていたと思い出した。

 

 「NAVY CLUB」と云う名の高級将官用宿泊施設から受注した四十人分の昼食の為のサラダをカットし終えると、そのままドレッシング作りに移る。

 香辛料と乾燥ハーブと水と油と酢と少量のシーズニングをミキサーに放り込み一分ほど攪拌する。

 ミキサーの中身をドレッシングピッチャーに移して終了。

 ミキサーを洗うと同時に、マーチンが次から次へとシンクに放り込む汚れた調理器具も洗っておく。

 

「サラダとドレッシング完了。他にやることあるか?」

 

 料理などろくに作った事の無い達也に出来る事は少なかった。

 難民キャンプにいた頃、シヴァンシカと交替で食事を作ってはいたが、あれは料理などと呼べる代物ではなかった。

 とりあえず食えれば良い、空腹を少しでも誤魔化す事が出来れば良い、そんな「食物(しょくもつ)」だった。

 

「・・・ねえな。カトラリやナプキンの数を数えて、準備しておいてくれ。あとは店番だ。そろそろ昼飯の客が来てもおかしくない時間だ。ああそうだ、ネイビークラブに行ってカートを一台借りてきてくれ。」

 

「諒解。ネイビークラブでカートを借りてきて、カトラリを揃えた後、店番をしている。」

 

「おう。」

 

 厨房の奥に作られた炭火焼きのコンロで大量の鶏のもも肉を次々に焼きながら、顔を上げる事もなくマーチンが返事をした。

 

 達也は店を出てネイビークラブのバックヤードに行き、裏口の守衛に一言断ってから六人乗りの電動カートに牽引パレットを連結して、それを運転して店の裏手に駐めた。

 店の前に戻ると、若い男が二人店の中を窺う様に通りから店を見ていた。

 客だろうか。

 マーチンがデリバリーの料理から手を離せない今、あまり客に来て欲しくないのだがと思いながら、達也は男達の脇を通って正面から店内に戻る。

 

 達也がカウンターの上で五十組のカトラリの数を数え、汚れや曇りがないか確認していると、店の前に立っていた男二人が店内に入ってきた。

 客が来てしまったものは仕方が無い。

 達也は手にしていたナイフとナプキンを置き、注文用紙を手に、窓際のテーブル席に座った男二人の元へ歩いた。

 

 そこで達也は、席に座る男二人を初めてきちんと観察し、そして僅かに驚いた。

 日本人だ、と思った。

 それも、日本で生まれ育ち、その後国外に出た日本人。

 シンガポールにいた頃によく見た日本人観光客とも、海外で育った日本人とも違う雰囲気をその二人の男は纏っていた。

 もっともそれは今では珍しい事では無い。

 東南アジアを中心に、今や日本は人的物質的な軍事輸出大国へと変貌しており、その様にして海外へ派遣された兵士の一部が落ちぶれた米国の西海岸にいても何らおかしな事では無い。

 

「ご注文は。」

 

 テーブルに近付く前からずっと達也を注視していた二人は、達也が質問を発しても少しの間何も言わずに達也の顔を見続けた。

 

「ホットコーヒー、二つ。」

 

 サングラスをかけた、少し大柄な方の男が達也の眼を見ながら言った。

 

「お食事は?」

 

「要らない。」

 

 達也は踵を返してカウンターに戻った。

 その男達がこちらをずっと見続けているのは気になったが、それよりも二人の注文がコーヒーであった事に安堵していた。

 

 コーヒーなら一人で作る事が出来る。

 大量のチキンと格闘しているマーチンに追加注文を出して、マーチンが不機嫌になる事も無い。


 いつも拙作お読み戴きありがとうございます。


 いつもコクピットの中から南の島のビーチリゾートを指をくわえて眺めるだけだった達也君ですが、とうとう念願叶って(?)ビーチリゾート(みたいなところ)で働き始めました。

 これにて本作も本道に立ち返り、ここからはアーバンリゾートカフェでの青春恋愛グラフィティーなストーリーをお楽しみ戴きます。 (嘘


 ちなみに本作では「NAVY CLUB」という名の高級将官専用宿泊施設としていますが、現実での「NAVY LODGE」は、軍関係者とその家族であれば誰でも格安で利用できる宿泊施設であるようです。



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乗ったら(親しい人達が)死ぬって脳が気づいたからでは?
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