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A CRISIS (接触戦争)  作者: 松由実行
第十二章 Scorpius Cor(蠍の心臓)
366/405

25. フェリシアン・デルヴァンクール地球連邦軍参謀総長


 

 

■ 12.25.1

 

 

 火星に二十二人の兵士達が取り残されており、地球からの助けを待っているという情報は思いの外早く、僅か半月でヨーロッパ中に広まった。

 

 この時期、あらゆる軍用機或いは軍用艦艇に搭載されているレーザー通信は、ファラゾアに通信を傍受されることを避けるために、受け手の通信機との間に確固たる信頼性が確立されなければ通信を開始できない仕様となっている。

 地球側に多数存在する通信基地局は、そんな火星からの通信確立プロトコルに対して、一切の返答をしなかった。

 いくら指向性の高い通信用レーザーとは言っても、火星までの1億km弱もの距離を踏破する間に大きく拡散し、簡単にファラゾアに傍受されてしまうようになることは明らかだった。

 通信プロトコルに含まれる動的暗号キーを読み取られるのも拙かったが、友軍兵士達だと信じて行っている通信を乗っ取られ、欺瞞情報を流される事も絶対に避けねばならない事態だった。

 

 その為火星の兵士達の手元にあるレーザー通信機は使い物にならず、彼らは攻撃用のレーザー砲を使用して射撃管制システムに割り込み、アスキーコードで作成した平文を0と1で出来た長いデータ列に変換して、これをレーザー砲の発射シーケンス制御に手動で打ち込んでレーザー砲のON/OFFを利用して地球に送信するという手を取ったのだった。

 僅か200mm口径の攻撃用レーザーは地球に届く頃には直径1万kmにも広がり、そして平文のコードによる通信は誰でも簡単に受信することが出来た。

 火星からの通信は火星に望遠鏡を向けていた世界中の多くの天文台、アマチュア天文家、或いは高感度のレーザー通信受信器によって受信され、そして火星に残された二十二名の兵士の存在を知ることとなった。

 

 つい先頃に行われた火星への遠征はまだ人々の記憶に新しく、その話題はTVやネットワークを失った人々に残された数少ない娯楽の一つであった。

 そんな中に、少数の兵士が火星に取り残され地球からの助けを待っているという話題が放り込まれれば、誰もがその話題に夢中になるに決まっていた。

 通信手段を失っている人々は誰もが、その悲運な兵士達のその後の動向に関する最新情報を求め、同時に彼らをなんとかして地球に帰してやりたいと思うのは当然のことであったろう。

 彼等の帰還を望む声は隣人達と交わす日常の会話の話題として留まらず、やがて短期間の内に政府や軍部への呼びかけ、嘆願、集会、デモ行進へと発展していった。

 

 ちなみにであるが、テラナー・ドリームのクルー十二名が脱出の際に使用した救命艇は、操縦士と副操縦士を入れて最大四十名を搭乗可能である。

 生命線である酸素、水、食料について、酸素は触媒を用いた循環型エアコンディショナーにて二酸化炭素から再生することが可能である。

 水もリサイクル機構をフル活用することで四十人を最大九十日生存可能とする機能を持っている。

 食料に至っては、宇宙軍で制式採用されている糧食(レーション)、即ちかの悪評高いカロリーブロックパッケージが、七千二百食(40人x2食x90日)分搭載されていた。

 火星で僅かながらに手に入る酸素と水、七機の戦闘機に搭載されていた水(反応炉燃料を含む)や糧食を全て合わせると、彼等の手元には二十二名が二百日程度生存できる物資が残されていた。

 

 そのような詳細な事情を皆が知っているわけではない民衆は、火星の兵士達を案じて一刻も早い救出を政府と軍に求めた。

 どれほど求めようとも重い腰を上げようとしない軍と政府に焦れて、彼等の活動は徐々に先鋭化していく。

 そのような無駄に増幅され収束した「民衆のパワー」を背景に、戦場に取り残された兵士達の生存権を守ることを掲げて、まるで正義の味方の様に颯爽と現れ、暴徒化する寸前の民衆をまとめ上げてその勢いを味方に付けて急速に発言力を増したのが、連邦最高議会北米代表議員のジョナサン・グリーンウッド議員であった。

 地球連邦最高議会という立法府が成立した途端、それまで六年勤め上げていたカリフォルニア州知事から最高議会北米代表議員の一人へと華麗な転身を決めたグリーンウッド議員は、カリフォルニア州で自らの一族が経営する石油会社とその周辺企業を後ろ盾とした豊富な資金力で、連邦最高議会の有力議員へと一気に上り詰めたという背景を持つ。

 

 ここに来てグリーンウッド議員はその野望を隠さなくなり、この度の火星侵攻における大敗は連邦軍参謀総長であるフェリシアン・デルヴァンクールとその一派が密室的な作戦立案を行ったことで、非論理的かつ非効率的な作戦行動を連邦宇宙軍第一機動艦隊に強いた為であると、その責任追及の舌鋒を連邦軍上層部に向けた。

 火星遠征作戦「レッド・ストーム」は、そもそもが何もかも初めてづくしの作戦であり、敵に一日の長どころか数十万年の長がある宇宙空間での戦闘はもともと地球人側に圧倒的な不利であることなどを軍周辺関係者が良く理解しており、軍上層部への責任追及の糾弾が思うような効果を上げないことを見て取ると、グリーンウッド議員は攻め手を変えて引き続き軍上層部を攻め立てる。

 

 曰く、デルヴァンクール参謀総長は、連邦軍の前身である国連軍での参謀総長時代から、数多くの背任行為を行った疑いがあり、国連軍そして連邦軍を私物化し、派閥に属さない軍高官を排斥することで自らの保身を図っている、というものだった。

 グリーンウッド議員がその一例としてあげたのは、例えば数多くの作戦において、実質的に戦略級規模の大作戦であるにもかかわらず、デルヴァンクール参謀総長は安全保障理事会への報告義務を怠り、作戦規模を故意に過小申告することで自らの裁量のみで実行できる戦術級規模の作戦であると偽り、安全保障理事会の合意を得ること無しに勝手な判断で作戦を実行に移したこと、またその作戦立案においても、自分の派閥に属する参謀本部長や作戦部長などのみを招いて文字通り密室の中で多くの作戦が立てられ、そしてそれらの作戦がやはり安全保障理事会の承認を受けることなく実行に移されたことなど、である。

 その様な悪徳軍人に私物化された地球連邦軍が、参謀総長が私腹を肥やす事の足しにもならない火星残留兵士達の救出作戦など行おう筈も無く、また彼等の安否を気遣う民衆の声に耳を傾けるはずも無い。

 汚染された軍上層部は速やかに粛清されるべきであり、高潔な志と共に新たな地位を獲得した将官達によって火星残留兵士達の救出作戦は迅速に実施されるべきである、とグリーンウッド議員を筆頭とした北米選出議員を中心に構成された派閥に属する議員達は口々に声高に主張した。

 

 その点については、デルヴァンクール参謀総長側にも色々と多くの言い分が存在したのだが、そもそもが敵と戦う為の意思決定を迅速に行う事のみを目的としてそれに必要な地位に就く者達を集めて構成された「参謀総長派」の軍人達は殆ど政治的野心を持っておらず、文民統制のシステムの元、自分達の「飼い主」がその様に主張するのであればそれに従うまでと、疲れ呆れた表情で小さく溜息を吐くとその殆どが口を閉ざしてしまった。

 元々口下手な者の方が多く、立ち回りの才にもさほど秀でているわけで無い軍人達が黙り込み、それに対して思いつく限りの場所で徹底的に自己主張を繰り返し、人身把握術に長け群衆を扇動する様々な手法を身に付けた政治家達が騒ぎ回れば、民主主義という名で呼ばれる社会システムの元、どちらが勝者となるかなど考えるまでも無い事だった。

 

 先の火星遠征作戦失敗の責任の所在だけで無く、事が過去の多数の背任行為にまで広がってしまえば、立法府であり且つ主権者の代表が集う連邦最高議会全体も、そして直接的に軍の行動を決定し指示する安全保障理事会も、それら「民主派」の議員達に一斉に矛先を向けられている軍の高官達の処分を検討しないわけには行かなくなった。

 その結果、連邦軍参謀総長を筆頭に連邦軍参謀本部に属する多くの高官と、四軍それぞれの高い地位を占める将官達がその対象となった。

 グリーンウッド議員達が名指しで糾弾する、デルヴァンクール参謀総長、ムーアヘッド参謀本部長、クルピチュカ作戦部長など「参謀総長派」の中心的人物は当然のことながら、真っ先に更迭が決定された。

 

 しかし不思議なことに、常に彼等と共に「密室作戦会議」を開いていた連邦軍情報部長のフォルクマー・デーゼナーや、軍では無く連邦政府直轄組織である情報分析センター対ファラゾア情報局長のヘンドリック・ケッセルリングらは、明らかに参謀総長派であると見なされていたもののその地位を追われることは無かった。

 

「なぜ反論しなかったのですか。彼等の云う『背任行為』はいずれも理由があって実施したことでした。そうしなければ戦いの機を逃し、大きな戦果を得ることは出来なかった。抗論すればそれなりの理解を得られたでしょう。そうすればまた違った結果になったかも知れなかった。」

 

 連邦政府の安全保障理事会にて更迭の議決が下されることがほぼ決定的になったある日、フェリシアンのオフィスを訪れたヘンドリックは、すでにオフィスの整理を始めていた彼に問うた。

 

「背任行為であったことは事実だよ。元々こうなることを覚悟の上で、我々は実行を決めたのでは無かったかね。いつかこうなることは承知の上だった。これがファラゾアを地球上から一掃した後であったことに感謝しても良いくらいだと、私は思っているよ。

「これも地球人類の営みが正常に戻りつつあることの証左だと思わないか?」

 

 笑いながらそう答えたフェリシアンの表情は、存外に晴れやかなものに見えた。

 まだやり残したことは沢山あるが、最低限絶対にやり遂げなければならないことはやりきった、という達成感であったのかも知れなかった。

 

「君やフォルクマーが留任する事になって良かった。情報の機密性もだが、ファラゾアの行動を予想して有効な対策を打つにはそれなりの経験が必要だからね。誰も彼もが皆新人に入れ替わってしまったら、状況は後退して奴等の再侵攻を許してしまうかも知れなかった。それだけは絶対に避けねばならないことだ。」

 

 思いの外事態を前向きに捉えているフェリシアンに、ヘンドリックは掛ける言葉に詰まった。

 フランス陸軍の一介の兵士から、国連軍の参謀総長に成り上がるには、ただ単に優秀な成績を残しただけではなく、それなりに政治力を行使するような状況が多くあったはずだった。

 軍という組織の中であってもそれだけの政治ゲームを乗り切る事の出来る政治力を持つはずのフェリシアンが、その力を行使すること無く、そして上り詰めた地位に固執することも無く、今このときもストイックにただ敵を撃退することのみを考えている。

 新たに軍の最高位に着くのがどの様な者であるのかヘンドリックはその為人を確かめたわけでは無かったが、いずれにしてもこの男を失った後には戦況は悪化するかも知れないと、予感めいた思いを感じた。

 

 数日後、地球連邦最高議会はフェリシアンとその一派の更迭を議決して、連邦政府に対してその「民意」を速やかに履行するように強く求め始めた。

 国連軍が地球連邦軍となった今、すでに無用の長物であるという批判を強く受けている安全保障理事会であるが、民意を反映した議決を行いそれを即日実行することで、民意を基にした連邦最高議会の要求を実現化した。

 そして地球連邦軍は安全保障理事会の指示を受け入れ、参謀総長をはじめとした多数の将官を罷免し、同時にその全員を背任行為の疑いで軍法会議に起訴した。

 

 ヘンドリックは連邦軍参謀本部ビルのロビーで、憲兵隊を伴って一階に降りてきたフェリシアンと言葉を交わす機会を得た。

 もとが参謀総長という軍の最高位に就いていた事が理由であるのか、憲兵達のフェリシアンに対する扱いは粗雑なものではなく、むしろまるで高官を護衛する衛兵のように丁重なものあった。

 或いは彼等も、グリーンウッド議員を中心とした議員団がフェリシアンを政治ゲームに巻き込みその地位から追い落とした事に憤り、真に実行力があり、また地球人類を滅亡の危機から救った本物のリーダーの失墜を嘆いているのかも知れなかった。

 

「残念です。本当に。」

 

 ヘンドリックは悲痛な面持ちで、絞り出すように言葉を発した。

 対するフェリシアンは相変わらず晴れやかな表情で、今から拘禁され、長い軍事法廷での吊るし上げに向かおうとする男には見えなかった。

 

「やるべき事はやりきったよ。誰が何と言おうと、私は必要なことを行い、そして絶滅の淵から地球人類を掬い上げた。その事実は変わらないし、私の誇りだ。その偉業を君達と共に達成できたことを誇りに思う。そして君達と働けたことをも誇りに思う。掛け値無く、私の人生で最も輝ける時は君達と共にあった。」

 

「必ず戻ってきてください。お待ちしております。INTCen(連邦政府情報センター)にポジションを用意しても良い。」

 

 そう訴えるヘンドリックに、フェリシアンは柔らかな笑みを浮かべてゆっくりと首を横に振った。

 

「君は君の成すべき事をしなさい。それは地球人類にとって本当に必要なことだ。私も私が成すべき事をする。」

 

 そう言ってフェリシアンは踵を返し、ヘンドリックから離れる。

 一歩踏み出したところで、フェリシアンは足を止め、視線だけで振り返った。

 

「以前にも言ったね。やはり、最後に敵になるのは人だよ。色々な意味でね。君達も油断してはならない。」

 

 そう言うとフェリシアンは再び前を向き、周りを憲兵に囲まれて、今度こそ後ろ姿を見送るヘンドリックからゆっくりと離れていった。

 その後ろ姿は参謀本部ビルのロビーを横切り、やがて正面玄関のドアを抜けて車止めに止まっていた黑に近い艶の無い灰色に塗られた軍用車の後席ドア吸い込まれていった。

 

 それまでも地球人類が生き延びるため、ファラゾアに関するありとあらゆる情報を収集するためであれば、手段を選ばず時には汚れ仕事さえ厭わず、掲げる目的を真っ直ぐに追求する組織であった地球連邦政府情報センター対ファラゾア情報局、通称「倉庫」と呼ばれる情報機関は、この日を境にその活動をより苛烈に容赦なく、目的を達成するためには時には同胞さえも何の躊躇いも無く手に掛ける、純粋に地球人類という種の生存のみを追求し続けその他のものには目もくれない、ある意味では極めて純粋な組織へと変貌を遂げていくこととなる。

 それは初代「倉庫」局長のヘンドリックにより定められた不文律であり、また脈々と将来へ受け継がれていくこの組織の行動規範でもあった。

 

 そう遠くない将来、泣く子も黙る、或いは伯爵も裸足で逃げ出すなどと揶揄されつつも、その存在を知る者を腹の底から震え上がらせる事になる組織、通称「倉庫」は、こうしてその礎を形成し、そして組織の行動の方向性を定めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 いつも拙作お読み戴きありがとうございます。


 連邦軍の最高位である参謀総長ですが、役職名が最高司令官や、元帥、あるいは将軍といったいかにもトップという名では泣く「参謀」なのか、という理由は、指揮権或いは統帥権はあくまで安全保障理事会、あるいは連邦最高議会にあって、文民統制のもと軍が独自に判断して行動しないことが建前となっている為です。

 実際のところは、ある程度のところまで統帥権は参謀総長に委譲されており、かなり独自の判断で動くことが出来るというのは、これまでのところでおわかり戴けるかと思います。


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ヘンドリックがいなくなるとは寂しい 倉庫の話が好き
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