24. 伝統的パワーゲーム
■ 12.24.1
火星に身を潜めているのは二十二人の男女らしい、と言うことがこれまでの通信から判明していた。
太陽系内のファラゾアの本拠地であり、通信も満足に出来ず、まるで猫の溜まり場に舞い込んだ鼠のように、息を潜め身を縮こめてどうにか生き延びていると言う状況のようだった。
「よく彼らからの通信が拾えたものだね。」
ともに局長室、即ちヘンドリックのオフィスに入ってきたジーナから暖かいコーヒーの入ったカップを受け取ると、一口啜って満足げな表情を浮かべながらトゥオマスが言った。
コーヒーサーバはつい先ほどハウスキーパーが新しいのを置いていったばかりで、その中にはまだ淹れ立てと言って良い、熱く新鮮な香り高いコーヒーが大量に入っている。
「一番最初は、戦闘機の攻撃レーザーだった。多分、地球に照準を合わせて撃ったのだろう。モールス信号でSOSが何度も繰り返し送られてきた。」
「モールス信号、ねえ。」
今時、どこの商船学校でも航空訓練所でも、モールス信号など教えはしない。
ただ、緊急時のSOSだけはいまでも世間一般に広く知れ渡っていた。
山の中で懐中電灯一本を持って遭難したとき、やはり最後に役に立つのは単純なモールス信号のSOSだった。
「遭難者の潜伏場所を特定されないように、地球側からは電波で呼びかけた。それに対して今度は攻撃用レーザーに低速な信号が乗って送られてきたのが三時間前だ。それで少しだけ向こうの状況が分かった。
「テラナー・ドリームから救難船で脱出したクルーが十五人。何を思ったか、それに付き合って火星に降りた戦闘機のパイロットが七人。」
手元に置かれた紙を右手に持って、そこに書いてある情報に目を落として言うヘンドリックが言った。
「ふむ。では戦闘機に分乗して帰ってくれば良いのではないかね? 七機もあるんだろう? この際居住性なんて贅沢を言っている場合ではないのではないかね?」
「そこはまだはっきり分かっていないのだが、それが出来ないらしい。だから峡谷に穴を掘って皆で隠れ住んでいる、と言っている。」
「七機もあって駄目なのかい? ふむ、まあいいか。戦場では何が起こるか分からないものだろうからね。
「一点、気になっているのだがね。最初の攻撃用レーザーを使ったモールス信号だが。世界中で観測されたのではないかね?」
「その通りだ。宇宙空間での戦闘用に特に収束力の高いレーザーとは言っても、地球に到達するまでにはそれなりに拡散する。世界中の天文台で観測されたよ。」
「アマチュア天文家達にも見えただろうね。」
「だろうな。今、火星は夜空で最もホットな星だ。多くのアマチュア天文家が何か面白いものを覗き見ようと、眼を皿のようにして火星を見つめているだろうな。実際、『レッド・ストーム』の時は、艦こそ見えなかったものの、反応弾の爆発光は近所のスーパーマーケットで売っているような天体望遠鏡でも見ることが出来たらしいぞ。」
「それは、面倒な事になったね。」
「ああ。最悪に面倒な事になった。」
二人が頭を悩ませているのは、先の戦いの生き残りが火星に降りて生き残っており、救難信号を発していると言うことが世間一般に広く知れ渡ってしまうことで、地球から遙か一億km彼方に置き去りにされたその哀れなクルー達を助けろという世論が、間違いなく広く巻き起こるであろう事だった。
先の作戦の大敗により、参謀総長であるフェリシアンの立場は、人類の命運を賭けた戦いに敗れた最高司令官としてかなり危ういものとなっている。
参謀本部長であるロードリックや、同じくフェリシアンの派閥の有力な人物であると見なされているエドゥアルト、フォルクマーも同様に軍内部の政治的な争いに嫌も応もなく巻き込まれており、それぞれそう遠くないうちに退任するであろうと囁かれていた。
そのような混迷した状況の中でさらに重ねて彼らの責任を問い、また火星に置き去りにされた兵士達を救い出せと感情に任せた世論が巻き起こる事は、彼らの退任を早めるばかりか、再び大敗することを覚悟で強引に遠征を行わねばならない状況に軍を追い遣る可能性が高くなることを示していた。
一度目の戦いはもともと大敗することを覚悟の上で、地球人類にとって全くの初めての経験である、他惑星に遠征して行う艦隊戦の経験を積むことが主目的であったと言って良い。
二度目の戦いは、一度目の大敗の経験を生かして十分に準備をし、それなりに勝てる算段をつけてから実行されるべきであるのだが、考え無しに感情論だけで兵士達の救出を求める世論が沸き起こるのは非常に拙い状況であると言える。
本来であれば、二度目の戦いでそれなりの成果を達成し、一度目の戦いの失態を挽回する形でフェリシアン達の地位を維持する腹づもりであったものが全て根底から崩れてしまう。
唯一の救いは、今でもまだ民間での電波の使用が強く制限されており、また再建されつつあるネットワークも同様に軍事あるいは国家の利用が最優先であることから、ファラゾア来襲以前のように無責任に人心を煽る報道を垂れ流すマスコミが事実上活動できていない事だった。
とは言え、限定的に開放されたネットワークで小規模に活動している自称ジャーナリストはそれなりの数が存在し、一部には軍用通信網並にシールドされた回線を着々と伸ばし、なんとか経営を軌道に乗せている商用ケーブルTVネットワークも存在する。
なによりも、噂話として人々の口伝いに広く伝わっていく、本来の意味でのいわゆる口コミは馬鹿に出来ないものであると彼らは身をもって知っていた。
何年か前にまさにその様な方法を採って、軍情報部と共に活動して最終的に共産中国を国家崩壊にまで追い込んだのはまさに彼らであったのだから。
「連邦最高議会の北米代表の一人グリーンウッド議員と、ロシア代表の一人アノーヒン議員の、それぞれの派閥の動きが活発化しています。いずれも連邦軍内にかなりの影響力を持った派閥を有しています。」
これまで一言も喋らなかった、作戦部戦術解析課長のカーティア・プレディエーリが両手を暖めるようにコーヒーカップを包み持って中身を啜りながら言った。
その役職名通り、戦術面でのファラゾアの行動を解析する役割を与えられている彼女であったが、様々な人脈を背景に持ち連邦政府内で繰り広げられる政治ゲームに詳しく、またその類いの工作を任せたならばヘンドリックやトゥオマスでさえ舌を巻くような見事な搦め手を次々と打ち出す特技を持っていた。
技術面だけでなく、ファラゾア火星駐留艦隊が保有する兵器の能力を背景とした戦術面での解析を行うべく、先ほどまで行われていた「レッド・ストーム」の解析に呼ばれていたのだったが、ここまで発言する機会もなく一言も発せずにトゥオマス達と共にヘンドリックのオフィスに流れてきていたのだった。
SF的高度技術の兵器の解析ではなく、現在の地球上で行われている政治ゲームを話題とするならば、彼女が議論に加わっているのはこの上なく頼もしい事だった。
対ファラゾア情報局であるので、対地球人類の為の組織を持つのは色々な意味で慎まねばならない彼らだった。
敵と味方を取り違えているという誤解を与えかねないという意味でも、実力と組織の大きさでただでさえ恐れられている彼らが、さらに周りに恐怖を与え、組織の分解、あるいは粛清の対象とならないためにも。
そのような彼らにとって、彼女の存在は非常にありがたいものだった。
「軍上層部の人事の刷新を行おうとしているのか? 北米代表とロシア代表が共闘するとは、珍しいな。」
ヘンドリックがうんざりとした顔で言った。
情報機関のトップというその役職からすると少々意外ではあったが、実はヘンドリックは軍や政府内部での派閥争いから常に距離を置いていた。
情報機関とは国家の眼であり耳であって、国家を動かすための頭脳ではない、というのが常日頃からの彼の主張だった。
情報機関そのもの、或いはその出身者が国家の舵取りに直接関わると大概ロクな事にはならない、とヘンドリックは信じていた。
そのようなヘンドリックであるため、話題がまさに政府と軍の内部で繰り広げられるパワー・ゲームとなると、渋い顔をするのも当然であった。
とは言えその役割と性質上、情報機関がその様なパワー・ゲームに無関係で居られるはずもなかった。
それ故にヘンドリックは努めて距離を取ろうとしているのだろうが。
「共闘関係にはないようです。ただ、いずれの派閥も最高議会内の有力派閥の一つであり、お互いの手の内を知り尽くしています。積極的に共闘せずとも、予想される相手の出方をお互い上手く利用し合いながら、結果的にまるで共闘しているかのような状況に落ち着いている、と言ったところでしょうか。」
と、カーティアによる戦況解説を聞きながらヘンドリックは天井を見上げて溜息を吐く。
「狙っているのは軍の有力ポストと、それによる軍への影響力の強化か。」
「いえ。一般的にはデルヴァンクール参謀総長と彼の派閥は、グラーフストレーム連邦最高会議議長の派閥の一派と見なされています。即ち、EU連合を基盤とする議員と軍人が、政府と軍の上層部を占めていると云う見方が出来ます。北米代表議員達とロシア代表議員達、要するにアメリカとロシアが、連邦最高会議、連邦政府、連邦軍の全てに対して大きな影響力を持つことで、実質的に地球全体に対する覇権を求めている、と考えるのが正しいかと。
「国連時代から今まで、EU連合に良いようにされてきたのをひっくり返して、自らの覇権を求めていると言ったところでしょうか。ロシアは元々面従腹背的な動きをしていましたし、アメリカもここ数年で急速に国力を戻しています。国連というどこかまとまりのつかない組織であったのが、地球連邦という、形の上では全地球がひとまとまりになった現在、連邦政府と軍部、さらに立法府を手に入れることで、従来よりも遙かに効率的に世界を手に入れることが出来る好機、と言うことだと思われます。」
カーティアの状況解説に、ヘンドリックがこめかみに手をやって大きな溜息を一つ吐く。
シルヴァンは皮肉な笑みを浮かべながら天井を見上げ、トゥオマスは面白く無さそうな憮然とした表情でヘンドリックのオフィスの隅に飾られている地球連邦旗を睨み付けていた。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる、と言ったところか? ファラゾアはまだこの太陽系に居て、虎視眈々と再侵攻を狙っているんだ。馬鹿なのか、連中は。旧大国による覇権を求めて内輪で揉めている場合じゃないというのが分からないのか。」
「ファラゾアが太陽系から追い出されれば、いずれ昔と同じ様な地球人類内部での権力闘争と覇権争いが始まるのは目に見えている。敵陣よりも一歩先にスタートダッシュを決めて、より有利に事を進めたい、と言ったところじゃないかね? 『馬鹿なのか?』じゃない。馬鹿なのだよ。救いようもないほどに、ね。明白だろう?」
「中華連邦、台湾、日本、極東シベリアを中心とする東アジア経済圏の国々が、現在の地球連邦の体制、即ちEU連合を基盤とする派閥に親密であるのは僥倖でした。現体制の足元が揺るぎにくいというのもありますが、もし彼らが独立して動いたとして、四巴の覇権争いなど、目も当てられません。地球全体を四極化した内戦が勃発してもおかしくない。」
国連時代からもともと極めて協力的であった日本、その日本を頼りに国家を成立させている親日国(地域)極東シベリア、ファラゾア来襲前からこちらも親日国であった台湾、そしてそれらの国々と共に形成する巨大経済圏を基盤とし、且つ国家が成立したときの経緯から現体制の地球連邦にこちらも極めて協力的な中華連邦。
ファラゾア支配圏が消滅し、海上輸送が地球人類の手に戻り、さらに重力推進による大量輸送という新たな手段も加わって、この東アジア経済圏は現在爆発的に膨張する途上にある。
なぜか不思議なことに、最新技術が大好きな民族がこの地域には密集して居住しており、最新の重力推進による輸送法をこぞって導入した結果、物流の関係でこれまで不利とされていた内陸や山間部までが有力な工業地帯、或いは居住圏経済圏へと華麗に変貌しようとしていた。
ファラゾアとの戦闘という極限までにヘビーデューティな環境で信頼実証試験を重ねてきた核融合発電は、その高い性能と安価かつ容易な燃料調達、そして簡便な設置方法で、そのような地域に膨大なパワーを提供する事を可能としており、この地域の経済爆発の一助となっていた。
もともと巨大な経済圏であったこの地域がさらに大きく爆発的に飛躍している現在、万が一にも彼らが独立した覇権争いに食指を動かしたならば、伝統的な覇権国家達との間で発生した政治的摩擦が速やかに実力を伴った軍事的衝突に発展するであろう事は、想像に難くなかった。
「今の人類が持つ兵器を使った世界大戦なんぞ、考えたくもないぞ。間違いなくファラゾアの方がマシだ。ファラゾアに刈り取られる前に、地球人類は自滅するだろう。」
ヘンドリックは冗談でもそんな事を言うなと云った表情でカーティアを見た。
対するカーティアは無表情でヘンドリックの視線を受け止める。
「で? その伝統的な馬鹿の大軍相手に俺達はどうするんだ? 軍の情報部と共闘すれば、結構良いとこまでいけるんじゃねえの?」
皮肉な薄ら笑いを浮かべながら、シルヴァンがヘンドリックに問うた。
「馬鹿の仲間入りをする気は無い。俺達は情報機関だぞ。まあ、火の粉が降り掛かれば払うぐらいはするが。」
余り出来の良くないヘンドリックのジョークに苦笑いを浮かべながら、なんだつまらんなどとぼそぼそ言っているシルヴァンを無視してヘンドリックは再びカーティアに顔を向けた。
「情報収集だけは続けてくれ。何かが動いたら、報告を頼む。船は沈み始めると案外早いものだ。」
今や世界に名だたる情報機関のトップからの指示に、カーティアはただ黙って頷いた。
そしてヘンドリックの予想通り、事態は急速に動いた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
レヴュー戴きました。ありがとうございます。大感謝です。




