17. 地球は遙かな彼方
■ 11.17.1
「目標ロック。光学スキャン開始・・・っと。これで数分待ちだな。」
一分間に三回転ほどの角速度で回転を続ける目標を、コンソール上に表示されたウィンドウの中央に捉え、ウィンドウに切ってある十字線を目標の回転の中心辺りに合わせると、トレイシーはウィンドウ下に「SCN STT」と緑色で表示されているボタンを押した。
ウィンドウ上に「SCANNINIG.....」と表示されて、光学カメラが回転する目標の立体的形状をスキャンし始めたことを示した。
その表示を見ながら、トレイシーはおもむろに右手のカロリーブロックの包みを破り、ショートブレッドに似た中身を一本咥えてそのまま包みから引きずり出した。
トレイシーは手を使わず、カロリーブロックを端から囓りながら器用に口の中に納めていく。
「はぁあ・・・いい加減このバーメシも飽きてきたぜ。そろそろ新しいの採用されんのかね。」
カロリーブロックを一本食べ終わったトレイシーは、左手に持つ水の入ったプラスチックボトルのチューブを咥え、噛み砕いたブロックの粉だらけでパサつく口の中を潤した後にぼやいた。
右手のパッケージの中には、もう一本残っている。
「ドラグーンじゃ、普通の戦闘食が出るらしいぞ。パッケージに湯を注いで温める奴だ。レトルトのとかな。インスタントだが、コーヒーもあると言っていたな。」
目の前のコンソール画面上で作業を行いながら、艦長席に座るハインリヒが視線を画面上に走らせながら応えた。
その内容は作戦中の戦闘艦内での侘しい食事に関する彼のぼやきをなだめるではなく、むしろ逆撫でする様なものであったが。
ちなみにハインリヒは作業に入る前に食事を済ませている。
「マジか。なんで俺達ゃまたこのバーメシ食わされてんだ? 同じ最新鋭艦だろが。」
「単純にスペースの問題だ。全長300mの駆逐艦には、十分な倉庫スペースがある。全長50mのコルベット艦にはそんな余裕は無い。明解だろう?」
「なんでえ、たった一週間、四人分の戦闘食入れる場所も無いか? あるだろ。どう見ても。」
トレイシーは艦橋の後部を振り返りながら言った。
そこには、今は扉が閉まっているが、大量のカロリーブロックパッケージと水のボトルを納めた食料保管庫スペースがある。
たしかに、現在格納されている一ヶ月分のカロリーブロックを全て取り出して空にすれば、七日分の戦闘食のパッケージ程度なら充分に入りそうな大きさだった。
「そうじゃない。コルベット艦はスペースが無いから、糧食としてカロリーブロックを搭載する事と決まっている。『適合装備』がカロリーブロックに設定されているんだ。戦闘食に替えようとしても、装備品補給システム上で選択肢が表示されんよ。諦めるんだな。」
「ざけんな。システムは人間様を助けるためにあるんだ。なんで人間様が機械の言う事を聞かにゃならん? クソッタレめ。次の時はシステム外で持ち込んでやる。」
「保管庫を空にするためにブロックを補給しなかったら、装備品未補給エラーが出て出航不能になるぞ。やめとけ。」
相変わらずコンソール上に視線を止めたまま、ハインリヒが至極冷静な答えを返す。
「じゃ、バーメシを所定量補給してから捨てりゃいいんだな?」
「どうだろうな。艦の装備管理システムが異種装備エラー出す様な気もするが。まあ、好きにしろ。聞かなかったことにしておいてやる。ああ、システムいじるならついでに俺の分の水をピーチフレーバーのに替えておいてくれ。こっちは正規の装備だ。表示されるはずだ・・・よし、終わった。現状での重心位置だ。そっちのスキャンデータが出たら回してくれ。追加で積算する。」
「諒解。」
トレイシーは目標の外形スキャンを行っており、ハインリヒはトレイシーのデータを元にして目標の回転軸から重心位置を求める作業を行っていた。
航海士のジェラルドは目標を調査している上官の要求に応じて、微妙な操作で艦の位置を調整している。
機関士のウェイは、今は交替で三時間の仮眠を取っている。
彼らが以前搭乗していたOSV同様、乗組員数の少ないコルベット艦では、その役職名に囚われる事無く一人何役もの仕事をこなし、お互いにカバーし合わなければ作戦の実行など出来ないのだった。
トレイシーはこれまでにすでに四回行ってきたスキャンデータを艦橋の前方に設置してある大型のスクリーンに投映した。
「あちこちぶっ壊れてるが、しかしこれだけ見てもファラゾアの駆逐艦とは随分形が違うな。」
スクリーンに投映された光学スキャン映像は、現実の目標と同じようにゆっくりと回転している。
レーザーによるものと思われる半ば溶けたような多数の破壊口と、艦体の何割かが爆発で千切れたような生々しい破断跡を露わにしている目標の映像は、これだけ破壊された状態であっても全体的に丸みを帯びたデザインであったことが窺える形状を残していた。
直線的でごくシンプルな形状をもつファラゾアの駆逐艦と較べて、明らかに異なる手によって設計されたことが判る形状であった。
形状だけで無く艦体の外装の色も、銀色を帯びた白色に輝く艶やかなファラゾア艦のものとは明らかに異なり、半艶消しの白色に塗装されており、その真っ白な艦体は太陽の光を反射して宇宙空間でひときわ目を引いた。
現在彼らが等速度で同航しながら至近距離から光学的にスキャンして調査を進めているこの残骸は、約二週間ほど前に太陽系外縁に突然現れ、太陽系に侵入した後ファラゾア艦隊と盛大な砲撃戦を行って全滅した、全長500m程度の異星人の艦二十隻のうちの一隻であった。
太陽系内に駐留しているファラゾア艦隊によって撃破された、その未確認の新たな異星人のものと思われる艦隊は大小無数の残骸へと変わり果て、太陽系内の様々な方向へと漂流していた。
そのうちの一つ、比較的大きな残骸が地球から四千万kmほどの場所を3000km/sほどの対地球相対速度で通過することが判明し、急遽彼ら四人がその回収に派遣されることが決まったのだった。
出立は極めて慌ただしいものだった。
なにせ、一秒遅くなればその分目標は3000km余分に離れて行ってしまうのだ。
何も予定されていなかった、まさにゼロから全てを慌てて計画した。
そして、先日の駆逐艦ドラグーンの進水に前後して就役した最新鋭宙航艦の中で、目的に沿った多目的艦として最新のコルベット艦が選ばれた。
ドラグーンは来たるファラゾアとの戦闘に備えて、彼女自身の乗員の訓練に加え、やっとまともな装備が与えられ始めたと言える連邦宙軍の既存部隊との訓練を最優先事項としてこなさねばならず、このサルベージ作戦に参加させるわけにはいかなかったのだ。
言い方を変えれば、たった一隻しかない駆逐艦ドラグーンを除いて、前人未踏の長距離航行にどうにか耐えられそうな艦が、最近就航し始めたばかりの全長50mほどのコルベット艦しかなかった為、作戦の難易度と踏破せねばならない距離を考えるとどう考えても力不足の「小型艦」であるコルベット艦で実施するほかに選択肢がなかったのだ。
大慌てで準備されたのは艦だけでは無い。
その艦を操る乗員と、乗員が実施する作戦の内容もごく短期間の内に整えられたものだった。
宇宙空間での任務に慣れた軌道監視艇(OSV)の乗員の中から、ファラゾアに襲撃される恐怖と戦いながらも長時間の非重力推進の精神的肉体的ストレスに耐え、周囲に何も存在しない地球から遙か彼方、今まで誰一人として行った事の無い虚空へと赴き、所定の作業を確実にこなして戻ってくるだけのタフさを持つ者。
敵の目が光る前人未踏の空間へと乗り出した後は、どの様な不測の事態が発生するかも分からず、光の速度でさえ片道二十分も掛かる遠方にあって通信などによるリアルタイムでのバックアップなど全く望めない、事実上孤立無援の場所で正しい判断を下し生き延びることの出来る者。
それだけの知識と経験と勇気と強靱さを持つ者が、このコルベット艦の乗組員として必要であった。
その選考基準をクリアした四人は従来の所属を外され、特務艦乗組員として666th TFWというなんとも縁起の悪そうな番号を振られた部隊へと転属となり、進水したばかりのコルベット艦に改造を加える為に必要な出発前のたった五日間という無茶苦茶な日程で新鋭艦の運行に関する知識を無理矢理叩き込まれた上に、現在の太陽系に存在する三つの異星種族などというこれまで耳にした事も無い衝撃的な機密情報までをも詰め込まれた。
彼らがエクサン・プロヴァンスの宇宙軍基地で拷問としか思えない大量の詰め込み教育と、あらゆる労働条件を無視して繰り返されるシミュレータ訓練を延々と受け続け、体力と精神力の限界に無理矢理挑戦させられていた頃、彼らの乗艦たるコルベット艦は高度1000kmの衛星軌道上を周りながら、まだ処女航海さえ経験していない新造艦であるにも関わらず、進水後にいきなり投入されることが決定した特殊任務に対応するための大規模改修を受けていた。
乗り込む人間への教育が異常な短期間で行われるものであれば、その乗艦に対する改造も同様に短期間での突貫工事であったのだ。
作戦に必要な大量の資材や装備品を確実に固定して運ぶためのハードポイントを幾つも外殻に増設され、ファラゾアに発見されないように行うジェット推進航行に対応するための増設熱核融合炉を取り付けられ、ジェット推進で大量に消費することが予想されるリアクタ燃料を運ぶための巨大な燃料タンクを増設された。
艦に対する大改修が完了しない内から大量の特殊仕様の資材が運び込まれ、増設されたハードポイントに次々と取り付けられていった。
かくして新造船は特殊任務艦へとその姿を変え、そして大量の資材を取り付けられて元の形が分からなくなるほどに山盛りにされ、月L1ポイントへと曳航された後に彼等の乗艦を待っていたのだった。
そして今、彼等四人は足かけ丸一日以上にもわたるジェット推進5G加速という常軌を逸した航海を乗り越え、その山盛り特殊装備を使用して、半月ほど前に太陽系に侵入してきた未知の異星人の駆逐艦の残骸をどうにかして地球へ持ち帰ろうと作業を開始したところだった。
「オーケイ。スキャンデータ積算終了。重心位置の粗計算も完了。トレイシー、基地局の位置は掴めてるか?」
作業を終えたハインリヒが顔を上げ、となりのブースのトレイシーを見た。
「捕まえてるぜ。定時ビーコンも問題無い。」
「オーケイ。目標データを送信する。さて、これで一時間待ちだな。その間にウェイを起こしてEAS(船外活動服)着ておけよ。作業用データ受け取ったら、すぐに作業に入るぞ。そこからは時間との闘いだ。」
「諒解。」
トレイシーはハインリヒの指示に返事をすると、身体をシートに固定しているハーネスを外し、無重力の艦橋を漂い始めた。
コンソールの上に取り付けられた手摺りを蹴って艦橋後方に向かって空中を移動するトレイシーを少し目で追い、再び視線を自席のコンソールへと戻した。
コンソール上には、取得した異星人駆逐艦の3Dスキャンデータのバースト送信に成功した事を示すダイアログが表示されている。
現在彼らの乗るコルベット艦オルペウスは地球から約六億kmの彼方にあり、毎秒約3000kmでさらに刻々と地球から遠ざかりつつある。
六億kmとは地球軌道から木星軌道近日点とほぼ同じであり、レーザー通信でさえ信号が到達するのに片道三十分以上かかる。
先ほど地球に送ったデータに対する返信を受け取った後、異星人の船に重力プラットフォームやプラズマジェットエンジンを取り付ける作業を行わねばならない。
予定ではその作業が終わる頃には、地球までの距離は約九億kmとさらに離れているはずだった。
作業が一秒遅れれば、その分だけ地球はさらに遠のく。
一秒でも早く作業を終え、帰途につかねばならないのだ。
艦橋後方では、トレイシーに起こされたウェイが寝床から出てきて朝食のカロリーブロックのパッケージを開ける音が聞こえてくる。
彼ら二人はこれからEASを着用し船外に出て、艦の外殻ハードポイントに満載で取り付けられた重力プラットフォームやプラズマジェットエンジンを目標の残骸に取り付ける作業を行う。
少しでもその作業を早く終えるため、最終的には繰艦を担当するジェラルドだけを艦内に残し、艦長であるハインリヒも船外活動に参加するつもりだった。
しばらく経って、EASを着用し終えた二人がエアロックに入った。
エアロックを脱気し、真空になるのを待って外扉を開けたことで、ハインリヒの手元のコンソール上のエアロックステータス表示が赤に変わった。
「おーしそれじゃ、人類史上最も遠方の工事現場の作業始めっぞ。EPAF(Exoskeletal Power Assist Frame for Extravehicular activity:船外活動用補助動力外骨格)格納庫のハッチ開けてくれ。それと重力プラットフォームの#1と#2はもうイジェクトして良いぞ。こっちで適当に回収する。ウェイ、GP#2の方を頼む。俺は#1を持っていく。」
トレイシーが開け放たれたエアロック外扉から船外へと漂い出ながら、いつも通りの明るい声で言う。
地球を遙かに離れ、太陽の光さえもが小さく弱々しく思えるこの心細い虚空で、その明るく力強い声はチームの雰囲気を保つのにとても助かっていた。
「EPAF格納ハッチアンロック、開放。GP#1、#2イジェクト。」
ハインリヒはコンソール上のボタンを操作し、トレイシーから指定された機材を切り離した。
ガチャリという低い機械音が何度か、船体を伝わって聞こえてきた。
ハードポイントに固定されていた機材が開放され、重量のあるその機材をハンドリングするためのEPAFが格納された格納庫のハッチのロックが解除される機械動作音だった。
さて、人類史上前代未聞のサルベージ作業の開始だ。
ハインリヒは軽く息を吐いて気合いを入れる。
コンソール上ではデジタル表示の時計が、スキャンデータを送信してすでに四十分近く経過していることを示していた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
距離的には地球軌道ー木星軌道間の距離同等ですが、実際は木星軌道よりも内側です。
残骸は太陽に向けて真っ直ぐ飛んでいるわけではないので。
なので、船外活動時に見える太陽が弱々しい光、というのはちょっと意識過剰かもしれません。
ま、いずれにしても地球を遙か離れて、何も無くトンデモなく心細いところ、という事に違いはありませんが。
EPAFというのは、現実において日本の某ロボットメーカが作ったパワーアシスト外骨格の様な感じのものです。EASは露出してます。
エイリアン2の終わりのところでリプリーが乗ったパワーローダーのもう少しちっちゃい版、と言った方が分かりやすいかも知れません。




