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A CRISIS (接触戦争)  作者: 松由実行
第十章 Κήπος της Αρτέμιδος(アルテミスの庭)
266/405

10. コハナ・ラム(Kohana Rum)


 

 

■ 10.10.1

 

 

 宇宙空間には上も下も無い。

 良く聞く言葉であり、頭では理解していた。

 ただ、今頭上に青く光る地球を仰ぎ見て、達也はまさにその言葉を思い出していた。

 頭上に地球がある。

 それはつまり、地上に対して自機は背面飛行を行っているという事なのだが、高度500kmの軌道上においては背面飛行も何もあったものでは無い。

 事実、数十km向こうで同高度の軌道を回っているレイラとポリーナからなるL小隊は、機体下面を地球に向けて、達也の機体とは上下逆向きの状態となっている。

 そしてそれで何の問題も無い。

 ただ自機がこの位置関係のまま地球に向かって近付いていけば、高度100kmを切って地上の様々な地形や人工物などがはっきりと見える様になると、自分が背面飛行をしているという事を強く意識する様になるだろう、という事だけだ。

 逆にレイラ達がそのまま地球に近付けば、背面あるいは順面飛行であったという事など意識すること無く、そのまま高度を下げて大気圏の中に突入していくことになるだろう。

 

 だがその全てはHMDに投映された外部光学センサー画像でしかない。

 大気圏最上層部にギリギリ入る高度500km程度であればさほど問題とならない宇宙放射線が、地球を離れ、月軌道を越えてさらに数十万kmの彼方の宇宙を飛行するときには、深刻なダメージとなってパイロットの身体に蓄積する。

 その様な熱と放射線からパイロットを守る為、今達也が搭乗している戦闘機ミョルニルでは、キャノピを全面金属製の不透明なものとしたうえで、種々の耐放射線防御を貼り付けて追加している。

 その代償として、パイロットは自身の肉眼で外の景色を眺めることが出来なくなっている。

 

 達也はこれまでに何度も核爆発による放射線を浴びてきている。

 イスパニョーラ島での当時の米軍のMIRVによる核爆発をはじめとして、その後もSTとして各地の戦線で反応弾頭によるファラゾアのロストホライズン阻止攻撃を行うことで、自らの放った核融合弾の爆発により生じた放射線を比較的至近距離で受け続けてきた。

 未だ運良く放射線障害による体調不良が表面化していないとは言え、これ以上放射線を浴びることはできるだけ避けるに越したことは無かった。

 そういう意味では達也にとってありがたい設計ではあった。

 もっとも、前回の作戦では地球と月の美しさに見とれて、攻撃完了後地球に帰還する際に長時間キャノピを解放してしまったのではあるが。

 

 作戦開始までまだもう少し時間があった。

 右後ろを振り返ると、HMDに表示されるマーカに重なり、青白い地球を背景にして10km離れたところで達也同様に作戦開始を待って待機しているマリニーの黒い機体を確認することが出来る。

 その反対側に僚機は居ない。

 先の作戦で未帰還(MIA)となった武藤が居たA1小隊二番機のポジションは、あれから一月近く経つ今も空白のままだった。

 

 それは、数十kmも離れているのでズームしない限りは機体の映像を確認することが出来ない、三番機を失ったレイラのL小隊も同様だった。

 MIAとなったセリアの、三番機の位置の補充はまだ行われていない。

 いわゆる戦術的プロジェクト「ボレロ」実行中であるため、延いては戦略的プロジェクト「ギガントマキア」の第一段階である「ストラスフェリク・ヘイズ」実行中であるため、以前のようには世界各地の前線から生きの良いエースを引き抜いてくるという事がが簡単にはできなくなっていた。

 特に「ボレロ」の各作戦は、達也達ST部隊を含んだ潜水機動艦隊の艦載機部隊による戦力もさることながら、各降下点の前線を形成し維持し続けてきた「地元」の部隊もまた、作戦を成功させるために非常に重要な戦力だった。

 菊花による地上施設の殲滅攻撃の後、なお残る数千機の降下点駐留敵戦闘機群を包囲殲滅するのは、ST部隊を含めた艦載機部隊のみで行うには少々荷が重すぎた。

 千機或いはそれ以上の数をそろえることが出来る、地上基地から発進した多数の戦闘機部隊が必要不可欠であった。

 いかにST部隊や他の潜水機動艦隊艦載機部隊が作戦の重要な部分を握っており、そこに欠員が生じたからと言っても、おいそれと考え無しに各戦線からエース級パイロットを引き抜くわけにはいかないのだ。

 

 PHOENIX 01と表示されたレイラ機を示すマーカをHMD上で眺めながら、先の「Lagrange Wedge」作戦が実施された日、地上を離れて僅か数時間で月の向こう側を回って敵艦隊を撃破して戻ってきた夜のことを達也は思い返していた。

 

 それは、月の無い晴れ渡った夜空の広がる夜だった。

 達也はヒッカム基地の営舎で自室として与えられた部屋の窓を開け、見えるはずの無い月に思いを馳せながら、窓際におかれたライティングデスクと共に備品として置かれた粗末な椅子に身体を預け、部屋の明かりを落として窓から夜空を見上げて煙草を吹かしていた。

 あの夜空のどこかに武藤がまだ飛んでいる。

 秒速1000kmを超える凄まじい速度で地球から遙か遠ざかりながら。

 武藤だけでは無い。

 同じ666th TFWのセリアとヨゲシュも。

 武藤は言うに及ばず、セリアもヨゲシュも長く共に戦ってきた。

 セリアは、ハミ降下点を抑えるためにタクラマカン砂漠北方に設置されたハミ基地に武藤と共に配属され、そこで同じ飛行隊になって以来の長い付き合いだった。

 ヨゲシュは、タクラマカン砂漠を囲むように置かれた航空基地にそれぞれ散っていたST部隊の面々が、酒泉航空基地に集められ、初めて666th TFWという名を冠した航空隊が編成されたとき以来共に戦ってきた。

 

 武藤と初めて会ったのもサン・ディエゴだった。

 サン・ディエゴを離れミネアポリスに着任してすぐに戦死したという田中と共に、「コロナド・ビーチ」で働いていた達也の元に初めてやって来た日のことを良く覚えている。

 直接的な理由はパトリシアが墜とされたことだったが、しかし武藤と田中が、達也が再び空を飛び戦う力を取り戻した事の大きな助けとなっていたことは間違いが無かった。

 そしてまたひとつ、大切なものを失ってしまった。

 感傷的で似合わないと自分で思いつつも、窓の外に向かって紫煙を吐き出しながら、星空を見上げ三人の面影を夜空に思い浮かべていた。

 

 そうやってどれほどの時が経っただろうか。

 何本目かの煙草を、灰皿にしていた缶の中に落としたところで部屋のドアがノックされた音を聞いた。

 

「開いてるぜ。」

 

 人付き合いの悪い自分のもとを訪ねる奴がいるなど珍しい、と思いながら、達也は椅子に座り外を見たまま、視線さえドアに向けずにノックに応えた。

 ドアノブが音を立てて回り、ドアが開いて廊下の明かりが部屋の中に差し込んでくる。

 

「なんで明かりが消えてるの?」

 

 廊下から差し込む明かりの中、シルエットになったレイラが訝しげな声を発する。

 どの部屋も同じ構造で、同じ位置に取り付けられている部屋の電灯のスイッチを入れながら、レイラは部屋の中に入ってきて後ろ手にドアを閉めた。

 旧国連軍の頃からの伝統と云うべきか、男性兵士が女性兵士宿舎に立ち入ることは禁じられていたが、その逆、女性兵士は男性兵士宿舎に自由に立ち入ることが出来た。

 それはここヒッカムでも同じだった。

 

「空を見ていた。」

 

 達也がレイラの問いに答える。

 レイラはほんの一時だけ立ち止まって窓の外を見て、その後で達也の顔をまじまじと見つめた後に、再び歩みを進めてライティングデスク脇までやって来た。

 レイラが右手に持った紙包みをデスクの上に置くと、重く硬い音がした。

 紙包みの中からレイラが取りだしたのは、コハナの透明な瓶だった。

 原材料を地元で調達できる醸造所は、ほぼあらゆる輸送手段が遮断された期間をしたたかに生き延び、今でも島内に酒を供給し続けていた。

 ただ流石に昔の様に見た目の良い化粧瓶は使っておらず、一般的なラム酒と同じ様な円筒形の瓶が、レイラの手の中でチャプリと水音を立てる。

 

 そう言えばこいつもロシア人だったな、と、酒瓶とレイラの顔を見比べながら達也は思った。

 ロシア人は血管の中を赤血球の代わりに高濃度のアルコールが流れていると聞いた事があった。

 眼の前に座る女を見ている限り、多分それは事実だろう。

 

「ちょうど良いわ。付き合いなさいよ。」

 

 そう言ってレイラはベッドの上に腰を下ろしながらボトルを開ける。

 

「グラスは無いぞ。」

 

「要らないわ。」

 

 そう言ってレイラは一口瓶をあおり、瓶を押しつけるようにしてデスクの上に置いて、達也の方に押しやった。

 飲めという意味だろうと達也は理解し、中身の液面が少し下がった透明な瓶を受け取ると、瓶をあおり中身を口の中に流し込んだ。

 ラム酒特有の甘い香りが喉を焼き鼻に抜けていく。

 

「あんた、案外ロマンチストなのね。」

 

 達也から受け取った瓶をもう一度あおった後に、レイラが言った。

 

「そうだな。あいつらが見えるかと思って、な。」

 

「全然似合ってない。」

 

「分かってるさ。」

 

 それからしばらく部屋の中に沈黙が降りた。

 偶に聞こえるのは、瓶を持ち上げるときに響く水音と、アルコールを嚥下する音、そして再び瓶をデスクの上に置く重い音。

 達也はマルボロのパッケージから一本抜き取って加えると、火を点けた。

 横から手が伸びてきて、断りも無く一本抜き取り、レイラはそれを口に咥える。

 しばらく彼女の顔を見た後、軽く溜息を吐いて達也はレイラの咥える煙草に火を点けてやった。

 静かな部屋の中に煙草が燃える音が二つ。

 

「あんた、誰かが墜とされたところを見た?」

 

「いや。自分のことだけで精一杯だった。例えそうでなくても、遠すぎて見えなかっただろう。」

 

「そうよね。あたしも、セリアがいつ居なくなったのか全く気付かなかった。GDDDSのログを見て初めて、敵艦隊と交錯する三秒前にあたしの後方180kmのところで爆散した事を知ったわ。」

 

「武藤も殆ど同じだ。何か光が見えたような気がしたが、気のせいだと思った。GDDDSによると、敵艦隊への最接近二秒前に俺の後方50kmの位置で、どうやら敵の艦砲射撃を食らって一瞬で蒸発したらしかった。後から、あの光はもしかすると武藤がやられた光だったのか、と気付いた。」

 

 同じ部隊の兵士が消えていくのには慣れていた。

 つい先ほどまで言葉を交わしていた相方が、ふと気付くともう居ない。

 或いはまさに会話している最中の相方が、目の前で遠距離狙撃にやられて爆散する。

 まるで雨が下から降っているかの様に大量に打ち上がってくる敵のミサイルの弾幕の中、次々と発生する巨大な火球に飲まれて消えていく。

 爆発の衝撃で意識を失い、そのまま地上に向けて落ちていき、最後に一瞬小さな炎と煙を地上に残す。

 

 慣れたつもりではいても、長く共に戦ってきた友と呼べる者が消えていくのは堪える。

 編隊に空いた穴のような、空白のポジションを見る度に現実を突きつけられる。

 翼を並べて戦った僚機が今日消えた、明日はそれが自分かも知れないと、無理にでも理解させられる。

 所詮は確率の問題でしかないのだと。

 どれほどトップエースと持て囃されようが、光の速度で着弾するレーザーは避けようが無く、また弾筋が見えないレーザーからは逃げることも出来ない。

 トップエースがトップエースとして生き延びられているのは、あくまでその生き延びるための技術をフルに使って、被弾の確率を下げているに過ぎないのだと。

 今日自分が墜とされなかったのは、運が良かったから。

 運が無かった武藤は、そしてセリアは墜とされた。

 明日も、その後も、いつまでも運が良いという保証などどこにも無い。

 

「あの娘はね、あたしが国連軍に出向させられて、ハミ基地の3852TFSに配属されて、初めての部下の一人だったのよ。B2小隊でね。あの娘と一緒に部下になったアレクセイは、すぐに墜とされた。新兵だったあの娘はそりゃ怯えて落ち込んだものだったわ。それでも自分なりに折り合いを付けて、死にたくなければ戦って勝ち続けるしか無いんだ、ってね。敵がこの地球を占領しようとしているなら、逃げるとこなんてどこにも無いんだ、って。芯の強い娘だったよ。あの娘と一緒に毎日を死に物狂いで戦って、生き延びて、あたしが中隊長になった時には、まるで自分のことのように喜んでくれたものさ。強くて、そして優しい娘だったね。」

 

 ぽつりぽつりとセリアとの思い出を語るレイラの右手でボトルが水音を立てる。

 お世辞にも明るいとは言えない部屋の明かりの中で、どこを見るとも無く床に向けられたレイラの青みがかったグレイの眼が柔らかさを帯びる。

 右手に持ったラムの瓶が上に向くほどに傾けて中身をあおり、まるでコークか何かのようにレイラの喉が何度も動いた。

 中身が残り少なくなったボトルがデスクの上に置かれ、大きな音がして灰皿にしている空き缶が僅かに飛び跳ねた。

 

「邪魔したね。悪かったね、アンタも相棒が墜とされてんのにね。でも、お陰で吹っ切れたよ。」

 

 ひとしきりセリアとの思い出を語った後に、少し酔いの回ったブルーグレイの眼が、強い意志の力を取り戻して達也を見た。

 達也は僅かに頭を傾け、眉を動かしただけで何も言わなかった。

 

「寝るわ。じゃね。おやすみ。」

 

 そう言ってレイラはベッドから腰を上げ、後ろを振り返ることも無くドアを開けて出て行った。

 

 感傷に浸る時間さえ満足に得ることの出来ない、そして畳み掛けるように否応なく次々と現実がやってくる戦場での、これがレイラなりのセリアに対する弔いだったのだろうと、達也は殆ど中身の残っていないボトルを見た。

 これまでどれだけ同じようにして、彼女は仲間を送ってきたのだろう。

 そしてそれは自分も同じなのだと、達也は再び夜空を見上げて僅かに残ったボトルを傾けた。

 

「作戦開始、マイナス600秒。地球軌道上艦影無し、月軌道艦影無し。」

 

 達也の意識は、大気圏上層部を飛ぶAWACS子機からの通信で現実に引き戻された。

 頭上には静かに青い光を放つ地球が、そして足元には冷たく黒い、銀の砂を散りばめた様な宇宙空間が広がっていた。

 それはまるで、陽の光を受けた黒御影石の中で煌めき光を返す石英か雲母の粒子のようにも見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつも拙作お読み戴きありがとうございます。

 投稿遅くなりました。済みません。

 あと、今週金曜日の投稿は多分無理です。遅れる・・・というよりも、多分一回飛ばしになります。

 リアルがどうもゴタ付いて、いつまで経っても落ち着きません。

 申し訳ありませんが、ご理解下さい。


 あと、戦闘が宇宙空間に移りつつあり、作戦の概要を考えるのに時間がかかっているというのもあります。

 もちろん、作戦の目的や大枠はラフなストーリーや年表を考えたときに、同時に考えてあるのですが、詳細については当然直前になって考える訳で。

 障害物が沢山あって空力航空機有利な大気圏内での戦闘に較べ、圧倒的にファラゾアが有利な宇宙空間での戦術はなかなか難しいものが。

 簡単ではありますが、物語の辻褄を合わせるために加速度や距離、航行速度、まれに重力や運動エネルギーの計算までも行う必要があるので・・・

 それを考えると、全てが力技で何とかなった「夜空に瞬く星に向かって」の戦闘シーンは楽だった・・・

 

 でも、重力推進だからまだマシなんですね。惑星や太陽の引力を無視できるので。

 もしこれが、引力/重力と軌道と加速度と残燃料を常に考えなければならない核融合プラズマジェットが主推進器だったらと思うと・・・考えたくもない。w

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新嬉しい。戦場だものな。達也が死んでも大丈夫なように、達也の弟子とかできないかなあ。もう無理か [一言] 武藤が好きだっただけに名残惜しい。なぜだろう日本人の名前はよく覚えているんだよな…
[良い点] 最後の2文に鳥肌が立ちました。残酷でありつつも美しいという、衝動的な描写だと思います。 [気になる点] 実に今更ですが、タイトルのAは単数形のA(ア)なのか、なんらかの意図を含んだA(エー…
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