8. Prima ballerina assoluta (ピエリーナ・レニャーニ)
■ 10.8.1
22 March 2052, Transport fluvial et aerien sur le Rhin, Strasbourg, France
A.D.2052年03月22日、フランス、ストラスブール、ライン河川航空運送
「大戦果だな!」
まるで自分が攻撃隊に参加したかのような喜色満面でシルヴァンが部屋に入ってきた。
「ああ、大戦果だ。だが犠牲も無視できないほどに大きかった。五十六機中十七機が撃墜された。とりわけST部隊に三機の損害が発生したのが痛いな。」
ヘンドリックはシルヴァンの満面の笑顔に冷や水をぶっ掛けるかのように、冷たく静かに言葉を返した。
実際、このところ空戦では殆ど損害を出していなかったST部隊、即ち666th TFWが三機も損害を出してしまった事は頭の痛い問題だった。
ST以外の二部隊でも、三十八機中十四機が撃墜されたのだ。
損耗率36%という数字は、今後の宇宙空間での戦闘を考えれば、かなり悲観的にならざるを得ない数字だった
ましてや、世界中からトップエースをかき集めて作ったST部隊に三機もの損害が出るなど、これから先戦場が宇宙空間に移っていくことを考えると、途方に暮れるような数字であった。
この結果を受けて今後の作戦立案に頭を捻るのは連邦軍参謀本部の仕事だった。
しかしヘンドリック達ファラゾア情報局にも、今回の敵の行動を解析し、損害を改善する新たな何かを提案しなければならないという重大な使命があった。
それが出来なければ、ファラゾア情報局の存在意義そのものが疑われてしまうだろう。
彼らの仕事は、地上でテロ活動を繰り返すチャーリーと追いかけっこをしていれば良いだけではないのだ。
ここはやはり「専門家」の意見を聞く必要があるな、と、損害ばかりを指摘した彼の言に不満そうな表情を露わにするシルヴァンの顔を眺めながら想ったところに、部屋の入り口に人影が現れたことに気付いた。
「やはり宇宙空間の戦闘は、海上作戦とは根本的に異なると云う事だね。地球周辺宙域という限定的な戦場であっても、やはり宇宙空間では基本的に大艦巨砲の原理が正しいよ。」
と、ノックも無く挨拶もせずにトゥオマスがヘンドリックのオフィスに入ってきた。
「大艦巨砲? 今時?」
シルヴァンが振り返りながら、トゥオマスの言葉を聞いて鼻先で嗤うような声を上げた。
「君の言いたい事は理解しているよ。ただ、君の言っていることは、惑星表面の極めて限定的な空間が戦場である上に、艦船が海上という二次元的な動きに制限され、さらに航空機に対して極めて重鈍な脚しか有していないという限定条件を前提としているのだよ。それに対してミサイルを含めた航空兵器は、大気圏内を立体的に機動できる上に数十倍の速度で動き回ることが出来る。この速度差は、要塞に固定された砲台と航空機を比較しているに等しいのだよ。はっきり言って、比較する意味が無いね。
「宇宙空間を戦場とする場合、大気圏内での戦闘に関しては一切を忘れて、新たに一から現実の認識を積み上げていく必要があるのだよ。
「いいかね。まずそもそも、宇宙空間では巨大戦艦も小型の戦闘機も、ともに同じ重力推進で動き、立体的に機動できるという事を忘れてはならない。」
ヘンドリックが座るデスクの向こう側で、新たに参戦してきたトゥオマスがシルヴァンに対して論戦の火蓋を切った。
「トゥオマス。シルヴァンも。立ち話もなんだ。そこに座って話そう。」
デスクから腰を上げたヘンドリックは、デスクの脇にあるいつもの場所、即ちソファセットを指し示した。
シルヴァンは頷き、トゥオマスは片眉を上げて返答して、ともに革張りのソファセットに深々と腰を下ろした。
人を呼んで用意させようかと一瞬考えたが、それもまた時間のかかる面倒な話だと考え直し、三人分のコーヒーカップとソーサーを自ら用意してコーヒーサーバから湯気を立てるコーヒーを注ぎながら、これでは一体どちらが上司なのか分からんな、とヘンドリックは内心苦笑いしつつ二人の前にコーヒーカップを置いた。
その間にも「教授」トゥオマスは宇宙空間での戦闘の基本的原理についてシルヴァンに講義を続けていた。
「考えてもみたまえ。3000mもの巨体を持った戦艦と、たかだか数十mの機体しか持たない戦闘機と。どちらが機動力が高いと思うね?」
「戦闘機、だろ? デカい艦を動かすにはそれなりの巨大な推進力が要る。ついでにデカい図体は方向転換にも時間がかかる。コンパクトで軽量な戦闘機は、機動力が高く、小回りも利く。」
「・・・本当にそうかね? 君は地球上での従来の乗り物の動きと常識に捕らわれ過ぎていやしないかね?」
そう言ってトゥオマスは目線だけでヘンドリックに礼を言い、自分の前に置かれたコーヒーカップを持ち上げた。
「いいかね? まず第一に、双方とも推進力は重力推進を利用しているのだよ。重力推進とは基本的に、発生させた重力場という空間の歪みの中で、機体あるいは艦体が重力に沿って落下していくことで推進するものだよ。ピサの斜塔での実験を思い出してみると良い。大きな鉄球も、小さな鉄球も、同じ重力場の中では同じ重力加速度で加速するのだよ?」
元々理学工学に疎いヘンドリックやシルヴァンにとって、重力加速度云々という論理展開は少々厳しいものがあった。
しかし、四百年ほど前に高名な天文学者によってイタリアの海沿いの街で行われた大小二つの鉄球を落とす実験の結果については、流石に良く知っていた。
「乱暴に言い切ってしまえば、重力推進を利用している限りは、機体や艦体の大きさや質量は機動力に全く関係無いのだよ。重力推進に於いて高い機動力を得るという事は、ひとえにどれだけ強い重力場、即ち空間の歪みを生み出せるかという、この一点のみに依存すると言って良いのだよ。」
そう言ってトゥオマスは持ち上げたままになっていたコーヒーを一口啜って、カップをソーサーの上に戻した。
「となると、だ。たかだか数十mしかない機体に、どれだけ押し込んでも三組か四組の重力推進器を搭載するのが精一杯の戦闘機よりも、数千mもの巨体の中に、何十基でも好きなだけ推進器を搭載することが出来る巨大戦艦の方が、遙かに強い重力場を形成することが出来る訳だ。即ち、巨大戦艦の方が高い機動力を持つわけだ。
「何も速度だけの話ではないよ。方向転換する場合においても、プラズマジェットスラスタの反作用で方向転換するわけではないからね。どれだけ質量が大きかろうとも、強い重力場を生み出せる者が機敏に方向転換することが出来るわけだね。即ち、宇宙空間では小型の戦闘機よりも、数千mの巨体を持つ巨大戦艦の方が、加速力も高く、最高速度も速く、そして旋回能力などと云ったいわゆる機動力も遙かに高い、と言うわけだ。理解できたかね?」
トゥオマスが言っている事は分かった。
だが、上手く理解出来なかった。
いかにも機敏で軽快そうな小柄の戦闘機よりも、何百万tという質量を持つ巨大戦艦の方がすばしこいのだ、と言われても、そんな事はあり得ないと頭が理解を拒否する。
トゥオマスの様に理論的裏付けを持っているならば、数字を比較して論理的に納得できるのかも知れなかったが、鉄球の落下実験レベルで感覚的に理解しているだけの二人にとって、トゥオマスが組み立てる一つずつの理論的説明は理解できたとしても、最終的な結論を示された結果、頭が大混乱をきたすのだった。
「まあ、君たちが混乱するのは理解できるがね。海上の船で考えるなら、あり得ない事を言っている訳だからね。ただ、混乱は仕方が無いとしても、重力推進であるなら巨大戦艦は小型の戦闘機よりも速く機敏だ、という事だけは覚えておいて欲しい。」
そう言ってトゥオマスは再びコーヒーを一口啜った。
彼の言うとおりに、途中の理論を完全に中抜きにして結論だけを覚え込む事にしたヘンドリックも、眉間に深く皺を寄せて理解出来ないものを理解しようと足掻き続けているシルヴァンの顔を一瞥すると、自分のコーヒーに手を伸ばした。
そこでふと気付いたヘンドリックは、トゥオマスに尋ねた。
「ではなぜ敵の戦艦は艦載機を搭載しているのだ? 火力も機動力も低い艦載機など無用の長物では無いのか?」
「良い質問だよ、それは。」
トゥオマスがいつもの、問題の核心を突いた質問を発した学生を褒める様な笑顔を浮かべ、これはあくまで私の個人的な推察だがね、と続けた。
「一つには、移動砲台としての役割。口径はそれ程大きくなくとも戦闘機はレーザー砲を搭載している。艦載機群を戦艦の周りに展開させる事で、威力は低いながらも同時発射可能な火線を大幅に増やす事が出来る。威力はそれ程では無くとも、百本も束ねれば無視できない被害を発生するだろう。ましてや戦艦の艦砲と同時に統制射撃で斉射されると、やられる側としては嫌な事この上ない。
「もう一つは、今回彼等が実際に行った様に、無視できない打撃力を持った障害物として敵周辺に展開して、敵の行動を制限し、状況を有利に展開するための所謂『勢子』の様な使い方だと思われる。」
「成る程・・・酷い話だな。完全に消耗品扱いじゃないか。戦闘機にもCLPUは搭載されているんだ。言わば、一人の人間なんだぞ。」
「その辺りの倫理道徳に関しては種族それぞれに差があるだろうがね。少なくとも艦載機はファラゾアにとってその程度のもの、そこに搭載されているCLPU個人、或いはCLPUとなった種族は、宗主族であるファラゾアにとってその程度のもの、という事なんだろうね。
「少なくともファラゾアは、『命は惑星より重い』などと云う非論理的な事を言いそうにはないね。従族限定かも知れないがね。」
「つまり、我々地球人類もその様に扱われるだろう、と。」
「当然そうだろうね。尤も、我々もしばらく前までは、同じ地球人類という種族の中でさえ肌の色の違う同胞や異教徒に対して似たようなことをやっていたのだから、同じ穴の狢というヤツだがね。少なくとも、彼等の事を非難する資格は無いだろうね。」
そう言ってトゥオマスは皮肉な笑みを唇の端にだけ表した。
思わずつられて、ヘンドリックも唇を歪めて嗤ってしまった。
「まあいい。宇宙に向けて公民権運動を展開する戦略についてはまたの機会にするとしよう。
「君の話は一応理解した。まるでスモウレスラーがオディールのフェッテをピエリーナよりも美しく舞うという様な話で、なかなか受け入れがたいのだが。
「で? その戦闘機よりも軽やかに舞い踊る巨大戦艦という非常識な存在をどうにかする案はあるのか?」
ヘンドリックは真顔に戻ると、トゥオマスに訊いた。
宇宙物理学、量子物理学という少々特殊な分野の科学者であり、元大学教授でもあり、さらには人気SF作家でもあるという変わった経歴を持つこの男は、時に連邦軍参謀本部をも唸らす様なアイデアを捻り出すことがある。
そして、このような話し方をするときには大概の場合、彼らに対して得意満面になって説明するネタを持っている事が多い。
そしてヘンドリックのその予想は当たった。
「幾つかは、ね。それほど奇天烈なアイデアと云う訳でもない、オーソドックスな案だがね。」
ヘンドリックはトゥオマスの顔を見たまま眉を上げ、先を促した。
「解決法の殆どは、すでに開発が始まっている物だよ。開発の完了が近い物、まだまだ長く時間がかかりそうな物、色々あるがね。」
「まあ、そうだろうな。構わない。有効性が予測できるならば必要に応じて投入リソースを増やせば良いだけの話だ。そうだろう?」
「その通りだ。」
「で、具体的には?」
「幾つかある。まず一番の正攻法は、地球人類も同じ様な戦艦からなる宇宙艦隊を保持すること。ああ、言わなくて良い。実現性に薄いことは十分自覚している。プロジェクト『アンタレス』の中ですでに計画されているものでさえ、大小合わせて八隻しかないのだ。今更それを百隻に増やせと言ったりなどはしないよ。」
トゥオマスは反論を発しようとしたヘンドリックに向かって、両手を挙げて手のひらを見せて笑った。
火星に幾つか存在するファラゾアの兵器工場を破壊し、太陽系内でのファラゾアの兵器供給能力を奪う事がプロジェクト「アンタレス」、ひいてはギガントマキアの第三段階「スコルピウス・コル」の目的であった。
その実現のためには火星に到達する手段が必要であることは、プロジェクト構想段階から認識されていたため、プロジェクトの正式発足とともに遠征のための宇宙船の設計と建造が始まっていた。
いまだ数十隻規模の艦隊を太陽系内に擁するファラゾアと戦うためには、たった八隻の宇宙艦隊はいかにも貧弱過ぎることは誰もが良く理解していた。
しかし、建造のためのリソース不足や、人類にとって初めての経験である大型宇宙船建造において、どの様な想定外のトラブルが起こるかも皆目見当が付かない中でいきなり大量の艦を着工するのはいくら何でも無謀が過ぎること、他にも艦を運用するクルー不足や、艦載機のパイロット不足など、多数の否定的な理由によりまずは八隻の宇宙船建造に着手する、という結論となっていた。
それらの艦は一号艦から八号艦までの仮名称を付与され、世界各地の既存の乾ドックや新たに設けられた地下ドックなどですでに建造が進んでいる。
幾つもの技術的困難が次々と立ち塞がる中、それらをひとつずつ丁寧に解決して、ゆっくりではあるが着実に建造が進んでいると、ヘンドリックは他ならぬトゥオマスから以前報告を受けていた。
「ではどうするか? 簡単な話だよ。彼らに負けない脚と牙を我々も持てば良い。」
そう言ってトゥオマスは、先ほどの笑いとは異なる表情を顔に浮かべながら、ヘンドリックとシルヴァンを見た。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
またまたの倉庫回です。
戦略戦術や、兵器・技術に関する解説に使っている様な物ですので、今後倉庫回の比率が少し増えるかも知れません。
個人的にこの三人のトリオ結構気に入ってますし。
この三人見てると、人類史上最悪に悪辣な情報機関である悪名高い「倉庫」というイメージが全く湧きませんが。w
でも実はすでに色々やらかしてます。チャーリー絡みでは、すでに行方不明になって闇に葬られた人間は数知れず。
その殆どは秘匿された研究機関行きでモルモット扱い。生きてシャバに戻ることはあり得ない。
機密情報の保持のためには、どこかの機関のエージェントや民間のジャーナリストを同じ地球人類であるにもかかわらず平気で多数始末して、見せしめにわざわざ街中の目立つところに死体放置してみたり。
今後も色々やりますよ~。ふふふ。
彼らは正しく情報機関、諜報機関の冷徹な原理で動いています。
人類全体を生かすためには、個人の生存権はまるで考慮しません。
被害を最小限に抑える最善の選択、とも言います。




