59 弱いという悲しみ
今日は『舞台上の決闘』の大会の日。
ハナが出場する事になり、ミアはアカネに誘われて会場へやってきた。
観客席で観戦すると、彼女はとんでもなく強かった。
相手に反撃の機会を与えず、一方的な攻撃で相手を倒していった。
きっと彼女は優勝するだろう。ミアは思った。
そして同時に、胸の奥から黒くてモヤモヤしたものが噴き出してきた。
それはどんどんと大きくなり、だんだんに我慢ができなくなってきた。
「んあ?どないしたん?便所か?」
ミアはもう我慢の限界だった。
会場を出ようとしたところを、アカネに話しかけられた。
「何でもない。外の空気を吸ってくるだけだ」
ミアはそう言って誤魔化して会場を出た。
観客の熱気でムンムンとした屋内と違って、建物の外は涼しくてシンとしていた。
ミアが見渡す限り、人の姿は無い。
ミアはあてもなくその辺をウロウロした。
そして目立たない場所に生えている木を見つけると、そこへ近づいた。
一歩、また一歩。
そこへ近づきながら、自身の両手は魔力の鎧で包まれていく。
そして至近距離まで近づくと、ミアは木を力強く殴った。
「この……クソがぁ!」
ミアの拳は、一撃で樹皮を剥ぎ取っていった。
「クソが!クソが!クソが!クソが!クソが!クソが!クソが!クソが!クソがぁ!」
噴き出す感情をぶつけるように、ミアは木をガムシャラに殴り続けた。
腹立たしかった。そして悔しかった。
自分は成長するのに、とても苦労している。
一日に一歩成長できるとは限らず、怪我だってしょっちゅうする。
それに比べてハナはどうだろう。
自身が見た限りではあるが、彼女は苦労している様子はない。
学べばその分だけ、自分のものにしている。
この差はいったい何なのだろう。
世の中はどうして、ここまで不平等なのだろう。
ミアは木を殴りながら大粒の涙を流した。
「おい、お前」
後ろから声をかけられて、ミアは殴るのを止めた。
どこかで聞いた事がある声、不快な気分になる声がする。
ミアは涙で濡れた顔を拭うと、ゆっくりと振り返った。
男が一人、立っていた。
赤黒いローブを着た、筋肉質な男。
ミアは彼を知っている。
「……リック」
ミアは呟いた。
「やっぱりお前か、クソザコ。こんな所で何してやがる?」
彼は威圧的に訊ねる。
「……別に。何しようがこっちの勝手だろ」
ミアは目線を逸らし、呟くように言った。
「何だ、その態度は?クソザコのくせによ」
「…………」
「いいぜ。そんな態度なら、俺の憂さ晴らしに付き合ってもらうだけだ」
彼はそう言うと、両手を前に出した。
「魔剣なんて必要ねぇ。杖だっていらねぇ。魔法も最低限あれば十分だ。来いよ」
彼はニヤリと笑った。
思いもかけず、ミアはリックと再戦する事になった。
この機会、不安ではあったが、逃すつもりはない。
あの時の自分とは違う。自分は成長した。その事を、今ここで証明しようと思った。
ミアも両手を前に出した。
いう事を聞かない杖なんて、使わない方がましだ。
ザトーで貰った杖。今日は寮に置いてきてしまった。
それに最近は、杖を使わないで魔法を使う機会が多い。こっちの方が慣れている。
「おい、杖はどうし――」
「エアブルっ!」
リックが言い終わる前に、ミアは空気弾をいくつも放った。
空気弾は真っ直ぐにリックへと飛んでいく。
彼は何も言わず、盾の魔法を使った。
出現した半透明の壁によって、空気弾は全て防がれた。
「アルスブルっ!」
ミアはその様子を黙って見てはいなかった。
すぐに次の魔法を放った。
土や小石の塊がいくつもリックへと飛んでいく。
彼は何も言わなかったが、今度は防壁の魔法を使った。彼の両手の先には土や石が集まり始め、あっという間に円状の盾が生成された。
こちらが放った塊はさっきと同じように、全て防がれる。
「へぇ、少しは分かってんじゃん」
リックは言った。
「盾の魔法では物理的な攻撃は防げない。だから地属性の攻撃に切り替えた。コレなら、土や小石が貫通するからな」
リックはため息をついた。
「で、俺は地属性の防壁の魔法を使わざるを得なかった。素直に避ければ良かったのによ。ご丁寧に」
リックは体をほぐしながら言う。
「ま、というわけで、ちょっとだけ力出すわ」
彼が言い終わるや否や、彼はミアの目の前に現れた。加速の魔法で一気に距離を詰めたのだろう。ミアがそう思った瞬間、腹部に鈍い痛みが走った。
「おい、分かるか?今俺が殴ったトコ。ココが鳩尾って所だ。急所で有名な所だな?どうだ?キツいだろ?」
ミアは彼の言葉を聞きながら、痛みで意識が朦朧とした。しかし気合で意識を保った。
「掴んだ!」
ミアはリックの肩を掴んで言った。
この距離なら防御はできない。そう思ったのだった。
「俺に触るんじゃねぇ!」
しかしリックが言った瞬間、全身に痺れるような感覚に襲われた。ミアは思わず、掴んだ手を離してしまう。
元素鎧の魔法。ミアは思い出した。
元素を鎧のように身に纏う魔法だ。この痺れは電気によるものだろうと、すぐに理解した。
と、リックが再び腹部へ攻撃しようとするのが見えた。
ミアは魔力の鎧で身を守る。
しかしこの場合、逆効果であった。
「うぜぇんだよ!」
リックに気づかれた。
それに対する対抗策か、至近距離で空気弾の魔法を五発放った。それらが腹部へ直撃する。
魔力の鎧が不完全だったせいか防ぎきれず、ミアは宙を舞った。
青い空が見える。
雲一つない、いい天気だ。
こんな場合でなければ、ずっと見ていたい。そんな空だ。
その空を黒い影が覆う。
影の正体はリック。
魔力の鎧で覆った右手で、今にもチョップを繰り出そうとしている。
ミアは全身を魔力の鎧で覆った。
どこを攻撃されるか分からない。分かっていてもタイミングが早ければ、別な所を攻撃される。
部分的に防御するのはリスクが高かった。
リックの右手が振り下ろされる。
その場所は腰。ミアは一か八かで、そこの部分だけ魔力の鎧を厚くする。
リックの右手はそのまま腰に当たった。
強烈な衝撃が、そこを中心に全体へと響く。
ミアは地面に叩きつけられ、仰向けになった。
息が詰まる。
だが、すぐにミアは立ち上がろうとした。
しかし、リックに腹部を踏みつけられた。
身動きが取れない。
「やっぱりクソザコだな。お前」
リックは冷ややかな目でミアを見る。
その目を見て、ミアは敗北感を感じた。
彼は強い。
勝てるかと思っていた自分がバカだった。
一撃すらまともに入らない。レベルが違い過ぎる。
再び悔しさで気持ちがいっぱいになった。目頭が熱くなり、涙が出そうになる。
が、ここで信じられない出来事が起こった。
リックはあっさりと腹部から足を下ろした。
それだけでない。手を差し伸べてきたのだ。
ミアは混乱した。
彼がこんな事をするだなんてありえないはずであった。
しかし実際には、ありえない事が起きている。
ミアはジッと差し伸べられた手を見つめた。
「おら、立てよ。ったく、憂さ晴らしのつもりが、いい運動させやがって……」
リックは手を近づけてきた。
当事者であるミアでも信じられない光景が広がっていた。
因縁の男と同じベンチに座り、お揃いのコーラの缶を持っている。
リックはラフな格好で座り、コーラを飲んでいる。
その隣で、ミアはマネキンのように固まったままの状態であった。
ミアはまだ混乱している。
何故彼が態度を一変させたのか。それが分からない。
ミアはコーラの缶を持ったまま、ジッとそれを見つめていた。
と、カツンと音がして頭に何かが当たった。
ソレは足元に転がり、カランと音を立てる。
コーラの空き缶だ。
「油断すんな。どんな時でも注意を払え」
リックは言った。
彼が空き缶を投げてきた事を、ミアはすぐに分かった。
それが一層、彼女を混乱させた。
彼がいったい何がしたいのか全くハッキリとしない。
ミアは足元の空き缶を見つめたまま、考え込んだ。
「お前には見込みがある。今はまだクソザコだがな」
彼は話し始めた。
「正直、お前が成長するだなんて考えもしなかった。最初に会った時のアレで懲りたんだと思ってた」
彼の口から出る意外な言葉に、ミアは驚いた。
「俺にまた会った時、お前は逃げなかった。弱いクセに戦う意思を見せた。できる中で最大の努力をしようとした」
「…………」
「俺はそういう奴を歓迎する。良くやった」
リックはミアの頭に触れると、体毛をクシャとした。
「もっと強くなれ。そして俺のとこまで来い」
彼はそう言うと立ち上がった。
「あーあ、今日は悪い日なんだか良い日なんだか分からねぇなぁ」
立ち上がった彼は伸びをした。
「この大会に出るつもりが、遅刻して失格になるなんてよぉ。でも、おかげでお前の成長を見る事ができたわけだ。本当、分かんねぇ」
彼は歩き出した。
「じゃあな、鍛えろよ」
彼は手を振りながら去っていった。
ミアはポツンとその場に取り残された。
そして、自分の中でリックに対する気持ちが変わったのを感じた。
彼があの時した事を許す事は出来ない。
でも彼には彼なりに考える所があって、あんな事をしたのだという事がなんとなく分かった。
今後、彼の事をどう思おうか。ミアは分からなかった。
ミアは空を見た。
さっきと同じ青い空。雲一つない。
コーラの缶を開けて飲む。
爽やかな刺激が口の中を刺激する。
建物の中から歓声が上がった。
大勝負でもあったのだろうか。
もしかすると、ハナがまた何かしたのかもしれない。
もう一口、コーラを飲む。
ミアは理解した。
自分はハナみたいにはなれない、と。
でも自分にはなれる。
それがどんなものが分からないが、とにかくなれる。
心地良い風が吹いた。




