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15 ニコル

 アカネ達はアンという男に案内されて歩いている。

 目的地である錬金術士の工房へ向けて歩き始めて、だいたい10分が過ぎようとしていた。

 現在、緩やかな、しかしグネグネと曲がりくねった坂道を歩いている。

 レンガで整備された小道。両側に壁や柵があるため、すれ違うのに苦労しそうだ。


「なー、アン。まだ着かへんの?」

 アカネは苛立った声でアンに訊ねた。


「……もう少し」

 彼は振り返る事なく、全く感情が感じられない言い方で答えた。


「さっきからやん、その言葉!出前か!」

「……さっきからっていうのは君もだよ、アカネ」

「んあ?」

「……君は何回、同じ質問を繰り返す気なんだい?」

「知らん。今まで食った飯粒の数くらい、どうでもええ」

「……僕について行けば、いつかは着くよ。だから、もう黙ってくれるかな?」

 その言葉がアカネをさらにイラッとさせた。


 さっきからアカネは機嫌が悪かった。

 このアンという男。ずっと冷淡な態度で接してくる。

 まるでロボットのように、感情に乏しい。

 アカネにとって、彼は嫌いなタイプである。


「……それと、さっきから気になってたんだけど」

「んあ?」

「……僕の名前はアンじゃない」

「ホンマか?でもさっき、電話で……」

「……あだ名だよ」

「じゃあ~、本当のお名前はぁ?」

 ハナが首を傾げながら聞いた。


「……ハンス。僕の名前はハンス・グリムだ」

 彼は名乗った。


 『ハンス』……意外とカッコイイ名前だ。

 というより、何故『アン』という名前に違和感を感じなかったのか。

 どう考えても、女性の名前。本名なわけがない。

 アカネは自分の間抜けぶりに恥ずかしさを覚えた。


 それと同時に、疑問が湧いた。

 アカネはすぐにそれを口に出した。 


「ちょい待ち!『ハンス』がどないしたら『アン』に変わんねん!」

「……ニコルはファウンス出身なんだ。ファウンス語は『H(エイチ)』を発音しないからね」

「ほんで?」

「……『ハンス』が『アンス』になって、『ス』を削って『アン』」

「なるほどなー。じゃあハナちゃんは『アナ』になってまうんやなぁ」

 アカネはハナの頭を撫でながら、独り言を言った。

 ハナは気持ちよさそうな顔をし、抱き着いてきた。


 とても癒される。

 ハンスのせいで生じた心のトゲが、どんどん折れていくのをアカネは感じた。


「……ここまで来れば、後一息だ」

 ハンスの言葉にアカネは意識を引き戻された。

 気がつくと、アカネ達は坂道を超えていた。

 前方に何か建物が見える。アレが工房のようだ。


 ハンスは工房へ向けて歩き始めた。

 アカネもハナと一緒に歩き始める。


 近づいていくにつれて、だんだんと工房の姿がよく見えるようになってきた。

 アカネはその姿をしっかりと見る。

 現代的なデザインで二階建て。住居と兼用しているように思える程大きい。

 錬金術師の工房だと聞いて古風な建物を想像していたが、だいぶ異なっている。


 さらに近づいていくと、その工房の前で誰かが立っていることに気づいた。

 まだ距離があるため、何者なのかはよく分からない。

 ただ、雰囲気だけは分かる。

 簡単に言えば『妙な人』だ。

 なにしろ、その人の背後には巨大な人形の腕が浮いているのだから。


「……戻ったよ、ニコル」

 ハンスは妙な人に話しかけた。どうやら、この人がニコルらしい。


 その瞬間、信じられない出来事が起こった。

 ニコルの背後にあった人形の右腕が、ハンス目がけて飛んでいった。

 人形の右腕は拳を作り、風を切る轟音と共に、彼の顔面を殴った。


「遅いわァァァァァァァァァァァ!!!」

 ニコルは電話の時と同じような怒号を上げた。


 今度は人形の左腕が飛ぶ。

 そして右腕と交代で、同じようにハンスの顔面を殴る。


 再び腕が交代、またしてもハンスの顔面を殴る。

 これは乱打だ。

 1秒間に六、七発は入ってそうな、激しい乱打。


「……ゴメン。でも、納得できるような質の物がなかなか手に入らなくて……」

 乱打を受けながら、彼は言い訳をした。

 ダメージを受けているようには全く見えない。平然とした様子だ。

 何故か殴られた音すらしない。


「アンネんトコへ行けって……言ったでしょォォォォォォがァァァァァァァァ!!」

「……最初に行ったよ。でもダメだった。今、仕入が大変なんだって」

 彼がそう言った瞬間、ニコルは攻撃を止めた。

 距離があるため良くは見えないが、彼女は少し驚いているようにアカネには見えた。


「何よそれ?今年の天候は薬草の育成に恵まれているはずよ」

「……採取地点に凶暴なモンスターが出るようになったんだって。それで採れる量が激減したって」

「あー、はいはい。そういうことね」

「……今、狩猟ギルドの人達が動いているらしいけど、しばらくは続くみたいだよ」

「まいったわねぇ……材料不足で受注不能ってことにならなきゃいいけど……」

 ニコルはため息を吐きながら、頭を掻いた。

 アカネにはよく分からないが、錬金術師にとって重大な問題が発生しているらしい。


「……とりあえずコレ。いろんな店を周って、集められるだけ集めてきた」

「ありがと。じゃあ中に運んで、そのまま作業の方お願い」

「……わかった」

 そう言ってハンスは工房の中へ入っていった。

 アカネは大学への案内はどうした、と言って引き留めたかったが、我慢した。


 ニコル。やはり彼女はとても怖い。

 彼女の機嫌を損ねそうなことは止めておいた方がいいだろう。

 ハンスのような目には絶対遭いたくない。

 なに、ハナのダウジングで今度こそ大学へ連れてってもらえばいい。


 そう思ったからだ。


「さて、例の学生っていうのはアナタ達ね?」

 ニコルがアカネ達に近づいてきた。

 そしてすぐ近くまで来て、足を止めた。


 ここまで近づくと、彼女の姿がよくわかる。

 茶色のふんわりとした毛に覆われた兎。身長はハナとだいたい同じ。140cmくらいだろうか。

 しかしハナと違い、頬がふっくらとし、長い耳は垂れている。これは同じ兎の中でもロップイヤーと呼ばれる種族の特徴だ。

 彼女は裾の長く袖の無い桜色のパーカーを、ワンピースのように着ていた。

 腕にはアームカバー、脚にはオーバーニーソックス。どちらも同じように、緑に白抜きで植物の柄が描かれている。

 足にはパンプス。色は黒。


 顔はフードを目深にかぶっているため、よく見えない。

 しかしアカネには些細な問題であった。

 非常に目立った特徴に目を奪われたからだ。


 その特徴とは、バスト。

 顔の幅より大きい、とても豊満なバスト。

 彼女は細身なので、いっそう際立って見える。


 それだけではない。

 ジッパーを途中までで止めている、もしくはそれ以上閉まらないため、谷間が大きく露出している。

 しかも、服の上から突起物が浮き出ている。つまり、付けていない。

 パーカーから覗く、このセクシーな毛玉にアカネは目が釘づけになった。

 なんて大胆な恰好なのだろう。そう思い唾をのむ。


 アカネはふと、ハナの方を見る。

 とても平坦。ハッキリ言えば、太った男の方がまだ豊満だ。

 同じ兎でも、ここまで違うものなのかと、アカネは感心した。


「ようこそ、錬金術師の工房、『青い月』へ」

 ニコルはフードを外しながら話した。

 彼女は茶色の半目をしていた。

 そして顔は童顔。しかし化粧によって、どうにか大人と認識できる。

 金色で楕円状に描かれた眉、(まぶた)には薄くシャドウが入り、いかにも西洋らしい印象がある。

 

「よく来てくれたわね。お疲れ様」

 そう言って彼女は微笑んだ。

 しかし次の瞬間、彼女は表情を変えた。


「よし!じゃあ帰れ!それが嫌なら今すぐ死ねェェェェェェェェい!!」

 完全に怒った顔をした。凄い剣幕だ。


「ちょ、え?」

「今日はクソ忙しいのよ!!!アナタ達の相手をしてるヒマは無いの!!!」

「ほ、ほんなら何で?ウチらを連れてこさせたん?」

 ニコルはアカネの質問には答えず、急に深呼吸を始めた。

 しばらく行った後、落ち着いた様子で話し始めた。


「ここまでの道を覚えてもらうためよ。また来てもらうためにね」

「また?」

 何を言いたいのか、アカネには分からなかった。


「さっきの電話の後、アナタ達のためにスケジュールを調整したの。何とか一日だけ空けることができたわ」

「それって……」

「明日。明日の朝九時までにここに来なさい。その時教えてあげる」

「ホンマ?ホンマにか?」

 アカネはハナを抱き寄せながら喜んだ。


「ええ。ただし、教えるのは魔術の基本的な部分だけどね」

「え?」

「基本はとても重要よ。アナタ達にそれができているかどうか、確かめてあげるわ」

「せ、せやな……基本は大事やな……」

 本当は不満だったが、アカネは彼女の話に合わせることにした。

 自分達はできているから大丈夫等と言った場合、何をされるかわからない。

 それに本当にできているのかと言われると、正直不安なところもある。


「じゃあ、また明日」

 そう言ってニコルは工房へ戻った。

 アカネ達は彼女が中へ入るまでそれを見ていた。


「……ハナちゃん、帰るで」

「うん」

 ハナに大学への方向を調べてもらい、アカネ達は歩き始めた。

 歩きながら二人は、さっきに出来事を話し合った。


「凄かったねぇ、ニコルさんの魔法」

「せやな、でも凄いんはハンスもやで。どんだけ面の皮が厚いねん」

「アカネちゃん。それもきっとぉ、魔法だと思うよぉ」

「え?ホンマ?」

 アカネは驚いた。


 思い返してみると、確かにそうとしか思えないところがあった。

 どれほど面の皮が厚くても、衝撃を受けて、よろめかないはずはない。

 それに、あれほど勢いよく殴ったにも関わらず、音が全くしなかったのも不自然だ。


「いったい、どないな魔法を使(つこ)ぅたら、あんなんできるんやろな?」

「明日になったらぁ、わかるかもぉ」

「だとええけど」

 アカネが言い終わるや否や、突然腹が鳴った。

 それと共に急に空腹感に襲われる。

 体から力が抜け、アカネはその場にうずくまった。


 アカネはチラリと、自分の腕時計を見た。

 午後一時ちょうど。腹が減るのも当然。


「アカネちゃん、大丈夫?」

 ハナは立ち止って彼女の方を向くと、心配そうに声をかける


「あ、アカン……腹減ったわ……」

 とても弱々しい声が出た。


 そういえば、さっきも同じ事を言ったのを思い出した。

 今日はたくさん動いたのだった。

 それで強い空腹感を感じているのかもしれない。


「はい、アカネちゃん」

 ハナはそう言って何かを取り出した。

 アメをいくつか。

 それをアカネに差し出す。


「あ、アメちゃん……ハナちゃん、おおきに……」

 アカネは受け取って礼を言うと、その内の一つを口へ放り込んだ。


 コーラ味。

 その大粒のアメ玉から、甘みがジワリと流れ出て、口中に広がっていく。

 糖分のおかげで、少しだが体に力が戻ってきた。


 アメ玉はまだある。寮に戻るまでなら、なんとか頑張れそうだ。

 アカネは少し安心した。


「早く帰ろっ」

 ハナは手を差し出した。


「ああ、帰るで」

 アカネは彼女の手を握りしめ、ゆっくりと立ち上がった。


 そうだ。帰ろう。

 今日はとても疲れた。

 アカネはそう思いながら、ハナと手をつないで歩き出した。

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