11 アルファとオメガ
体の内側から鋭い痛みが走る。
いや、それだけでない。尻にも激痛がする。
棒状の何かが尻に突き刺さっているのを感じる。
それは深く、何ヶ所も腸を貫いているようにも思える。
地獄のような痛みだ。
自分が何故生きているのか、不思議に思える程の痛み。
この痛みを与えている物の正体は何か。
それは決まっている。リックの魔剣だ。
当然だろう。
どう考えても、致命傷の痛みだ。
にも関わらず、致命傷を負っても一向に死ぬ気配がしないのは、模擬杖の魔剣による攻撃だからだと結論づけるしかない。
そして、模擬杖の持ち主といえば、彼しかいない。
痛みに耐えながらも、ミアの頭は冷静だった。
少なくても、ここまで分析する事ができる程度にはだ。
しかし、それがかえって自身を苦しめていた。
何故、自分はこんな目に遭わなくてはいけなかったのか。
冷静なせいで、こんな事を考えてしまうからだ。
自分はただ、魔剣術の授業を受けに来ただけなのに……
自分はただ、できないから学びに来ただけなのに……
自分はただ、教えを乞うただけなのに……
何故、こんなに冷たいのか。
何故、こんなに酷い目に遭わせるのか。
何故、あえて尻を狙ったのか。
ミアの頭の中は、恥ずかしさと理不尽さで頭が満たされていた。
気分が悪くなり、胃袋の中身が喉にまで出てきそうになったのを、必死で押し戻す。
今にも泣きそうになってもいる。
もう、ミアは授業を続けられる状態ではなかった。
今まで受けた攻撃の痛みが蓄積され、完全に戦闘不能だ。
その上、心が完全に折れて、立つ事すらできない。
しかし、そんな状態であっても、リックは攻撃の手を緩めなかった。
今度は言葉でミアを攻撃する。
「嫌だね。何で俺がお前なんかの為に教えんだよ」
彼は冷たく言い放った。
彼の声は氷のようであった。
そして激しい嫌悪感を帯びた声をしている。
まるで汚物扱いするかのようだ。
「あっ……うっ……あぁ……」
ミアは声が出た。
痛い。苦しい。助けてくれ。
そんな思いが口から漏れ出る。
「抜いて欲しいか?ああ、抜いてやるとも」
リックはそう言うと、片足でミアを踏みつけた。
そして乱暴に、尻から魔剣を引っこ抜いた。
「アァァァァァァッ!」
ミアは再び悲鳴を上げた。
乱暴に抜かれたせいで、痛みは一層強くなる。
「煩ぇんだよ、お前はよ」
リックは舌打ちしながら言うと、足を下ろしてミアの顔の傍にしゃがみ込んだ。
そしてミアのマズルを掴んで強引に口を閉じさせると、そのまま無理やり自分の方を向かせる。
彼の顔が見えた。
ただたた、冷ややかにこっちを見ている。
「お前よ、この俺に頼めるような立場じゃねぇんだよ」
彼は口を開く。
「オメガの分際でよ」
彼は吐き捨てるように言った。
イヌ科の者、特に狼は上下関係というものを意識する。
そんな彼らの間では、オメガは最下層の者を意味する言葉だ。
だからその瞬間、ミアはキレた。
最大の侮辱。現在では同族同士でもタブー扱いされている言葉。
その言葉によって、折れた心が一瞬で直る。
ミアは激しくもがいた。マズルから手を離させるために。
爪を立て、リックの手を掻きむしる。
「おー、やるじゃん。もっと頑張れよ」
彼は落ち着いた様子で言った。
ミアの爪はしっかりと彼の手に食い込んでいる。
しかし、全く傷ついていないように見える。
それを見て、ミアは一層激しく抵抗した。
「ウゼーな。そんなに離して欲しかったら離してやるよ」
それを見ていたリックは、再び舌打ちしながら言った。
口が解放される。しかし次の瞬間、頭に鈍い痛みが走った。
ミアは何をされたのか分からなかったが、すぐに予想できた。
きっと殴られたのだろう。
拘束に使っていた両手が自由になったから。
噛みつく等と反撃をさせないために。
とても痛かった。
しかし、ミアは怯まない。
リックへの怒りがそれをさせなかったからだ。
「ぬぅぅぅぅぅ!」
ミアは気合と共に、ゆっくりと立ち上がった。
「へぇ、まだやる気あるんだ?」
ミアに合わせて立ち上がり、手を舐めながらリックは言う。
「アタシを……ナメるな!」
ミアはリックを睨んだ。
絶対許せなかった。
その言葉も、恥辱も。
なんとしても一撃喰らわせる。
どれほどやられてでも。
「おお、怖いねぇ。そのまま俺を殺してみてくれよ」
リックは嘲笑し、またしても挑発する。
その行為がミアの怒りを頂点までに上げた。
ミアの理性を保つためのタガ、その最後が外れた。
「ヌガァァァァーッ!!!」
ミアは声を上げて、両手で彼を引っ掻こうとした。
しかし、それは彼に届かない。
彼は一瞬のうちに、ミアの腹部を魔剣で貫いた。
その激痛により、体が動けなくなる。
「ウゴッ……」
ミアはうめき声を上げる。
「おいおい、今は魔剣術の時間だろうが。ちゃんと使う物は使えっての」
リックは嘲笑ってそう言うと、そのまま正面蹴りを放った。
ミアは魔剣から引き抜かれると同時に蹴り飛ばされた。
そして床に叩き付けられて、一瞬息が詰まる。
しかし、ミアはすぐに体勢を立て直した。
倒れてはいられない。そう思ったからだ。
すると何か棒状の物が飛んできた。
掴んでそれをよく見る。模擬杖だ。
「はい、お利巧さん。今度はちゃんと受け取れたねぇ」
リックのバカにしたような言い方が聞こえてくる。
あえて武器を渡すというパフォーマンス。
彼の挑発は終わらない。
「後悔させてやる。これを渡した事を……」
ミアはリックを睨みながら言うと、魔剣を発生させた。
そして彼へ向かって走った。
ウオン。
ウオン。
ウオン。
ミアはガムシャラに杖を振った。
一撃。
一撃。
魔剣を当てようとするたびに、反撃を受ける。
強い痛みが体のあちこちを襲う。
しかし、それでも、ミアは攻撃し続けた。
むしろその痛みは、ミアにとって攻撃の原動力であった。
全ては一撃のため。
そのためには、どれほど痛くても耐える事ができた。
どれほど攻撃したか、分からない。
どれほど受けてしまったかも、分からない。
時間の感覚が分からなくなっても、ミアは攻撃を続けた。
次第にリックの動きが鈍くなってきた。
疲れが溜まってきたらしい。
彼の反撃の軌道が見え始めてきた。
ミアは反撃の機会の到来だと思った。
彼の一撃をかわし、できた隙を叩く。
一瞬のうちに、ミアはそう考えた。
そこだ。
ミアはリックの反撃をギリギリのところで避けた。
そして生まれた隙を狙い、ミアは彼の頭へ模擬杖を振り下ろした。
手応えあり。手に振動が伝わる。
やった。間違いなく、頭へ喰らわせた。
ミアは勝利を確信した。
ミアはリックの顔を見た。
あの腹立たしい顔がどう変わるか見たかったからだ。
彼はきっと、信じられないとでも言いたそうな顔をしているだろう。
見下していた者に負けたのだ。間違いないだろう。
しかし……そうではなかった。
彼はさっきと変わらない顔をしていた。
それを見て、ミアは絶句する。
「はい、おめでとさん」
リックは平然とした様子で言った。
そして不気味な笑顔へと、徐々に表情をに変えていく。
まるでドッキリにひっかけたかのように。
「じゃあ、俺の番ね」
彼がそう言った瞬間、ミアの全身に痛みが走った。
滅多斬りだ。
ものすごく速い。
防ぐ事ができない。
反応が追いつかない。
気がつくと、ミアは天井を見ていた。
いつ倒れたのか、分からない。
全身が痛い。
今度こそ、もう、動けない。
そこへリックの足が腹部へめり込む。
また踏まれた。
もう何も感じられない。悔しさも、怒りも。
ただ、苦しいだけ。
後、尻も痛い。暴れたせいで痛みが増しているのだろうか。
ミアは虚無感を感じていた。
自分の一撃が全く効かなかった。
それが何もかもどうでもよく感じさせる。
「感想聞かせてもらおうか?」
「うっ……」
「一発当てられて嬉しかった?」
「…………」
「わざと打たせてやったんだぜ」
「…………」
「魔力で防御すりゃ、全然痛くねぇからな」
「…………」
「俺からのサービスだよ」
「…………」
「何か言えよ」
ミアを踏む力が強まる。
「ウォエ……」
腹部を圧迫され、ミアは吐き気に襲われた。
「やっぱりお前、オメガだわ」
リックは冷たく言い放つ。
「この俺、絶対的アルファの敵じゃねぇ」
彼は自身を指して言い放った。
傲慢。
ミアはそう思った。
しかし、もう言い返す気力も残っていなかった。
ただひたすら、この時が終わるのを待つだけだった。
リックはため息をつくと、踏むのを止めた。
しかし、冷ややかな目で見下すのは止めない。
「そういえばお前、ここに『探究』しに来たんだろ?」
「…………」
「うまくいくように、おまじないをしといてやるよ」
リックはそう言うと、ミアの顔に唾を吐いた。
左目の近くにかかり、嫌な感触がする。
「ううっ……」
ミアは呻いて、左目を閉じた。
「『黒払い』になる俺の唾だ。これできっと大成するぜ」
「あっ……」
『黒払い』という言葉に、ミアは思わず声が出た。
いや、出てしまった。
「ほぅ、今『黒払い』って言葉に反応したな?」
「……うぅ」
悟られてしまった。
自分の情けなさに、その夢を持つ事が恥ずかしく感じた。
「なるほど、『黒払い』になるための『探究』か」
「うっ……」
「また来いよ。『探究』が捗るように、好きなだけ痛めつけてやるよ」
そう言って、彼はその場を去った。
授業終了を告げるベルが鳴る。
学生達が退出する音が聞こえ始める。
ミアは倒れたまま、その音を聞いていた。
部屋には彼女しかいなくなった。
ここで初めて、彼女は泣いた。
悔しかった。
苦しかった。
怖かった。
さっきまで押さえ込んでいた感情が、急に溢れ出した。
誰もいないので、ミアは抑えることなく泣いた。
ミアは泣き続けた。
涙が枯れるまで。
そして泣き終えると、ゆっくりと立ち上がり、部屋を後にした。
痛みの残る体、特に尻への痛みに耐えながら歩き、寮へ戻る。
そして、なんとか戻ると、自室に入り、ベッドへ倒れこんだ。
意識が夢の世界へと落ちていく。
夢はいい。現実を忘れさせてくれる。
こんな惨めな現実から……
ミアは目を閉じた。




