8話 お兄様は大変女性に人気がある
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駐屯地を出て、ルシウス……ええ、彼からは「ルシウスと呼ぶように」と言われましたので、馴れるためにも、ルシウスと呼ぶことにいたします。に、連れてこられたのは、川のすぐそばにある屋台群でございました。
川に沿ってずらりと屋台が並び、そこかしこで威勢のよい声やよい匂いがしています。
商品を持ち帰る者もいれば、川沿いのベンチに座って食べる者もいます。
「ここで待っていろ」
ルシウスに指示されて座らされたのは、その川沿いのベンチのひとつでした。
もともと設置されていたのでしょうか。それとも誰かが勝手に持ち寄ったのでしょうか。どのベンチも個性にあふれ、あまり共通したデザインというものがありません。
私が座って待つことになったベンチも、黄緑色のペンキが所々剥げ、背もたれが少々朽ちているように思えるものでした。
たくさんの屋台があるのに、ルシウスは迷うことがありません。
お兄様とはよく来るのかもしれません。
屋台の店主とも気さくに会話をし、指を差しながら注文をしています。
その背中も、すぐに人の波にのまれました。
仕事前に腹ごしらえをする殿方たちでしょうか。作業服を着た方々が、ほうぼうの屋台に散り、めいめいに注文をなさっています。
特に私の目を引いたのは、恰幅がよい殿方でした。
彼は自ら持参したと思しき盆に、次々と商品を載せていきます。
その量たるや!
一人分かしらと目を丸く致します。
「あら、お兄さん♡」
思わず釘付けになっていたのですが、そんな風に声をかけられて私は目をまたたかせました。
そうです。いまの私は男でした。お兄様の身体にはいっているのですから。
「はい」
返事をすると、「まあ!」とくすぐったそうに笑われます。
なにが彼女の琴線にふれたのか、面白そうに女性は笑い続け、彼女のお友達たちも声を揃えて笑っています。
「あの?」
不思議に思い、小首をかしげますと、また嬌声が上がります。
女性たちは、私より……現在19歳の私よりも、いくつか年上のようです。
とても良い香水の匂いや、おしろいの香りがしました。
服はとても薄く、この時期とはいえ朝はまだ寒いのではないかと思うほどです。
襟ぐりも大きくとってあり、ふくよかなお胸が強調されているようでした。
「お兄さん、こんなところでどうしたの?」
最初に私に声をかけてきたお姉さんが、腰を折って私の顔を覗き込みます。
「朝ごはんをいただこうと思っています」
そう答えると、またもや嬌声が上がりました。口々に皆さま、「かわいい」と連呼されますので、私は慌てて首を横に振りました。
「皆さまの方こそ、大層お美しい」
「きゃああああ! お美しい、ですって!」
「なにこの子! 持って帰りたい!」
「ねぇねぇ、君、お姉さんたちと遊ばない⁉」
きれいなお姉さんたちにぎゅっと囲まれ、腕を引っ張られました。
「す、すみません! 連れがいるのです! 遊べませんっ」
つんのめりながら立ち上がり、なんとか腕を引き抜こうと思うのに、もはやお姉さんたちにもみくちゃにされ……。ずるずると引きずられる始末です。
「こらあああああ!」
その時、ルシウスの怒声が聞こえてきてぎょっといたします。
「なんだお前達は! 散れ、散れ!」
言いながら、お姉さんたち包囲網を寸断してルシウスが現れました。
お盆を持ち、その上にクロワッサンサンドをふたつと木製のゴブレットを載せていますが、仁王立ちの姿は大変勇ましく思えます。
「あら! こっちのお兄さんもいいじゃない♡」
「軍人さん、カッコよ! ねぇねぇ。お店はもうしまっちゃったけど、ふたり一緒に遊ばない?」
お姉さんたちはルシウスに腕をからませたり、しなだれかかったりなさいますが、さすがルシウス。ものともいたしません。あっという間にお姉さんたちを退けます。
これ幸いに、と私は慌ててルシウスの背中に隠れました。
「きゃあ! かわいい!」
「え、なになになになに⁉ このふたりってそういう関係⁉」
「それはそれで推せる!」
「どっち⁉ どっち派⁉」
さっきまでとは違った熱を感じ、私はひたすらルシウスの背中でおびえます。
「ねぇ、ぼく。ぼくはこの強面くんが好きなの?」
お姉さんが興味津々で尋ねるので、私は背中にしがみついたまま、コクコクとうなずきました。
「とても信頼し、大事にしてもらっています」
「きゃああああああああああ!!!!」
余計なことを言うな!!!!というルシウスの怒声がかき消されるほどの悲鳴が女性たちから上がり、私はひたすらおびえました。
「法で決められた営業時間は終了しているだろう⁉ 憲兵に報告するぞ!」
ルシウスが噛みつかんばかりに言うと、お姉さんたちは「えー」「つまんないのー」とむくれながら口を尖らしたものの、私に手を振りながら「またねー」と去ってくださいました。
「なにをやっているんだ、君は」
ぶるん、と。
水をふるう犬のようなしぐさで私を引きはがしたルシウスは、あきれ顔で私を見ています。
「なにをって……。その、声をかけられたので、返事をしたら……」
「知らないやつから声をかけられてもうかつに返事をするな」
「で、ですが」
「今の君は君であって、君じゃない。中身がローゼリアンなどと誰も思わん」
はっとしました。それはそうです。
「レインは見た目がいいからな。街頭でしょちゅう声をかけられる。いちいち返事をしていたら歩けもせんぞ」
なんとまあ! お兄様は女性に大変人気があるようです! そのようなこと、全く知りませんでした。
そしてふと思い出します。
「あの、お兄様には婚約者が……?」
先ほど、官舎の近くで声をかけてこられました殿方がおっしゃっておいででした。
私が寝付いている間に、お兄様には婚約者ができたのでしょうか。
「あ? ああ、あくまで候補、だがな。ほれ」
ルシウスは椅子にどかりと座り、隣を顎で示します。
私も座ると、紙に包まれたクロワッサンサンドをひとつ、手渡してくれました。
ゴブレットはベンチの座面に置き、ご自分もクロワッサンサンドを手に取ります。
「候補……ということは、内々で、ということですか?」
「ああ。パーマー子爵の娘でイリスという。知っているか?」
「イリスですか! ええ、友人です!」
家同士も交流があり、私が元気だったころはお互いの屋敷を行き来したものです。
彼女であれば、よく知っています。両親もそういったところも加味したのでしょう。
「そうですか……。お兄様もそのような年になったのですねぇ」
なんだかしみじみとしてしまいました。
「できればふたりの間に生まれた子ども……私にとっては、甥か姪にあたる子に会ってみたかったですが。それはかないませんねぇ」
気づけば心の声が漏れていたようです。
サンドイッチをほおばろうとしたところでルシウスが動きを止め、複雑そうな顔をしてしまいました。
これはいけません。
ただでさえ、ルシウスは私という厄介ごとを押し付けられているというのに!
その上気を遣わせるわけにはいきません。




