3話 親友からの依頼
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その日。
『2000、いつもの東屋で』
当番兵が持参した書類に隠されるように、そのメモはあった。
名前の記入はないが、字を見ればわかる。レインだ。
いよいよ悪いのか、と俺は眉根が寄ると同時に、沈鬱な気持ちになる。
妹さんの容態がよくないと聞いている。
そのため、レインは実家のチャリオット伯爵家に一時帰省していたはずだ。
戻ってきたということは、すべてが済んでしまったからなのか。
それからの業務はどことなく上の空だった。なんと声をかければいいのだろう。そんなことばかりを考えて粛々と過ごす。
そして、定められた時間に駐屯地のはずれにある東屋に向かった。
かがり火もない薄暗がりのなか、誰からも忘れられた東屋はある。
それは俺とあいつが情報交換という名の愚痴吐きに使う場所だ。
すでに来ていたらしいレインは、椅子に座り、ぽつんとただひとりいた。
ひとまわりほど小さくなったように見えるのは気のせいだろうか。
なんとなく声をかけそびれていたら、気配を察したのか、レインが顔を起こした。
「やあ、呼び出して申し訳ないな」
俺に向ける顔はいつもの飄々とした表情。
中性的に見える顔立ちはいつも通りで、軍人には不向きに思えるほど華奢な体つきもいつもどおりだ。
「戻ってきていたのか」
俺は声をかけた。
枯れてぶらさがる藤つるを手で払った。まるで野営用の偽装網だなと思いながら、レインの向かいに座る。
「ああ、今朝ね」
「そうか。その……妹さんはどうだ」
尋ねてから、沈黙が続いた。
しまったとすぐに自分のうかつさに消え入りたくなる。
レインが妹を溺愛しているのは、士官学校では有名な話だ。
いや。
士官学校どころか、社交界で知らぬ者はいないだろう。
幼年兵学校のころだから、まだ年が二けたになったばかりぐらいだろうか。
初めてローゼリアンに出会った。
レインによく似た顔立ちで、思わず「双子なのか」と聞いたことを思い出す。
「みんなそういうよ」「お兄様が幼いのね」。レインは苦笑いし、ローゼリアンは快活に笑った。
とても、おてんばな女の子という印象が強い。
まっすぐな銀色の髪をくるりとひとつに束ね、俺達にどこまでもついてきた。
走るのも乗馬も。釣りさえも舌を巻くぐらいに上手い。
「末恐ろしいよ」と口では言いながら、レインはとても誇らしげだった。
その元気の塊のような妹が、病に臥せったのは士官学校に入学したころだったと思う。だから、俺達が16歳で、妹が14歳のころだろう。
「元気すぎると、風邪をひいても大騒ぎだ」と当初笑っていたレインだったが、次第に実家からの便りを握り締めてぼんやりすることが多くなった。
「どうやら右腹に謎のしこりができているらしい」
そんなことをぽつりとつぶやいたのを聞いたのはいつだろう。
長期休暇で帰省すると、俺の屋敷でも「チャリオット伯爵家のお嬢さんは長患いのようだ」と聞くほどだったから、社交界には随分広まっていたことだろう。
昨年のことだ。
突如、レインが左の小指に指輪をはめたものだから、年頃の女子が大騒ぎをした。
俺達は、大方婚約者からのものだろうと思っていた。
というのも、内々にではあるが、レインはパーマー子爵のご息女と婚約話が持ち上がっていたからだ。
「これかい? 妹の病気平癒の願掛けさ。ローゼは右手の薬指にはめていてね。ぼくはサイズがこれしかなかったから、小指。治ったら、神殿にお礼詣でに行く約束さ」
真相は、願掛けだった。
女子たちはほっと胸をなでおろし、なんなら「レインバード様はなんとお優しいのか」と株を上げたほどだ。
「医者の見立てでは、もってあと2か月というところらしい」
レインの言葉に、俺は言葉をなくした。
2か月。
では今年の冬にはもう……。
「それでね。医者とは別に、呪術医にも診察を頼んだんだ」
「呪術医?」
ぼんやりとしていたが、俺はやつの一言に、おもわずおうむ返しに問うた。
レインは「ああ」とうなずく。
俺も……聞いたことはある。
なんらかの呪術が原因である場合、ふつうの医者に診せても効果がないのだとか。
そういった場合は、呪術医に診察を頼み、「誰から」の「どんな呪術」で、「どのような返し」を望むのか聞かれるらしい。
「……呪術、だったのか?」
「信じてないんだね」
くすりとレインが笑う。
俺はとっさに口ごもってしまう。だから、本心だとやつにバレてしまった。レインは不愉快だと怒鳴ることもなく、愉快そうに笑った。
「ぼくも半信半疑ではあったけどね。でもまぁ……。上位貴族なんて呪われてなんぼなところあるじゃない? 君んところだってひとごとじゃないよ?」
冗談めかした口調でレインが言うが……。まあ、ひとごとではない。いつどこで誰のねたみそねみを買うかなんてわかったもんじゃない。
それに。
ありうる話でもある、とふと思った。
というのも。
数年前になると思うが、ローゼリアンが王子妃の候補にあがったのではないかと噂されたこともあるからだ。
となれば、潰されることもある。
我が娘こそが王子妃に。そんな貴族はやまといる。
そうなれば。
どんな手を使っても。
いや、できれば「誰が手を下したのかはわからないまま、ご退場願いたい」というのが本音だろう。
その手段のひとつが呪詛。
ありうる話ではある。
効果があれば、だが。
いや、効果はあった。
なにしろ。
病に臥せったローゼリアンは、いまのところなんの縁談もないのだから。
「なんというか……実にいい呪術師に出会えたんだ。セドリック師というんだが、知っている?」
レインの声に我に返る。
「いや……」
「そう? かなり著名でね。なかなか依頼に応じてくれない偏屈なんだけど。いやあ、運がよかったよ」
そうやって笑うやつを見て、逆に俺は痛々しい気持ちになった。
本当に……呪術医の言葉を。効果を信じているのか?
余命2か月と宣告され、藁にもすがる気持ちなのではないだろうか。
そこにつけこまれているのでは?
呪術医のなかには法外な金額をふっかける者もいるという。レインは単にひっかかっただけなのでは。
「その……言いにくいが、レイン」
「いや、ルシウス。君の言わんとすることはわかるよ」
レインは俺の言葉を断つと、一転、真剣な顔で俺を見つめた。
「お願いがあるんだ、ルシウス。君にしか頼めないことだ」
「わかった。なにをすればいい?」
途端に笑われた。
だからムッとした顔で突き放す。
「なんだよ。せっかく真面目に言ったのに」
「だって君、まだぼくがなにも言っていないのに……。問答無用で『わかった』って」
「お前の頼みだからだろうが。もういい」
「怒るなよ、悪かった」
立ち上がる俺の腕をつかみ、レインはもう一度座るように無言で促す。
腹が立つが……まあ、一事が万事こんなやつだ、と俺はあきらめて再度座りなおした。
「二か月後ぐらいになると思うんだけど、五日間、有給休暇を取ってほしいんだ」
「有給休暇?」
突拍子もない申し出に、俺はまたおうむ返しする。
「ああ。それでぼくに付き添ってほしいんだよね」
「お前に? なんだ、どこかに行くのか?」
密命だろうか。
武器科所属のレインは、薬品に関する仕事をしている。その技術や知識を……。
「ぼくっていうか。正確には、見た目はぼくで、中身はローゼだと思うんだけど」
「……なんだって?」
「いや、だから」
レインはにっこりと笑った。
「魔術で五日間だけ、ぼくの身体にローゼの魂が入ることになるんだよ。ぼくの魂がローゼの身体にはいることで、気力が与えられ、余命が数日伸びるらしい。だけど、入れ替わった時にローゼの魂を狙いに悪鬼が来るだろうから、その護衛を頼みたいんだ」
「……なんだろう。何言ってんのかさっぱりわからんのだが」
俺はきっとさっきのレインよりももっとまじめな顔をしていただろうに、レインはきょとんと眼をまたたかせた。
「嘘だろ、なんでわかんないかなぁ」
「いや、普通にわからんやつが大半だと思うが」
「呪術医が言うには、ローゼの病気は呪詛によるものらしくてね。ここは理解した?」
「理解したというか……うん。意味はわか……る」
「本来ならもっと早くに悪鬼にやられるところらしいんだけど、ローゼってすっごい元気だから弱り方が遅くてね」
「……喜ばしいことだな」
「うん。でも、体力的にはもう限界らしくて。呪術医の見立てでも、もって二か月ってところらしい」
「そう……なのか」
「だけど、呪詛を返すか、解くかすれば話は別。ローゼは治るって」
「返すか、解くか?」
俺は小首をかしげた。
「返すというか……呪詛を破るの一択じゃないのか?」
「さっきも言ったけど、どのような返しをするかはこっちが決められるんだって。例えば、呪詛した相手を突き止めて『呪ったよね? やめてくれる?』って直談判してやめさせることも可能らしいんだけど」
あはははは、とレインは笑い声を立てた。
「ひとの大事な妹を数年間もいたぶっておきながら、直談判って。ありえないっしょ。それこそ、返してなおかつぶちのめすの一択だよ」




