24話 いつから私は……
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「そりゃそうさ。ぼくはレインバードなんだから」
お兄様が……私の身体に入ったお兄様が突き放すようにおっしゃいました。
自分が……。自分の姿がしゃべっているというのをこのように間近に見るのは稀有な体験ではあると思います。
イリスは愕然と。だけど気味の悪いものでも見るような目つきを私……いえ、きっとお兄様だと思っている私に向けます。
「レインバード様。ローゼリアンはどうしたの? 狂ってしまったの?」
半笑いの表情で問います。
その目が見つめるのは、私……たぶん、イリスはお兄様だと思っているのでしょう。
私は立ち上がり、ゆっくりと首を横に振りました。
「呪術医のセドリック師にお願いして……私とお兄様は一時的に魂を入れ替えましたの。だから……」
「ぼくがレインバードで」
「私がローゼリアンです」
そんな、とイリスが呆然とつぶやきます。
「ねぇ、イリス嬢」
お兄様は呼びかけました。
長椅子に寄り掛かったままのその姿勢は、単純に病み上がりからくる気だるさのためなのでしょうが、とても傲然としていて、不遜に思えます。
「君はぼくと結婚したがっているようだけど」
くっ、と笑いをつぶします。そしてとても鋭い目でイリスを見ました。
「大事なぼくの妹に呪いをかけて、ご丁寧に毎日死ね死ねと言いに来た女とぼくが結婚すると思う?」
「ご……誤解だわ! あたし、そんなことひとっことも!」
「妹の体力を回復させるために、二日……三日前だっけ? ぼく、入れ替わっているだよ、ローゼリアンと」
「あ……」
「あの時はまだこんな風に身体を動かせなかったからさ。黙って聞いていたら、よくもまあ……。ぼくの前ではしおらしいお嬢さんだったのにねぇ」
お兄様は腕を組み、喉をそらして笑います。
私は……なにも覚えていません。
イリスが本当にそのようなことをしていたのでしょうか。
毎日お見舞いに来てくれていたとお母様からも聞いていました。
それは。
私に「早く死ぬように」と言うためだったのでしょうか。
「そうよ! あたしが呪ったのよ!」
突然イリスが怒鳴り、私は身体を震わせます。
ルシウスが私とイリスの間に身を滑り込ませました。
「全部あんたが悪いんだからね⁉」
情けないことに……。
私は震える指で彼の背中にしがみつくことしかできません。
「レインバード様はずっとずっとローゼリアン、ローゼリアンって……! ちっともあたしのことを見てくださらない! レインバード様だけじゃないわ! ばっかみたいに王子まであんたに執着して! あたしはいっつも『ローゼリアンじゃない方』って言われてばかり!」
イリスが大笑いします。
私はルシウスの背中に隠れながら、うなだれることしかできませんでした。
イリスとは……彼女とは、仲良しだと思っていたのに……。
「レインバード様が指輪を買ったって噂になったとき、とうとう私は婚約が正式に決まると思ったのよ⁉ それなのに、指輪をもらったのは、あんた!」
病気平癒のペアリングのことでしょうか……。
「あんたが病気になってやせ細って。見る影もなくなった途端、男たちがみーんな離れて行ってさ! スカッとしたわ! やってやったって思った! それなのに、あんた、しぶとくて!」
いつから私はイリスに憎まれていたのでしょう……。
それに気づいていれば……こんなことにならなかったのでしょうか。
私は自分の影ばかりをみつめてうつむきます。
「え……」
つい、声がもれました。
影……なのでしょうか。
私の足元にあるこの黒いものは。
それは。
まるで紙に垂らしたインクの染みのように広がっていきます。
そして……。
「きゃあ!」
「ローゼリアン⁉」
ルシウスの声が聞こえます。
ですがそのころには、私はもう、真っ黒ななにかに全身がおおわれていました。絡みつかれていました。
皮膚を締め上げるその感覚で、これが大量の毛髪だと気づきます。
地面から吹き上がる炎のように私を毛髪が覆います。
「動くな!」
ルシウスの声が聞こえました。そう命じられなくても、身がすくんで動けません。
直後、目の前を覆っていた〝黒〟が一閃され、光があふれてきます。
ばさり、と大量の毛髪が足元に散ります。
ほっとしたのもつかの間でした。
肩口にあった黒髪が私の首に絡みつき、しつこく巻き付いてきました。
「くるし……」
爪を立てて抗おうとするのに、すごい力です。
ルシウスが剣を放り出し、ナイフを手にしたのが見えました。
ですが……。
ぴったりと首に沿うように巻き付いているため、どこに刃をたてればいいかためらっている様子です。
その間にも、気道が細くなります。もう息ができない……。
「ルシウス、ナイフ!」
お兄様が怒鳴ります。
ためらうことなく、ルシウスはお兄様にナイフを放りました。お兄様は器用にキャッチすると、呆然と立ち尽くすイリスに駆け寄ります。
そして、問答無用で彼女の髪をつかむと、ばさり、と根元から斬ったのです。
同時に。
私の首を締め上げる毛髪の力が緩みました。
「どいたぁ! うおりゃあ!」
突如として現れたのはセドリック師でした。
ルシウスを押しのけ、瓶の中の液体を私に向かってぶちまけます。
ばしゃり、と。
顔にかぶった瞬間、ローズマリーの香りがしました。
そして。
首に巻き付く髪は、完全に力を失います。
なだれこんでくる空気を欲して胸が上下し、盛大にせき込みました。
「大丈夫か⁉」
ルシウスの声を聞いたのが最後です。
私は咳を繰り返しながら、気を失ったのでした。




