23話 レインとローゼ
■■■■
俺はチャリオット邸の広間で長椅子に座っていた。
ローゼリアン本体はだいぶん調子よさそうだが、それでもずっと立たせておくわけにはいかない。
彼女……まあ、彼女を真ん中に座らせ、オットマンを置いて長座させた。
ローゼリアンの左側に俺が。その俺のさらに左。ひじ掛けにくっつくようにして……なんというか、レインが座る。
俺は改めて広間を見回した。舞踏会でも開くのかと思うほどに飾り立てられ、シャンデリアにはすべて火がいれられている。
楽団まで用意されているのにはびっくりだ。
ご夫妻のお気に入りなのかもしれない。伯爵夫妻は時折楽士たちと親し気に話し、ローゼリアンのほうを差して何か言うたびに、楽士たちは深々と頭を下げた。
そのたび、ローゼリアンははなやかな笑みを浮かべて会釈をしている。
チャリオット伯爵は、急ごしらえとはいえもっと盛大に行いたかったようだが。
あの化け物を切り伏せてすべてが終わり、というふうには俺もセドリック師も。
それからレインも思っていない。
手ごたえはあった。
あの化け物は確かに消滅しただろう。
だが……なんというか。
セドリック師が言うところの「返り」が行われていない気がするのだ。
そのところを相談すると、セドリック師も慎重に言葉を選び、「……まあ……。まだ用心はしたほうがええと思う」と言う。
というのも。
あの腫瘍だけが呪物ではない可能性が出てきたのだそうだ。
もっと根源的ななにかがある、と。
「一番ええのは、呪ったやつが『私が呪いました』と白状することやねん。だからな、ちょっと協力してほしいねんな」
そうして、準備万端が整い、我々はここにいるのだが……。
セドリック師からは『くれぐれも真剣に』と言われている。慎重に、ではない。『真剣に』だ。
……こういうのが苦手な俺としては……。なんとも難しい。
『じゃあさ、ご苦労さん会、しない? ちょっとしたパーティーみたくさ』
ローゼリアンはこの会をチャリオット伯爵発案だと思っているが、提案したのはレインだ。そこで呪った相手に白状させるつもりらしい。
『呪ったやつに目星がついているんなら、直接はっきり言ったらどうだ』
そう言ったら、笑われた。『認めるわけないじゃん、そんなので』と。
……そういうものらしい。
『ってか、バレないでよ? 真剣に向き合ってよ?』
おまけにそんな風に叱られるのだから、なんだかわりにあわん。
「いかがですか?」
物思いにふけっていたら、執事が俺に盆を差し出してきた。
ワインのグラスがいくつか並んでいる。
俺は礼を言って二つ受け取り、ひとつをレインに渡した。
隣でローゼリアンが物欲しそうに見ているが敢えて無視をする。
「これ……」
レインが目をぱちぱちさせるが、「飲める」と俺が促すと、おっかなびっくり口をつけている。ごっくんとばかりにのどぼとけが上下した。
そのあと、ぱぁと笑顔になる。
屋台のときも思ったが、感情が豊かだ。見ていて飽きない。
「お嬢様、イリス様がいらっしゃいました」
メイドがひとり、ローゼリアンに近づいてそう告げた。
「おひとり?」
ローゼリアンが小首をかしげる。
「いえ。子爵ご夫妻とご一緒です」
「そう」
ローゼリアンがうなずいたとき、訪いの声があって扉が開いた。
パーマー子爵らしい夫妻と、橙色のカクテルドレスを着た娘がひとり、入室してくる。
あの娘がイリスなのだろう。
パーマー子爵はそのままチャリオット伯爵夫妻のところに足を運ぶ。挨拶をすると、チャリオット伯爵が鷹揚に腕を広げて抱擁を求めていた。
イリスはというと、室内を見回したあと、にっこり笑ってまっすぐ長椅子のほうに駆けよってきた。
「本当に元気になったのね! 昨日とはまた……見違えたわ! はい、これお祝いのブーケよ」
「ありがとう、イリス。私が寝付いていた時は毎日来てくれたんですって?」
「もちろんよ。だってあたしたち、仲良しだったじゃない」
「そうね。お互いの家を行き来して……。よくあなたのお茶会にもお邪魔したわ」
「懐かしい!」
「クッキー、とても美味しかった」
「元気になったらまたいらして」
「考えておくわ」
イリスは濃い橙色のカクテルドレスに、同じ色のヒールを履いている。
豊かに波打つ黒色の髪を高く結い上げ、首からデコルテまでの肌を見せつけていた。
そんな彼女を見上げるようにして話しているローゼリアンも、今日はメイドたちに飾り立てられている。
化粧を施され、髪には彼女によく似合う白いバラをさしていた。
ほっそりと華奢なローゼリアンだが、今日は視線にたくましいほどの力がある。
「……病み上がりだとしても……イリスと大違い」
吐息と共にこぼれ落ちたレインの声が俺の耳に届く。
視線を向けると、グラスを見つめるようにしてうなだれていた。
「ローゼリアンのほうがきれいだ」
だから思ったことを正直に伝えたのに、レインはなんだか複雑な顔をして「いつもそう」「やっぱり誰にでも言っているんでしょう」などと言う。
そんなことはない、と言い返そうとしたら、視線を感じた。
顔を動かさずに探ると、イリスだ。
どうやらレインの隣に座りたいらしい。だが、俺がいるためにそうならないのだろう。
「イリス、ここにお座りになって」
ローゼリアンが少し身体をずらし、座面を示した。
イリスはしぶしぶ、俺とローゼリアンの間に座る。座る直前まで、「いったい誰なの、こいつ。邪魔ね」という顔をしていた。
ローゼリアンがさりげなく視線をよこす。
たぶん、レインとなんか会話をしていろ、ということなのだろう。
そうでもしないとレインに話しかけようとする気配がある。というか圧がすごい。
「ところでレイン、今度の軍事教練の件だが」
「ぐ、軍事……教練……? う、うん。じゃない。うむうむ。例のあれ、ですな?」
口調が統一されていなくてワインを噴き出すかと思った。ぐ、とこらえて続ける。
「騎兵連隊連隊長から聞いたところによると、鶴翼の陣形から騎兵は左翼へ移動し、仮敵と相対することになるそうだが……。武器科としてはどのように物資輸送を開始するのか」
「か……カクヨクに……なったことにより……さ、サヨク?が……えっと」
レインはしどろもどろになり、額に汗まで浮かべてなんとか口を動かしている。
だが、隣では聞き耳を立てていたイリスが、
「まあ。さすがレイン様。専門的なお話をなさるのねぇ」
と感心している。俺は彼女に背を向け、必死に笑いをこらえていたら、ばちり、と膝を叩かれた。
「なにがおかしい……んですっ!」
「いやいや。なにもおかしくないぞ。で? 左翼からどうするのだ? 君の意見は非常に興味深い。続けて」
促すと、いろんな知識を引っ張り出してレインがとつとつと話し出す。
その俺の隣では、イリスが不思議そうに広間を見回していた。
「まだ誰もいないのね。あたしたちだけ?」
「今日は本当に身内だけだから……。ゲストといえばセドリック師とルシウスだけじゃないかしら」
ローゼリアンが答える。
「そうなの⁉」
イリスが大声を上げた。
思わずレインも話すをやめたほどだ。
「気の早いお父様が、私の快気祝いだと……」
「ということは、あたしも身内だって認めてくれたってことよね!」
ローゼリアンの言葉を遮り、イリスが意気込んだ。
……まあ、正解はレインが呼びつけた、なのだが。
「ええ、そうだと思うわ」
かすかに長椅子の座面が揺れた。見やると、ローゼリアンがイリスに向き合ったようだ。
「私はここ数年ずっと寝付いていたので知らなかったのだけど。イリスはお兄様と婚約するの?」
「あたしはそのつもりよ」
彼女の声にはみじんも揺らぎがない。
「あ……髪……」
レインがつぶやく。
「髪?」
俺が小声で尋ね返すと、レインは呆然としたような顔で頷いた。
「なにか変だとずっと思っていて……。彼女の髪。あの色じゃなかった……」
「だからね、ローゼリアン」
イリスの声に力がこもる。
俺は隣をそっとうかがう。ローゼリアンにさらに顔を近づけ、イリスはにっこりと笑っていた。
「あなたには早く元気になってこの屋敷を出て行ってほしいの」
イリスとローゼリアンは並んで座っているが、身体を半身にして向かい合っている。
つまりイリスは俺とレインに背を向けていた。
聞こえていないと思っているのだろうか。
それとも、俺達が会話をしているから……していたから、聞こえていないとでも思っているのだろうか。
イリスは続ける。
「あたしとレインバード様が結婚したら、この屋敷に住むわけでしょう? 確かにここ、豪邸だし。王都でも有名な名邸だけど……。おじさまとおばさま以外にあなたもいたら……なんだか窮屈じゃない?」
イリスは小首をかしげ、立てた人差し指を顎に押し当てる。
きっと、見るやつが見れば蠱惑的な仕草に見えるんだろう。
「ねぇ、考えてみて。もしもよ? あなたがどこかのおうちに嫁に行って……ああ、でもどうかしらぁ。病み上がりの娘を嫁として迎え入れる上位貴族があるかかどうか……厳しいと思うわよ? まあ、とにかくどこかのおうちにお嫁に行って。そのおうちに、妹や弟がいたらどう思う? お姉さんとか。なんかいやじゃない? お義母さんさえ嫌なのに。あなたらこの気持ち、わかると思うのよね」
「そうね」
ローゼリアンは嫣然と笑った。イリスは笑い声を立ててローゼリアンの手を握る。
「よかったぁ! やっぱりあたしの友達……」
「そうやって邪魔になったから、私を呪ったの?」
イリスの笑い声はぴたりと止まる。
しばらく。
楽団の流す音楽が長椅子の周りをとりまいた。
時折、伯爵夫妻と子爵夫妻の会話が聞こえるぐらいで。
誰も言葉を発しない。
「やだもう、何を言っているの。やめてよ、ローゼリアン」
甲高い声を上げてイリスが言う。
しらじらしくはしゃいだような声だ。
「よくあなたの家のお茶会に行ったものね。そこで食べたクッキーにでも仕込んだの?」
「何を言っているの。あなたはおなかに腫れものができて、そのせいで……」
「それだけじゃなく、毎日毎日、私の枕元で言ってくれてたわね」
「な、なにを……」
「まだ生きているの? 早く死ねばいいのに。こんな不細工なままで生きてたって意味ないでしょう。死ねばいいのにって」
「な……」
なにかを飲み込んだように言葉を止めたものの、イリスはいぶかるように問う。
「聞こえてたの?」
それは認めたようなものだ。
瞬間的に腹に憎悪が渦巻いた。それは俺だけじゃない。ローゼリアンもだ。鋭くイリスを射すくめる。
「おかしいとおもったんだ。いくら病のせいとはいえ……。なんでローゼがあんなふうに自己否定ばかりするのか。そりゃそうだよね」
はっ、とローゼリアンは鼻で嗤う。
「毎日毎日、枕元で死ね死ね、不細工不細工って言われたら……」
「……ちょっと……何言っているの?」
イリスは立ち上がり、まるで化け物でも見るようにローゼリアンを見下ろした。
「ずっと気になってたんだけどさ、その髪。君、もともと赤毛だったろう?」
ローゼリアンは長椅子に上半身を預け、足を組んだ不遜な態度で目の前のイリスを指さした。
イリスは反射的に髪に手をやる。
「こ、これは! 染めたのよ!」
「嘘つけ。呪いの代償で黒くなったんだろ? 罪の色だ」
「違うわ! ちょっと! なによ、あんた変よ! まるでローゼリアンじゃないみたい!」
イリスが怒鳴る。
ローゼリアンは声を立てて笑った。
「そりゃそうさ。ぼくはレインバードなんだから」




