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目が覚めたらお兄様になってしまった⁉ とある伯爵令嬢入れ替わり騒動記  作者: 武州青嵐(さくら青嵐)


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18話 腹に巣食うもの

 セドリック師が手招いてくれた。


「まったく困ったお兄ちゃんや。ほら、あんたらはもう離れとき」


 まるで小さな子どものように言われた……。


「時間がもったいないわ。じゃあ、始めるで。お嬢さんはこれ飲んで」


 セドリック師はベッドわきの机に載せていたゴブレットを差し出す。さっき言っていた痛み止めだろう。


 すでに術式の説明は行われていたのか、ローゼリアンは疑うことなくそれを飲み干すと、ベッドに横たわった。


「んじゃ、ちょっとこれお願い」


 セドリック師がごそごそとベッド下から何かを取り出す。

 それは半円の形をした針金だ。


 横たわったローゼリアンの身体の上にみっつ、設置した。


 その上からキルトケットをかける。ドームのようになった。

 なるほど、こうすれば身体を隠しつつ処置ができる、ということか。


 彼女の腫瘍は右腹部。

 だったら、と俺はベッドの左側に。

 セドリック師とレインは右側に。


「ふたりとも。お嬢さんと話をしてて」


 セドリック師は言うと、医療用バッグと思しきものを持ち上げる。いまから準備を始めるのだろう。


「もちろんだ。ローゼ、お兄ちゃんがずっといるからね」


 レインは椅子に座ってローゼリアンの手を握った。ローゼリアンは微笑んでうなずく。


「でもお兄様、具合が悪くなったらすぐに手を離してね」

「お兄ちゃんの元気は無限大だよ!!!」


 そんな会話をしている間に、セドリック師はてきぱきと術式に入った。


「ちょっと服を失礼」

「あ、はい」


 ドーム状になって隠されているから俺の方から手もとは見えないが、セドリック師がローゼリアンの患部を見ているようだ。


 不埒なことをしていないかとレインが鋭くチェックしている。最強の護衛だな、兄というのは。


 そんなレインを意に介さず、セドリック師は患部にふれたようだ。


「ここやね。いま、痛い?」

「いいえ。なんだか、ぼよぼよしているだけです」

「うん、わかった」


 今度は、慣れた様子でテーブルに器具を並べていくのだが……。

 それがなんというか……。


 原始的だ。


 大小さまざまな薬瓶はわかる。

 だが……。

 清潔そうな真っ白な面布の上に順番に載せていくのは、極細だが長い鍼、ナイフ、ピンセット、ペンチ、ハサミ。「これはいらんな」と医療バッグにしまったのは大工道具のようなものでぞっとする。


「あの……ルシウス」

「ん? なんだ」


 呼ばれて顔を覗き込むと、彼女はほんの少しだけ顔を赤くした。


「来てくださって……ありがとうございます」

「気にしなくていいんだよっ!」

「坊は黙っときぃな」


 俺の代わりに答えたレインがセドリック師に叱られている。

 ローゼリアンはくすくすと笑ったが。

 その目が少しだけ、とろんとしていた。


「ローゼリアン? 眠いのか?」


 俺が尋ねると彼女はゆったりとまばたきをした。


「眠いというか……。ぽわんとします。ふわふわした心地です」

「お。薬が効いてきたな。ルシウス卿、そうやって話しかけ続けて」


 セドリック師に言われたが……。

 ぐ、と声が喉で詰まる。

 話しかけろと言われても……。いったいなにを⁉


「あ……っと。その。お、俺も手をつないだほうがいいか?」


 ついそんなことを言ってしまった。


「はああああああああああ⁉ 必要ないんじゃないかな!!!!」


 即刻レインに怒鳴られる。


 だけど。

 きゅっと。

 なにかが指にふれた。

 視線をおろすと。

 ローゼリアンが俺の手を握っている。


「ありがとうございます。安心します」


 にっこりと彼女が微笑み、俺の心臓が大きく拍動する。


「お兄ちゃんは⁉ お兄ちゃん、さっきから手を握ってますけど⁉」

「だから、坊は黙っときぃな」


 呆れた声でセドリック師がレインを制した後、そっと長い鍼を手に持つ。意味深に視線を向けられた。たぶん、こっちを向かせるな、ということだろう。


「ローゼリアン。俺とレインの休暇はまだあと4日ある」

「そうですわねぇ。本当は……お兄様の姿で過ごす予定でしたが」


 間延びした口調でローゼリアンは話す。ホッとしたことに、顔は俺に向いたままだ。


「お嬢さん、これ、なんか感じるか?」

 セドリック師が尋ねる。


「いいえ。なにも……。ねえ、ルシウス。しばらく屋敷に滞在なさいますの?」

「そのつもりだ」


 会話に入ってこないなとレインを見ると、真剣な顔でセドリック師の手元を凝視していた。


 ちらりと見る。

 レインの気持ちを察した。

 というのも、セドリック師が長い鍼を患部に突き立てているようなのだ。


「ちょっとここにも麻酔鍼を打つわな。お嬢さんはゆっくりとルシウス卿とお話してて」


「はい。あの……ルシウス卿」

「なんだ?」


「もし……治ったら、あの」

「ん?」


「また、屋台に連れて行ってもらえますか?」


 真面目な顔で何を言うのかと思ったら。

 思わず吹き出してしまうと、ローゼリアンに「もうっ」と赤い顔で怒られた。


「バカだと思ってらっしゃるでしょう!」

「そんなことはない。まだ喰い足りなかったんだな、と」

「ルシウスっ!」


 悪いことをしたと反省したのに再び怒り出す。


「え、なに。今度は腹いっぱい食わせてやるから……」

「そうじゃありませんっ」


 ルシウスのバカぁ、となじられる。

 おまけに。

 強烈な眼光に気づいて本当的に佩刀に手を伸ばすと……。


 レインだ。 

 ものっすごい形相で俺をにらんでいる……。


「ルシウス」

「な、なんだ。レイン」


「お兄ちゃんの目の前でそういうの、やめてもらえるかな」

「そういうのって……」


 なにもしとらんだろう。

 困惑していたら、セドリック師がナイフを持つのが見えた。


 レインも気づいたらしい。 

 再び真剣な顔で患部を見る。


 俺はというと、ローゼリアンの気を引こうと、とにかく口を開いた。


「駐屯地近くにカフェがあるんだ」

「……カフェ?」


 むすっとした様子だが、ローゼリアンが乗ってきた。


「ああ。タルトのうまい店で、何度か言ったことがあるんだが……。元気になったら一緒にどうだ?」

「いいんですか?」


 ローゼリアンが目を輝かせた。


「楽しみです。はやくよくなります」


 その一言に心底ほっとした。


 最初は。

 なんだか生きるのをあきらめていたのに……。

 いまは楽しみがあり、目的があり、生きようとしてくれていることに。


「白鹿亭か! それはお兄ちゃんと行こうなっ!」

「坊、そんなことより膿盆! 出てきた!」


「え⁉ の、膿盆⁉ ってなに⁉」

「その銀色の丸いやつ!」


「あ……これ」


 ローゼリアンが不思議そうに瞳を揺らすから、ぎゅっと手を握ってやる。


「ローゼリアン。ずっと俺を見てて」

「……は、はい」


 ローゼリアンが手を握り返してきたが、なぜだか頬を赤らめて目を伏せる。


 俺を見ろって言ったのに、と思ったが。

 まあ、振り返って自分の患部を見るよりいいだろう。


 俺はそっとレインとセドリック師の様子をうかがう。

 どうやら、セドリック師はピンセットでなにかをつまみ出そうとしているようだ。


 手元が赤く濡れているが、大出血というほどでもない。

 本当に傷は小さなもので、そこからピンセットを差し込んで引っ張り出しているようだ。


 レインはというと、右手でローゼリアンの手を握り、左手でソラマメ型のふちのついた銀色のボウルのようなものを差し出していた。


 ずるるり、と。


 セドリック師のピンセットがなにかをつまみ出す。


「………」


 俺もレインも無言だ。

 いや、無言にならざるを得なかったというべきか。


 ピンセットでつまみ出し……いや、つまみ出す、というより引きずり出した、という表現が適切だろう。


 膿盆にだらりと渦を巻くもの。


 それは。

 大量の毛髪。


 いや、赤毛の束だった。


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