17話 君はとても愛らしい
「変態か! 君は変態だったのか!」
「違うって! 男がどうやっておしっこをするのか、と問われたから……」
「やめてやめてやめてやめて!」
狂瀾怒濤の室内に、いきなりパンパンパンと手を打つ音が鳴り響いた。
「はいはい、もうおしまいおしまい。ふたりとも、はよこっちおいで」
それは聖職者の服を着た男だ。
年は30代といったところだろうか。
細身で眼鏡をかけた男だ。長い長髪をひとつに束ね、どことなく学者然としているが……。
「セドリック師?」
俺がレインに尋ねると、やつはぶすっとした顔で俺を突き放す。
「そう。呪術医」
「普段はもぐりの聖職者やねん」
真面目な顔で言われたが、そんな自己紹介は初めてだ。
「いまから、呪詛の根源でもあるお嬢さんの腫れものを切開しようと思って」
唐突にセドリック師はそう言った。
俺は驚くが、レインはすでに聞かされているのか、特になんの反応も示さない。というか、さっきから俺に敵意むき出しだ。
「でな? 体力なんかも使う関係で、坊にはお嬢さんの手を握っててほしいねん。そしたら坊の気力体力をお嬢さんに流し込めるから」
「お兄ちゃんに任せておきなさい!」
俄然張り切っている。
「ほんで、ルシウス卿にお願いしたいのは、悪鬼対策や」
つるりとした眼鏡の奥。黒い瞳がまっすぐに俺を見ている。
「悪鬼?」
繰り返すと、セドリック師は大きく首肯する。
「お嬢さんが悪夢を見るのは、この腫瘍のせいやと思っている。この腫瘍を通じて悪鬼が身体に入り込み、悪さをしているんやと」
「悪夢……」
俺はつぶやく。
そういえば、ローゼリアンはそのようなことを言っていた。
魔物が追いかけてきて髪をつかみ、ぬかるみのようなところに沈めようとするのだ、と。そのぬかるみからは悲鳴や怒号が聞こえ「まるで地獄のよう」と言っていた。
「腫瘍を取り払ってしまえば、悪夢から解放されると思う。まあ、そのかわり、悪鬼は外から襲ってくるやろうけど、それはあんたが斬り伏せるとして……」
なんかあっさり言ってくれる。
「問題は、切開するときに使用する痛み止めやねんよ」
「痛み止め」
それはいるだろうな。
「まだ切開の段階では腫瘍は……呪詛のもとは身体にあるやん? 眠ってもうたら、悪夢見るねん」
「あ……なるほど」
そういう……ことになるな。
「だから眠らない程度の薬を使用するねんけど……。万一眠ってしもたり、起きてる最中でも悪鬼が来てもうたときに……」
「俺が対処すればいいんだな?」
「そやねん。わたしはほら、そのころ術中やから。ルシウス卿には、ぜひお嬢さんの枕元におってほしいねん」
なるほどと納得していたのに。
「それなのにローゼリアンは君と会うことを拒否している!」
レインに怒鳴りつけられ、想像以上にぐっさり胸に刺さった。
「え? ローゼリアンが?」
だからか、情けなくも声が揺らいでかすれた。慌てて咳ばらいをしてごまかそうとしたら、またレインがつかみかかって来る。
「絶対、ぼくと入れ替わった時になにかしただろう!」
「してない、してない!」
「やめて、お兄様、違うの!」
紗の向こうからローゼリアンが叫ぶ。
「じゃあどうして君はルシウスを拒否するんだい⁉」
「だって……その、だって……」
声が潤む。
涙をこらえているのだと気づいて、頭が混乱する。
こんなに嫌がられるほどのなにを俺はしたんだ⁉
「お嬢さん」
セドリック師はすたすたとベッドに近づくと、紗をぺろんとめくってあっさり中に入る。
……なんかこう……。
ものすごいショックを受けた。俺なんて近づくことすら許されていない状況なのに。
「安全上、あのひとに近くにおってもらいたいんやけどなぁ。あかんか?」
セドリック師の声が聞こえる。
「その……あの、でしたら。私の顔が見えないようにしてもらえませんか?」
「顔? 隠すってこと?」
なんとなく俺とレインは息をつめて二人の会話を聞いていた。
「ええ。それで処置をしてもらえませんか?」
「処置を見てまうんが恐いってことか? そしたら大丈夫や。見えへんようにするから」
「そうではなくて……。その、顔を……というか、できたら身体も見えないように……」
「それはそうや。身体は見えんようにするよ。やけど、顔は隠せへんなぁ」
「どうして⁉」
「呼吸が止まってへんか、とか。顔色悪ぅないか、とか。表情や呼吸の状態も見るからや」
「あ……」
「なんでそんなに顔を隠したいん?」
「その……」
そこでローゼリアンは声を止めた。いや、息を止めたのかもしれない。
知らず知らず、俺とレインはベッドのすぐ脇にまで忍び寄っていた。こういうときだけ、レインも軍隊仕込みの忍び足を使用する。
「こんな……こんなみすぼらしい姿を……。見られたくない。きっとがっかりされる……」
声はしりすぼみになり、あとは泣き声になった。
がん、と。
頭を殴られた気分だ。
さっきまで「本人に会える」と浮かれていた自分を叩き斬ってやりたい。
そりゃそうだ。
寝付いて4年。いや、5年か。
本来であれば……その、いろいろと美しく変化する年齢に違いない。
だが彼女の場合、悪鬼だか病魔だかにむしばまれ、その期間をベッドで過ごしたのだ。
年頃の女の子が他人に……俺に会いたくないという気持ちは……。
想像できて、しかるべきだった。
ちゃんとした男なら。
「なにを言うんだ、ローゼ!」
ぎょっとする俺の隣でレインは叫び、紗をめくって飛び込んだ。
「お兄ちゃんが、がっかりなどするものか!」
「いや、たぶんお兄ちゃんは、どうでもええと思うんよ」
レインとは対照的な、セドリック師の冷めた声が聞こえる。それを肯定するように、ローゼリアンが、鼻をぐずぐず言わせながらつぶやく。
「お兄様は別に……」
「どういうことだい⁉ ふたりとも何を言っているんだい⁉」
俺は、意を決した。
大きく一歩踏み出し、次の足を前に出す。
その勢いのまま、紗をめくって中に入った。
「きゃあ!」
悲鳴が上がり、ベッドの上で小さく丸くなる女の子の姿が目に入る。
銀色の長い髪は、あの頃よりずいぶんと伸びて腰にまで及んでいた。
まんまるに見開かれた瞳は若葉のようで。いまは涙を浮かべていたからか、朝露を含んだようだ。
肉は薄く、頬骨が浮かぶほど。
肌も白く、まるで血がぜんぶ抜かれたようだ。
長袖の寝間着を着ているが、ゆったりというか……ぶかぶかしている。見える手首も細く、レインとペアリングだと言っていた指輪は、いまにも抜け落ちそうだ。
「みすぼらしいなどと思わない。がっかりもしない。君はその……」
俺ははっきりと告げた。
「とてもきれいで、愛らしいと思う」
言った途端。
ローゼリアンの頬が、朱を刷いたように色づく。
照れたのだとわかった途端、俺の頬も熱くなる。
赤くなったであろう顔をそらそうとした瞬間。
俺は慌ててしゃがみこむ。
頭上すれすれを重低音が響いた。レインが勢いよく右フックを叩きこんできたのだ。
「お兄様、なになさるの!」
「ちっ」
あ、あっぶね……。
こいつ、なにげにいいパンチを持っているじゃねぇか。軍事教練の時はさぼってやがるな?
冷汗を垂らして距離を取る。




