14話 もう一度彼に会いたい
「あの……兄からは五日間、入れ替わると聞いていたのですが」
「最大五日間、な。その間にレインバードが信頼する騎士に悪鬼を退治させる予定やってんん」
「その……では、悪鬼は退治できた、ということですか?」
半信半疑なのが伝わったのでしょう。セドリック師は上半身を乗り出すようになさいます。
「なにがあったか教えてくれん?」
「もちろんです」
私は入れ替わった直後からさっき目覚めた時のことまでをお話しました。
「なるほどなぁ」
セドリック師は椅子にもたれると、首の後ろをがりがりと搔きました。それから眼鏡越しに私を見ます。
「こっちもな、お嬢ちゃんの身体にレインバードの魂が入ったねん。そこからあいつの生気を流し込んだから……いま、調子ええやろ?」
「ええ、とても」
「まあ、それも一時しのぎやけどな。根本をどうにかせんとどうにもならんわ」
セドリック師は言い、首から下げたロザリオを弄びました。
「たぶん、術が破れた。レインバードの身体に入ったあんたは易々と殺せんと思ったんやろうなぁ。だから入れ替わりの術を破って……」
言葉はそこまででした。
というのも。
私が悲鳴を上げたからです。
目の前で、セドリック師の右手首から血が噴き出しました。
深紅の花火のように散る鮮血に、身体が動きません。
「痛いなぁ、もう。眼鏡に血も飛ぶし」
呆然とした私の前で、セドリック師は立ち上がります。
右手首から血を垂らしながら、左手でポケットを探り、ハンカチを取り出しました。
「ちょっと、ここ、押さえててくれへん?」
「は……は、い」
セドリック師に言われるまま、私は止血の手伝いをしました。
震える指先でしたが、セドリック師のお役には立てたようです。
「ありがとう。もうええで」
にっこり笑ってそうおっしゃるのですが……。
その眼鏡も血で……!
「術が返ってきたねん。あー、もうほんま最悪。こんなんわりにあわんわ」
セドリック師はぶつぶつ言いながら椅子にお座りになりました。
「あ、あの……。医師を呼びましょうか?」
「ん? あー、いや。あとで自分でなんとかする。あんたのそれと一緒で、普通の医者に診せてもあかんから」
セドリック師は笑って、私の身体を指さしました。
「……それ、とは……。この、おなかの……?」
腫瘍のことでしょうか。セドリック師は頷かれます。
「それ、呪いや。だから日ごと〝悪意〟で大きくなる。あとでちょっと良く診せてほしいけど。ふたりっきりのときに、女性の身体にふれるわけにはいかんからな。レインバードがおるときにでも……あ。そういえば、あの坊、いまごろ何してんやろ」
眼鏡をはずし、血の汚れを上着でぬぐいながらセドリック師はおっしゃいます。……聖職者の制服が黒色で……本当にようございました。
「なあ、その指輪」
「え?」
いえ、よかったのでしょうか。私がなにか違う布をお出しすべきだったかしら、と目まぐるしく考えていましたら、セドリック師が私の右手を指さしておられます。
「ああ……このペアリングですか?」
「せやんな? それ、レインバードと揃いやんな?」
「ええ」
「ちょっと貸してくれん?」
「もちろんです」
私は右手から指輪を外したのですが……。
確かお兄様からいただいたときは、きゅっと指にぴったりはまっていた記憶があります。
ですがいまでは……。
するすると回り、指を下に向けただけで手のひらに落ちました。
「……どうぞ」
何とも言えない気持ちでセドリック師に差し出しました。
師はそれを受け取り、握りこみます。
そしてなにやら詠唱をなさいました。
私にはわからない……古語のようなものです。
目をつむり、ロザリオの珠をたぐり……。
そして目を開きました。
「レインバードたちの姿が見えた。こっちに向かってんな」
「こっち、とは……この屋敷のことですか?」
「そや」
よいしょ、とセドリック師は立ち上がります。
「これ幸いや。立て直そう」
その言葉は、廊下から聞こえてくるいくつもの足音に消されます。
「ローゼ!」
そして飛び込んできたお母様に抱きしめられます。
「目が覚めたんですって⁉ さあ、よく顔を見せて頂戴!」
お母様は私の顔を両手で包むと、涙ながらに何度もよかったと繰り返されます。
その姿を見ると……。私までつい目が潤みました。
「身体を起こしても大丈夫なのかね? 寝ていてもよいのだよ?」
その後ろからは心配げなお父様が現れました。
お父様についてきたのか、執事のひとりがメイドに「どうして寝かせていないのだ」と叱りつけるので私は慌てました。
「とても気分がいいのです。セドリック師とお兄様のおかげです」
すん、と洟を鳴らして慌ててとりなします。
「この度は本当に……なんとお礼を言っていいか。かような奇跡を起こしていただき、感謝しかありません」
お父様は振り返り、所在なさげな様子のセドリック師に対して両手を広げられました。
「娘が起きて言葉を発するなど……! この数か月、なかったことです! これが呪術医の腕前というものなのですね! 素晴らしい」
ハグを、ということなのでしょうが。
セドリック師は大層困ったように眉をハの字に下げて首を横に振られました。
「いや、まだなんもしてへんというか……。初手はうまくいったもんの次手で失敗はしたんで……」
「そうなのですか?」
ハグを拒否されたというのにお父様は別に気にする風でもなく。
むしろ「失敗」という言葉に少しだけ顔を曇らせました。
「いま、坊……レインバードくんがルシウス卿を連れて戻ってきてる最中みたいやから……それを待って対策を講じようと思とります」
「おお、レインバードがルシウス卿を連れて?」
「では、あなたの全快も近いわね」
お母さまはベッドに座って私の手を握ります。うんうん、とうなずきながらまるで動く気配はございません。
「あの、想像しているよりも根が深いんですわ」
セドリック師は眼鏡をはずし、ツルをもてあそびながら口をへの字に曲げられました。
「お嬢さんの体力も……これ、坊の生命力を一時的に移動させただけやから、そうそう続くもんやありません。すぐに気力が尽きて明後日には元通りになることが予想されます」
「そんな……」
お母様の顔が青ざめました。
「やからまず、お嬢さんの体力回復のために、腹の腫瘍を切開したいんです」
「腫瘍を……切開?」
お父様が眉根を寄せて困惑されました。私は片手をお母様に握られたまま、自分でおなかの右側を触ってみます。
そこには相変わらず、ぶよぶよとした感触のはれものがありました。
「呪詛はそこに巣くっとります。それを身体から引きはがすと、たぶん悪夢はもう見ない。ゆっくり眠れたら体力も回復するし、なにより悪鬼が身体に宿ることができへん。身体に入りこめへん悪鬼はこの屋敷をうろつくしかあらへん。そこをルシウス卿に退治してもらいます」
「おお、なるほど。では至急、準備が必要なものがあれば対処を」
お父様はうなずき、執事たちを呼び寄せましたが、「あなた!」とお母様が悲痛な声を上げられました。
「切開など……! そのように危ないことをこの子に⁉ それに切り開くとなると……身体に傷が残るのでは⁉」
「切るいうても、こんぐらいですよ?」
セドリック師は再び眼鏡を装着し、親指と人差し指で長さを示してくださいました。
小指ほどの長さでしょうか。
「きれいに処置したら目立たへんでしょうし。痛みは飲み薬で調整します。気力についても、坊が来るんやったら、そっちからもらってお嬢さんにうつしましょう。このふたり、双子みたいに互換性があるからなぁ、便利や。まあ……その霊媒体質がちょっと問題でもあるんやけど」
セドリック師はなんでもないことのようにおっしゃいます。
お父様はずいぶんと乗り気のようですが、お母様はまだ迷っておられるようでした。
「まだ嫁入り前ですのに……そんな。もし傷でも……」
そう言って黙り込まれてしまいます。
嫁入り前。
なんだかそれを私は遠いことのように思いました。
寝付いて……もう何年でしょうか。
14歳の頃からですから、5年。
「実は王子妃候補にあがっているのだよ」とお父様が興奮しながらお話になったことはもう……十年以上前のことのように思います。
その後、そんな話は立ち消えし、きっと今でも私に縁談などないでしょう。
知らずに視線は下に落ちます。
見えるのは、枯れ枝のような指。
水気の無い肌。
こんな状態の私を……誰が「妻に」と望むでしょうか。
ですが。
ふと心に浮かんだのはなぜだかルシウスでした。
「私は……受けて見ようとおもいます」
ついそんな言葉が唇から洩れました。
彼にもう一度会いたい。
そう思ったのです。
生きたい、ではありません。
彼に会いたい。
隣にいたいなどと望みません。
お話ができれば、と高望みもしません。
ただ、自分の足で立って歩き、彼を遠くから見るだけでいいのです。
お兄様の身体を通して、ではなく。
自分の目で、もう一度彼を見てみたいと。
そう思ったのです。




