12話 術が破れた
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「ローゼリアン……? ローゼリアン!」
いきなり目の前でくずおれていく身体を、すんでのところで受け止める。
軽く揺さぶってみるが、反応がない。
軍人とは思えないほど細くて白いレインバード。
いまはまるで糸の切れた操り人形のようだ。
俺が大きな声を上げたり、抜刀したからかもしれん。
遠巻きに人が集まり始めた。
しかたなくレインの身体を横抱きにした。なんだか遠くの方から「きゃあ♡」という声が聞こえたが、この際無視だ。というよりあの娼婦たち、まだ俺たちの様子をうかがっていたのか。
官舎に戻ろうかとも考えたが、この状態で戻るとまた騒ぎが起こりそうだ。
まったくレインはややこしいことを!
俺は心の中で幾通りもの罵りを吐きながら、公園へと向かった。
噴水がある地点とは別方向だ。
木立の奥にベンチがいくつかあるはずだと思いだしたのだ。
……まあ、主に男女が逢瀬に使う場所なのだが。
まったく忌々しいと思いながらも、人目を避けて足早に向かう。
あった。
冬ならば「鬱蒼とした」という表現になるだろうが、この時期であれば木漏れ日が入り、日陰もあいまって過ごしやすい。
夜ならばどのベンチもいっぱいなのだろうが、朝のこの時間はガラガラだった。
手近なベンチにレインを横たえ、軽く頬を叩く。
本当は引っ張たたきたいが……いまの中身はローゼリアンだ。
「ローゼリアン? おい、大丈夫か? ローゼリアン」
弛緩した身体に変化はない。
なんだか徐々に不安になってきた。
死んだ……んではあるまいな。
そっと顔を近づけると、呼吸はしている。
軍服越しにもわかる薄い胸も上下しているから大丈夫だとは思うが……。
「夢……を見ている、とか」
つい言葉が漏れた。
ローゼリアンは悪夢の中で悪鬼に追われているといっていた。
それが顕在化し、襲い掛かってきたわけだが……。
まさか夢の中で今、また襲われているんじゃあ……。
そう思ったら居ても立ってもいられない。
「ローゼリアン!」
悪い、と心の中で詫び、強めに一発、頬を張った。
「いったああああああああ!」
途端に跳ね上がるようにして目覚めたのでほっとしたのだが。
「え⁉ ルシウス! な、なんでこんなことに⁉」
真っ赤になった片頬をさすり、ベンチから足をおろす。
その言動や動作の違和感に気づく。
「お前……レイン……か」
「そうだよ! どうして……どうして術が⁉」
レインは自分の手をまじまじと見つめる。そしてやにわに顔を上げて、柳眉を寄せた。
「ぼくをぶったね」
「非常事態だから仕方なかろう」
「その衝撃で術が解けたんじゃないの⁉」
「そんな微妙なものなのか?」
「わかんないよ、そんなこと! なにがあったの! ってかなんでローゼをぶつようなことをしたのさ!」
言うなり、やつにしては珍しく怒気を発して俺をにらみつけてきた。
「君に限ってそんなことはないと思っていたけど……。まさか、ローゼに悪さをしようとしたんじゃないよね」
「は………?」
意外過ぎてというか。
まったく全然思いもよらなかったところからの指摘に、本当に「は?」しか言えなかった。
「なんで官舎じゃないわけ。なんでこんな人気のないところに連れ込んだわけ。なんでぼくを……というか、ローゼを殴ったわけ⁉ それってさあ、不埒なことをしようと思ったんじゃないの⁉ 力づくでものにしようとしたとか!」
「バカなことを言うな!」
「ことと次第によっては、ルシウスでもガス攻めにして殺すよ? そのあと切り刻んで、肉片も骨片もみつからないように王水で溶かしてやる!」
脅し方が一種独特だ……。
「中身はローゼリアンだとしても、外見はお前なのに襲うわけはないだろう!」
「中身がローゼなんだよ⁉ その可愛さはあふれでんばかりだったしょうね!」
「だとしても、だ! 婦女子相手に暴力などふるわん!」
「……だとしても?」
勢いのまま言ってしまい、その言葉尻をとらえられた。
じっとりとした視線でにらまれ、俺は急いで言葉を継ぐ。
「魂が入れ替わってしまって困惑している彼女が官舎から飛び出したんだ! なだめている姿を見られていらぬ噂が……。その、俺とお前が念弟の仲だ、と」
「なんとまあ」
「それで仕方なく、屋台で朝食をとることになった」
「ああ、あそこの」
「その帰りに、ローゼリアンが噴水を見たいというのでこっちに向かっていたら」
「可愛すぎて手を出そうと」
「違う! 悪鬼が出たんだ!」
「悪鬼!」
レインが声を上げる。
その表情から、ようやく俺に対する疑惑疑念妄想が消えていた。
やれやれと俺は一息つく。
「やったのか⁉ 殺したのか!」
レインが詰め寄る。
あ、と俺もようやく気づいた。
入れ替わる。
それは。
悪鬼退治が成功した、ということではないのか。
だが……。
「いや……腕……だけ、だった」
固唾をのんでいるレインに、俺は見たままを伝えた。
ローゼリアンが不意に何度か立ち止まったこと。
どうしたのか、と声をかけると、助けを求めるように両手を伸ばしたこと。
察して引き寄せると、真っ黒な腕が彼女をつかもうとしていたこと。
とっさにその腕を切り落としたこと。
その腕は霧散したが、コールタールを踏んだような足跡が彼女を追って続いていたこと。
「……あれで……退治した、とは……俺はおもえんが」
正直にそう告げると、レインは顎をつまみ黙考した。
「ルシウス」
レインが顔を起こした。
「なんだ」
「予定通り5日間休暇をとってくれているのかい?」
「ああ」
「ならば、もう少しぼくにつきあってくれないか?」
「それは……かまわない」
ローゼリアンのことが気になるから、とはさすがに言えなかった。
「だが、どうする?」
「実家に帰る」
「実家?」
即答するレインに俺は目を丸くする。
チャリオット伯爵家に、ということか。
「ぼくの身体ではローゼリアンに手出ししにくいと悪鬼も思ったのかも。だから術を破った。……そう、これは破られたんだ。まったくセドリック師め!」
レインは舌打ちすると、俺の手をつかんだ。
「行こう、ルシウス! ローゼリアンが危ない!」
こうして。
俺たちはすぐにチャリオット伯爵家に向かうこととなった。




