11話 夢じゃない、それは出現した
「ローゼリアン」
足を止めました。
いえ。
正しくは凍り付いたのです。
足が。いえ。体中が動きません。
ひたひたひた。
足音が聞こえてきます。
さっきまで聞こえていた陽気なアコーディオンも、軽やかなフルートの音も消え失せました。川面を走る風さえやみました。
ひたひたひた。
たくさんの人がいるはずなのに。
露店からもそんなに離れていないのに。
それなのに、どうしてこんなに。
ひたひたひた。
足音がはっきりと聞こえるの。
まとわりついてくるの?
「ローゼリアン?」
ハッとしました。
視線を向けると、少し先に進んだルシウスが振り返っています。
私は必死になって、両腕を彼に向かってのばします。
ですが。
ゆっくりとしか動けないのです。
まるで夢の中のようだ、とそのぎこちなさに焦りました。
そうです。
どうして気づかなかったのでしょう。
あの足音。
この凍り付く感覚。
悪夢そのものではありませんか。
「ローゼリアン」
私の名を呼ぶ。
この声。
これはあの。
悪鬼ではないのでしょうか。
「ローゼリアン!」
不意に右手を引っ張られ、私は前のめりにルシウスの胸に飛び込みます。
彼は私を抱き留め、そのまま数歩下がりました。私はというと、もう動けず、ただ人形のようにじっとしています。
しゅん、となにかが走る音がしました。
ルシウスの背中にしがみついたまま、顔を起こします。首をねじりました。
彼が抜刀したのだと知ります。
そして悲鳴を上げます。
というのも。
私に手を伸ばそうと、真っ黒な腕が伸びてきていたからです。
怖くて目を閉じようとする刹那。
光がきらめきました。
朝日のような透明度で、真夏のように力強い光。
それはルシウスの剣が陽光を反射し、真っ黒な腕を一閃したものでした。
どすり、と。
重い音をたてて腕は地面に落ちます。
血がしたたるわけでもなく、肉が散るわけでもありません。
それは陽の光に晒されると、あえなく黒靄に姿を変えて消滅いたしました。
「悪鬼……」
私はかすれた声で言います。
「の、ようだな。結構つけられていたらしい。しくじったな」
ふと。
ルシウスがなにかを凝視していることに気づきました。
私は彼に抱き着く腕を緩め、おそるおそる振り返ります。
そしてぎょっといたしました。
舗装された道路。
そこに点々と残されたのは、コールタールのように真っ黒な足跡。
それはどこからともなく現れ、そして私の真後ろでぴたりと止まっていたのです。
「意外に居場所を知られるのも早かったな」
ルシウスが鞘に剣をおさめ、ぽつりとそんなことを言います。
私は震えが止まりません。
「……本当に悪鬼が……」
あれは夢ではなかった。
本当に呪詛だった。
「ローゼリアン……? ローゼリアン!」
私は呪われていたのだ。
そんなことを思いながら、意識を失いました。




