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第68話 要塞から見た朝日 1

 暗く殺風景な牢獄で、浅い呼吸を繰り返し、おぼろげな意識を繋ぎ止める。

 どれだけ時間が経ったのか、判然としない。気の遠くなるような時間が経ったような気もするし、まだ牢にぶち込まれたばかりであるような気もする。


 あの戦いから、どれくらい経ったのだろう。


 たった一人、無機質な石牢の中で項垂れるのは、緑髪の男、ヴェルデだ。

 

 北門に位置する要塞――反乱軍の重要拠点だったこの要塞は、すでに帝国軍によって占拠され、その牢獄にヴェルデは囚われていた。


 ――もう初めてではないが、一人っきりの牢獄というものは、やはり慣れない。


 石壁の隙間から微かに差し込む月明かり。

 その冷たい光に顔を上げて、ヴェルデは仲間達のことを考えた。ここにはいない、仲間達のことを。

 ――古城にいるはずのユリアナ様は、無事にしているだろうか。

 ――重役を受け負ったフィロンは、任務を果たし、生きているのだろうか。

 

 そして――ミアは……。

 自身と共に要塞に配属されていた、吸血鬼族の少女。

 生意気で、棘のある物言いで、人族を見下す典型的な亜種族。初対面から反りが合わなかった。


 ――それなのに、なぜ。最後の瞬間、俺はあいつを守ろうとしたんだ?


 ――ミア様は、どうなった? ……生きているのか? ……そもそも、ライトに相対したはずの俺はなぜ、生きている? ……生かされた、のか?


 ヴェルデは一人、牢獄の中で問いかける。

 しかし当然ながら、答えてくれる者はいない。


 仕方なく、彼は先刻の出来事を追想する。


 **


 数刻前のことだった。

 ヴェルデとミアは、この要塞で元将軍ライトの襲撃の報告を受けた。

 そしてミアは複雑な思いを抱えながら、ライトの待つ戦場へと降りることになった。


 彼女には、かつて友達だった人族の少女がいた。セレスティアという、奴隷の少女。

 セレスティアは、ライトの英雄譚に憧れていた。

 ミアもまた、ライトの物語が好きだった。


 強い者が、種族を超えて、正しく道を拓く世界。ライトの英雄譚のような世界。

 それが、友を失ったミアの望んだ世界だ。


 その世界を実現するため、ミアは戦場へと降りたのだ。


 **


 戦場で、ライトは敵陣からまっすぐに駆けてくる一人の影を見た。黒く靡く、長い髪……そして、翼。

 その影は、ライトの正面で立ち止まる。

 髪がさらりと落ちて、露わになる顔――それは戦場には似つかわしくない可憐な少女だった。


 しかし、ライトが息を呑んだのは、大柄の兵士たちが入り乱れる中での少女の異質さだけが理由ではなかった。


「……サキ? いや、別人か」


 ライトは自身が育て、旅立ちを見送った少女の名を呼んだ。だが、すぐに別人であることに気がつく。

 彼のかすれた呟きに、ミアは目を見開く。

 夜に溶けるような吸血鬼族の少女は、戦場の闇の中に立ち尽くす。


「……。私を見て、その名を呟くのね」


 そして、ミアはすべてを見透かしてしまった、切ない笑みを溢した。

 ――吸血鬼族の古城から逃げ出したセレスティアが向かった先……セレスティアが娘を託した相手。それは――。

 胸焼けがするような思いが交錯し、ミアの心臓が大きく脈打つ。

 ミアは拳を握った。

 その感情を映すように、ミアの体の内では、吸血鬼族の象徴たる血が、熱く渦巻いていた。


「……運命とはなかなか面白いことをしてくれるわね。……そう思わない?」


 能力で纏っていた血を操作して弓を生成しながら、まっすぐにライトを見据える。


「――ねえ、建国の英雄ライト」

 

 そして、ミアは毒々しい笑みを溢す。刺すように向けられたそれに、この娘はやはりサキとは別人であるとライトは認識する。


「俺と知っていて、立ちはだかるのか。……覚悟の上だろうな」


 先手必勝の戦場において、悠長に弓を構えるミアに対し、ライトがこの確認をした理由。

 それは、ミアがサキとよく似た少女の見た目をしていたことだけではない。

 

 棘のある表情の下、ミアの瞳の奥に悲しみを見たからだ。

 ――かつて、ミアは夜な夜なセレスティアの檻を訪れ、ライトの英雄譚を語った。

 セレスティアは、いつもミアの話を目を輝かせて聞いていた。

 二人は、物語の中の英雄に、夢を見ていた。

 その記憶が、彼女に淡い憧憬と、その終焉を感じさせた。


「……もちろん、覚悟の上よ。……まさか、私の殺気を感じ取ることができないわけではないでしょう? それとも、いくら英雄でも、老いには勝てないのかしら?」

 

 現実の存在として相対した英雄に投げかけるのは、挑発の言葉。だが、ミアの胸の奥では別の声が響いていた。


 強い者が正しく道を拓く――そんな世界を、私たちは夢見ていた。信じていた。

 だが、現実は理不尽だった。

 帝国にあるのは、種族と血だけで人を測る歪んだ秩序。

 ……セレスティアは、その中で死んだ


 だから、ミアは望んだ。

 ライトが物語で示したような世界を。

 

 ライトはただ、沈んだ瞳でミアを見返す。

 一瞬だけ遅れて、ミアはライトの重心が沈んでいることに気がつく。重さと静けさが、その背にのしかかっていた。


「……老いか。確かに、髪は白く染まり切り、目も昔ほど利かん。だが、お前はまだ若すぎる」


 闇の中に溶け込んだミアを、ライトの目は薄らと写し出す。そして、自嘲を含んだ静かな嘲りを溢した。


「純血の吸血鬼族――見た目では年は読めんが、大陸戦争の頃にはまだ生まれていなかったらしいな」


 筋肉が軋む音。次の瞬間――空気が唸りを上げた。轟音と共に、地面に亀裂が走り、砂塵が爆発的に舞い上がる。

 雷鳴のような一歩。英雄が、踏み込む。


 ――ミアの本能が、警鐘を鳴らす。

 同時にミアは地を蹴り、後方に跳躍。直後、槍が彼女のいた空間を裂き、地面に突き刺さる。着地する間もなく、ミアは羽ばたき、背後に深く広がる闇に身を沈めた。

 

 確かにミアは、戦争の後に生まれた。

 ライトの物語を、伝聞でしか知らない世代。

 語り継がれた御伽話を聞かされた世代だ。

 ……だが。


「――それが、どうしたというのかしら?」


 闇の中から、ミアの忌々し気な声が響く。


「……あなたは、戦いを放棄した。腐った帝国を、そのままにして、隠居した……!」


 暗闇に、紅の閃光が奔る。

 ライトはそれを腕で軽く払い除けた。


「あの英雄譚のあなたはどこへ行ったの!? ……大陸戦争の記憶が無いのは、あなたの方ではないの……!?」


 ライトの英雄譚を胸に、ミアは溢れる感情を叫んだ。


「俺は亜種族の殺し方を知っている。腐るほど、戦場で試してきた。……それを忘れはしない」


 一方、ライトは闇の中から繰り出されるミアの遠隔攻撃をものともせず、淡々と告げる。


「……久々に戦場に立ち、実感する。俺はずっと戦場に立ってきた。多少老いようとも、隠居しようとも、戦場で敵を殺すことこそが俺の本領らしい」


 無感情だった。言葉に怒りも、激情もない。ただ、当然のように語る。


 ミアが装飾のように纏っていた血が、弓に収束していく。ミアは、体の内側で何かが連続して千切れるような音を聞いた。

 弓の次に、矢が形を成していく――はじめ深紅だった血は一点に凝縮され、黒に近い赤へと変貌していた。


「それなら、殺してみるがいいわ! その手で、私を……!」


 かつて、ライトが示したはずだった。種族なんて関係ない。強さと意志があれば、道は拓けると。

 ――だが、今の帝国は血統と種族に縛られている。


 ミアは、血の滴る矢をとめどなく放つ。


 吸血鬼族の血液操作は、感情の昂りと共にその真価を発揮する。

 怒り、悲しみ、憎しみ――そして、希望。


 上昇を続ける血の矢。それは夜空を背に、弾ける。無数に分裂を繰り返し、やがて、赤い軌跡が空を埋め尽くす。

 そして、紅い雨が降り注ぐ。

 

 ――これが、私の世界。一人の力が、無限の可能性に広がる。種族なんて関係なく、強さだけが、未来を切り拓く。


 ライトは動かない。

 槍が、回る。

 一閃。


 最初の一本が弾かれる。二本目。三本目。金属音が連鎖し、火花が散るように赤い飛沫が舞う。

 槍が描く円が、降り注ぐ矢の雨をすべて――すべて叩き落とす。

 最後の一本まで。


 静寂。

 

 次の瞬間、槍の矛先が低い軌道で迫る。

 足元を狙った刺突――速い。

 ミアは咄嗟に血の盾を湧き上がらせる。

 だが。

 ドバン――盾は破られ、槍がそのまま突き進んでくる。


「……っ!」


 ミアは横に飛ぶ。斬圧が頬をかすめ、血が飛ぶ。

 体勢を崩したミアに対し、ライトはもう一度身を沈める。

 息が詰まる。ライトが見据える先だけ、空気の流れが止まったかのようだった。


「……お前はまだ若い。殺すには惜しい」


 だが、ライトはそう言い、掲げていた槍を下げる。


「……お前を見ていると、サキを思い出してしまう」


 ライトが口に出したその名前に、ミアの手が震えた。

 ――サキ。あの半吸血鬼の名を、そんなに優しく呼ぶのね。


「物語の中の、修羅のようなあなたとは、まるで別人だわ。……その子のせいかしら?」


 ミアは笑みが解けた顔で、視線を彷徨わせながら言う。声は裏返っていた。

 ライトは抑えた声で言葉を落とす。


「サキは、俺の娘として育てた。……あの子は、俺にとってかけがえのない存在だった」


「……かけがえのない……?」


 その言葉を、ミアは甲高い声を少しだけ低めて反芻した。

 

 ――次の瞬間。

 血が、ミアの肢体の皮膚を裂いて飛び出す。彼女の心に応えた血潮が、爆発的に膨れ上がっていく。

 ミアの周囲に、無数の血の刃が浮かび上がった。


「それなら……!」


 一転して、ミアの声が、悲鳴のように高くなる。


「なぜ、その子の母親のことを調べなかったの? なぜ、セレスティアがどんな想いで生き、死んだのか……知ろうとしなかったの……!?」

 

 ライトの眉が、わずかに動いた。


「セレスティア? 誰だ、それは」


 その言葉に、ミアは血が逆流するような感覚を覚えた。


 次第に数を増していく血の刃が、ライトを囲むようにゆっくりと浮遊する。


「教えてあげるわ」


 ミアの声が、低く響く。

 

「セレスティアは……あの半吸血鬼――サキの、母親よ」


 その瞬間。ライトの目が見開かれた。無駄なく構えられた槍に、一瞬だけ力が入る。

 

「……サキの、母親……?」

 

「ええ。あなたに憧れていた、人族の、奴隷だった子。そして、半吸血鬼の母親……それが、セレスティア」


 ミアは淡々と、しかし毒を含んだ声で続けた。

 

「あの子は、あなたの英雄譚が好きだった。私に何度も、何度も聞いてきたわ。『ライト将軍は、何のために戦ったのでしょう』って」

 

 ライトの口元が、硬く引き結ばれる。


 ライトは、槍を構えたまま動かない。ミアの言葉を遮ることは、しようとしなかった。

 ――この少女の言葉は、聞かねばならない。

 そう判断しているようだった。

 

「……私は答えたの。『誇りのため、かしらね』って」

 

 ミアの瞳に、冷たい光が宿った。

 

「……でも、違ったのね。あなたには、そんなものは無かった」


 血の刃が一斉にライトに向かって飛ぶ。

 ライトは槍を振るった。

 だが――その動きに、先ほどまでとは違う、わずかな乱れがあった。

 数本の刃が、ライトの防御を掻い潜る。肢体に、浅い傷が刻まれた。

 ミアは、その光景を見て、静かに笑った。

 

「……動揺しているのね。ライト」


 ライトは答えない。その沈黙が、すべてを物語っていた。


 ミアは、追撃するように言葉を重ねる。重ねずにはいられなかった。


「あなたは、知らなかった。自分が育てた娘の母親が、どんな人だったのか」


 そして、目を見開き、断ずる。


「……無知は、罪よ」


 体中の血が、一点に集まっていく。

 

「あなたは聞くべきなのよ。自分が育てた娘の、母親のことを」


 ミアが血でライトを包囲していく。ライトは、その状況を放置して、ただ立ち尽くしていた。


「私はね、ずっと思っていたのよ。セレスティアが死んだのは、誰のせいなのかって」


 弓が形を変える。

 巨大な、槍のような矢。


「帝国のせい? 吸血鬼族のせい? それとも……私のせい?」


 ミアの心を模した血潮が赤黒く渦巻き、空気を震わせる。


「でもね――」


 ミアの声が、感情を帯びて揺れた。


「あなたが、何も考えずに戦争を終わらせて。何も考えずに、この帝国を作ったのだとしたら」


 矢が、ライトに向けられる。


「あの子が苦しんだのも、死んだのも――全部、あなたのせいじゃない!」


 ミアの声が痛烈に上擦った。


「あなたには、せめて……! あの子が、どんな想いであなたに憧れていたか……知っていて欲しかった……!」


 巨大な血の矢が、空気を震わせながら放たれる。

 ライトは、槍を両手で構えた。


 その顔には――後悔のようなものが、浮かんでいた。


 矢と槍が激突する。

 衝撃波が広がり、遠巻きに戦いを眺めていた兵士たちが吹き飛ばされた。


 ミアの瞳が大きく揺れる。


 止められた。私の全てを込めた矢が……。

 力が抜けそうになる。膝が震える。


 だが――。


「私は、認めない」

 

 焼け付くような衝動と血が、再びミアの体を包む。


 絶望の淵で、なお立ち上がる意志――その純粋な情熱が、ミアの血に力を与えた。


「あの子が救われない世界なんて、認めないわ」


 本心を吐露する。

 

 ミアの体から、血の翼が広がる。

 黒い翼と重なり、巨大な影を作る。


「……だから、私が、変えるのよ……」


 黒い熱に灼かれたミアの瞳が、炎のように輝く。


「今一度問うわ、ライト。……あなたは、何のために戦ったの?」


 ――教えて。セレスティアが……私達が、憧れていた英雄。

 ――あなたが戦った意味は、何?


「私……この帝国で生きていては……血も、意思も、生きる意味も――何もかも、満たされないのよ」


 ――あなたの物語が示してくれた道も、今は見えない。

 ミアの揺れる瞳に見つめられ、ライトは静かに口を開く。


「……俺も、世界を憎んでいた」


 その言葉に、ミアは怪訝に目を細める。

 ――……憎む?


「……違うわ」


 ミアは、自身の気持ちを心の内に問い直す。……ミアが望むのは、正しく道が拓ける世界。

 その気持ちは未来を望むものだ。


「だが、憎むことしかできない俺でも、せめて終わらせることはできる。そのために、俺は戦った」


 ミアの否定に目を伏せ、ライトは続けた。


「終わらせる……? ……ねえ、あなたはすべてを終わらせたつもりでいるの?」


 ミアはその真意を見極めかねたまま、震える声で問う。


「こんな歪んだ世界が、完成形だと……そう言うの?」


 その一言に、ライトの目に何かが宿った。それが何なのか、ミアには分からなかった。


「分からなかった。……だが、俺は、目を逸らし続けてきたことと向き合うため、都に戻ってきた」


「……そう」


 諦めの吐息をこぼし、ミアは、血の翼で羽ばたく。

 無数の羽が、刃となってライトに降り注ぐ。


 ライトは槍を振るう。

 一つ一つ、正確に叩き落としていく。


 だが、ミアは止まらない。

 さらに矢を放つ。血の刃を飛ばす。


 ――今はもう、何も考えられない。

 ただ、この怒りを、悲しみを、ぶつけるだけ。……それを、ライトが受け止めてくれることなどは、もう期待しない。


「私は、認めないわ。この帝国の、すべてを……」


 力を振り絞り、ミアは叫ぶ。

 血の翼が、巨大な刃となってライトに迫る。


 ライトは、槍を構えた。


「……お前の事情は理解した。……だが――」


 短く呟き、槍を振り下ろす。

 血の翼が真正面から打ち砕かれ、ミアは体ごと地面に叩きつけられた。


「……っ!」


 衝撃。背骨に響く鈍い音。視界が白く弾ける。何かが砕ける――それが自分の骨だと気づくのに、一拍遅れた。

 血が喉へと込み上げる。呼吸ができない。膝から、崩れ落ちる。

 血を攻撃に使い過ぎていた。

 回復が、追いつかない。


 ライトは槍を構えたまま、倒れたミアを見下ろしている。

 その目には、憐れみのようなものが浮かんでいた。それは、誰に向けられたものなのか。


「……お前の言う世界は、俺が目指した世界ではない」


 紡がれた言葉に、ミアの目が見開かれ、大気中に漂う血が震える。


「……もう、聞き飽きたわ……!」


「俺は、大陸戦争を終わらせるために戦っただけだ。お前のいうような血生臭い世界など、望んだことはない」


 ライトの声は、静かで、重たかった。


「お前は、俺に夢を見すぎた。……俺はただ、戦争と不条理を終わらせたかった。……強い者が正しく道を拓く世界――そんなものは、俺の理想なんかではなかった」


 英雄譚に胸を弾ませていた、かつての自分と、今は亡き友の幼さ。

 そして、いつまでもそれを忘れられずに、心の拠り所として理想化していたライトの存在。

 現実のライトの言葉を裏切りと感じてしまう、悲しいほどに愚かしく、幼いままな自分自身の夢。


 それらすべてを見つめ直したミアの瞳から、熱い雫が溢れる。彼女が纏う毒々しい闇が溶け、芯の情熱が滲み出ていた。


 だが――。

 涙を拭うこともせず、倒れ込んだままの彼女は、ゆっくりと顔を上げた。


「……そう。本当に、ふざけたことばかり言うのね」


 そして、身体に流れる血を無理やり加速させ、立ち上がる。

 すべての想いを受け止めた上で、棘のある笑みを浮かべた。


 ――ずっと手放せずにいたライトへの憧れを、今、手放す。

 

 戦う意志で再び、いつもの闇を身に纏う。血を吐きながらも、毒々しく笑っていた。


「貴方が、何も考えていなかったというのならば――……この帝国は……セレスティアが苦しんだのは、全部……!!」


 甲高い声に怒りを乗せ、禍々しいほどの声音が溢れる。


 ミアの叫びに応えるかのように、周囲に散らばった彼女の血が、地面から無理やりに這い出て、矢を型取り、ライトへ向かう。


 最後の抵抗。だが、もう満足な力は残っていなかった。

 

 ライトは静かに槍を振り上げる。


「その抵抗も、力が無ければ無意味。……それが、お前の望んだ世界なのだろう?」


 そのライトの言葉は、ミアの望んだ世界を理解しているようだった。

 ミアは一瞬、息を呑む。


「……せめて、苦しまずに終わらせてやる」


 散々理想を裏切った末、今さら示された理解。

 ミアは意表を突かれ、一瞬だけ困惑を浮かべる。


「……ふっ――」

 

 ――そうね。この戦場という舞台では、誰も彼も、理想を掲げて散っていく。最後まで、己を貫き通して。


 ミアには、ライトが、自身を理想の世界で殺そうとしてくれているように感じられた。

 

 ――ならば、応じましょう。

 彼女の望む世界の、苛烈な作法に則って――第二回戦(ラウンド)は幕を開ける。


「……私は、最後まで私の意志を貫き通すまでよ……!」


 一方的に殺されてやるつもりは、皆目ない。

 距離は詰められている。

 だが、純血の吸血鬼族の回復力を最大限に引き出せば、ライト相手でも接近戦で戦え得る。

 ……そう考えるしか、ない。

 ――全身全霊、生身でぶつかり合うしかなさそうね。

 ミアの血が、彼女の全身を覆い、一層華美な装飾(ドレス)へと形を変える。

 血が織りなす装飾が、月明かりを浴びて禍々しく輝く。


 **


 ミアが、血を纏って立ち上がる。

 ライトの槍が、静かに構えられる。

 

 その光景を、ヴェルデは要塞の最上階から見ていた。


 ――逃げるべきだ。

 ヴェルデは冷静にそう判断した。ここで死んでも、何の意味もない。


 彼の脳裏には、ユリアナの顔が浮かんでいた。

 純真な皇女。自分が巻き込んでしまった、守るべき人。

 ――彼女さえいれば、俺はいくらでも立ち直れる。

 

 ――頭では、そう理解していたはずだった。


 だが、眼下の戦場で、ミアが血を纏って立ち上がる姿が見えた。

 あの生意気な吸血鬼が、たった一人で、英雄と戦っている。

 ――それなのに。……俺は、本当にそれでいいのか?


「……くそ」


 気づいたときには、ヴェルデは冷たい石の階段を駆け下りていた。


 理由なんか分からない。

 論理も、打算も、全部どこかに置いてきてしまった。

 ただ――。


 ――あの生意気な吸血鬼を、このまま死なせるわけにはいかない。


 その思いだけが、彼を突き動かしていた。


「ミア!」


 叫びが、血の雨に混乱する戦場に響いた。

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