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第61話 新たな問いと、呪縛の言葉 前

 あの噴水での戦いの後。

 それぞれの目的を果たすため、私たちは静まり返った城の奥へと進んでいる。

 壁には無惨な刀傷が走り、床には瓦礫が散らばっている。これはソニアの炎の影響だけではない。激しい戦いの痕跡だ。

 ……私たち以外にも城の中まで戦いが及んでいたのかもしれない。


 あれから、移動しながらだが、ソニアはこれまでの経緯を語ってくれた。

 

 彼女が囚われていた地下牢にミラクが現れたことから、異変は始まったのだと言う。

 ミラクは重傷を負いながらも城の警護を任されていた鋼鬼四天のカティアを殺し、カティアが持っていた鍵を奪った。その後、ソニアはミラクの幻術により、ラキを殺すように命令を与えられたのだ。

 

「ミラクが何のためにそんな危険を冒したのか謎だな。目的が俺を殺すことならば、奴が直接出向くという選択肢もあったはずだ」


 ラキが言う。

 なぜミラクはわざわざ鋼鬼四天という帝国の中でも指折りの実力者を倒し、さらにソニアに幻術をかける方法を選んだのか。それが腑に落ちないらしい。


 ソニアは「彼には彼なりのこだわりがあるんですわ、きっと。あの男はそのために暗殺部隊を抜けた気狂いですもの」と、どこか諦めたような声で話を続けた。


「ミラクに幻術をかけられた後、私は幻獣型の殲獣――火鼠(かそ)と鳳凰の生き血を混ぜた秘薬を飲まされましたの。

 殲獣の身体を食するという、最も原始的にして危険、そして強大な魔術――それを複数の亜種族の固有能力でさらに強化した秘術ですわ」


 火の殲獣たちの血を無理やり流し込まれたとき、拷問でぼろぼろだった彼女の肉体は、たちどころに癒えたという。

 

 ただし、傷が癒えたのは能力を手にしたときだけで、新たに回復能力が備わったわけではない。

 炎による損傷だけは受けない身体になったらしい。


「魔術には詳しくないけれど、秘薬っていうのはとんでもないわね……。確かに城の奥に隠しておかなくてはならない代物だわ」


 ソニアの話が一通り終わり、私が言う。

 ラキは険しい表情で辺りを見回していた。


「……ソニアの話から考えると、まだ城にミラクが潜んでいるかもしれない。警戒しておいたほうがいいだろうな」

 

 ラキの注意に、私とソニアは頷く。


 現在、ソニアは体の欠損を炎と熱で補い、なんとか動ける状態を保っている。

 与えられたばかりの能力でその扱いはまだ未熟であり、噴水の水に浸っていたため、吸血による止血は無駄ではなかったと、先ほど彼女は自嘲気味に語った。


 人気(ひとけ)がなく、月明かりが満足に届かない石造りの廊下でも、ソニアが纏うその灯りだけで十分に進むことができている。


「それよりサキ、そちらの情報は確かですのよね?」


「間違いないわ」


 私は頷き、知っている限りのことを改めて伝えた。

 ――サリィとフィロンが北門で戦っていること。

 ――ユリアナがこの城にいること。

 それは、私とラキの目で見た疑いようのない事実だということを話した。


 ソニアはしばらく沈黙し、やがてふっと小さく息を吐いた。

 炎を宿した眼差しが、道の先を見つめている。


「サリィは辛辣な言葉や態度の奥に、温かい光を持つ人です。……フィロンもそれを知っていますわ。サリィもフィロンも互いを殺すことなど、本当は望んでいなかったはずです」


 祈るように話すソニアの声は、城の廊下の高い天井に飽和する。


「サリィにフィロンを殺させることも……万一、フィロンにサリィを殺させることも……私は起こしたくありません。先刻も確認しましたが、テツ達を助けた後は、私はそのために行動しますわよ」


 ソニアの言葉に、私は静かに頷く。


「ええ、それでいいわ。私たちは、現状を良しとしない。帝国軍でも反乱軍でもない選択を未来に繋げるために行動するの」


 視線が一瞬交わり、言葉を超えた理解が通じ合った。


 そして、私たちは互いに背を向ける。

 志は一つでも、果たすべき役割は違う。だから今は、それぞれの道を進むしかない。


「……ああ、そういえば」


 去り際、ソニアがふいに立ち止まり、振り返った。


「サキって、対人戦の訓練を受けた複数人との戦いが苦手ですわよね」


「え?」


 思い当たる節がないわけではない。戦闘とは、私にとっては楽しむべきものだった。雑魚ではない相手との戦いは刺激的ではあるけれど、兵士達の戦い方は戦闘というより、まるで獲物を仕留める狩りのようで、いまいち戦いにくかった。


 だけれど、私が戦闘における苦手を認めるというのは、なんだか癪な気がする。


「べ、別に、苦手ではないわ」


 薄々と感じたことを指摘されたわけだけれど、思わず否定してしまった。だが、彼女は容赦なく続ける。


「仲間になったよしみで忠告して差し上げます。大切なのは、冷静に相手を見ることですわ。感じるものすべてを認め、受け入れて、その上で攻撃することです」


「……まあ、そうね。それが私が思う戦いだわ。だけれど、兵士がするのは連携して獲物を追い込む狩りのようなものに感じてしまって、やりにくいのよね」


「私との戦いでは、見極めができていましたわよ」


 ソニアは小さく微笑んでみせ、言葉を継いだ。


「常に発揮できない原因は、恐らく経験不足ですわね。まあ、まともな武人はライト将軍一人くらいしか身近にいなかったのなら、仕方ないのかもしれません」


「う……一理あるかもしれないけれど、なんでソニアに偉そうに説教されないといけないのよ!? 今のところ私のほうが戦績優秀じゃない!?」


 思わず声を荒げる。すると横から、ラキが淡々と口を挟んだ。


「確かに。サキが頭に血が昇りやすいのは俺も感じてる。もう少し冷静に動いてくれると助かるな」


「ちょっと……なんでラキまでそんなこというのよ!?」


 てっきり味方をしてくれると思っていたのに。呆気に取られていると、ソニアが私からラキへと視線を移す。


「ラキは自己犠牲が過ぎますわね」


 唐突に投げられた指摘に、ラキの顔がわずかに曇る。


「ソニア、お前がそれを言うのか?」


 ラキは不機嫌そうに言った。それはそうだろう。ラキの火傷は元を辿ればソニアのせいなのだし、何よりソニアには自己犠牲をせざるを得ない状況に、出会ってから散々追い込まれてきたのだ。


「……ええ、わかっていますわよ」

 短く肯定したあと、彼女は少し間を置いて続ける。

 

「すべてが終わったら、いくらでも罪滅ぼしをいたしましょう。ですけれど今は、それを言い訳に逃げるつもりはありませんわ」


 まるで自分に確認するような声音だった。


「私はよく部隊の子達の指南役を任されていましたから、教えるのは得意なんですの。それを活かして、あなた方に貢献しているだけですわよ」


 さらりと言い切るあたり、ソニアは意外と世渡り上手なところがある。


「自分が相手ならどう動くかを考えるのですわ。そして自身に足りないものを受け入れる……それを意識すれば、簡単に対応できるはずです」


 助言を重ねながら、ソニアの表情がほんの少し和らぐ。


「素の槍技は、私の剣に劣らないほどですもの。意識さえすれば、大抵の帝国兵は敵になりませんわよ」


「まあ、本来はそのはずなのよね」


 そう。旅立ち前、私は対人戦ではライト以外には負けたことがなかった。だから、今の私を縛るすべてに打ち勝って前に進むことができれば――実力さえ発揮できれば、勝てるはずだ。その自信はある。


「ここで、暗殺部隊の子達には『一撃に殺意を込めなさい』と言うところですけれど……サキには似合いませんわね」


 そう締めくくってから、ソニアは再び前を向く。


「走りながら話しているうちに、着きましたわ。ここが分かれ道です」


 視線の先で、通路は二つに分かれていた。

 片方は宝物庫へ続く広間へ、もう片方は――カティアが使っていた旧謁見の間を抜け、地下牢へと通じている。

 重苦しい空気が肌にまとわりつく。


「……私は地下牢に残されているテツとレーシュを助けに行きます。ユリアナ様のことは、あなた方に任せますわ」


 ソニアはユリアナを裏切った身。今さら自分が率先して彼女に関わるべきではないと考えているのだろう。


「私たちは、宝物庫にあるはずの隠されている狐魅丹の緩和薬を見つける。ユリアナは、もし見つけたら多少手荒にでも話を聞き出すから。悪く思わないでよね」


「……そうだな。もはや手段は選んではいられない。ソニア、道は間違いないんだな?」


 ラキの確認に、ソニアは頷く。


「ええ。宝物庫付近には月明かりが差す窓も少なくて暗いでしょうから、灯りを渡しておきますわ」


 ソニアは片手に小さな蝋燭を取り出す。炎を指先から移すと、細い芯に宿った火が揺れた。


 互いの役割は違えど、目指すものは同じ。

 視線を交わした一瞬、確かな連帯を感じた。


 **

 

「……一つ、サキに聞いておきたいことがある」


 瓦礫を踏み越えながら、ラキが口を開く。

 その声音に、私は一瞬びくりと身構える。


「……」

 

 ……まさかとは思うけれど、さっきの吸血のことについて話そうって言うのではないわよね? まるで私が私でなかったような、あの時間のことを……。


「い、いきなり改まってなによ?」


 思わず問い返すと、彼は横目で私を見つめ返してくる。

 ラキの持つ蝋燭に照らされる火傷の痛々しさもだけれど、真剣な眼差しに胸が早鐘を打つ。


「……なんなの?」


「ライトって、どんな人だったんだ?」


「え? ライト?」


 思わず呆気に取られて立ち止まる。

 拍子抜けして、妙な肩透かし感があった。


「……そうね。話したことあると思うけれど?」


 頭を振って気を取り直す。再び走り出して、私とラキは話を続ける。


「気を悪くしないで聞いて欲しい。ライトは建国の英雄なんて呼ばれているが、帝国の誕生から三十年以上も国の中枢に深く関わっておきながら、帝国の腐敗を放置するような人物だったのか?」


 ラキは慎重に言葉を紡いでいく。


「サキの育ての親だし、話を聞く限りは悪いやつではないんだと思う。だが、その辺りがどうにも腑に落ちなくてな」


 ラキの話を聞きながら、私は納得せざるを得なかった。


「……確かに、不思議ね」


 ――ライトは、この歪な帝国を誕生させるきっかけになり、その後何十年も将軍職についていた。それなのに、どうして帝国を腐敗させたまま将軍職を退き、辺境で私を育てたりなんかしていたのだろう。


 将軍を辞めて村に帰ると決めたとき、ライトは私のことを知らなかったはずだ。

 ならば、子育てをやり直すためなどではない。私を引き取ると決めたのはサリィのことがあったからかもしれない。けれど、都シュタットからシャトラント村に帰ったのは……なぜだったのかしら。


 ――ライトなら。……ライトほどの力があれば、可能だったはずだ。

 表では亜種族と人族が共栄しているように見えて、その裏では亜種族が、人族を支配する歪な大陸帝国。



 ――そんな帝国を壊すことくらい……ライトならば、簡単だったのではないの?


 

「悪い、サキ。この場ですべき話ではなかった。……忘れてくれ。今は進もう」


「……そうね」


 そうして、私たちは広間の奥へと進んでいく。


 **


 ――広間の奥、宝物庫に繋がる扉をくぐった瞬間だった。

 

 石造りの空間。壁際には金や銀の装飾品、古びた巻物、荘厳な壺など、お伽話に出てくるような亜種族の秘宝が並んでいる。

 静寂の奥で、どこか湿った鉄の匂いが鼻を刺す。

 

 ここが、いくつもの種族が集う帝国の心臓部……。

 ――そう思った瞬間。

 不穏な気配が全身の毛を逆立てるように迫ってきたのだ。


 空気が、明らかに変わった。

 財宝の鈍い光が照り返す中、不穏な気配が肌を刺す。


「……サキ」

「ええ、感じるわ」


 ラキと私は同時に立ち止まり、視線を巡らせた。

 どこからともなく忍び寄るような殺気。

 音はない。

 だが確かに、()()


 その時――。

 影が、音もなく天井から、目の前に墜ちた。


「――ッ!」


 咄嗟に目が見開かれる。

 息が詰まり、体が石のように固まった。

 ……わかる。

 この背筋がざわつく感覚。

 ()()()、あいつと出会ってしまった曇天の下と同じ状況だ。

 振り下ろされた影の腕に、体が凍りつく。


 ……動け、ないわ。

 立ち尽くしたまま、あの日の自分をなぞってしまう――。


「何をしているんだ、サキ!? 避けろ!」


 ラキの声が、雷のように脳を叩いた。

 直後、音もなく降り立った影が目の前まで迫る。

 はっと我に返った私は、踏み込む影が伸ばした腕を紙一重で躱した。


「……」


 体勢を直して視線を上げると、そこにあったのは、忘れもしない顔。

 血塗れの姿でなお直立し、狂気を纏う男――ミラクだった。

 伸ばした腕は、攻撃を仕掛けたわけではなかったらしい。ただ私に触れようと手を伸ばしたような……そんなふうに見える。


「待っていた。……ここに来るだろうと思っていた」

 

 血に濡れた体。皮膚は裂け、骨さえ覗いているように見える。間違いなく瀕死の重傷だ。


「サキ。ソニアとの結末は期待以上だった」


 それなのに彼は、何事もないかのように歩みを進める。

 微かな笑みと共に、不気味な抑揚で歌うように語っている。


「対面するとやはり良いな。お前の一挙一動が、俺の渇きを満たす熱となる」


「……ミ、ミラク……」


 異様。一言で言うと、異様だった。

 先手を取って攻撃すれば、間違いなく命を奪えるという確信すら浮かぶ。

 だけれど、それをためらってしまうほどの狂気をミラクは纏っていた。あいつが狂った理由から常軌を逸した行動を取るのはいつも通りといえばそうだ。

 

 しかし今回、ミラクは致命傷に見える傷をいくつも負った状態で私たちの前に姿を現している。引き際のよいミラクらしからぬ行動が、異様さをより際立たせている。


「……っ、今までに見たことのある誰よりも酷い怪我……。どうして、生きて歩いていられるのよ……?」


 直近で嗅ぐ、ミラクの血。

 鼻腔を満たす血の匂いに、ぐるぐると螺旋を落ちていくような感覚がする。

 口内吸血(キス)の味よりも濃く、どこまでも深く堕ちていくような衝動が呼び起こされ、目眩がする。


「俺のことが気になるのか?」


 楽しむような声音で、頭上から声が落とされる。

 だが、私は本能的な衝動を振り払い、必死に感情の波を抑えながら口を開く。


「……気にならないはずがないわ」


「サキッ!?」


 ラキの声が鋭く響く。

 (はや)る気持ちを必死に抑えつけ、私は睨むように顔を上げる。

 そう。私はずっと――……ずっと会いたくて仕方がなかった。


「だって私、ずうっとあんたのことを殺してやりたかったんだもの。――私の前に姿を見せたのは、殺されたいからかしら?」


 喉を焼くような衝動を押し殺し、低く吐き出す。

 それでも腕の震えは止まらない。ミラクはそんな私を見て、愉悦に笑みを深めた。


「……素直だな。蜜が糸を伝うように、お前の感情の波が伝播してくる。恐怖心を隠す余裕すらもないのか」


「……うるさい。黙って」


 絶望の記憶と欲望に胸を焼かれて震える声を必死に押し殺し、平静を装う。それだけで精一杯だった。

 

 

 ――いつまでも胸に重くのしかかって、消えない。

 あの日の、あの嵐の夜の大河を、ミラクと旅をしていた記憶を、砦で再会した時の戸惑いを、私はまだ完全には乗り越えられていない。


 実力的には勝てるはずの相手に、手こずる理由。それは、ソニアに指摘された経験不足だけではない。ミラクによって刻み込まれた絶望の記憶が私を縛っているんだ。

 ……でも。今の私には希望を灯してくれる存在だっている。

 だから、あの影に囚われるのは、もうここまでだ。

 私は今から、ミラクに、勝つ。

 震えても、衝動に呑まれそうになっても――あの絶望に打ち勝って……今こそ私は、前に進むんだ。


 脈打つ鼓動が、耳の奥で響き渡る。息が荒くなって、吸い込む血の匂いに喉が焼け、視界が揺らいでいく。


 ――駄目だ。


 思考を奪う熱が頭の奥から噴き出し、全身を揺さぶった。

 次の瞬間、視界が白み、膝が抜けて体が傾いた。


「熱に浮かされ、衝動に揺れた目で強がりを言われてもな。そんなに血が欲しいか?」


「……ふざけっ――」


 反論しようとした口は声にならず、空気が震えただけ。足がくらくら揺れ、世界が遠のきかけたその時、私の肩を誰かの腕が支える。


「……ラキ、よね?」


 この場には私とミラク、そしてラキしかいない。

 だから、私の肩を掴んだのは間違いなくラキであるはずだ。だけれど、その事実を疑ってしまうほどに、背後から放たれている殺気が冷たくて――。


 息を呑み込み、意を決して振り返る。

 そこにいるのは、確かにラキだ。ただ、その目は私の方を向いてはいない。初めて見るほど凍るような視線でミラクを射抜いていた。


「ミラク。お前と対面して、改めてその必要性を強く感じた。……俺は、お前を殺す」


 粛々と告げられる宣言ともに、私の肩を掴む力が強まっていく。


「これから何が起きようとも……――たとえサキが意見を変え、ミラクを生かせと言おうとも、だ」

 

 ラキがもう片方の手で握る蝋燭の炎が爛々と揺れ、宝物庫の石壁に影を乱舞させる。湿った空気の中で、ラキの怒気を孕んだ声だけが響いていた。



 


「……酷い言いようだな」


 数瞬遅れて、ミラクが口を開く。心底呆れたような声音だった。


「俺が宝物庫(ここ)でお前達を待っていた理由を、よく考えてみるといい。……お前の片割れに関することだ」


 蝋燭の炎が宝物庫の壁に小さく影を揺らし、驚愕に目を見開くラキの顔を照らし出す。

 言葉の意味を理解してしまった彼の胸に、重いものが落ちていく。


「……な、なんだと?」

 

 ラキは何とかその一言だけを搾り出す。

 頼りない蝋燭の火に浮かぶ戸惑いを、ミラクの視線は退屈そうに流した。


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