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第54話 地下牢の会合 2

「でェ? そんなふざけた思想を説くためだけに、わざわざ女に化けて、可愛く震えて、ワタシの胸に抱かれたってワケ?」


 軽蔑するような冷ややかな声で、カティアは、笑い続けるミラクの本来の目的に探りを入れる。

 ミラクは笑いを止め、少し思案するように押し黙った。


「あぁ……お前の趣味が悪いというのは、ただの感想だ」


 やがてそう口にするとミラクは、カティアと、その背後の惨状を見据える。

 

 ミラクが重く、激しく、執拗に追い求めるのは、死に様に浮かぶ感情と、それに対して湧く熱。

 そして――唯一、感情を抱ける生者であるサキの精神を乱し、その身を焦がすような熱に焼かれること。さらにそれに繋げるための布石だ。


 カティアは髪を払い、ミラクの視線を不愉快そうに跳ね除ける。


「本当の目的は、地下牢(ここ)にいるコ……おそらくはソニアかテツ辺りに会いにってトコかしら?」


 続くカティアの言葉に、ミラクはわざとらしく大きく息を吐く。突き放すような視線をカティアに向けた。


「それに答える義理はないな」


「くふっ、さっきまでと違ってツレないじゃない?」

 

 カティアが肩を揺らし、挑発めいた笑みを浮かべる。だがその奥では、目の奥の光が一瞬、獣のように細くなっていた。獲物が反撃する瞬間――そんなものを嗅ぎ取る、本能に近いもの。


 ミラクはその変化に気づいたのか、ただ、譲歩するように淡々と口を開く。


「……だが、ひとまずの目的は――」


 沈黙が一瞬、濃密なものとなって二人を包み込み、視線が静かに絡み合う。


「――お前を、殺すことだ」


 その言葉は地下牢の空気を裂いた。唐突でも、高らかでもない。むしろ静かに、だが絶対的な宣告として告げられた。


「……。……なぜ? アンタ如きに、ワタシを殺せると?」


 まるで、気まぐれに地を歩く猫が、弱った鼠の最後の足掻きを眺めているような視線。


「殺すことに、理由は必要ない」


 ミラクは静かに言った。何の疑問も抑揚もない、冷えた声だった。だがその奥に、確かに欲があった。


「ただ……殺して得られる『熱』を欲し、そして今は、偶然に手に入れた、生きた『感情』を揺さぶるために、俺はここにいる」


 お前にも、――殺す(それ)だけの価値はあるだろう、と。


 ミラクは値踏みするような目で付け加えた。言葉自体は静かでも、その裏にある衝動の存在が感じ取られる。

 淡々と、しかし堂々と告げられた殺害予告。

 カティアは、一撃喰らいながらいまだ実力差を理解していない獲物からの舞踏の誘いに、苦笑で応じる。


「……あっそ。やっぱ意味がわからないけれど……退屈していたのは事実だし、遊んであげるわ、坊や」


 カティアの目には獰猛な光が浮かぶ。笑ってはいるが、その笑みは、愉悦と、疼く嗜虐心と、そして期待に彩られていた。


「良い声で泣いてちょうだァい」

 

 獲物の悲鳴も、涙も、怒りも。生きている者の震えが、何よりの歓喜なのだと、その狂気は物語っていた。獲物が自らの爪に刻まれるたび、魂を焦がす熱に酔える。

 全身を駆け巡る血の熱に震え、カティアは胸元の血を手で拭い、舌先でぺろりと舐めた。


 

 ――城における自身の血の味は、カティアに、サリィとの記憶を想起させる。

 

 城の中央の稽古場では、軍人同士の交流を兼ねた試合がしばしば行われる。城でカティアに血を流させる者など、その状況におけるサリィくらいのものだった。


『暗殺部隊だが、早速脱走者が出てな。少し前まではランク1だったが、初任務の死刑執行以来、ランク8に落ちぶれていた奴だ』

『サリィが追跡すれば、すぐに殺せるでしょう。面倒なら、ワタシが代わりに追ってあげてもいいわよ♡ その代わりさ……分かるわよね?』

『……。いや、私は――』

 

 カティアが思い出したのは、そこでサリィと交わした十年ほど前の会話。

 


「……ねえ、アンタのこと、思い出したわよ。たしか……サリィのとこの脱走者よね? 殺人狂のあまりに、暗殺部隊を抜けたって話の……」


 その名が出た瞬間、ミラクの笑みがさらに歪んだ。


「サリィが連れてきたお前とは、何度か砦で会っている。だが、まさか覚えられてたとは、驚きだな――」


 ――ザッ


 ――ミラクの言葉が終わる直前。

 突如、静かな地下牢に、空気が裂ける音が走った。


「サリィに鍛えられたにしては、鈍いのねェ?」


 耳元で、底冷えするようなカティアの声。

 カティアは胸の傷をものともせずに、俊敏な動きでミラクに詰め寄っていた。ミラクが反応する間もなく、彼女の両手はミラクの肩をがっしりと掴む。


 ――眼前の動きすら、追えないとは。

 

 ミラクの目が、驚愕に見開かれる。

 カティアはミラクと視線を合わせ、ニヤリと笑う。ミラクは肩を掴まれたことから、反射的に腹部を庇う。だが次の瞬間、カティアは膝を立て、腕の隙間を縫って真下からミラクの腹を鋭く抉るように蹴り上げた。


 ミラクは声を上げる間もなく真後ろの壁にめり込む。

 次いで地面に崩れ落ちた彼は、荒い呼吸と共に血を吐き出した。


「アハっ、思ったより手応えなかったわねェ」

 

 カティアは宙返りのような動きでふわりと着地。

 だが、血が絡む咳で短く息をするミラクの様子を見て、小首を傾げ、不思議そうに瞬いた。


「ンー? アンタ、まだ息があるの?」


 訝しむように呟き、その直後、思い当たったように自身の胸元を見下ろす。


「ああ、胸の出血のせいで仕損じたのかしら。……ワタシも、ずいぶん鈍ってしまったものねェ」


 ナイフで刺された胸元から血が滴るのも構わず、彼女はどこか無邪気な足取りで、ずり、ずりと足音を立てて近づいてくる。


「まあいいワ。もう少し遊びましょうか?」


 言葉と同時に、彼女の身体が異様な音を立てて軋んだ。肋骨がずれるような不自然な動きと共に、左肩がゴキリと音を立てて元の位置に戻る。

 血の匂いに酔ったような目でミラクを見据えるその様は、まさしく肉を貪らんと獲物を追い込む獅子のよう。

 

「……これは想定以上だな。まるで化け物だ」


 ミラクは手放してしまい、床に転がっていたナイフを拾う。辛うじて体勢を整えたが、早々に絶体絶命の状況に追い込まれている。

 だが、咳き込みながらも、彼の目に怯えはなかった。ただ、静かな観察者のようにカティアを見つめていた。

 カティアはそれを、生意気な目ねと一蹴する。


「別に、化け物で結構よぉ? 見ての通り、生身の肉体なんて、とうの昔に捨ててるから」


 カティアの声はどこか盲目的に感じられた。

 二人の間合いは詰まっていく。徐々に、徐々に破滅的な暴力を携えて足を運ぶカティアに、それを、せめて隙をみせずに見届けるしかないミラク。


「十年前とはいえ暗殺部隊にいたなら、鋼鬼四天って知ってるわよね? 大臣直属の特別部隊――鋼鬼四天は皆、殲獣を喰らって、異常な力を得てるの」


 カティアは唇の端を裂くように笑みを深めた。その瞳が、ぞっとするほど爛々と輝く。


「ワタシは、幻獣型のユニコーンを食べてきた。だから回復力が異常に上がって、さらに毒が効かなくなったのよ」

 

 ミラクが姿勢を低くしてナイフを構える様を、カティアは嘲るように眺めながら続ける。一人芝居のように自語るカティアの声は、ますます高揚していく。


「……でも、その代わりに……女を見てるとヘンな欲望が湧くようになっちゃったのよねェ……!」


 言い終えるよりも早く、カティアは地面から何かを拾う。それは――拷問の末に千切れて地下室に転がっていた人間の腕だった。

 腐敗した、死肉の腕。

 躊躇なく、それをミラクめがけて投げつけ、隙をつくる。腐臭と血飛沫が爆ぜ、ミラクの視界が一瞬真っ赤に染まる。


 ミラクは即座に反応した。

 血に濡れたナイフを振るい、死肉を切り裂きながら舌打ちする。

 その様にカティアはまた、嘲笑を一つ溢す。


「その玩具(オモチャ)で、まだ遊ぶ気!? ……暗殺者が一撃で勝負を決められなかった時点で、もう終わりだってわからなァい!?」


 カティアは跳ねるように間合いを詰めた。

 喉元を狙った鋭い手刀。


 ミラクは間髪で身を翻す。彼の背後の石壁に魔爪が叩きつけられ、岩壁が砕け散った。瞬時にミラクの動きを追ったカティアの殺気だけが、残像のように遅れて突き刺さる。


「お前は、植え付けられた偽りの感情に支配されているというわけか。……哀れなものだな」


 粉塵の中、ミラクは冷めた声で言い放った。

 その視線は、まるで何もかもを見透かすかのように、カティアを貫いている。


「何とでも、言いなさァい」

 

 カティアは乾いた笑いを溢す。その笑いにはわずかに棘が混じっていた。奔放に、自由に、欲の赴くままに――。生きていく上での彼女の信条を否定するかのように滲むミラクのどす黒い闇が、カティアを苛立たせる。

 

「どのみち、ワタシは、今からアンタを殺すわ」


 喉、鳩尾、脇腹へと魔爪の衝撃が連続する。

 カティアと踊るには狭すぎる地下牢で、ミラクは幾らか肉を切らせることで辛うじて致命傷を避け、それらを捌いた。


 魔爪の一撃が、右眼を潰そうと迫る――ミラクはそれを、逆手に持ったナイフの腹で逸らす。紙一重のずれが、致命と生存の境を分けた。


「ワタシはいつだって、捕食者だから」

 

 その一手によって交錯が終了し、カティアが放った一言。


「捕食者、だと?」


 ミラクは腹部に手を当て、ぐしゃりと抑え込む。

 裂けた筋から熱いものが噴き出すのを感じながら、それでも、平然とした声で応じた。


「そうよ。生存本能に従って逃げ惑う子兎を狩る、絶対的な強者……。アンタだって、死ぬ直前には命欲しさに震える目で、ワタシに縋り付くわ」


 カティアの声音は艶めいていた。愛を囁くような甘さと、血を啜る捕食者の悦びが同居していた。喉奥から湧く愉悦に舌を這わせるように、彼女は笑う。


「……なぜ、お前はそれを望む?」


「そうねェ、楽しいからかしら?」


 唇の端を上げながら、カティアはくすりと笑った。

 その言葉を聞いた瞬間、ミラクの表情から温度が消える。納得のいかない答えに、不快そうに眉が寄った。


「強大な者が、常に捕食者であるとは限らない」


「んふ、弱者の戯言にしか聞こえないわ」


 カティアは肩をすくめ、とぼけたように口を尖らせる。

 ミラクの瞳には、明確な失望が浮んだ。

 ――やはり、俺が直接手を下す価値はないか、と呟く。


「……カティア、お前は退屈していたと言っていたな。――だが」


 声音が、微かに落ちる。感情を込めたわけではない。冷ややかな事実として、重みだけが滲む声。


「俺に言わせれば、退屈なのは、お前が地下牢(ここ)でしてきた殺しそのものだ」


「……はァ?」


 その言葉が刺さったのか、カティアの動きが一瞬止まる。


「ワタシはね……アンタと違って、拷問や戦闘の過程――暴力を楽しんでいるのよ。趣味の違いってヤツ。わかるかしら?」


「違うな。それは――その先にある死を、直視していないということだ」


 ミラクは薄く笑った。その声は、呪いのように重く、冷たく落ちる。


「刺激を求めた、ただの中毒者(ジャンキー)……。だから、お前は俺に負ける」


 劣勢であるはずのミラクの、虚勢とも思える勝利宣言。微塵も怯えを滲ませない獲物(ミラク)に、カティアの破壊衝動はいまだ満たされないまま。


「……まだ虚勢が張れるあたり、やはり、ワタシの身体に何か仕掛けてるのねェ」

 

 彼女の回復力をもってすれば、先ほどミラクから受けた胸の傷など、動きを鈍らせるほどではないはずだった。

 だが、血は止まらず、四肢に微かな重さが残る。

 今もミラクに命があるのはそれ故だ。


 ――毒ではない。ならば魔術か、あるいは催眠の類か……?


 違和感に浸っていた刹那。

 間合いに踏み込んでいたミラクのナイフが、カティアの脇腹を掠める。


「生ヌルいのよ! アンタの攻撃は! ……ほんっとうにサリィから暗殺を仕込まれたの!?」


 カティアは体勢を低くしていたミラクの顔を膝蹴る。しかし、口では勝ち気にそう言ったが、やはり身体に違和感は残ったままだった。

 

 ――ナイフが掠めた脇腹の奥で、刺激を受けた()()が疼く。

 

 胸の奥に焦燥が微かに芽吹く。否、既に芽吹いていたものが強く自覚されたにすぎない。

 

 だが、確かな一撃の手応えを感じると同時に、カティアの鼓動は、根底から湧き上がるもう一つの欲求に高鳴っていた。

 

 カティアの視線の先には、魔爪によって、腹部と四肢を縦横無尽に抉られ、裂かれたミラクがいる。

 

 その姿に、カティアの喉に熱いものが込み上げる。

 

 ――破滅的な暴力。その中で、命を蹂躙していたい。

 

 痛みさえ愉しむかのように、カティアは身をくねらせる。胸元から一層流れ出した血を拭いもせず、ミラクを見据えた。


「やはり……獲物を嬲ることこそが、ワタシの悦び」


 カティアの声はねっとりと湿り気を帯び、地下牢の壁に貼りつくように響いた。狂気に滲む笑み。荒い息。爛々と光る双眸。


 無論、裂傷を受けているのはカティアだけではない。ミラクは苦痛に歪む顔をあげる。裂かれた腹からは血が滴り、握るナイフはもはや彼の意思ではなく、生存本能だけが支えていた。だが――。


「……それでも」


 彼の目の暗い黄色は鈍い輝きを湛えたまま、曇らなかった。


「俺にとっては……お前のような飢えた獣は……()()()を壊すための、ただの道具でしかない」


 カティアの動きが一瞬だけ止まる。


「――なにいってんの?」


 しかし、次の刹那には、圧倒的な速度と腕力による猛攻がまたもや幕を上げる。

 魔爪が頬を裂き、その隙に放たれた蹴りが、頸を防御した左腕を砕く。


「お前が俺を喰おうとするなら、存分に噛み千切れ。次に会ったとき四肢の一つでも失っていたら、()()()がどんな顔をするのか、興味はある」


 苦し紛れにミラクは言う。

 今しがた、折れた肋骨が肺に刺さった。防御に捨てた左の手足はへし折れて、使い物にならない。


 もはや、戦闘どころではない。

 仕込んだ魔術や今後の計画など放棄し、生存を最優先して、尻尾を巻いてこの場から逃げ出すべきなのかもしれない。

 

 ――だが、しかし。

 腹の底から湧き出る欲が、身を焼くような衝動が、ミラクにそれを許さない。

 

 普通に生きているだけで、皆が当たり前に持っている『感情』。

 人に合理を捨てさせ、突き動かすほどの『熱』。

 初めて人を殺したあの日、それを理解してしまうまでは、こんな獣じみた愚かな衝動に苦しみ、熱に焦がれることなど、あり得なかった。


 ――ただ。知ってしまったからには、欲さずにはいられない。


 流れるように叩き込まれるカティアの乱撃の中。

 

 ミラクは己が真に欲しているものを見つめ直す。熱に焼かれながらなお、冷えた思考が流れる。


「ただ……お前に命までくれてやる気はない。アイツが俺の死体を見つけたとしても、その感情を俺が見れないのでは、意味がないからな」


 カティアの口元がひくりと歪む。

 自分よりも遥かに純粋に、飾り気なく欲望に忠実な男。

 死さえも、他者の感情を引き出すための燃料としか見ていない、その執着のありように――カティアは一瞬、理解を、そして自嘲を覚えてしまった。


 その理解の瞬間。

 ミラクの口角が、わずかに持ち上がる。

 感情の読めぬその笑みに、熱はない。ただ底知れぬ願望と、狂気じみた確信があるだけだった。


「やっぱり、アンタ……頭がイカれてるわね?」


 吐き捨てるように言ったカティアの声には、無意識の苛立ちが混じっていた。

 自分の感情すら先回りされたことへの、不快感。


「お前は他人に口出しできるのか?」


 ミラクは冷静に返した。

 挑発でもなく、嘲りでもなく。ただ事実として突きつけるように。

 

 その瞬間、地下牢に一瞬だけ沈黙が落ちた。

 だが、それはただの空白ではない。

 理解と、拒絶と、認めたくない共鳴がないまぜになった、静かな火種。

 

 血まみれの笑みが交錯する。

 

 ――そして、二人は再び踊り始めた。

 地獄のような地下牢。腐臭と鉄の匂いが満ちた空間に、殴打音、斬撃音、悲鳴に似た笑いが飽和する。

 それは、肉と肉のぶつかり合いというよりも、精神と精神、狂気と狂気の削り合い。

 獣と獣が啼き交わすような惨劇だった。


「……さあ……アンタの全部で、私を楽しませなさい……ッ!!」


 吠えるカティアの魔爪が、ミラクの頭を掴み、壁に叩きつける。ミラクは朦朧とした意識の中で、ナイフを逆手に構える。


「カ……ティア――」

 

 ――だが、すぐに下ろした。

 

 獰猛な笑みとともに振り上げられたカティアの腕。

 

 そこでは、脈打つ赤黒い血管が浮き上がり、まるで()()()()()()()()()かのようにうねっていた。


 カティアの指の隙間から目にしたその様子に、ミラクは何かを確信したように残酷に笑んだ。

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