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第52話 要塞の戦い

 俺とミアは要塞にいた。都の北門と北部吸血鬼族の間に位置するこの要塞は、俺が捕らわれたせいで戦争が始まってから現在まで、重要な反乱軍の拠点となっている。元々は大陸戦争時代の人族の砦だったらしい。

 

 隣に立つミアの横顔を盗み見た。血で模した弓を構える彼女が、大きく息を吐いたのがわかった。


「要塞の中に閉じこもるのは退屈ね。どうせなら外に出て暴れてみたいわ」


 そうぼやきながらも、ミアの血を操る指は止まらない。

 ミアは血で形どられた矢をつがえ、遠くの帝国兵へと狙いを定める。そして、白い指を添えた血の矢を軽やかに放つ。空を裂いた血の矢は敵兵の頭上で炸裂し、無数の細かな矢へと変わって降り注いだ。


「……むごいな」

「あら、そう思うなら見なければいいんじゃない?」


 思わず漏れた言葉に、ミアは涼しい顔で応じた。


「……ごもっとも。……というか、ミア様は楽しそうだな」


「ええ、私にとって人族の血を流すことなんてケーキを切るようなものだもの」


 吸血鬼族の少女は片目を閉じ、可憐に笑って見せた。


「……そうかよ」


 かつての仲間が息絶えて行く惨劇など、見たい人間の方が少ないだろう。だが、俺には目を背ける資格などない。あるはずがなかった。


 ――俺は、自らの意思で彼らを裏切ったのだから。


 帝国兵のほとんどは、出稼ぎに来ている田舎者か、金目当ての傭兵のような連中だ。ごくわずかに亜種族の子弟もいる。彼らは皆、命や地位と引き換えに大金を得ている。つまり、戦争で命を落とすことなどとうに覚悟は済ませているはずだ。


 俺もそうだ。命を懸け、この道を選んだ。

 彼らが義務を果たすなら、俺は使命を果たす。それだけのことだ。

 

 ……それに。

 帝国はユリアナ様を長く苦しめてきた。罰を受けるのは当然の報いだと思えば、この惨劇にも意味がある。


 もう、俺は身も心も、ユリアナ様のものだ。彼女を護り支えることこそが自分の役割であり使命。それをまっとうすることだけに心血を注がなければならない。かつての仲間の死に感傷に浸る暇も資格も、俺にはない。


 そう自分に言い聞かせ、背徳感にも似た感覚に身を委ねる中、ふと、隣で矢を放つミアの姿が再び目に留まった。

 

 ――ただ。

 ……見事なものだ、と俺はミアの能力に感心してしまった。冒険者時代はもちろんとして、警備隊に入った後でも、吸血鬼族が直々に戦う姿など滅多に見られるものではなかった。矢がまるで意思を持つかのように宙を舞う。その洗練された技術に、しばらく時間を忘れて見入ってしまった。

 

 すぐに正気に戻って戦場を見渡す。しかし、帝国軍有利の戦況は微動だにしていなかった。どれだけ敵を屠ろうと、次から次へと新手が湧いて出る。


「ねえ、私が前線に出ていいならもっと早く片付くと思うわよ」


 ミアが笑い声にも似た甲高い声で挑発的に言ってきた。だが、俺は首を横に振った。


「ミア様は最後の切り札としてここにいるんだから、まだ出ちゃダメだよ」


 努めて冷静を装ったが、声には苛立ちが滲んだ。要塞の壁に張りつくような防戦。それがもう何日も続いていた。イライラしない方がどうかしている。


「じゃあ、ヴェルデはどうなの? ここで指揮なんかとってないで、前に出れば?」


 痛いところを突かれた。だが、俺には俺なりの事情がある。


「俺は指揮官だ。それに、捕まってたときに奪われてた愛用のチャクラムも、まだ手元にないままだからな。ミア様は従うって約束したんだから、大人しく従ってくれよ」

 

 やや声が大きくなる。言い訳じみた口調になっているのは自分でもわかっていた。

 だが、これは反乱軍の指導者であるフィロンの命令だ。ユリアナ様にも直接念押されている。軽々しく動くわけにはいかない。

 

「武器がなくて怖いから、私のそばを離れたくないの?」

 

 ミアはまた楽しそうに笑った。冗談とも本気ともつかぬ口ぶりで、首を傾げて俺を見る。


「あのな……これでも俺は警備隊の副長だったんだぞ。都に辿り着いた冒険者の上澄みだ。戦場も亜種族も怖くなんかない。だが、指揮ってやつにはまだ慣れなくてな。慎重にならざるを得ないんだよ」


 苛立ち混じりに溢れた言葉に、ミアは「ふーん」とだけ呟いて、再び戦場に目を戻した。


「……俺だって、本当はミア様よりもユリアナ様のそばにいたいさ」

 

 思わず本音が口をついて出る。だが、ユリアナ様の名前を口にした瞬間、胸の奥はさらに重く沈んだ。俺が誘ってしまったせいでユリアナ様は反乱軍にいる。もし彼女を誘わなかったならば――そう考えない日はない。


「だったら、早くこの状況をどうにかしなさいよ。あんたはここの指揮官なんでしょ?」


 ミアはいつもの調子で遠慮なく、思ったままのことを毒付く。


「そう簡単に言わないでくれ。向こうには鋼鬼四天までいるんだぜ」


 鋼鬼四天――。帝国軍にいた頃に何度か噂は聞いたことがある。あの化け物どもが出張ってきているという話が出たときは要塞の指揮はかなり下がったものだ。

 ミアも、その名を聞いたときは些か顔を曇らせていたはずだ。


「鋼鬼四天……私は、ラシュエル叔父様とは戦いたくないわね。手札が知り尽くされているもの。まあ、その条件は同じかもしれないけれどね」


 ミアが呟く。


「さっきも聞いたが、鋼鬼四天と親戚なのかよ」

 

 ……このままでは、この要塞も長くは保たないかもしれない。その思いが、喉元までせり上がってきたときだった。

 脳裏に、先程聞いたある噂がふとよぎった。


 ――建国の英雄、ライト将軍が動いているかもしれない。


 前線で帝国軍が妙な動きを見せている、という情報があった。かすかな統率の乱れ。

 その奥に、あの英雄の影がある――そんな声が、密かに兵士達の間でまことしやかに囁かれていた。


「……噂によるとライト将軍が動いているかもしれないしな」

 

 口に出すつもりのなかった独り言が漏れる。血を操るミアの手が一瞬だけ、止まった。


「……やめてもらえるかしら? その名前は冗談でも言わないで」

「冗談で言えるかよ。マジだ」

 

 俺は視線を下ろしながら言う。

 

「名前は確認できなかったらしいが、槍を持った人族の大柄な老人が敵の司令部付近を歩いてたってさ。たぶん……本物だろ」


 ミアが俺の方を振り返る。暗い場所ではよく見えないミアの黒い瞳が揺れているような気がした。


「……昔ね、私、ライトの御伽話が好きだったのよ」

「へぇ? ミア様は亜種族なのに珍しいな」


 英雄の名。それだけで、ミアの纏う空気は変わっていた。ミアは珍しく切なげな表情を浮かべていて、何か昔のことを思い出しているようだった。

 俺はどこか冷めた目でそれを見ていた。


 他の女なら、こういうときには優しく声のひとつもかけると思う。だが、なぜかミアにはそうした気になれない。

 余裕がないからだろうか。昔から、己の女好きには苦労してきたものなんだが……俺もユリアナ様に身を固めたということだろうか。


「……とにかく。この状況では要塞が落ちかねない。だが、俺達はフィロンが北門を突破して帝国軍を引きつけるまで、何とか持ち堪えなければならないんだ」


「わかってるわよ」


 ミアは静かにそう言って、再び血で生成した矢をつがえた。


 **

 

 要塞を落とすために帝国軍が構えた拠点。崖の上からライトが険しい表情で戦場を見下ろしていた。


「カティアとガルザが不在とはいえ、鋼鬼四天のうち二人もいて、まだ砦のひとつが落ちないのか?」


 その問いに、隣にいた少女のような体躯の戦士――鋼鬼四天の轟拳イーラが肩を竦めた。


「ライト将軍……あなたは一騎当千の英雄かもしれませんが、部隊戦の理解は薄いようですね」


 彼女の右手には黒鉄の手甲がある。彼女は土人族特有の頑強な骨格と手甲に施された魔術による、地を穿つような拳の使い手だ。


「この要塞が大陸戦争時代の砦を改修したものだとご存知ですか? 防御に特化した構造で、正面から攻めれば、熟練の部隊でも損耗が激しくなります。私たちはそれを避けて、確実に戦線を削っているのです。それに、カティアとガルザは、鋼鬼四天の中でも鉄砲玉です。一方、私とラシュエルは、特殊な能力で暗躍する役割……つまり、持久戦では時間がかかるのが当然」


 鋼鬼四天は、少数精鋭ゆえの機動力と、大臣直属という威光によって、帝国内外で反乱の芽を摘む影の部隊として恐れられている。しかし、所詮は大臣のお気に入りの軍人を寄せ集めた歪な部隊であると、ライトならば理解しているはずだと、イーラは指摘する。


「最初からカティアに任せればよかっただろう」


「残念ですが、彼女は現在、熱烈な志願によって城の警備任務に就いています。なんでもお気に入りだった暗殺部隊の女性が手に入って……色々、試したいらしいですよ」


 イーラが付け加えると、ライトは顔を顰めながらも一応の納得を示した。


「ああ、そういえばカティアは城に居たな。……あの悪癖だったのか」


 ライトの顔に苦々しい表情が浮かぶ。鋼鬼四天の魔爪カティア。嗜虐的な性癖を持つ彼女は、ときに任務よりも欲望を優先することがあり、何かを気に入ったときの行動は予測不能だった。


「……我々にライト将軍が加わっても、この要塞を崩すには三日はかかる。心を砕かねば、奴らは降伏しない」


 流れた短い沈黙を割るように、もう一人の男が口を開いた。

 血影ラシュエル。彼は典型的な吸血鬼族である。吸血鬼族は亜種族の中でも特に人族を見下す傾向が強い。そのせいだろうか。英雄と謳われるライトに対してもラシュエルは好意的ではなかった。


「三日もかける気はない。俺にはしなければならないことがあるんだ」


 ライトの返答は鋭く、そして短かった。――その言葉と同時に、空から闇を裂くような風が吹いた。夜に溶けるような漆黒の巨影が、音もなく戦場に舞い降りる。

 その姿を見上げた兵たちは、誰もが言葉を失った。


「……は? 黒竜?」


 イーラだけが呆れたように呟いた。


「このまま正面から行く」


 その全身を覆う黒鱗は月明かりさえ拒むように深く沈み、双眸だけが金色に爛々と光る――ライトは迷いなく、その黒竜の背に飛び乗った。

 多くの兵たちが後ずさる中、イーラは数歩前に出る。


「……さすがに、それは無茶では?」


 しかし、その問いに答えることなく、ライトは前方を見据えたまま言う。


「お前達は後方を固めておけ」


 その一言が風を裂いた瞬間、司令部に静かに溜まっていた緊張が弾ける。


「待ってください、ライト将軍。あなたほどの武人が、無謀な突撃など――」


「頼んだ」


 イーラの制止も聞かず、ライトは黒竜と共に飛び立ってしまった。


「ちょっと……! ああ、まったく。噂以上の傍若無人ぶりじゃない……サリィさんも面倒な人を押し付けてくれたわ」


 突風になびく黄土色の髪を抑えてその姿を見送りながら、イーラは肩をすくめる。表情を切り替えて、すぐに部下に指示を出そうと向き直る。


「前線の部隊は全員、包囲に回しなさい! 正面はあの方がこじ開けるおつもりらしいから、その隙に両翼から締めにかかるわ! ……まあ、元より私がライト将軍の手綱を握れるなどとは思っていなかったわよ」


 イーラは苦々しく笑った。もはや作戦とは呼べない。不本意ながらも、冷静に戦局を立て直すのが自分の役目だ。


「イーラよ、こうなった以上は……私もしばらく好きに動かせてもらおう」


 血影ラシュエルは静かに言い残す。同時に、その姿は夜気にかき消えていた。


「……ラシュエルが命令以外のことをしようだなんて珍しいね」


 先程までラシュエルがいた空間に向かってイーラは呟く。彼女の背後で、帝国の軍旗が風を受けてはためいた。

 やがて夜が明ける。

 沈黙していた戦場が、再び動き出そうとしていた。


 **


 要塞内部の監視室。その厚い石壁に切られた窓から、俺は戦場を見下ろしていた。ミアも変わらず弓を引きながら待機している。

 狭い窓枠から吹き込む風は鉄と血の匂いを運び、重く淀んだ空気が室内に漂う。途切れることなく届く怒号や金属音が、夜闇を不気味に引き裂いていた。戦の只中にいる現実を否応なく突きつけてくる。


 そのとき、荒く息をついた伝令の兵士が転がり込むように監視室に入室してきた。砂埃と汗にまみれた顔に、焦燥がにじんでいる。何事かと報告を促すと、彼は肩で息をしながら言葉を絞り出す。


「て、帝国軍が不可解な後退を開始! 時を同じくして、かの建国の英雄ライトが、単騎で本要塞へ向かっているとの報せにございます!」


 心臓が嫌な音を立てて大きく跳ねた。喉が詰まり、呼吸を忘れる。


「な、ライトはやはり本人で……ライト自らがもう、動いたというのか!? そんな……いや……わかった、ご苦労。下がって休んでくれ」


 兵士は一礼すると、足を引きずるようにして退出した。扉が閉まる音が、やけに重く響く。

 ……反乱軍はここまでよく持ちこたえた。だが、かの英雄を前にして、こちらの戦力はあまりにも――。

 ……ここまで温存していた切り札は、ミアだけだ。


 ――だが、彼女を向かわせたら、戻ってこられないかもしれない。


 俺は振り返り、戦場を見下ろす吸血鬼族の生意気な少女――ミアを見た。


「戦場って、これほどまでに甘美な香りに満ちているのね。悪酔いしてしまいそうだわ」


 彼女は、窓から上半身を乗り出していた。血で作られた弓を浮かべ、静かに矢を撫でている。

 

「……ミア様」


「なにかしら?」

 

 ミアは肩越しに視線を寄こす。月光を吸い込むかのような純白の肌、黒い髪と瞳が印象的な完璧な均衡の横顔は、まさしく人間離れしていた。

 ミアと視線が合い、一瞬言葉を飲み込む。だが、もう決断するしかない。


「今の報告は聞こえていたよな。……行ってくれるか?」


 ミアはライトの英雄譚が好きだったと言っていた。何か思うところがあるようだが、何と言うのだろうか――。

 一拍の沈黙が部屋を支配する。

 ミアは短く息を吐き、漆黒の瞳を細めた。


「ええ、もちろんよ。私たちは新しい時代を望んだ。理由はどうあれ、帝国を壊そうと囁くフィロンの手を取った。なら――」


 ミアは意外にもすぐに指令を受け入れた。覚悟は決めていたということだろうか。彼女は片手を掲げ、まるで夜空に浮かぶ月を掴むかのように、窓の外の虚空を見上げた。


「帝国建国の英雄と謳われた大陸戦争時代の象徴……古い時代は、ここで断ち切らなければならないわね」


 いつもよりわずかに低い声音には、ほんの少しの後悔が滲んでいた。俺は喉の奥から絞り出すように、言葉を紡いだ。


「……できることなら、戻ってきてください。だけど――万が一戻れなくても、あなたの働きは、決して無駄にはしない。俺も、フィロンも、ユリアナ様も、必ずそれを未来へと繋ぐ」


 それは、偽りのない本心だった。ミアを戦場に送るという決断が、彼女の命を秤にかける冷酷な行為だともわかっていた。

 だが、この要塞が陥落すれば、数多の者たちの夢と野望、希望と絶望、そして人生を乗せたこの反乱軍は、文字通り壊滅するのだ。

 俺は奥歯を強く噛み締めた。たとえミアが生きて帰ることがなくとも、俺は生き延びねばならない。それが反乱軍のため――ひいてはユリアナ様のためになる。

 そしてミアが帰らなかった場合には……彼女の犠牲に報いることにも繋がる。現状ではこう判断するしかない。


 ミアは窓枠に預けていた身を軽やかに起こすと、いつもの悪戯っぽい笑みを唇の端に浮かべた。


「いいのよ、ちょうど退屈してたところだったから」

 

 ミアの声は、あくまで飄々としていて、楽しげな響きさえ含んでいた。


 俺が何か言葉をかけようと口を開くより早く、ミアは窓枠を蹴った。黒い外套が夜風に翻り、まるで闇そのものに溶け込むように、彼女の影は戦場の喧騒へと吸い込まれていく。


「……俺は、ユリアナ様のために反乱を成功させることと、ユリアナ様を護ることだけを考えていれば……それで良いはずなのにな」


 戦場へと消えていく小さな背中を、俺はただ、固く拳を握りしめて見送ることしかできなかった。


 **


 夜風が強くなっていた。崩れかけた塹壕を越えて、ミアはひとり前線を駆ける。血を纏った軽やかな足取りに迷いはなかった。両軍の兵士達が、場違いに見える吸血鬼族の可憐な少女の存在に一様に息を呑む。ミアは彼らに視線をくれることなく、まっすぐ前を見据えて進んだ。


 だが、その先に現れた影――夜に溶けるような黒衣の男が道を塞いだ。


「お前たち親子が反乱に加担していると聞き、まさかとは思っていたが……ミア、お前が本当にここにいるとはな」


「あら、誰かと思ったらラシュエル叔父様じゃない。……お久しぶりね」


 甲高くも毒々しい声音で、ミアはそう告げる。その声音の裏にあるものを、男――ラシュエルはよく知っていた。


「ミア。お前は昔から――北部の城で共に暮らしていたときから、お転婆が過ぎるとは思っていた。だが……もう少し慎みを持ってもらわなければな」


「慎み? ふふ、それって種族だけに重きを置いた帝国の歪な秩序に、お行儀よく隷属していろっていう意味かしら。……なんて退屈なこと」


 ミアは唇の端をつり上げ、首をかしげる。


「まるで、貴族の子弟として軍に志願するしかなかった叔父様の――お父様の末弟である貴方の人生のようね」


「……」

 

 ミアは挑発を続けたが、ラシュエルは血を纏ってもおらず、武器すら生成していなないままだった。真正面からミアを見つめるその視線には、敵意ではなく、深い懸念が宿っている。


「戻れ。お前はここで死ぬべきではない」


「いいえ、戻らないわよ」


 ミアの答えは即答だった。


「ミアよ、私相手に勝機があると思っているのか?」


 ラシュエルはミアに憐れむような視線を向ける。


「叔父様は、私を案じて言ってくれているのかしら。でも、私は引けない。あの男――ライトが動いたのなら、これはもう歴史の転換点よ。私達はそれだけのことを引き起こせたということね」


 ミアの声には冷えた炎が宿る。かつて御伽話の物語に夢を見た少女の声のない叫びは誰にも届かず、大きな悪意として膨れ上がっていた。


「ねえ、叔父様。私気がついたんだけれど、この歪な帝国を作ったのは、建国の英雄と謳われるライトなのよ。人族は彼を英雄と讃え、崇め、すがっている。……でも、英雄は、決して人族を救わなかった。彼が示した強さは、せいぜい御伽話で幼子を救うだけ……。現実は、こんなにも不条理なままなのに」


 ミアは両手を上げる。ミアがドレスの装飾のような形で身に纏っていた血は、それに呼応するように集まり、彼女の周囲に赤黒い光として浮かび上がった。


「私の矢が、私の血が、この欺瞞に満ちた時代に終止符を打つのなら、それでいいのよ。だって、歪みきった秩序にただ従うだけの世界では、どれだけ願ったって、声なんて届かないものね」


 ミアの声には、亜種族が人族を歪に支配する帝国への諦念が滲んでいた。彼女は幼い頃、英雄譚に胸を躍らせ、真に強い者が正しく道を拓く世界を夢見た。その果てにミアは、「帝国を壊そう」と甘言を囁く反乱軍の――フィロンの手を取ってしまった。

 さらに、ミアは、サキとの出会いによりかつての友であったセレスティアの選択の真実も知ってしまった。

 ならば、余計に。

 ――もう、あんな過ちは繰り返したくはないから。


「強い者だけが、歴史を選べる。……だけれどそれが、血統や種族による歪んだ支配では退屈じゃなくて? ……私はそれが正しく為される世界を望んで反乱に身を投じたの。だから私は……必要とあらば、その理想のためにこの身を射抜かれる覚悟だって持つのよ」


 赤黒い光は空中で形を変え、弓矢の形を取る。ミアは、未だ血を纏ってもいないラシュエルに矢を向けた。


「……自分の意思のない、軍の操り人形のような叔父様が昔から嫌いだった。だから、叔父様が私に忠告しに来るだなんて、少しだけ……本当に少しだけ、意外だったわ」

 

 ラシュエルはしばらく沈黙した。そして、諦めたように首を横に振った。

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