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第51話 夜の都 2

 一人愚痴をこぼしながらもフィロンは狂気的な笑みは絶やしていなかった。笑う理由は可笑しな話を思い出したからではなかった。ただ、笑っておかないと何かが壊れそうだっただけだ。


「……それとも、壊れているから笑っているのかな?」


 ふと呟く。戦場に散り逝く兵士たちを見ていると、十年以上前に吊るされて揺れていた兄の死体が脳裏をよぎった。あのとき何を思ったかはもう思い出せない。ただ、兄がフィロンを置いて脱走した。その事実だけが、今でも胸に突き刺さって抜けない。


「……兄さん」


 フィロンは物心ついた頃から二歳差の兄と二人きりで生きてきた。フィロンは自身の出自を知らなかったが、兄が小さくなったボロボロの、かつては豪華だったであろう服をいつまでも着ていたことから、ある程度は察していた。兄は貧民街のリーダー的存在だった。

 フィロンはそんな兄を慕っていた。入軍をするのも一緒で、フィロンは兄と気持ちを一番に分かり合っていると信じていた。長い時間を共にしてきた唯一の身内だった。それなのに、なぜ部隊を抜けるとき兄はフィロンを連れていかなかったのか。……重荷だったのか。……暗殺部隊で自分より優れた結果を出すフィロンのことが憎くなっていたのか。


 いつか兄と路地裏で肩を寄せ合って一緒に見上げた月は、フィロンの心情など知らずに今夜も無慈悲に闇を照らす。


 ――兄の選択の理由。……本当は、わかっていた。


「兄さんは、限界だったんだよね? 僕を誘わなかったのは、余裕がなかったのもあるかもしれないけど、一番はきっと……守りたかったからだ。巻き込みたくなかっただけなんだよね? ……でも――」


 ――でも、それじゃあ収まりがつかないんだ。

 

 許せなかった。兄を、ではない。兄をそんな選択に追い込んだ帝国を許せなかった。

 兄ほどの人間を壊れた道具に変えるこの国が――どうしてこんなにも、当然のような顔をして存在していられるのか。


「思い出すたびに腹が立って仕方ないね」


 フィロンは目を閉じて月を視界から消し去る。

 どうしようもなく憎かった。

 この腐りきった帝国も、亜種族も、それに盲従する人族の連中も、全部。

 兄を殺したのは――僕を置いていったのは――世界だった。正気の皮を被った、この狂った舞台だ。


 フィロンは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ただ妄信的に帝国を憎む。

 ――その仮面を(かぶ)っていた。


 ――帝国を壊すしかない。

 

 そう思っていないと、やっていけなかった。


 ――だから。


 ――だから、僕は壊すんだよ。

 この舞台(くに)を。


 武力で敵を葬る方法だけを教わってきた。……そのせいですべてを失ったが、戦うことはきっと間違いではない。その生き方しか知らないから……そう信じて進むしかない。……最後にこの世界を踏み潰して、心の底から笑うために。そして、兄の――いや、フィロン自身の人生を肯定するために――。

 

 妄信が生み出した狂った世界の未来図に、フィロンの悪夢が滲む。フィロンは今夜も破壊者の笑みを――仮面を貼り付けたまま、闇夜に立っていた。


 **


 北門。

 フィロンは自身に覆い被さるように倒れてきた大柄な兵士の屍を回し蹴りで蹴飛ばすと、次の敵へと向き直った。


 帝国軍の守りは固い。兵士もかなり集まってきた。

 だが、報告の通り、鋼鬼四天はミアとヴェルデが守る要塞に差し向けられているらしく、北門にはいない。

 

 このまま力尽くで押し切れば、北門を陥落させられる――そのはずだ。北門を落とすことは、追い詰められた反乱軍にとって起死回生の一手となる。フィロンは状況を覆すため、賭けに出ていた。


 作戦は単純だった。フィロンが先行して帝国軍の北門拠点に潜入し、指揮官を討つ。その直後、反乱軍の主力部隊が北門へ一斉に突入する。


 ――作戦は順調に進んでいた。

 指揮官を失った帝国軍は動揺し、統率を欠いた。兵士たちは次第に烏合の衆と化した。


 フィロンは剣を振るいながら兵士の間を駆け抜け、前線を切り拓いていった。目指すは北門のさらに奥、都の中心部だ。


 だがそのとき、戦場の喧騒の中、不意に足が止まる。

 まともに動かない右腕に付けられた腕輪が、微かに震えていた。

 

 右腕を押さえて立ち止まったフィロンに、好機とばかりに帝国軍の兵士は波のように押し寄せる。

 

『フィロン、聞こえますか!?』


 そのときフィロンの腕輪から響いたのは、ユリアナの声。フィロンは彼女に拠点の防衛を一任していた。フィロンはユリアナに緊急時以外の連絡は禁止していた。ユリアナが連絡してきたということは……拠点に異常事態が起きている。


「何があったの?」


 問いかけつつも、迫りくる兵士への対応を優先する。眼前を過ぎる剣を間髪で避ける。その剣はフィロンを狙っていた別の兵士の右眼を貫いた。動揺した男の首を斬って宙を跳び、一時的に最前線から退く。

 周囲の反乱軍の兵士はフィロンの代わりに帝国軍に突撃していった。絶命する両軍の数多の兵士を横目に、フィロンは再び腕輪へ意識を向けた。

 

『拠点が襲撃を受けました』


 腕輪から、再びユリアナの声が揺れる。


「何?」


『おそらく襲撃しているのは……サリィです』


 腕輪の向こうでユリアナは絞り出すように声を出す。フィロンの動きは一瞬だけ止まった。


「……そう。ミア達には悪いけど、城は諦めるしかないかな」


 苛立ち、焦燥、そして諦念。複雑な感情を抱えながら、フィロンは思考を巡らせた。


「まあいい。どのみち、サリィとは決着をつけないといけないとは思っていたんだ」


 帝国軍の命令とはいえ、サリィはフィロンをはじめとして人族の子供達を帝国のための暗殺者へと育てた張本人だ。だが、フィロン達にとってサリィは親代わりでもある。


「……レーシュ達のことを考える必要はもうない。サリィはここで殺しておこう。……ここで奥の手を使うことも厭わない」


 サリィは厄介だ。フィロンもサリィと戦うことになると分かっていた以上、何の対策もしていなかったわけではない。多少の犠牲は必要とするが、秘策を用意していた。


「ただ……」


 サリィがこのタイミングで単身で乗り込んできた理由には疑問が残った。北門攻撃に全兵力を集中させた矢先を狙われたのか。いや、そもそもなぜ拠点の場所が知られた。偶然か、それとも……。

 

 背後から殺気。

 フィロンは即座に身を屈める。敵の剣をかわすと、返す刃で相手の腹を切り裂いた。兵士が絶叫して倒れるのを無視し、腕輪の向こうのユリアナに問いかける。


「具体的な状況は?」


 ユリアナが微かに息を呑むのが聞こえた。


『奇襲です。剣一本で乗り込み、片っ端から殲滅していく……彼女らしいやり方ですわ。長くは持ちません』


 ユリアナの声には焦りが滲む。持ちこたえているといってもサリィが相手では時間の問題だ。ならば考えるべきは、拠点を守ることではなく、何を優先して逃すべきかだ。


「……古城からはどのくらい逃がせそうなの?」


『……わたくしを含めて五人ほどでしょうか。ワープの秘術で逃走は可能なはずですわ。ですが、秘術の存在を知りながら無策で来ているとは思えません。何らかの対策がされていると考えるべきでしょう』


「そうかな? あの人は何でもかんでも力尽くで解決しようとする人だけど。……まあ、有能な将兵はかなり削ってあるとはいえ、帝国軍が何かしら策を打っている可能性はあるね」


 フィロンはユリアナの言葉を肯定する。


「僕としては……少なくとも、君とアレクシス殿、そして戦力になりうる吸血鬼族にだけでも脱出してもらいたいところだ」


『……秘術を使えるのは、多く見積もって三回です。……もし何らかの対策が施されていて失敗すれば、そこで終わりですわ』


「……」


 起死回生の一手として打って出た北門攻略は、順調だった。このまま攻めれば、帝国軍の心臓部に大きな傷をつけられるはずだった。だが、その間にユリアナが拠点ごと潰されたら……?


 撤退するか。このまま攻めるか。

 選択の猶予はない。


「とりあえず、ユリアナは僕のところに来て」


 **


 ユリアナは、地面に刻まれた波耀紋を見つめた。

 波耀紋は彼女が帝国の目を欺きながら何年もかけて各地に刻み続けてきたものだ。――すべては反乱軍の作戦成功のため――その先にある未来のためだ。


 拠点から逃れる手段は、もうこの波耀紋しか残されていなかった。


 今、この紋様を使えば、北門の波耀紋へ移動できる。

 そこには、フィロンがいる。

 腕輪はもう数回しか使えない。成功しなければ、それで終わり。


 ユリアナは唇を引き結び、目を閉じた。


 ――扉の向こうの喧騒がぴたりと止んだ。外に()()

 ――……賭けるしかない。


 ユリアナは精霊術の波耀を紋様に注ぎ込む。

 淡く光っていた紋が、波耀に呼応して輝きを増す。

 淡い橙色の光が地を這い、風が巻き上がった。空気が震え、景色が滲み、世界が裂ける。


 ふとユリアナは背後に悍ましい気配を感じた。――だが攻撃が当たるよりも転移するほうが早い。

 

 視界が揺らぎ――やがて、光の向こうに別の場所が現れる。そこが北門であることを、彼女は確信していた。


 **

 

 フィロンは、地面を走る光に気づいた。


 風が一瞬、逆巻くように空間を揺らし、波耀紋が発光する。次の瞬間、血と汗に濡れたユリアナの姿が転がり込んできた。


「ユリアナ!」


 即座に駆け寄る。彼女は肩から血を流していたが、意識はあった。


「……転移の直前、サリィの剣が背中をかすめて……」


 ユリアナはうめきながらも立ち上がる。決定的な致命傷ではない。

 

 ユリアナの血まみれの手を掴み、立たせる。そのとき、フィロンの背筋を、ひやりと冷たいものが撫でた。


 ――違和感。


 転移は終わったはずなのに、光が、消えない。むしろ波耀紋の光が輝きを増した。

 その光はいつもの淡い橙色の光ではない。怪しい紫紺の光が蠢くように揺らぐ。


「……これは!?」


 ユリアナも気づいた。顔色が見る間に変わる。


「まさか……」


 呟きは風に掻き消える。彼女の記憶の中にある波耀紋の秘術には、こんな反応はなかったはずだ。基本的に波耀紋は専用の腕輪を付けて紋様の上に立った対象以外を巻き込まない。

 なのに――なぜ?


 答えは、すぐに姿を現した。


 波耀紋が爆ぜる。眩い光と轟音。地面が裂け、重力が歪み、波耀紋を中心に爆発的な衝撃が広がった。


 フィロンは咄嗟にユリアナを抱えて庇う。爆風が二人を吹き飛ばし、瓦礫の山へ叩きつける。


「……くっ!」


 咳き込みながら、フィロンはユリアナを抱えたまま立ち上がる。

 

 土煙の向こう側。波耀紋の中心には一人の鬼族の女が姿を現していた。

 まず目につくのは額の一本の角。

 そして、血に濡れた剣を肩に担ぎ、長い緑髪を垂らしてどこか物憂げに夜空を仰ぐように立つ姿。


 ――サリィだった。


「……フィロンか」


 下ろされた視線に、目が合う。名前を呼ばれた瞬間、フィロンは目を見開く。あの低くて静かな声。背筋の伸びた姿勢。少し年老いたはずのその目に宿るのは、かつて幼い自分たちを見守っていたときのままの眼差し。


 ――変わっていない。


 まるで、忘れられたはずの昔の夢の続きを見たような、そんな感覚がした。


「……僕の兄さんが死んだ夜も、あなたは確かそんな目を僕に向けた」


 呆気に取られて目を瞬いた後、フィロンは即座に剣に手をかけた。


 サリィは静かに彼らを見つめていた。視線を下ろしふっと笑うと、肩の剣をゆるく一振りした。

 その動きは軽いが、確実に殺気を帯びていた。


 フィロンの右手の剣が震えるのは、武者震いか、それとも――。


「虚しい殺し合いになる、フィロン。……さっさと終わらせようか」


 サリィの声が、静かに、冷ややかに響いた。

 

 北門に集う三人。

 空気が変わる。

 時間が重たく流れる。

 彼女の手の内に、いつの間にか自分たちが取り込まれていたという現実に、フィロンは背筋が粟立った。


「……」


 フィロンはサリィの言葉には無言だったが、その顔は歪に笑っていた。


「……ユリアナは逃げなよ。自分の身くらいは守れるでしょ? サリィは……僕がここで殺すから」


 フィロンはユリアナの耳に顔を寄せて囁く。ユリアナは頷いた。ユリアナは自身の肩に波耀を流し込み、傷口を塞ぐ。

 

「都でいくらかの工作をしてから、城の波耀紋で再び拠点に残った吸血鬼族と合流しますわ」


「……そう。シュタット城にはカティアがいるから無理はせずにね」


「……はい」


 フィロンの言葉に、ユリアナは自分の読みの甘さを歯噛みする。だが、すぐに走り出した。

 ユリアナの頭にはある事実が巡っていた。


 ――城にいるのはカティアだけではない。おそらく城の地下牢にはソニアもいる。


 カティアとソニア。ユリアナにとってはあまり面白くない組み合わせだ。長い金髪と白い羽織を靡かせて駆けながらも、ユリアナは己の取るべき行動を迷う。ユリアナはぎりっと奥歯を噛み締めた。


 ――ソニアを迎えに行くのはすべてが終わった後と決めていた……。……だけれど都に来てしまったからには……。

 


 駆けていくユリアナを尻目にフィロンはサリィに向き直る。


「じゃあサリィ、久しぶりに手合わせといこうか」


「私に一人で刃向かおうとは。死にたいのか……それとも、まだ悪夢に酔ったままなのか」


 サリィは、何もかもを見透かしたような笑みを浮かべながらフィロンに剣先を向ける。


 **


 サリィの登場は、北門の戦局を完全に変えた。

 フィロンは帝国軍と戦いながらも、サリィに意識を向けざるを得なくなる。


 フィロンが逃したユリアナはどのような行動に出るのか。

 

 フィロン達の混乱の様子を、離れた建物の影から覗き見る二つの人影があった。サキとラキだった。サキはしゃがんで、ラキは立って建物の影に入り込んでいる。


「サキ。今は落ち着いているよな? ……これから動けそうか?」


「うん……。ラキが、血に呑まれて暴走しかけていた私を身を挺して止めてくれたから」


 サキは立ち上がって建物の後ろに隠れるとラキの傷口を指で撫でた。先ほど付けられたばかりの首筋の痛々しい噛み跡はまだ塞ぎ切っていない。


「ああ、正直、半狂乱で帝国軍の兵士の首に噛みついているサキを見たときは俺も平静ではいられなかったけどな。サキが俺の血を飲んですぐに正気に戻ってくれたから落ち着けたよ」


 サキはラキの言葉の意味がよく分からなかったが、とりあえずラキに負担をかけてしまったことだけは理解した。


「うっ……悪かったわね。理性が飛んでしまっていたの。私、まだ大量の血には酔いやすいのかもしれないわ」


 サキが申し訳なさそうに謝ると、ラキは首を横に振った。


()()互いに気にしないでおこう。俺たちの目的は戦争を終わらせること……そして何よりラナの正気を戻すことだからな」


 ラキの言葉に、迷いと躊躇いに淀んでいたサキの瞳は晴れる。それを確認してラキは言葉を続けた。


「ユリアナは城に向かうと言うのが俺の耳には聞こえた。城には……おそらくソニアやレーシュが囚われている」


「私たちも、薬を作ったレーシュがいる城に向かうべきね」


「そうだな。フィロンとサリィは、共倒れしてくれるのが理想だが……そう上手くはいかないだろう。危険で、さらに得られるものが明確でないほうに首を突っ込む理由はない。俺たちはユリアナを追おう」


 サキは立ち止まったまま、駆け出したラキの背中をしばらく見ていた。

 血が滲む衣服が目につく。サキはまたラキを傷つけてしまった自分のことが許せずにいた。血に呑まれて我を失い、ラキ達を巻き込んで……。悪い思考が溢れて止まらなくなっていた。


 気持ちを切り替えようと息を大きく吸う。だが、先ほど啜った兵士とラキの血の味が混じって喉の奥に入り込み、腹の底で熱く燃えて――。


「……っ」


 サキは小さく嗚咽をこぼした。溢れてきた液体で視界が霞み、俯向く。


「サキ、しっかりするんだ。……俺のことは気にするな。俺はそれでもお前といることを選んだんだ」


「ラ、ラキ……でも」


 両肩を掴まれて言われた。はっとして顔を上げるといつのまにかラキはサキの目の前に立っている。しどろもどろなサキの様子にラキはため息をつく。次の瞬間、ラキは自身の腕をサキの口に押し当てた。


「な……んむっ……!?」


 牙が皮膚を破り、血があふれる。鉄の香りとともに、温く濃密な液体がサキの口内に流れ込んだ。一番飲み慣れたラキの血でサキの口内が満たされていく。


 ――ラキの匂い……。ラキといると、なんだか安心する。


 鼓動が速まる。甘く、熱い。ラキに傷をつける――それは罪深いはずの行為なのに、なぜだろう、心が静かに満たされていく。傷口から流れる血は彼の痛みの代償だというのに、サキの心に生まれたのは痛みではなく、安らぎだった。


 サキはゆっくりと血を啜りながら、ラキの腕を両手で包み込んでいた。肌の下で感じる鼓動、張った筋の感触。ひとつひとつが、自分を赦してくれているようだった。


 息継ぎをしようと唇を離すとき、もう少しこのままでいたいという、理性に背く欲があった。だが、ラキはサキが牙を抜くとすぐに腕を引いた。


「……頭は冷えたか?」


 ラキの声が、静かに落ちてくる。サキは火照った顔が冷えていくのを感じながら微かに頷いた。


「あ……うん。ありがとう、ラキ。……傷は、痛くないの?」


「今更この程度はかすり傷だ。吸血された傷だからすぐ塞がるしな。……何より俺もすっきりしたから、いいんだ」


「……? まあ、そうならいいんだけど。それより……ラキ、一応ひとつだけ言いたいことがあるんだけどいいかしら?」


「なんだ?」


「さっきは……その」


 サキは体の側面で両手で拳を握りしめて、何やら言いにくそうにしている。ラキはサキの顔を覗き込むと、サキはようやく口を開いた。


「さっきは、油断していただけで……油断していなければ、ラキ程度の不意打ちくらい反応できたから!」


「……は?」


 ラキは呆気に取られたように何度か目を瞬く。一体何を言われるのかと身構えていたラキは、予想だにしなかった言葉に呆然としていた。


「なによ? また、全部終わって落ち着いたら、再戦しましょうよ。絶対に、私が勝つから」


「ふっ……ははっ……そうか。それはすごいな」


 的外れな発言でふてくされるサキに、ラキは含み笑いで言う。唇を尖らせていたサキだが、いつも通りのやり取りに、やがて()()()()ような笑顔を浮かべた。サキとラキは顔を見合わせて頷く。二人は今度こそ走り出した。

 


 ユリアナを追って都の中心部に向かいながらも、サキはまだ不安が完全には拭えなかった。


 ――不安は私たちのことだけではない。……フィロンとサリィはこれからどうなるのだろう。


 どちらがどちらに殺されることになったとしても、サキにとってはわだかまりが残る結果になる。


 ――ラナのを元に戻すことにも、戦争を終わらせることにも手が届きそうなんだ。余計なことを考えている暇はない。

 ……でも。私は……一体、何をこんなに怖がっているんだろう? この重たく沈んでいくような気持ちを前に感じたのは……たしか――。


 ――……ミラク……?


 サキの口から吐息とも区別のつかない音量で発せられたその名前を、ラキの獣耳は捉えてしまっていた。

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