表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
65/86

第49話 すれ違い

 都の中心にそびえる巨城を見上げる。

 サリィはライトが去った後の帝国軍の象徴的な存在だ。戦争中に警備兵支部や砦にいるとは考えにくい。ライトは迷うことなく城を目指し、その正門へとたどり着いていた。


 城の周囲は警備兵と帝国軍の兵士たちによって厳重に守られている。槍を携えた大柄な男が近づいてきたため、兵士たちは一斉にライトを取り囲み、剣を向けた。


「何者だ、反乱軍の手先じゃないだろうな!?」


 恐れを隠しきれていない声だった。軍服を着ていないからといって、即座に敵と断定はできない。だが、槍を持つ男の気配が只者でないこと、そして帝国軍の包囲網を抜けて正門まで無傷でたどり着いた事実は、一目で理解できたのだろう。


「俺には、お前達と戦うつもりはない。サリィのところに案内してくれないか」


「何だと!?」


 名乗りもせずサリィに会いたいという要求を突きつけるライトに、兵士たちは警戒を強める。だが、その中でひとりの年長の兵士が目を見開いた。彼は何かに気づいたように息を呑んだ。


「その槍、その顔……。あなたは、まさかライト将軍では……!?」


 確信とともに語気が強まる叫び。兵士たちにどよめきが奔る。精悍な槍、長身の体躯──。緑だった髪は白く染まっていたが、それでももはや疑う余地はなかった。


 年長の兵士は、サリィは鋼鬼四天の部屋か地下牢にいるであろうことを告げる。


「そうか」

 

 ライトは短く返すと、興奮冷めやまぬ兵士たちを押しのけるように進み始めた。年長の兵士が案内を申し出たが、必要なかった。


 なぜならこの城は、五十年前に人族の将軍となって以来、彼にとって馴染み深い場所なのだから。


 **


 石壁に囲まれた薄暗い空間。

 地下牢の奥に、長い緑髪の女性が静かに佇んでいた。ライトは、十五年ぶりの再会を果たす。


「……来たのか。思ったよりは早かったな」


 背後の気配を察知し、サリィは皮肉と共に振り向く。

 彼女は腕を組み、じろりとライトを睨んでいる。冷徹な眼差しは、かつての信頼の色を微塵も残していない。


「本当に来るとは思わなかったぞ」


「まさか、お前に呼び戻されることになるとはな」


 久々に相対したというのに、二人の会話は噛み合わない。

 だが、それも当然だった。今さらライトが向き合おうとしたところで、かつての関係はとうに崩れ去っているのが現実だ。

 

 ライトは薄闇に目を凝らす。

 サリィの傍らには鋼鬼四天のカティア、そして無惨に拘束されたソニアたちの姿があった。ライトの目が彼女らを一瞥する。血と泥にまみれ、もはやまともに動ける者はいない。


「……どういうことだ、サリィ」


 抑えた声。薄暗い地下牢では表情は見えなかった。だが、まるで頑なな正義でも気取っているかのようなライトの態度は、サリィの神経を逆撫でする。


「お前が育てたはずの子供たちを、なぜこんなふうに扱う?」


「……は?」


 続くライトの言葉に、サリィは怒気とともに首を傾げた。

 

「くふっ、さすがライト……」


 カティアは、ライトを冷ややかに一瞥し、サリィを見つめて憐れむように微笑んだ。


「ライト、貴様がそれを言うのか?」


 サリィの声には煮えたぎる憤りがあった。

 一歩、また一歩とライトに近づきながら、サリィは自らの胸の内にあるものを確かめるように言葉を紡いだ。向かい合う長身な二人。わずかにライトの方が背が高い。


「自分のことは棚に上げるのだな」


 言葉を返さないライトに、その昔彼に抱いた感情すら、全て嘲笑われた気がしてサリィは奥歯を噛み締める。


 ――そのとき。

 薄暗い地下室の中、地上に繋がる格子窓から差し込んだ光がライトの顔を照らした。

 ライトはサリィから目を逸らし、口を結び、そしてまたサリィの目を見る。

 

 ――その機微から、サリィは理解してしまう。

 彼女にとってライトはかつて、無知ゆえに慕ってしまった相手。


 ――ライトは不器用ながらも、責務と負い目に向き合うことを決意して都に来たのだ。

 彼女はライトの本心を悟ってしまった。


 ライトは過去に向き合うために都に来たはず。にもかかわらず、彼は元来の正義感ゆえ躊躇いなく見当違いな指摘をする。

 

 頑固で不器用なのは知っているが、いや、理解しているからこそ腹立たしかった。


「……呆れるな」


 サリィは吐き捨てるように言い、目を細めた。夕陽のような瞳には、心の奥底に巣食う激しい後悔が渦巻く。


 **


 ――私は、過去を記憶の奥底に押し込め、あらゆるものを犠牲にしてライトを呼び戻した。軍のためにと熟考の末の決断だった。

 

 なぜか無性に、ライトを呼び戻す必要があると感じていた。軍の深部まで及んでいる反乱軍の手に、次々と反旗を翻す辺境の亜種族たち。手の打ち用がライトしかないと思ったのは事実。


 だから、私は彼をここに呼び戻したのだ――軍のために。そう、軍のために。

 ――だが、ライトと十五年ぶりに相対した瞬間。

 その確信は揺らぎ始めた。


 変わっていない。

 多少の覚悟はしてきたようだが、ライトの本質は何も変わっていなかった。

 あの頃と同じ、不器用さと頑固さと、そして浅い正義感ゆえに愚かな過ちを繰り返す。どれだけ歳月が流れようと、戦場が変わろうと、彼は相変わらず自分の信じる道を突き進むだけだ。


 ――胸の奥で静かに燻っていた何かが、一気に燃え上がるのを感じた。


 思考の奥底から湧き上がるのは、いつか見た夕陽よりももっと赤黒く、もっと恐ろしい問いだった。


 ――ライトを呼び戻す必要があると感じた本当の理由。それは……殺したかったからなのでは?

 

 思い至った瞬間、燃えるようだった全身に、冷水に浸されたような感覚が走る。

 私は、ライトを殺すために、ここに呼んだのだ。

 ――軍のためではなかった。

 それを認めたとき、ようやくすべてが腑に落ちた。


 **


 城の地下牢。二つの影が向かい合っている。


「……まあいい。ライト、軍が貴様に望んでいるのは二つだ」


 サリィは静かに言葉を紡ぐ。


「簡単に言えば、かの戦争のときのように辺境の地の反乱者を一掃すること。そして、再び帝国軍の象徴となり、略奪者どもの抑止力となることだ」


「……具体的には?」


 サリィは息を吐く。


「反乱軍が北部の要塞を拠点にし、防衛戦を展開している。軍の戦力では突破が困難と判断された。貴様の任務は、要塞を陥落させ、戦線を押し上げることだ。すでにイーラとラシュエルが向かっているが、鉄砲玉のガルザ無しでは戦果が芳しくない。突破して指揮を上げろ」


 地下牢の薄暗い明かりの下、サリィの瞳は鋭く光る。

 ライトの眉がわずかに動いた。


「……ガルザ無し? ガルザはどうした」


「死んだ。……死体から見て、おそらく殺したのはフィロンだ」


 短く告げられた言葉に、ライトはわずかに目を細めた。


「……フィロンが、か」


「ああ。貴様も軍にいた頃、わざわざ子供たちに会いに砦まで来たことがあったな」


「……今言った任務は、お前でもできるんじゃないか? 何も俺じゃなくてもいいだろう」


 サリィは微かに笑った。


「……私はフィロンの居場所を掴んだのだ。奴らは、判明しているだけでも帝国の根幹を担っていた大臣を四人殺害している。生かしておくべきじゃない。反乱の指揮者であるフィロンも、ユリアナも――私が全員、殺す」


 ライトはサリィを見つめた。


「お前は……それでいいのか?」


 サリィはライトを一瞥する。その目は、氷のように冷えていた。


「なに?」


「フィロンは……お前が育てたんだろう?」


 ライトの言葉に、サリィの眉がわずかに動く。しかし、それはすぐに苛立ちへと変わった。


「だからどうした」

「お前の手で殺すのか?」

「当然だ」


 サリィの声は揺るがない。


「奴は私が育てた。私の戦い方を、私のやり方を教えた。だが、最終的に道を違えたのなら――その責任も、私が取る」


「それは……もしかして俺に言っているのか?」


「ほう。貴様が嫌味を理解するとは、驚いたぞ」


 サリィの目は、もはや何を言っても揺るがない。彼女はすでに決断し、その道を進む覚悟を決めている。


 ――それでも。

 ライトは、槍を握る手に力を込めた。


「……貴様は、私の邪魔をしたいのか?」


「違う、そうじゃない」


 ライトは必死に言葉を探す。だが、どれも陳腐な説得にしかならない気がして、口に出せなかった。


「ならば、黙っていろ。昔から、何一つ変わらない。勝手な正義感を振りかざして、人を説得できるとでも思っているのか?」


 サリィは地下牢の冷たい床を踏みしめ、ライトを睨みつけた。


「邪魔をするなら――貴様も殺すぞ」


 むしろそれこそが望むことだというようなサリィ。

 サリィはそれ以上何も言わず、ライトに背を向けた。


「待て」


 その言葉に、彼女は立ち止まり、首だけで振り向く。振り返った彼女の瞳には、嘲笑と憤怒、そしてわずかな――ほんのわずかな、寂しさが滲んでいた。


「本気で私を止めたいならば……殺すしかないぞ」


 地下牢の冷たい空気が、二人の間に張り詰める。

 この対峙が、避けられぬものであることを、ライトは悟る。


「……フィロンを殺すというのは、軍の命令だろう? お前の意思ではないはずだ」


 ライトの声が、地下牢の静寂を切り裂いた。

 ライトは、サリィの背を見つめながら続ける。


「お前は本当に、それを望んでいるのか?」


「……何を、今さら」


 サリィは小さく笑った。


「私は軍人だ。命令には従う。それが私の生き方だ」


 ライトは首を横に振る。


「それは違う。軍に、今さら俺を呼び戻す選択肢などなかったはずだ。俺を呼び戻したのは、お前の意見なんだろう?」


「……貴様に何を言われようと、私は自分のやるべきことをする」


 その声には、わずかに揺らぎがあった。

 だが、その胸の内には確かな確信もあった。戦争が終わるそのとき――二人の間に、避けられぬ戦いが待っているという、確信が。


 **


 帝国軍と反乱軍が各地で激突し始めてから、五日ほどが過ぎた。

 都もまた、戦場と化していた。

 反乱軍は城を落とすため、そして帝国軍の主力を都に引きつけるために、都へ攻め入った。街の広場では、反乱軍が築いた即席の防衛線の向こうで、帝国軍が突撃の機をうかがっていた。

 

 戦場の合間には逃げ惑う民の姿が絶えず、戦火に飲み込まれた者たちの嘆きが響いていた。瓦礫の下で動かなくなった母親にすがる幼子の悲鳴と、帝国軍と反乱軍の戦闘音が入り混じる。そんな混沌を私たちは見た。

 


 ――覚悟は決めていた。

 私たちは、その光景を前に、ついに決断を行動に移した。


 

 ラナの薬の情報を集めながら、私たちのやり方で戦乱に巻き込まれる民を救うため、動き始めた。

 


 でも、現実は――こんなにも苦しい。

 夜の闇に揺らめく炎。それは民の暮らしの暖かな灯火ではなく、帝国軍と反乱軍が作戦を巡らせ、戦を続けている証だった。


 私たちは戦うことで民を救おうとしているのに、それが本当に正しいのか、わからなくなるときがある。

 助けた人々は、私たちに協力してくれるようになった。でも、それは……彼らを戦いに巻き込んでしまったということでもある。


 それでも、もう後戻りはできない。

 私たちは進む。ラナを取り戻し、帝国の過ちを正すために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ