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第48話 ライトが見たもの

 夕刻、空は茜色に染まっていた。焼け落ちた村の瓦礫の影が長く伸び、立ち上る煙が沈む陽光を赤黒く濁らせていた。


 ライトはいくつもの異変を目の当たりにしていた。

 

 ――ギルドに掲げられた帝国の旗を引き裂く者。駐在の兵士を容赦なく襲う者。そして村から略奪を繰り返す野蛮者。……帝国の治安が悪化しているとはいえ、異常すぎる事態だった。


 シャトラント村を後にし、山道をひた走ること一日。

 ライトが辿り着いたのは、荒れ果てた山間の村だった。そこには、反乱軍、そして戦乱に乗じて略奪者に成り下がった冒険者たちが引き起こした惨劇があった。


 血の臭い、焼け落ちた家屋、道端に転がる死体。略奪者が跋扈し、逃げ惑う民が悲鳴を上げている。

 大陸戦争時代にすら劣らない荒廃に、ライトの顔に暗い影が落ちる。


 彼の脳裏によぎったのは、かつて修羅のように奮戦し、その結果として戦争を終えた記憶。虚しい戦争と建国英雄と讃えられた輝かしい幻影。陰と陽の思い出。


 もはやそれは、崩れ去ってしまった、色褪せた夢だった。

 

「……帝国を揺るがすほどの事態になっているのか」


 噂を聞かないサキのことや、サリィとの因縁だけではなく、シャトラント村も心配だった。迷わず飛び出してしまったが、帝国の西の果てにあるとはいえ、シャトラント村に害が及ぶのも時間の問題かもしれない。

 今さら引き返すわけにはいかないライトは、道場に通う子供や若者たちが持ち堪えてくれることを願うしかなかった。


 事態を収めるために早く都シュタットに着かなければならないという気持ちが、より一層強くなる。


 ――都への急ぎたい気持ちの一方で。

 それでも、ライトの元来の正義感は目の前で助けを求める者を見過ごすことを許さなかった。

 彼は血の匂いの中を駆けていた足を止めざるを得なかった。


 ――戦場の混乱に乗じた略奪者たちが、村を襲っている。逃げ惑う老人と子供。泣き叫ぶ者を嘲笑い、剣を振るう賊。

 

 無慈悲にも剣が振り下ろされる――その前に、槍が閃いた。

 

 長年にわたり殲獣や敵の血を吸い続けたその槍は、建国の英雄に相応しい壮健な一振りだった。殲獣の牙から成る刃は白き輝きを放ち、柄に繋ぎ合わされた殲獣の骨と鱗から成る赤い紋様は、槍に施された魔術と、その異様なまでの強靭さを示す。

 

 ライトの剛力にも耐え得るその槍は、目にも止まらぬ速さで旋回する。

 

「……邪魔だ」


 淡々とした声とともに、略奪者が地に伏す。


 悲鳴。混乱。蹂躙。

 荒れ果てた光景は何も変わらない。ただ一つ違うのは、今この場の支配者が、略奪者からライトへと変わったことだ。


 圧倒的な力で、狂ったような叫び声も無意味な反撃も、すべて粉砕する。


 静寂。

 ただライトに救われた老人と子供の荒い息遣いだけが、あたりに漂っていた。


「無事か?」

 

 素直に手を差し伸べることもできないライトだが、その瞳の奥には憂慮が滲む。問い掛けに対して礼を述べると老人はふらつきながらライトに歩み寄った。老人は焼き払われた村の村長だと名乗った。


 煤けた髭には血と泥がこびりつき、皺深い顔は疲労に覆われていた。しかし、その瞳の奥には、それでも諦めまいとする意志が宿っていた。

 

「命を救っていただいた手前、これ以上、無理は言えんのは分かっております。ですが……この村はもう、持たぬのです。一つ、お願いを聞いてはいただけないでしょうか」


 掠れた声は、長年の苦労と、村を守る者としての責任の重さを滲ませていた。自らを鼓舞するように拳を握るその手は、皺だらけで、爪の間には焦げた血がこびりついている。

 老人がどれだけ村を守ろうと抗ったのか、その姿が物語っていた。

 ライトは眉をひそめる。

 

「まだ何かあるのか」

 

 老人は唇を噛みしめた後、低く囁いた。

 

「ドラゴンがいるのです」


「……」


「村の外れの岩場に棲みつきまして。家畜を奪い、近づく者を焼き払う……。誰も手が出せんのです」


「……俺は急いでいる」


 不器用なライトは冷たい声で言った。

 老人は残念そうに目を伏せた。十歳にも満たないほどの子供は老人の裾を掴んで呆然と立ち尽くしたまままだ。


「そうですか……」


 それで、終わるはずだった。

 ――だが。ライトの目に映る村長の姿が、シャトラント村の村長とふと重なる。


 思えばライトにとってシャトラント村の村長は義兄のような存在だった。親のいないライトを育ててくれた先代村長には感謝していたが、遊び呆けて悪態をついてくるばかりだった現村長のことをライトは良く思っていなかった。だが、今なら分かる。生まれたときから村長としてシャトラント村にとどまることを決められていた彼は、大義を胸に旅に出ることができるライトが羨ましかったのだ。

 

 五十年前のあの日、黙って村から出て行こうとしたライトを、彼は送り出してくれた。

 ……だが、今回はライトは村長にも何も言わずに村を出てきた。

 ――わずかな罪悪感が心の底でくすぶる。目の前の知らぬ村の村長は、シャトラント村の村長とは別人だが……仕方がない。重ねてしまった以上、もう放ってはおけない。ライトは小さく息を吐き、槍を握り直す。


 ライトは村の惨状を見渡す。このまま村が殲獣に襲われたら、全滅は避けられないだろう。どのみち殲獣を狩っておかなければ助けた意味がなくなるかもしれない。


「場所を教えてくれ」


 老人が目を見開く。


「……よろしいのですか?」


「ああ。いいだろう」


 ライトは僅かに目を細める。

 その言葉に、黙り込んでいた子供は一瞬息を呑み――次の瞬間、驚嘆が上がる。いつのまにか、周囲に集まり始めていた他の村人の間にもどよめきが広がる。


「本当か……!?」

「あのドラゴンを……!」


 子供は、まるで光を見たかのようにライトを見つめている。これまで何をしても歯が立たなかった相手に挑むというのだ。当然、彼の実力を知る者はいない。だが、先ほど略奪者を一掃した姿を見たばかりの村人たちは、期待を抱かずにはいられなかった。


「ありがとう……!」


 老人が深く頭を下げる。そして老人はドラゴンが棲みついている岩場の場所を指差す。


 目の前の森の奥にあるという岩場。この瓦解した村から数刻の場所にドラゴンが棲みついているとなるとやはり放ってはおけない。


 ライトは森を見据える。彼の内面では、計り知れぬ決意と血潮が騒いでいた。

 ――このとき。

 ライトの思考は、狂気じみた方向へと逸れていた。

 

 ――どれだけ急いでも、間に合わないのではないか。……ならば――ドラゴンを従えれば……?


 それは、本来ならばありえない思考だった。ドラゴンは、幻獣種型の殲獣の象徴的な存在。絶対的な強者だ。人が使役するなど、普通の発想では到底思い至らない。


 しかし、焦燥に焼かれた彼の脳は、普通の枠を超えていた。この惨状、都で何が起こっているのか。このままでは遅すぎる。都に行かなければならない。ならば――。


「……そのドラゴンは俺がもらうぞ」


 ライトは踵を返しながらぼそりと呟く。その声は果たして周囲の村民たちに聞こえたのか。槍を持つ、堂々とした後ろ姿を、彼らは敬意を持って見守っていた。


 沈みゆく陽が、ライトの背を赤く染めていた。その影は、まるで炎の中から立ち上がった幻のように――揺るぎなく、誇り高く、燃え上がっていた。

 その光景に、年老いた村長は目を見開く。


「……ま、まさか。髪が白いんでわからなかったが……あれは十五年前に都を去ったとされる帝国建国の英雄――ライト将軍では!?」


 村長の声は、驚きと希望を含んでいた。希望は、ライトが動いたならば、反乱軍によって引き起こされた地獄は終わりを迎えると予想したゆえに滲んだ光だった。

 

 **

 

 日が沈み、夜。月明かりの下、ライトは山にいた。山の中腹に達したとき、遠くから響く獣の咆哮が彼の耳を打った。彼の鋭い視線は、遠い都シュタットを夢見ながら、荒野の向こうに広がる夜空を見上げる。煌めく星々すら、彼の未来を望んでいるかのようだった。


 強烈な振動が大地を揺るがし、空気が焼けるように熱を帯びる。ライトは槍を手にし、気配を殺して獣道を進んだ。


 そして、ひらけた渓谷の先。


 黒き巨影が月に照らされる。鋭い爪、大蛇のような尾、爛々と光る琥珀の瞳。黒い獣は地を這う獲物を見下ろし、静かに唸り声をあげた。


 ライトはわずかに口角を上げる。ドラゴンはドラゴンでも、通常の赤い竜ではなく、夜に溶け込むその影は、黒竜だった。


「……お前をもらうぞ」


 次の瞬間、竜が咆哮し、烈火が大気を裂いた。


 しかし――そこにライトの姿はない。


 空を裂く音が響き、一閃が走る。竜の片目が血飛沫とともに落ちた。大地が震え、竜が怒り狂って跳躍する。だが、すでにライトはその背にいた。


「暴れるな。これ以上は傷つけたくはない」


 竜が空へ舞い上がる。片目を失いながらも、なおも抗おうとする。


 だが、ライトはその首筋に槍を突きつけ、囁いた。


「……従え」


 その瞬間、ライトの内に渦巻く圧倒的な力と殺意が竜を飲み込んだ。


 竜の本能が悟る――この存在には抗えない。


 **


 十日後――都シュタット城壁南部の門が騒然とする。


 空を裂く、巨大な影。降り立ったのは、黒き竜――そしてその背に乗る、一人の男。


 都の衛兵が呆然とする中、ライトは無言で竜を降りた。血と戦場の匂いを纏い、彼はただ一つの言葉を吐く。


「遅すぎたな」


 その言葉と姿は、略奪者を殺しながらも、都に早急に駆けつけたことを示していた。


 **


 帝国各地は戦火の気配に包まれていた。

 帝国軍と反乱軍の争いが勃発し、秩序はもはや崩壊していた。

 都も同様であった。崩れた建物、焦げた石畳。血の臭いはすでに薄れつつあったが、焼けた匂いと錆びた匂いが静寂に溶け込んでいる。


 しかし、その静寂は平穏を意味しない。


 荒廃した通りの影には、帝国軍と反乱軍の兵士たちが息を潜め、警戒を解かずにいる。

 どちらが勝ったとも言えぬまま、戦況は膠着していた。


 そんな中、城へ向かう道すがら、ライトは奇妙な噂を耳にする。


「……聞いたか? あの半吸血鬼の噂……」

「反乱軍と帝国軍の戦の最中、民を守って、民を連れてどこかへ姿を消すらしい……まるで影のように……」

「ただの義賊じゃない……戦を終わらせるために動いてるって話もある」


 足を止め、ライトは話し声の方を見た。

 噂話をしているのは、都に残った商人や職人たち。戦乱の中、どうにか日常を保とうとする者たちだった。

 彼らの声には疲労が滲んでいたが、それでも微かに弾んでいる。希望はまだ、断ち切られていなかった。

 

 ――彼らは戦場の中で、最小限の戦いで最大の成果を得るために動いている。民を救い、彼ら自身の手で停戦を呼びかけさせることで、戦争、そして帝国の歪んだ歴史を終結へと導こうとしているのだ。


 ――聞こえてきたのは、そんな噂だった。


 ライトは息を呑む。

 ――半吸血鬼。


 一つの名がよぎる。強情で、好戦的で、幼さが残り、生意気でもある少女。だが、育てた贔屓目もあるかもしれないが、槍を握れば強く、人に寄り添おうとする姿勢はどこか憎めない。

 しかし、半吸血鬼など他にもいるだろう。サキだと決めつけるのは早計だった。


「……らしいと言えばらしいがな」


 心に沈んでいた不安が、ほんのわずかに和らぐのを感じた。


 ライトは珍しくふっと笑みを溢し、もう一度噂話をしていた者たちを一瞥すると、静かに城へと歩みを進めた。


 ――その先に待つものが、期待通りのものではないとは知らずに。

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