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第41話 月下の密談

 夜の森は静かだった。小屋の中には、すきま風の音と遠くで鳴く鳥の声が微かに届く。

 私は膝を抱え込んでいた。灯された小さな蝋燭が壁に淡い影を落とす。揺れる大きな影の下でラナはじっと座っている。


 私達はまだ、今後の方針を立てられていない。傷を癒しながらラナの洗脳を解く鍵を探し、森の小屋に留まっている。


「……ラナ。まだ、何も思い出せない……?」


 背中をさすりながらそっと問いかけると、ラナは虚ろな目で私の顔を見上げる。名前を呼ばれた瞬間、ラナの獣耳がぴくりと揺れる。ラナは頭痛がするようにこめかみに手を当てた。


「はい。ごめんなさい……。私は……ただ、帝国のために反乱者を殺さなければいけないとしか……」


 無機質な声だった。感情の抜け落ちたその答えに、ラキの肩が小刻みに震える。次の瞬間、ラキは膝をつき、ラナの肩を抱いた。


「ごめん、ごめんな、ラナ……」


 ラキはラナの肩に顔を埋める。ラキの頬を涙が伝っていた。


 ラナは、その涙をじっと見つめていた。無表情な顔の奥で、ほんの一瞬、何かを言いかけたような気がする。


 ――ラナは、完全に壊れたわけじゃない。


 きっと、元に戻せる。

 私は二人をまとめて抱きしめた。


 **


 ラナは精神的に負担がかかっているためか、眉間に皺を寄せながら浅い呼吸で長い時間眠る。ラナが眠った後、私とラキは話をしていた。


「……なぁ、サキ。ラナのことだけど、やっぱりレーシュに会うしかないんじゃないか?」


 小屋の片隅で小さくなっていたラキが低い声で言った。私は背を壁に預け腕を組んで立っている。都でソニアとテツとレーシュに会ったことは、まだラキに話せていなかった。


「ど、どうして?」


 思わず目を泳がせてしまう。


「レーシュが、俺たちが飲まされた薬の開発者だからだ」


「レーシュ……ね」


 曖昧に返す。ラキはじっとこちらを見ている。


「やっぱりお前、都に一人で行ったときに何かあったのか?」


「う……」


 ラキは私の様子がおかしいとすぐに察してしまう。


「か、隠さないといけないことではないのよ。……ただ、言いづらくて……少し長くなるんだけれど」


 私は息を吐き、諦めて語り始めた。

 町でソニアたちに会ったこと。そしてレーシュに、ラナが完全に元に戻るかは分からないと言われたことを。


「……そうか。俺たちは軍に入ると置き手紙に書いた。だから、森を探されることはないと思っていたが……ソニアたちがなぜ町を走り回ってる?」


 ラキはラナが治る可能性は低いというレーシュの発言には触れずに、ソニア達が町にいたことの違和感を口にする。……私達は、ラナが治ると信じているからレーシュの言葉を信じて惑わされている場合ではない。


「ソニア達は私達を探しているというより……何か別の問題に対処しているようだった」


「……反乱軍に関することかもな。奴ら、計画を進めていると言っていた」


 ラキが腕を組み、考え込むように呟く。


「サキにはまだフィロン達の反乱軍のことは、簡単にしか説明していなかったが……反乱軍には、皇女ユリアナが関わっているらしいんだ」


「……帝国の皇女が?」


「ああ。何かが動き出そうとしているのかもしれない」


「……反乱軍と帝国軍の戦争は、もう目前まで迫っているのかもね」


 私は天井を仰ぎ、ゆっくりと息を吐いた。帝国が、そして私達が抱える問題は山積みだ。


「ただでさえ帝国の治安は悪いのに、戦争なんてふざけているわ。……何にせよ、私たちはラナを元に戻すことが最優先よ」


「……そうだな」


 ラキも同じ考えらしい。

 だが、ラナを助けたとして、それで終わりなのだろうか。ラナが目を覚ましたとき、帝国は何も変わっていないままだ。また別の誰かが、ラナのように利用され、道具のように扱われるはずだ。


 思考を巡らせ目を閉じる。


 そんな世界で、私はラキとラナと楽しく生きていけるのかな。シャトラント村のみんなだって……。


「あ、そういえば……シャトラント村に――ライトに送った手紙、もう届いているかしら?」


「お前が俺に書かせた手紙か。森で狩った殲獣の希少な部位を代金にしたら、速達のフクロウ型ですぐに出せたんだろう? なら、翌日には着いているはずだ」


 ラキが少し考え込むような表情を見せたあと、眉をひそめる。


「……でも、サキ。お前はライトを呼んでどうするつもりなんだ?」


 その問いに、私は一瞬言葉を詰まらせた。


「……ラナを助けるためよ」


「ラナを?」


「ラナを戻すためにレーシュを探すにしても、情報が少なすぎる。帝国軍の内部事情を知っている人間が必要だわ」


 ラキは私の目をじっと見つめる。言葉にはしないが、私が何かを隠していることに気づいている目だった。

 私は少し間を置いてから、もう一つの理由を小さく口にした。


「……それに……ライトにはサリィのことを思い出させてあげないとね」


 ラキの表情がわずかに動く。


「……お前、それでライトを呼んだのか? 名前じゃなく、ライトの娘よりって書かせたのって……」


「別に。たまたまよ。……ただ、ライトは自分の過去に向き合わなきゃいけないから」


 ライトは鈍いし、不器用な堅物だから、私が背中を押してあげないと、何もできないかもしれない。

 私が呟くと、ラキは呆れたように息を吐く。


「サキ、お前な……」


「なに?」


「いや……お前って、本当にそういうとこ誤魔化すよな」


 私はラキの視線を避けた。気づかれているのは分かっていたけれど、それでも言葉にするのは少し落ち着かない。


「……と、とにかく! ラナを助けるのが最優先なんだけど……それだけでは、終わらない気がするのよ」


 拳を握りしめ、俯く。脳裏に強く焼き付いている記憶。

 あのとき、私達は薬の影響で考え無しに帝国に従っていた。


「……お前、帝国のやり方が許せないって思ってるのか?」


 冷静を装っていたが、ラキの声はかすかに震えていた。


「……正直、前からずっと思ってた。……でも、洗脳されて砦で実際にあんな目に遭って……はっきりしたの。私は、今まで気づかないふりをしていただけだった」


 縛られて跪く無抵抗の人間に槍を振るう。……思い出しただけで、最悪の気分になる。私を殺そうとした盗賊や海賊に槍を向けるのとはまったく違った。互いに刃を交えるのではなく、ただ一方的に、命を奪う……。


 ……昔の私は、軍に入って名を上げて村に恩返しをしたかった。そして、強者との戦闘を楽しみながら強くなっていけば、それで良いと思っていた。


 ……ミラクと出遭ったせいで、色々狂い始めてしまった。でも、ラキとラナと出会って、私はまた都を目指そうと思った。

 その先に、何があるのか分からなくても。


「でも今……洗脳が解けないままのラナを見て……改めて思い知らされる。帝国のやり方は間違っているわ」


 爪が手のひらに食い込む。思い出すのは、無力で何もできなかった自分。ラキとラナを守れなかった、私の弱さだ。


「……もう、これ以上は見て見ぬふりはできない」


「……サキ」


 ラキの声が小さくなる。彼もまた、私と同じように考えていたのかもしれない。ラナがこうなってしまったのは、私達が弱いせい――いや、私が心身ともに弱く、余計なことに固執して道を見失っていたせいだ。


「ラナを元に戻すため。誰かが犠牲になり続ける帝国を変えるため。……そして、ラキとラナと、一緒に生き抜くために……戦わないといけないわ」


 私の言葉に、ラキはしばらく黙っていた。

 ラキがわずかに肩をこわばらせ、息を詰めたのがわかった。何かをこらえるように唇を噛みしめた後、静かにうなずく。そのうなずきには、決意と迷いが混じっていた。


「……俺も、ラナをこんな目に遭わせた帝国で、このまま普通に生きられる気はしない! ……だが」


 ラキはしばらく項垂れていたが、やがて思い直したように顔を上げた。


「――フィロン達のように帝国を相手取って戦争を起こしたとしても、状況が改善するとは俺には思えない」


 私はラキを見つめた。彼は真剣な表情で、未来を見据えているようだった。

 戦うだけでは、変わらない。

 帝国を変えるには、それだけでは足りない。


 外では、風が木々を揺らしている。

 小屋の中の薄暗い光の下で、私たちの運命は、大きく動き始めようとしていた。


 **


 霧が立ち込める崖の上に、古びた城がひっそりとそびえていた。石造りの壁は長い年月を経て黒ずみ、幾筋もの亀裂が走っている。静寂を破るのは、遠くの海が打ち寄せる微かな音だけだった。

 

 重厚な扉の向こうには広い空間が広がり、中央の長机には一枚の地図が広げられていた。燭台の灯がかすかに揺れ、壁際の甲冑や古い絵画がその影を伸ばす。地図を広げた長机の周りには数人の影があった。


 フィロンは長机の上に広げられた地図を見下ろす。

 

「二人目は明日の夜だ。シュタットの交易管理を取り仕切る大臣カリド。今後の物資供給を握る重要な役職だ」

 

 フィロンの呟きに応えるように、ユリアナが軽やかな足音で近づく。

 

「取引の場で殺しますの?」

 

「いや、奴の屋敷の中で仕留める。……他の大臣が、奴がいなくなったことに気づいたときには、もう遅い。大陸帝国には、反乱軍との戦争に耐えられる物流を掌握できる大臣は存在しなくなるだろう……」


 フィロンの言葉に、ユリアナは微笑んで目を伏せた。彼女の白い指がワイングラスの縁をなぞり、濃い赤が揺れる。


 そのとき、扉が音もなく開き、吸血鬼の男が姿を現した。男の傍には同じく吸血鬼族の少女がいた。黒い髪と黒い瞳、そして黒い翼が夜に溶け込むようだった。

 

「カリドの護衛が増員されたとの報せが入った。帝国側も我々の動きに気づいている」

 

 フィロンは鼻を鳴らす。


「ま……サリィもいるし当然か。だけど、問題ないよ。……次の標的は僕が殺しに行くからさ」

 

「……なるほど」


 吸血鬼の男はくすりと笑う。

 ユリアナはグラスを持ち上げ、ゆっくりと口元に運んだ。その瞳に揺れるのは、盲目的なまでの狂気だった。


「重要な立場にある大臣が一人ずつ消える……。だが、連中がそれに気づいたときには、もう遅い。皇帝を傀儡として、数の多い人族を政治の中心には置かず、一部の亜種族に権力を持たせすぎたツケだね」


 フィロンが静かに言う。


「……きゃはっ、いいわね。実に愉快よ。血の匂いに満ちた都シュタットが見えるようだわ」


 吸血鬼の少女が笑って言った。黒いヴェールを被り、長く尖った爪を弄びながら言葉を続ける。


「ただし、フィロン、ユリアナ。約束は守ってもらうわよ。新しい帝国では、協力者として私達も、それなりの地位を得るべきよねぇ?」


 ユリアナは吸血鬼族の少女の瞳を見つめ、柔らかに微笑む。


「当然ですわよ。革命後の帝国を、人族だけのものにはしない。そのためにわたくしはここにいますもの」


 ユリアナの言葉に軽くうなずくと、フィロンは机に置いてあったナイフを手に取る。そして、そのままナイフを地図のカリドの領地に突き立てた。


「明日の夜、僕はユリアナが用意してくれたワープの魔術でカリドの屋敷に行くよ。標的は恐怖の中で死ぬことになる」


「純真な皇女の顔を存分に使い、長耳族の母の伝手で宮廷魔術師に近づき何とか掠め取りましたのよ。大切にお使いくださいませ」


 フィロンの宣言に、ユリアナが言う。


「標的の首を晒すっ?」


 吸血鬼の少女の声が甲高い声を弾ませた。


「いいや、カリドは暗殺するよ。カリドの姿が見えないことで大臣達を混乱させる。……その後、惨殺されたと明らかになれば、他の大臣の隙を突きやすいからね」


「素晴らしい」


 フィロンの答えに、吸血鬼の男が愉悦に満ちた声を漏らす。


「有力者の暗殺が終わるまで――つまり、戦争を仕掛けるまであと何人になりますか?」


 ユリアナは右手をフィロンの肩に手を置き、左手で地図に指を滑らせながら、静かに問うた。


「あと三人。三人消せば、僕達に限りなく有利な状況で戦争を始めることができるよ」


「……そうですの。なら、急ぎましょう」


 暗殺者と、皇女と、そして吸血鬼達が静かに笑う。炎の灯りが揺らめき、夜の闇が彼らの陰謀を包み込んでいった。



 笑いの中で、フィロンがふと呟く。


「……そういえば、北部の吸血鬼族の領主アレクシスに、その令嬢ミア。貴方達とは直接顔を合わせたのは昨日が初めてだけど……」


「ん? なんだね?」


 フィロンは見据える。黒い髪に黒い瞳、そして黒い翼の吸血鬼族の父娘を。


「僕、ミア嬢にそっくりな半吸血鬼の少女を知っているな」


 フィロンは顎に指を添えてにやりと笑う。吸血鬼族の男――アレクシスの眉がぴくりと動いた。その様子に可憐な吸血鬼族の少女――ミアは忌々しそうに顔を逸らす。

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