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第40話 所望された元将軍

 道場に通う子供達が帰り、俺は一日の仕事を終えた村人たちが家路につくのを眺めていた。潮騒が遠くから響き、海風が運ぶ塩の香りが鼻をくすぐる。


 目を向ける先、村で一番海に近い家が見えた。かつて都へ旅立つ前までは、村長一家と共に、あの家で暮らしていた。


 ――海の匂いは遠のいたが、人々の暮らしが見えるこの場所も悪くない。

 

 およそ十五年前、数十年ぶりに故郷に戻った俺は、赤子だったサキを育てることを決めた。それに伴い、道場を開き、新たな住処とした。


 戦争を終わらせ、英雄と呼ばれるに至った俺を、村の人々は歓迎してくれた。そして、静かに暮らしたいという俺の願いを聞き入れてくれた。


「……もう随分と昔の話だな」


 溢れた声は、一人きりの家に空虚に響く。そろそろ日課の見回りに出るかと踵を返そうとしたとき、ふと家の扉の前に気配を感じる。


 ――まさか、サキか?


 サキは帝国軍で一区切りつけ、帰ってきたのかもしれない。蒼龍狩りの噂以来、サキらしき噂は聞かない。都に着いて無事に軍に入っていたとしても、そう早く休暇が出るとは思えないが――。


「……?」


 扉の外から聞こえたのは、人の足音ではなく、かすかな羽音だった。


 扉を開くと、風が吹き込み、目の前に影が舞い降りる。夕闇の中に、赤の翼の鳥型の殲獣がいた。

 

 ――伝令用に調教されたフクロウ型か。久しぶりに見たな。

 

 赤い翼。その色が示すのは、都からの急報。フクロウ型は、特に重要な手紙を運搬するための手段として使われることがある。鋭い金色の瞳がこちらを見据え、その足には、一通の封書が括りつけられている。

 

 俺が近づくと、夜鴉は軽く首を傾げた。


「……俺宛か」


 手紙をほどくと、フクロウ型は飛び立っていった。

 広げると、記されていたのは簡潔な命令。

 俺は、手紙を見つめたまま、しばらく動くことができなかった。

 

 ――至急、都シュタットへ参じられたし。


 十五年前に都を去った俺に対し、まるで当然のように突きつけられた命令。おそらく軍からのものだろう。


「今さら俺を引っ張り出して……一体何をしようというんだ?」


 困惑していた。何かが起きているのは間違いない。それも、帝国軍がわざわざ俺を呼び戻すほどの事態だ。


「……今さら俺に都に戻るつもりなど――」


 手紙を握りつぶし、放り投げようとしたそのとき。ある名が脳裏をよぎった。


 ――サキ。


 半吸血鬼の少女。赤子の頃から育てた娘のような存在。彼女はあの都シュタットを目指して旅立った。俺を呼び戻すほどの事態に、もしサキが巻き込まれているとしたら?

 

 旅立ったあの日の、眩しい笑顔が脳裏に浮かぶ。サキは弱くはない。都に辿り着き軍功を上げるだけの力はあると判断したから、俺は送り出した。だが、サキは身体に流れる吸血鬼の血の力を把握しておらず、頭が切れるわけでもない。


 手紙に他に情報は無いかと封を探る。すると、封の裏側に差出人が記名されていた。


 ――ライトの娘より。


 息を呑む。目を逸らしてしまった。


 娘を名乗る人物には二人心当たりがある。サキか、サリィ。だが、これはサキの字でもサリィの字でもない。おそらくは、二人のどちらかが他人に書かせたものだ。


 どちらの可能性も捨て切れないが、サキならば、こんな回りくどいことをする理由がない。ならば、考えられるのは――。


「……サリィ」


 かつて都で俺の前に現れた、アリアの面影を宿す少女。その名を呟き、目を閉じる。浮かんできたのは、サリィの顔ではなく、その母であるアリアの顔だった。額の一本の白い角と、赤い瞳。そして、緑色の波がかった長い髪。


 彼女の奔放な笑顔が今も脳裏に焼き付いている。アリアが姿を消した日のことを、何度も何度も思い返してきた。俺は愚かだった。若く、未熟で、亜種族を憎んでいた。自分に鬼族の血が流れていることを受け入れられなかった俺は、面白がるように手を差し伸べる残酷な彼女に縋り付いてしまった。


 アリアは、いつもそうだった。俺の前に現れたときも、急に姿を消すときも、すべてが予測できないような自由そのもので。どこか、俺を試すように、そして、わざとその距離をとるように。打ち寄せては引いていく。シャトラント村に響く、さざ波のように。


 それはただの欲望からきたものだったのかもしれない。アリアを手に入れることができたとき――その瞬間だけが満たされた。だが、その後には虚しさだけが残った。


 彼女が姿を消すと、まるで全てが消えてしまったかのように感じた。


 いつもの放浪癖だろうと思っていた。だが、アリアが再び俺の前に姿を現すことはなかった。


 ――サリィを初めて見たときの衝撃は覚えている。


 あの子を見たとき、最初に感じたのは、アリアの面影だった。顔立ちも、その蠱惑的な笑顔も、ささやかな仕草も……どこか遠くから見ているような不安定さを抱えているその姿は、まさにアリアのものだった。


 サリィと話すとき。都に出てきたばかりの無知な少女の淡い憧れに、俺は気づかないふりをしていた。サリィの父親が俺でない可能性もある。――そんな風に言い訳をして。


「それがどれだけ無責任か気づかずに……」


 サリィが俺を憧れ、慕ってくれていたことは分かっていた。だが俺は、それに応えなかった。中途半端な優しさで、彼女を縛りつけた。無責任に、ただ傍に置いた。


 ――何度か真実を伝えようと思ったこともある。だが、その度にサリィはアリアと同じ陽のような瞳で、言い淀む俺を見上げていた。俺は何も言えなくなり、ただサリィを部下として、仲間として大切にした。


 ――あの子がすべてを知ってしまったとき、どう思っただろう。……あの子の態度の変わりようから分かる。俺を憎んだだろうな。


 サリィは、おそらく俺がサリィを娘として可愛がっていたのだと思ったのだ。サリィの気持ちに気づきながら、そして俺がサリィの父親であることを自覚しながら、サリィにその事を明かさず、サリィの気持ちを弄んだのだと――。


 ……今、サリィと思しき存在の命令で呼び戻されている。この先、サリィとどう向き合うべきか、俺には分からない。だが、俺が無責任にアリアに縋った事実と、サリィへの接し方に後悔を感じていることだけは確かだ。


 暗く沈んだ気持ちを抱え、再び手紙を握りしめた。アリアの記憶は消えない。あの奔放で、どこか自由すぎた彼女の姿を、それでも俺に手を差し伸べてくれた彼女の姿を、永遠に抱えて生きることになるのだろう。


 あの頃は自覚はなかったが、今なら分かる。俺はサリィの中に潜むアリアの影に……アリアにしたのと同じように縋っていただけなんだ。サリィを可愛がっているふりをしながら、その実、アリアの面影しか見ていなかった。


 手紙を握りしめたまま、深くうなだれた。胸の中には、言葉にできない思いが渦巻いている。

 

 サリィが、あの無垢な眼差しで俺を見つめた日々が、今でも鮮明に浮かぶ。


「サリィ……」


 俺はサキを育てる中で、サリィにしたことの罪深さを理解した。サキを自身の娘として育てた。知識や槍術を教え、温もりを与え、信頼を築くことができた。弱音も話した。……サキに、サリィのことを――都にいた頃、娘のように思っていた存在がいたと話してしまったこともある。


 俺はサリィにするべきだったことを、代わりにサキにしているのだと、育てる中で気がついた。


 ――今度は、きちんと俺は親であると名乗って。

 サキを育てた。

 

 ……それでも、自分がサリィにしたことが消えることはない。サリィへの負い目と後悔の痛みがずっと心に残っていた。


 今、彼女を思い出して改めて強く感じる。自分の無責任さが、どれほどサリィを苦しめ、彼女の人生に影を落としたのか。ライトは静かに手紙を折りたたみ、胸元にしまった。指先がわずかに震えているのを感じる。


 遅すぎるかもしれない。何もかも手遅れかもしれない。


 それでも――


「……会わなければならない。呼ばれたのなら、尚更」


 自分が何をしてきたのかを知るために。彼女が何を思っているのかを知るために。そして、もし許されるならば、伝えるべきことを伝えるために。


 俺が、サリィをどう思っているのか。


 今さら、赦されることなどないのかもしれない。彼女が俺を恨んでいたとしても、当然だ。


 だが、それでも俺は……。


 サリィと再び向き合わなければならない。彼女がどんな思いで生きてきたのか。彼女の傷を癒すことができるかどうかは分からないが、少なくともその痛みを共有しなければならない。


 決意を固める。過去に何があろうとも、今この瞬間に俺ができることをするしかない。


 槍を取り、少しの荷物だけまとめる。すぐに旅立とう。

 都に向かうその足取りは、もはや迷いを含まない。過去を背負い、今、その責任を果たしに行く。





最初は、奔放な女将軍×戦果を上げるために田舎から出てきた少年みたいな雰囲気で、ライトの少年時代の妄想を膨らませただけのはずなのに。なんでこんなことになったのでしょうか。

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