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テツ

 帝国の暗殺部隊本部であり、訓練場としても使われている都シュタット城壁の南にある砦。


 古く薄汚れた、不自然なほどに巨大な建物だった。城壁に埋め込まれたように聳え立つ砦の存在は知っていたが、大陸が統一された現在は、使われていない建物のはずだ。だが、帝国軍は俺を砦に送った。

 

 あの朝、俺は初めて都の城壁の外を見た。砦から見下ろした森は朝焼けと霧で紫に色付き、果てしなく続いていた。

 何の願いも抱かずにただ生きてきた。

 延々と続く景色は空虚な日々が続いていくことを暗示しているかのようだと思った。


「この砦を暗殺部隊育成の本部としてお使いください。これから子供達をよろしくお願いします、サリィ将軍」


 引率してきた軍服の男が言う。その視線の先を見ると、緑髪の女の後ろ姿。今まで目にしたことがないような高身長の女だった。


「ああ。確かに引き受けた。……それにしても、人族の子供を暗殺者に育て、人族の反乱者を殺す……か。司令部もなかなか上手く考えたものだな」


 サリィと呼ばれたその人は低い声で楽しそうに笑った。

 振り向いた彼女は選別するような目で俺達を見下ろす。獲物を物色する捕食者のような赤い瞳と額の白い一本の(つの)が、鮮烈だった。

 


 **


 

 初めて砦に来てから三年が経った、九歳の頃。

 俺は訓練場の片隅で黙々と体を動かしていた。汗が滴り落ち、息が荒くなる。それでも俺は休むことなく訓練を続けていた。


「……ソニアと俺の間に差ができてしまったのはいつからだろう」


 ――最初は、城で暮らしていたというソニアに訓練場のような廃れた場所で生活できるわけがないと思った。

「俺が色々助けてやらないと」なんて自惚れていた。


 だが、それはとんでもない勘違いだった。帝国は腐り切っているし、ソニアが育てられたという城は、俺の想像を絶する地獄だったらしい。

 

 

 **

 

 

 俺が暗殺者として育てられることが決まったのは六歳になるかどうかの頃だった。俺は、生きるために帝国軍の入軍試験を受けた。帝国軍の入軍試験を受けられる年齢として、およそ六歳が基準となっていた。入軍試験を受ける孤児の多くは自身の年齢を把握していないことが多いため、あくまで目安に過ぎないのだが。


 そして、もちろん六歳という年齢から軍人として働くわけではない。入軍試験に合格した者は長期的な訓練を受けることになる。サリィも言っていたが……帝国軍に人族の孤児を取り込む、よく出来た制度だと思う。


 俺は入軍試験を受け、軍学校に入り適当に食い繋いでいくつもりだった。しかし、俺に軍学校へ入る機会が与えられることはなかった。


「おめでとう。君は適正試験の基準を上回った。軍学校への入学は認められないが、偉大なる帝国のために新たなる部隊で働くがいい」


 呼び出された駐屯所で軍服の男が唐突に言った。俺は最初、何を言われたのか分からなかった。

 だが、他の受験者達と違う部屋に案内されて、改めて説明されてから理解した。


 入軍試験と並行して、秘密裏に適正試験なるものが行われていたのだという。俺は適正試験に(かな)ったと告げられた。そんなふざけた理由で、俺は新設されるらしい暗殺部隊への入軍を強制されることになった。

 

 俺は城壁から初めて出た。……といっても、城壁の一部として組み込まれている砦に連れ込まれただけだ。砦には、「脱走を企てたら処刑だ」などと脅されて監禁同然に連行された。


 砦は浮浪児のような外見の子供で溢れていた。彼らも俺と同様に帝国軍への入軍志願者から選別され暗殺部隊に送られたのだろう。

 俺は暗殺部隊という名から、その先に待つ運命を漠然と想像していた。だが、何が起ころうとも構わない。ただ一つだけ懸念すべきこと――それは、生き残ることができるのか、だ。


 ただ生きてさえいけるのならば俺は十分だった。


 継続的に飯にありつけるならば……生きてさえいられるのならば、軍のどこに所属して、どんな日々を送ろうとも構わない。俺は、本気でそう思っていた。


 ――あのときまでは。


 

 **


 

 改めて見渡すと、砦にいるのは貧乏そうな子供ばかりだった。おそらく、俺と同様に幼いながらも軍に入ることを選択せざるを得なかった孤児がほとんどだろう――。


 都は何もかも亜種族が有利になるように仕組まれている。そのため、都に溢れる浮浪者のほとんどは人族だ。……一応、帝国の皇帝は人族であるというのに、何とも皮肉な話だと思う。

 

 そんなことを考えていると、ふと異質な空気を纏った金髪の少女が目に入った。小さな窓から差す微かな光を反射する金髪は艶やかで、美しく輝いていた。身に纏う服こそ質素であるものの、明らかに周囲とは一線を画した存在だった。


 その姿に俺は思わず目を見開く。


『あれは……たしか、末の皇女……?』


 その輝きに見覚えがあった。俺は物心ついたときには既に都の下町で浮浪していたが、その生活の中で一度だけ皇族を直接目にしたことがあるのだ。 


 あれは、よく晴れた祭りの日だった。年に一度の帝国建国祭だ。


 彼女は慈善活動として北の貧民地区に現れた。俺と歳の変わらない少女が、綺麗に飾り付けられて微笑んでいる姿に、俺は衝撃を受けた。結い上げられた金髪と慈愛に満ちた微笑みがとても印象的だった。


 彼女が皇帝の末娘――つまり皇女であると後から知った。末の皇女はなぜか慈善活動を頻繁に行なっていたようで、浮浪児の間では彼女の噂が広まっていた。艶やかな絹のような髪が美しく、幼いながらも華やかな笑顔だと評判だった。


 だが、それと同時に聞こえてきたのは、皇女は亜種族が恐ろしくないのだろうかという疑問の声だった。


 亜種族は皇帝を傀儡とすることで数の多い人族を支配している。つまり、亜種族にとって人族同士が馴れ合うことは面白い話ではないため、亜種族は人族の経済活動や宗教にまで大きく規制を入れている。

 皇族も例外ではなく、人族の浮浪者を積極的に支援していれば、それを快く思わない亜種族が何かしらの制裁を加えようとしても不思議ではない。


 ……それなのに、彼女はよく貧民地区に顔を出していた。


 ……俺は彼女には一度しか会えなかったが。


 ただ一度、彼女に仕える騎士から乾いたパンを手渡してもらっただけ。ただ、何度か噂を聞いただけ。それなのに、彼女のことはやけに記憶に残っていた。

 

 ……まさか、こんな形で再会するとは思っていなかったな。


『あら、違いますわよ』


 俺の小さな呟きが聞こえたのか、金髪の少女はそっと振り向く。その碧い瞳を俺に向けて、優しげに微笑んだ。

 

(わたくし)はソニアといいますの。……皇女ではありませんわ』


 金髪の少女――ソニアと名乗った少女は俺をまっすぐ見つめて近づいてきた。


『え、でも俺……君と会ったことが……』


 皇女ではないという彼女の言葉に俺は戸惑った。だが、言われてみると確かに皇女が新設される暗殺部隊の訓練兵に混じって座っているわけがない。

 俺の勘違いなのかもしれない。しかし、見れば見るほどその姿は淡い記憶の中の彼女と重なるばかりで――。


『えっと……覚えてない?』


 気がつけば、そんな言葉が口から漏れていた。自分で言ったことなのだが、もし彼女が皇女本人だったとしても覚えているはずがない。なぜなら俺は貧民地区に溢れる孤児の一人に過ぎないからだ。俺は自身の失言に気づいて言葉を詰まらせていた。


 それなのに、彼女は変わらない。優しく俺に笑いかけているままだった。彼女はおもむろに口を開く。


『覚えていますわよ、あなたのこと。一度だけ会ったことがありますわね。……実は(わたくし)、皇女ではないのですけれど、つい昨日まではずっと皇女のふりをしていましたのよ……』


 囁き声で言いながら、彼女はそっと身を寄せ、鼻先が触れそうなほど近づいた。


『二人だけの、秘密ですわよ』


 彼女は俺の唇に人差し指を押し当てると、そう言って花が綻ぶように笑った。


 ――あの笑顔が、今も頭から離れない。

 

 ――あの日から俺の心はソニアに囚われた。


 

 俺は孤児として生きてきた。ずっと、ただ生きていくことだけで精一杯だった。ただ生きていればいいと思っていた。

 でも、そんな日々は終わりを告げた。

 


 ――ただ生きるだけじゃ足りない。俺はソニアの(そば)で生きていたい。


 心臓が熱く脈打っているのを感じた。心の底から湧き出た願いに戸惑いながらも、俺は決意を固めていた。


 ソニアと二人で暗殺部隊を……この地獄を生き残るという決意を――。

次回の間話は、「テツとソニア」です



なんか実は悪役が闇堕ちする前に、ヒロインを好きになっていました、っていうあれみたいに見えちゃいます…

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