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第38話 袂を分つ 2

 サリィが去った後、フィロン、ソニア、レーシュ、テツの四人は、小さな別室へと移動した。狭い空間には古びた木製の机と椅子が置かれる。


 椅子に腰を下ろすと、軋む音が耳に障るほど静かな部屋だった。張り詰めた空気の中、誰も口を開かない。ただ、ヴェルデの名が意味するものをそれぞれに考えていた。


 最初に沈黙を破ったのはレーシュだった。


「……まさか、サリィが動いて、ヴェルデが捕まっていたなんて……。早く、助けないと……!」


 声には焦燥が滲んでいた。机の上に置かれた拳がわずかに震えている。


 テツが力強く頷く。


「そうだな。ヴェルデは反乱軍の情報網の要だ。あいつがいなくなれば、今後の動きは大きく制限される。見せしめに処刑されるなんて、悪い冗談だろ」


「……ヴェルデがいたことで、アナテイア教徒を反乱軍に取り込めていた部分が大きいですもの。それに何より、帝国を壊した後、ヴェルデには、アナテイア教を柱としてユリアナ様と共に人族の国を立て直す役割がありますわ」


 ソニアもまた、静かにヴェルデ救出の必要性を説いた。彼は単なる反乱軍の戦力ではない。その信仰と影響力が、新たな秩序の礎となるはずだった。

 三人の意志は救出へと傾いていた。


 だが、一人だけ沈黙を貫く者がいた。


 フィロン。


 机に肘をつき、眉間に皺を寄せたまま思案に沈んでいる。その横顔には冷徹な計算が浮かぶ。


 レーシュが、訝しげに首を傾げる。


「……フィロン、どうしたの?」


 問いかけると、彼は鬱陶しそうに髪をかき上げ、渋々といった様子で口を開いた。


「ヴェルデは、立場や信仰者を取り込めるという点では確かに重要な駒だった。でも……無能だし、居なくてもやりようはあるよ。きっとヴェルデも、自分が足を引っ張るのは望んでいないんじゃないかな」


 冷めた声音だった。


 三人は驚かない。フィロンが仲間を切り捨てることに躊躇いのない男だと知っており、ソニア達とは違い帝国崩壊後の政治にフィロンは無関心だったからだ。


 だが、普段なら強引に意見を押し通す彼が、今は慎重に言葉を選んでいるのには違和感があった。

 フィロンはソニア達と折り合いがつかないであろうことを理解し、無駄な労力は最小限にして早々に話し合いを終わらせるつもりだった。


「おいおい、本気で言ってるのか? 今ならまだ助け出せる可能性があるんだぞ? お前ら仲良かったじゃないか」


 テツが険しい顔で詰め寄る。ヴェルデは反乱軍の創設期からのメンバーだ。フィロンが最も長く付き合いがあった。


「僕達がヴェルデを助けて、暗殺部隊と反乱軍が繋がってると帝国軍にバレたら? 僕達も、サリィも粛清される。それどころか、反乱軍の計画そのものが破綻する」


 淡々とした口調のまま、彼は続けた。


「それなのに、革命後の政治の心配なんてしてる場合?」


「……ですが、ヴェルデを見殺しにすれば、亜種族はつけ上がりますわ」


 ソニアの声は冷ややかだった。


「帝国側の人族への弾圧が、さらに強まる可能性も高いでしょう。彼を助けられる力があるのに、それを使いませんの?」


 フィロンは視線を逸らした。


 沈黙が落ちる。


 やがて、彼は小さく息を吐き、肩を竦めた。


「少なくとも、僕がヴェルデ救出のために動くことはない。あいつ、女好きだし信仰馬鹿だし……今助けたところで、きっとまたどこかで足を引っ張るよ」


「だからって……」


「死刑囚の中に多少反乱軍の構成員が混じるのは、君達だって受け入れていたことだろう?」


 言葉に詰まる。


 ヴェルデの失策は確かに大きかった。彼がラキやラナを連れ帰ったことで、サキと双子が協力し、厄介な置き手紙を残して逃げ出す結果に繋がったと言える。あれがなければ、サキ達の手紙の条件など気にせず、ヴェルデ救出に専念できたのだ。


 ――ヴェルデの失敗を教訓とし、反乱軍にとって邪魔な者は切り捨てるべき。


 理屈では間違っていない。


 だが、ソニアは目を細め、静かに告げた。


「……分かりましたわ。ヴェルデ救出は私達だけでやります。フィロンは、サキ達の条件の方をどうにかしてくださらない?」


 フィロンは僅かに考え込むと、やがて肩を竦めた。


「どうにかって……。ま、いいだろう。あの餓鬼共のことは僕に任せなよ」


 彼は椅子を引き、ゆっくりと立ち上がる。


「僕は都でサキ達を探してみる。……警備兵支部にはサリィがいるから流石に避けるだろうから、まずは北の貧民地区の志願所に行ってみようかな」


「……探してどうする? 条件を緩和するように頼むのか?」


 テツの問いに、フィロンは笑みを浮かべた。貼り付けた軽薄な笑みではなく、歪な笑み。


「何言ってんの? あの餓鬼共が生きてたら、こっちが危ないだろう。始末するしかないさ」


 軽い口調で言い放つ。

 レーシュとテツが険しい顔をするが、フィロンはどこ吹く風といった様子で、ひらりと手を振ると部屋を出て行った。


 静寂が残る。テツが短く息を吐き、静かに呟いた。


「俺達はどうする?」


「……ユリアナ様と接触しましょう。事態を共有しておく必要がありますわ」


「サキ達は……?」


 レーシュが僅かに迷いながら尋ねる。テツが腕を組み、重い声で言った。


「フィロンに都で狙われて、明日の朝まで生きているとは考えにくい。……あいつらのことは諦めよう」


 考えるべきことは山ほどある。進められつつある反乱軍の掃討作戦、ヴェルデの公開処刑の阻止、ユリアナとの情報共有。フィロンの言う通りになるのは癪だが、サキ達を彼が殺しに行くのならば、フィロンを縛る必要はなくなるし、暗殺部隊の存在を公にする厄介者も消える。


 そう考えれば、サキ達は切り捨てるべきだった。


「俺達は今はヴェルデを優先しよう」


 テツは立ち上がり、扉へと向かう。そう呟く彼の背中を見つめながら、ソニアは小さく頷いた。


「……ええ」


 **


 陽炎が揺らめく石畳の上を、ソニアたちは人混みを縫うように走り抜ける。


 雑踏に響くのは、露店の商人たちの声、行き交う人々の足音、子供の笑い声――それと、人族の孤児が亜種族に石を投げられて泣く声だ。

 この街の人々は、帝国軍による反乱軍の掃討作戦が着々と進行していることなど知る由もない。今日もいつもと変わらぬ日常を生き、汗を拭う。


「なあ、本当に街を通っていいのか? 砦の地下通路を使った方が良かったんじゃないか?」


 テツが小声で問いかける。彼の視線は周囲を警戒するように忙しなく動いていた。


「あの通路を使えば、司令部やサリィに動向を把握されますわ。今は……掃討作戦の準備が進められている最中ですから、余計なリスクは避けるべきですの」


 冷静な口調だったが、その心中は穏やかではなかった。


 ヴェルデを救う。

 反乱軍の窮地を乗り切る。


 今、彼女が優先すべきはその二つのはずだった。だが、どうしてもサキ達のことが頭から離れない。


「サキ達は……今、何をしているのかしら……」


 思わず零れた言葉に、テツが肩をすくめる。そしてソニアの不安を拭おうと口を開く。


「さあな。案外、もうミラクに殺されてるかもしれないぜ?」

 

「それはありませんわ。ミラクは……楽しんでいますもの。彼は、サキを弄ぶことに悦びを感じているはず。すぐに殺すなんて、そんな勿体ないことはしませんわ」


「……歪んでんな」

 

 テツがぼそりと呟く。隣を歩くレーシュは冷静に言葉を継いだ。


「もし本気で帝国軍に入ろうとしてるなら、フィロンにすぐに見つかって……殺されちゃうね」


 断言する彼女の声は淡々としているが言葉の意味は重い。

 ソニア達は軍服に着替えていたため、周囲の人々は特に怪しむことはなかった。

 だが、ソニア達の道は唐突に遮られる。


 ――薬屋の前を横切った瞬間、不意に人影が飛び出してきた。


「ソニア、お願い!」


 鋭い叫びが耳を打つ。


「ラナを元に戻す方法を教えて……!」


「なっ……」


 驚く間もない。目の前に現れたのはサキだった。


 息を荒げ、焦りを隠そうともせず、ソニアを真っ直ぐに見据えている。その眼差しには、敵意も憎しみもない。ただ、必死な願いだけが滲んでいた。


「お前、南にいたのか!? 南ではサリィと会ってるはずだから避けると思ったんだけどな……」


 テツが警戒するように辺りを見回す。サキの背後を覗き込み、周囲に目を走らせる。その視線が探しているのは、ラキやラナの姿だった。しかし、サキはたった一人でここに立っていた。


 サキは口を開きかけて、息を詰まらせる。喉の奥が強張る。どう言葉にすればいいのか――迷っている時間はない。


「……私とラキは、ミラクの剣で斬られて、なぜか洗脳が解けた。でも……ラナは、いくら名前を呼んでも、思い出話をしても、苦しむばかりで……全然、正気に戻らないのよ……。私はラキに見張りを任せて薬屋に来てみたけど、ラナを治せそうなものは無くて……」


 声が震えた。握りしめた拳に力がこもる。ラナの名を叫んだときのことを思い出す。何度も呼んだ。それでもラナはただ、身をよじらせ、悲鳴を上げるばかりだった。その表情を思い出すと、胸がひどく痛んだ。


 サキの言葉を聞きながら、ソニアは静かにレーシュを見やった。「どう思う?」と問うように。レーシュは少しの間考え込むような素振りを見せた後、ポーチの中を探りながら答えた。


「……おかしいな。ラナ、名前を呼んで、記憶に関わることをたくさん話しても、少しも正気に戻る兆しがないの?」


 サキは、小さく頷いた。


「……そうよ」


 声を出すのがやっとだった。


 沈黙が落ちる。ソニアは顎に指を当て、考え込むような仕草を見せた。だが、レーシュは探る手を止め、冷めた目を向けると、あっさりと言い放つ。


「……そう。……ここまで話を聞いておいて悪いけど……あたしは、交渉に応じる気はないわ」


「えっ……!?」


 サキの瞳が大きく見開かれる。まるで、地面が崩れ落ちるような感覚がした。


「そんな……! でも、解く方法はあるんでしょう!?」


 咄嗟に声を上げた。焦燥が膨れ上がる。何かを掴もうとしているのに、それが指の隙間からこぼれ落ちていくような――そんな感覚。


 レーシュは淡々と説明を続けた。


「洗脳を弱めるのは……そう難しいことじゃないの。でも、薬には個人差があるし、完璧な解毒方法は存在しない。そもそも……あれは亜種族が人族を洗脳するために作らせた劇薬……。適切な治療をしても、完全に元に戻ることなんてほとんどない」


 サキは、喉を詰まらせる。


「そんな……」


 震える声が漏れた。


「ミラクが何をして治したのか……あたしには、わからないけど。……もしかしたら、一生そのままかもね?」


 一生――。

 その言葉が、まるで冷たい刃のようにサキの心臓を貫いた。ラナは戻らないのか? そんなはずない。そんなはずがない。だって、ラナは――。


「それに……ラナを治すことで、あたし達に何のメリットがあるの?」


 サキは砦を双子と共に抜け出してから、森の中で見つけた古い小屋に身を潜めていた。サキとラキの洗脳がミラクによって簡単に解かれたことから、ラナの洗脳も解こうと試みたが、ラナはただ苦しむだけだった。


 夜がふけるまでは胸を斬られたラキの止血。日が上ってからサキとラキは話し合った。そして、重傷であるラキがラナに付き添ってサキが薬屋を見にいくことになった。

 サキは薬屋から偶然ソニア達を見つけ、藁にもすがる思いで飛び出してしまったのだ。


 だが、ソニア達は当然、何の利点も提示されなければ応じることはない。サキの頭は真っ白になっていた。


「時間切れだな。ソニア、こいつを殺そう」


 唐突な言葉だった。

 テツは呟くと同時に、地面を蹴り上げて跳ぶ。

 剣が抜かれる音が、やけに大きく響く。呆然としていたサキは慌てて剣を受け止めようと腕を上げた。だが、その瞬間に腹部に鋭い蹴りがめり込む。


 周りの民には気づかれない。洗練された流れるような動きだった。サキは路地裏に蹴られて転がされた。


「うっ……!?」


「ハッ、ざまあねえな。太陽の下じゃ、吸血鬼の能力は使えねえんだろ」


 テツが薄く笑いながら歩み寄る。片手には抜き放たれた剣。鋭い刃が陽光を反射し、ぎらついた光を放っていた。サキは咳き込みながらも、地面を押して身体を起こそうとする。


「そうだったら……どうしたっていうのよ!」


 酷い怪我で憔悴し、ラナのことで追い詰められているラキには話せなかった。だが、テツの言う通りだ。力が入らず、回復力も落ち、能力も使えないというのは事実だった。


「……お前らが生きてると火種になる。俺達はずっと武力による殺しだけを教わってきた。……最初から迷わず殺すべきだったんだ。だが、今からでも遅くない。ここで消しておけば、安全確実ってわけだな」


 テツの目には何の迷いもない。冗談でも、脅しでもない。ただ淡々とした口調でサキを殺すことを決めている。


 サキは強がっているものの、ミラクに斬られた左腕の傷は治っていない。血の槍も具現化できていない。状況の覆しようがなかった。サキはせめて急所は外そうと身構える。

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