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第32話 手を取り合って

「ラキとラナ……。……何で二人の名前が?」


 私は訳が分からず、辺りを見渡す。テツとソニアは驚いた表情を浮かべ、互いに目を見合わせている。しかし、サリィとフィロン、そしてレーシュの顔からは何の感情も読み取れなかった。


 まるで、何もなかったかのように無機質な空気を纏っている。だけど、確かに彼らは知っている。私は胸の奥がざわつくのを感じながら、サリィに向かって叫んだ。


「まさか……二人とも砦にいるの!?」


「ああ、そうだ」


 サリィは短く答えると、肩を回しながら軽く息をつく。私は困惑がひどくなるばかりだった。二人はあの後、フィロンとレーシュに捕まってしまったのだろうか。


「だが、私は今夜はもう酒を飲んで寝るつもりだ――」


 サリィは私を気にも留めない様子でそのまま踵を返す。部屋を出ようと、地下室にあるとは思えないような巨大で重厚な扉に手をかけた。


「なっ……はぐらかさないで……!」


 思わずサリィに掴みかかろうとする。だが、血の足りない体は異様に重く、疲労のせいで思うように動かなかった。


「――……詳しいことはフィロンから聞くといい」


 そのまま軽くあしらわれるように手を払われる。私は足が縺れて倒れそうになった。サリィは淡々とした足取りで部屋を出ていく。


 その後ろ姿を目だけで追う。階段を登る足音が砂利を擦るように響いていた。その音が遠ざかるのを聞きながら、私は唇を噛み締めた。


「そうだよ。二人は今砦にいる」


 不意に、楽しげな声が耳に飛び込んできた。


「つまり、君が雑魚なりに決めていた覚悟とやらは……まったくの無駄だったってことさっ」


 フィロンが意地悪そうに微笑みながら、肩をすくめる。赤い瞳が、まるで獲物を弄ぶかのように細められていた。こいつに構っている場合ではないのに。……わかってはいるが、気が立って仕方がなかった。


「……っ……誰が雑魚よ。あんたは私を挑発しないと気が済まないのかしら?」


 抑えきれない苛立ちが言葉に滲む。だが、フィロンは大して気にした様子はなくあっけらかんと笑い、わざとらしくため息をついた。


「はは、今の綺麗なあしらわれっぷりの後で雑魚じゃないなんてよく主張できるねっ」


「うるさいわね、血が足りてなくて疲れているだけよ!」


 頭に血が昇って、一歩踏み出そうとした。しかしその時、私とフィロンの間に割って入る影があった。


「……フィロン……。無駄な話を、長々としている余裕があるの……?」


 静かだが鋭い声が空気を切り裂く。白く長い髪が揺れ、私たちを交互に見つめる瞳は光を灯していない。レーシュだった。


 彼女の冷たい視線がフィロンに向けられると、フィロンは面白くなさそうに眉をひそめたが、やがてあっさりと肩をすくめる。そして、握っていた剣をスッと手放した。


「あなたも……早く行ってあげたほうがいいんじゃない……かな?」


 レーシュは私を見つめ、無表情のままそう言った。私は、迷いなく言葉を返す。


「……ラキとラナはどこにいるの?」


「訓練場だよ」


 レーシュではなくなぜかフィロンが答える。指先で自分の髪を弄びながら、どこか気だるげな声だった。


「……わかる? 砦の中心の、吹き抜け」


 私は一瞬だけ考え、すぐに足を踏み出した。

 ――ラキとラナに会わなきゃいけない。

 そんな焦燥感に突き動かされるように、私は駆け出した。

 


「……さ、邪魔な餓鬼が去ったところで、ソニアとテツに共有しておかないといけないことがいくつかあるんだ」


 背後でフィロンの声が小さく聞こえたが、私は構わず進んだ。足音だけが、暗い廊下に響いていた。


 **

 

 暗闇の中、冷たい風を頼りに地上への出口を探る。すぐに階段を見つけると寒さと衝動に身を震わせながらも、私は駆け上がった。


 息が切れる。脚はふらついてまともに動かない。それでも私は、止まるわけには行かなかった。追い詰められている状況だったとはいえ、私の勝手な願いのために二人を突き放した。私にずっと寄り添ってくれていた二人を……。自ら手を離しておいて、都合が良すぎるとも思う。だけど、二人がここにいるのなら……そばにいると知ってしまったから。


 ――会いたい。


 ……ううん。そんなこと、本当は思っていいはずがない。二人の安全を考えれば、ここにいないほうが良いに決まってるもの。


 ……でも、それでも。私は……会いたい。


 ……そんなはずないのに。あれで良かったはずなのに。


 なぜだか、熱い雫が頬を伝う。心の中の葛藤とは裏腹に、足は止まらない。今ここで会ったら、また同じことを繰り返してしまうかもしれない。なのに、どうしようもなく名前を呼びたくなる。


 ――一度だけ、もう一度だけでも。


 ……そうだ。二人が本当にここにいるのなら、どちらにせよ放置することはできない。……会わなくてもいい。せめて二人が無事かどうか確認しよう。……これは確認だ。ただの確認だ。

 頭の中で自分に言い聞かせるように繰り返す。


 ――会いたいわけじゃない。


 喉の奥で呟いた瞬間、涙がさらに溢れた。……嘘だ。会いたくないわけがない。……どうしてこんなに苦しいんだろう。どうしてこんなに焦っているんだろう。

 

 ……いや。私は本当は分かっている。……私は二人と向き合うことから逃げたからだ。……それだけではない。私はさらに、その結果からも逃げようとしてしまっている。

 ……私は勝手な願いと憶測で二人を突き放したんだ。「守るため」なんて大層な言葉で誤魔化して、ずっと寄り添ってくれていた二人を、突き放したんだ……!


 もし、二人に何かあったら。私は耐えられるのだろうか。

 

 ……怖い。選んだ答えの先にあるものを見るのが怖い。

 ……でも、もうこれ以上逃げたらダメだ……!

 私は、二人に会わないといけない。


 涙を拭って、覚悟を決めた。足が縺れて何度か転んだが、そんなことはきにせずに私は走り続けた。


 ふと、階段の先にぼんやりとした光が差し込んだ。白く淡い月光だった。その輝きに、私の心臓は疲れも忘れて高鳴った。


 ――地上が近い!


 胸の奥で小さな希望がはじける。足元の不安定な石段を蹴り、最後の力を振り絞って駆け上がった。光が次第に強くなり、闇の支配する世界が後ろへ遠ざかっていく。


 最後の階段を駆け上がると、冷たい夜風が全身を包んだ。息を吸い込むと、森と土の匂いが肺の奥まで染み渡る。


 闇の中を必死に駆け抜ける。肩で息をしながら、焦る心を抑えきれずに辺りを見回した。そして、ふと視界の端、薄闇の向こうに二つの影が揺れるのが見えた。


 ――いた。……ラキ。ラナ。


 二人の姿が目の前に現れると、胸の中に何かが込み上げてきた。数えきれないほどの傷を負った私のそばに、ずっと寄り添ってくれたラキとラナ。


 二人は何やら話し込んでいるようだった。二人に大きな怪我は見当たらない。安堵と、それから押し寄せる感情の波に耐え切れず、その場にへたり込む。震える膝を押さえつけながら、必死に立ち上がった。


「ラキ……ラナ……」


 別れてから、二人に何があったのかはわからない。言うべき言葉、取るべき行動はいくらでもあるはずだったが、私は二人の名前を呼ぶだけで精一杯だった。私が名前を呼ぶと、二人ははっと振り向いた。


「サキ……?」


「サ、サキさん……?」


 ラキとラナの震える声が耳に届く。その声に、私は心を締めつけられる思いがした。私は、二人の前で立ち尽くすことしかできなかった。


 二人は、私を待ってくれていたのだろうか? 無事でいることを願ってくれていたのだろうか?

 ……いや、私のことを許してくれるのだろうか?


「……ラキ、ラナ。……ごめん……私っ……」


 自分の足が重く感じられて、一歩も踏み出せない。ラキの目が、どこまでも真っ直ぐに私を見つめていた。その目に、私が何を伝えればいいのか分からない。


「ラキ……」


 声が出ない。何も言葉が浮かばない。ただ、ラキが私に向ける視線だけが、私の心の中に深く刻まれていく。


「お前が……無事でいてくれて……よかった」


 ラキが絞り出すように言った。ラナは、俯いたまま何度も何度も頷いていたが、やがて大粒の涙を流して泣き声を上げた。その姿にさっき拭ったはずの涙が込み上げてくる。


「それは……私の台詞だわっ……!」


 泣き始めてしまった私の手に二人は優しく手を重ねてくれた。差し伸べられた手を、震える手で握り返す。途端に全身の力が抜けるのを感じた。


「私、やっぱり……ラキとも、サキさんとも一緒にいたいです……」


 ラナはそう言って微笑んだ。その瞳には、安堵と決意の色が混じって浮かんでいた。


 私たちは、気づけば三人で抱き合っていた。誰が先に腕を回したのかなんて、もうわからない。ただ、お互いの体温を感じて、震える肩を支え合って、必死に確かめるように抱きしめた。


 どれくらいそうしていたのか。もう時間の感覚すら曖昧だった。泣き疲れて、いつの間にか誰かの肩にもたれかかる。


 温かい。心臓の音が近い。


 安心感に包まれて、瞼が重くなる。泣きすぎて、体が動かない。誰かの小さな寝息が聞こえて、また手を握りしめた。

 

 その音を聞きながら、私は泥のような眠りに落ちていった。

 

 涙で濡れた頬の感触だけが、妙に鮮明に残っていた。


 

 **


 ラナとサキ。二人の寝息が重なるように夜に溶けていく。

 

「……信じられないな。ラナはともかく、サキまでこの状況で寝るなんて……」


 俺はため息をつきながら、眠ってしまった二人の横に腰掛けた。安堵しきった表情で眠り込む彼女達の姿を見ていると、まるでこの場所が危険ではないかのように思える。


「同意するよ。あまりにも警戒心と思慮が足りない。今のままでは、暗殺者としては到底使い物にならないだろうね」


 いつのまに背後に立っていたのか。月明かりに照らされた男が、呆れたように息をつく。


「いたのか、フィロン」


 驚きを悟らせないよう、平静を装う。


「ずっといたさ。気づいていなかったの? てっきり僕に気がついているから逃走しないのかと思っていたよ」


 皮肉めいたその言葉に、俺は軽く肩をすくめた。

 

「……あいにく俺たちは暗殺者ほど感情を殺す術に長けていないんでな」


 俺はフィロンに嫌味を返す。フィロンは一瞬だけ黙り込んだが、微かな笑みを浮かべながら首を傾げた。


「雑魚をからかうのは、ほんと楽しいねっ」


 フィロンの目が鋭く俺を捉えた。冷徹さを感じさせるその目に、少しだけ圧倒される自分がいる。だが、すぐにその感情は振り払った。


「……一体何の用だ?」

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