第20話 暗躍する暗殺者
ソニアはラナの首に剣を突き立てている。ラナの薄い皮膚から血が伝う。ソニアの横に立つテツは険しい表情をしていた。
「ラナ!!」
私は思わず叫んだ。ラキは声は上げずにただソニア達を睨め付けている。
……ラキは、ついさっきまでラナのそばにいたのに。這って近づいていた私に気がついて、来てしまったせいでラキはラナから離れた。
……そのせいで、こんなことになるなんて。
「折檻室送りになった俺への嫌味か? ソニア」
ソニアと共にラナを挟むように立つテツが、サリィには困ったものだと言って笑った。
「やめてよ……ソニアっ!! ラナには……なにもしないで!!」
立ち上がったが、やはり身体はとっくに限界を超えており膝から崩れ落ちた。
「ラナに何かしてみろ。テツ、ソニア……お前らを纏めて殺す」
立ち上がったラキの目には殺意が宿っていた。
「あら心外ですわね。私もラナをいたずらに傷つけたくないから、こうして提案していますのよ」
ソニアは右手で剣をラナに向けたまま、ラナの首に左腕を絡み付けた。高く括ってあるソニアの長い金髪は、ラナの頬にかかって揺れた。
「お前の双剣の妙な技は見切った。大河での戦いのようにいくと思うなよ」
「殺す」という言葉を使う、人を殺したこともないラキに対して、暗殺者であるテツが言う。
「二戦目の条件は同じだ。暗殺者、再戦は初めてか?」
苛立った声でラキは言い、飛去来器のような双剣を抜いた。
「お前が双剣を投擲するのと、お前の片割れが右腕を失うの、どちらが速いか試してみるか?」
テツも強気な姿勢を崩さなかった。
テツはソニアと同様に、ラナに絡み付き剣を向けた。
ぎりっと奥歯を噛み締める。
……どいつもこいつも、勝手だ。
……なんの準備もできていないまま、ラキとラナを連れ出して、暗殺部隊の連中との戦闘に巻き込んでしまった私自身も含めて、だけれども。
思わず乾いた笑いを溢す。
「ふざけるんじゃないわよ……どいつもこいつも……勝手なことばっかり……」
ラキとラナは、最終的には自分で私と来てくれることを選んでくれたわけだ。
……でも。共に旅立って後悔させないと言ったが、その宣言を守れなかったから……私が悪い。
……私は、結局のところ一人でまた旅に出るのが、怖かったのかもしれない。ミラクに、私の旅のすべてを否定された記憶を、塗り替えてしまいたかったんだ。だから、私を助けて、血を分けて、生かしてくれた二人につけ込んでしまったんだ。
私は、愚かだ。
今さら気がついても、遅いかもしれない。
「ラキ。……ごめんね」
ふと呟いた私に、みんなの訝しげな視線が集まる。
「サキ? どうしましたの? ラナを傷つけられたくなければ大人しく囚われて……」
私が双子を傷つけたくないと思って、ソニアはそう言って脅してくる。
--私は、今からラキを傷つけようとしているのに。
私は、立っていたラキの手を掴み、引っ張って、しゃがみ込ませた。
ラキは小さく声を漏らして困惑した様子だったが、私の意図を悟ったのか、途中から大人しく従った。
私はラキの首筋に噛みついた。
先ほど差し出された腕にではなく、首筋を噛んで背後から動かないように抑える。
「なっ……」
ソニア達は予期していなかったであろう私の行動に、対応が遅れたように見えた。
だが、そこはやはりサリィに育てられた暗殺者。
ソニアはラナを捕えたまま、テツと目で合図をしてテツは私とラキの行動を止めようとする。
本来ならばテツは、私でも片手間で相手にできる強さではない。
しかし、テツはサリィに殴られたダメージが残っているのか、大河での戦闘で見せたような動きはできていなかった。
「ラキ」
私が一瞬、名前を呼んでラキの腕を離すと、ラキは双剣を投げた。飛去来器のような双剣が、テツの行手を阻む。
「かなり意識が、ぼんやりしていて……正気を保っていられるかは賭けなんだけれど」
その隙に私たちは一時的に後退した。
もう、躊躇っているヒマはないんだ。
私は、再びラキの首筋に牙を立てて、血を啜る。
「私は……死にはしないから。殺すつもりならサリィは今この瞬間にでも、私を殺せるから。……サリィが……もしも……ライトが昔、シャトラント村で語っていた少女だとしたら……そんなに悪い人ではないはずなのよ」
ラキの首に腕を回す。
「でもやっぱり、ラキとラナはここにいてはダメ。今ならまだ逃げられるわ」
一噛みごとに、首筋から口を離してラキに言う。
全身の傷は、吸血によって徐々に回復していく。
「今の私にとって一番大切なのは、ラキとラナの命なのよ」
目を閉じて旅立ってからの日々を思い起こす。
「私は、苦しかったの。……ミラクと大河を渡るまでは、心躍る冒険をしながら都に旅をして、軍に入って、名を上げて、……他にも、色んな楽しいことをしながら……ライトや村のみんなに恩返しをするつもりでいた。……本気で、そう思っていたから」
ラキは肩に置いている私の手を掴んだ。
温かいラキの手に、晴れ晴れとした天に後押しされたと錯覚した旅立ちの日を思い出す。私は目を閉じて瞼の裏にこれまでの日々を浮かべた。
「ラキと最初に会ったとき、ミラクと間違えてしまって悪かったわね。……私は、わけもわからないまま裏切られて、今までの想いも、旅の思い出もすべて否定されて……」
晴れやかな気持ちで渡船に乗り込んだ大河。
その夜、嵐になってニーナと肩を寄せ合って眠った。ふと目が覚めるとミラクが血に塗れた剣をかざしていた。
そして隣にはニーナが、いて……。
「私のせいで……死んでしまった子がいたの。たぶん、あの子は私と出会わなければ死なずに済んだのよ」
目を瞑り潤む瞳を押し込める。
「その子を殺したのは……ミラク。私は変わらずミラクが憎いわ」
ラキは黙って聞いていた。
「……ミラクに言われたのよ。大河で殺されかけたあの日に……。『お前との旅で心を動かされたことなど、ただの一度もない』ってね……」
そう。ミラクが否定したのは、私との旅の思い出すべてだった。
私はラキの首からゆっくりと腕を離す。ラキの手は振り解いた。
「でも、ラキは私のことを……好きだって言ってくれて、共に旅に出てくれて……」
ラキは、私の雨の嫌な記憶を塗り替えてくれた。
今ではきっと……雨が降ったとき最初に思い出すのはミラクではなくて、ラキのことだと思う。
「ラナは亜種族の血を流すことを打ち明けてくれて、私のこと、最初は怖かったはずなのに優しくしてくれて……」
素直で可愛いラナ。大河を流されて、ラキに助けられて、ラナは荒んでいた私に寄り添ってくれた。怖がりなところもあるのに優しくあろうとするのはラナの強さだと思う。私はラナのそんな強さに何度も救われた。
「私は二人のことを、死なせてしまいたくはないの」
ラキがハッとしたように顔を上げる。
「またいつか、会おうね……?」
ラキの耳元でそう囁く。
「おい、サキ。今……お前の体内に俺の血が流れているのを感じるか?」
「……感じるわよ」
「吸血鬼族の血液操作は、血を飲んだ相手を支配する能力だ」
--優しく別れを告げたつもりだったのだけれど。
私はラキから離れて、血を飲み回復した身体で暴れ出すつもりだった。その隙に、ラキにラナを連れて逃げてもらおうと思っていた。
「お前は俺の血が巡っている間、自分の血液を操作できるってことだ」
なのに、ラキは私の腕を掴んだまま話を続ける。そう言ってラキは自身の右腕の皮膚を一部裂いた。
「操れるはずだ」
「……」
「血の刃でラナの首に剣を向けるソニアの手を払え」
ラキとしては、私が隙をつくるための案を提示しているらしい。
「……そんなこと言われても、まだよくわからないわよ」
「……あれだけ俺の血を吸っておいて感じ取れないのか?」
ラキが少し不貞腐れたような口調になった。
「なんとなくだったら、わかるわよ」
私は、吸血したラキの血が己の身体に流れているのを感じる。
それと同時に、完全には回復しきっていない肩の傷から流れる血を操れるのが、本能で理解できた。
肩で血が疼く。私が操っているのがわかる。
--なるほどね。たしかに、これはモノにすれば強力な武器になりそうだわ。……サリィ相手に通用するかは疑問だけれど。ラキは対人というか、対人での実戦経験が足りていない。
そこまで考えて思考を止める。
……戦闘を楽しみすぎるのは私の悪い癖。今は、二人を逃すのに全力を費やさなくては。
鋭利な小刀のように、肩の後ろで血を尖らせる。
ソニアとテツからは見えないように。
「さぁ……行って!!」
声の限り叫び、ラキの背中を突き放した。
それと同時に、ソニアの頭を狙って血の小刀を飛ばした。
「……っ!?」
「ソニア!」
ソニアが目を見開き寸前でこれを躱す。ソニアの腕と剣がラナから離れる。
「これが……血液操作の力なのね?」
テツはソニアに気を取られる。私は、ラキとラナを逃がすため、暗殺者たちの気を引くために大きな声で言った。
ラキは私の意図を理解している。ラナの肩に手を回して抱え、走り砦を出た。
私の方を振り向かなかったのは、きっと……ラキなりのけじめなのだろう。
「……あらっ、私たちが逃すとお思いですの? ……一瞬不覚を取りましたけれども……これ以上……サリィの前で失態を晒すわけにはいきませんのよ」
ソニアは心から忌々しそうに言った。その狂気を宿した瞳は、私の知る自信家なソニアとは違った。
「ソニア……私……ソニアのことがわからなくなっちゃった。……だから、もう一回本気で戦ってみよう?」
--そうしたら、ソニアのことをもっと理解できるはずだから。戦闘をとおして、得られるものがきっとあるはずだから。
「えぇ、容赦はしませんわよ」
ソニアはそう言った。
そのとき、後ろから気配を感じで振り向いた。
眼前に迫っていた、テツの剣。倒れ込むように身を伏せて何とか躱す。
ひとまず、ソニアとテツをどうにかしなくては。
……その後は……サリィのところに行って、話がしたい。ミラクのこと……それからライトのことを。
*
都シュタットの城壁を囲む、高い木々の生い茂る森。シュタットの東西南北の四つの問に続く整備されている路以外では、都付近であるため危険なものは討伐されているものの、殲獣と遭遇することも珍しくない森だ。
ミラクは、暗殺部隊の情報網が隅々まで敷かれ切った都から離れて森に身を潜めようと南へと向かった。
フィロンとレーシュは、サリィに命じられてミラクを追うために砦を去ったはずだった。
「フィロン。本当にミラクを追わなくてよかったの。今……サリィに勘づかれたら……不味いよ」
しかし、フィロンとレーシュは都シュタットの城壁に沿って走り、ミラクとは正反対の、北へと向かっていた。
レーシュは心細そうにフィロンに確認をとる。
殲獣と見間違うような速さで駆ける二人。レーシュのふわふわとした白髪は、時折、森の木々に引っかかりそうになっていた。
「はは、大丈夫だよ。サリィは僕たちのことを信頼しているからね。……ミラクは、まぁ。久しぶりに会ったからさぁ。すぐに殺しちゃっても、つまらないからね。次の次くらいに会ったら殺そうかなっ」
先導して走るフィロンは、そんな不安気なレーシュを気遣ってか、なるべく拓けている道を選択して駆けていた。
「……そう。ミラクは何か思惑があるみたいだったけど、放っておいて大丈夫……なのかな……」
「雑魚なんだから余計な心配はしなくていいんだよ、レーシュ。……それより、僕たちは行かなければならないところがあるだろう?」
先ほどまで陽気そうに話していたフィロンは、不機嫌な口調で言った。
最近はずっと陽気でいることが多かったのに、ミラクとの再会のせいかフィロンは情緒が不安定になっていると、レーシュは思った。
「作戦は順調に進んでいるの?」
レーシュが言うと、フィロンは一瞬、レーシュの方を振り向いて笑む。
「順調も順調だよ。なにせ僕たちにはソニアがいるんだからね」
フィロンの答えに、レーシュは何故か寂しそうな顔をした。
「あたしはサリィにまだ砦の外での単独任務は与えられないから、フィロンやソニア達とちがって滅多に砦から出られないけど……。順調に進んでいるなら……よかった」
レーシュは自身が役立てていないことを申し訳なく思っているのだと、フィロンは思った。
「そうだね。あのお姫様がソニアを覚えていたのは幸いだったかな」
フィロンはレーシュを肯定した。しかし、その後微かに眉をひそめる。フィロンは、自身の言葉に小さな引っ掛かりがあったようだった。
「まぁ……姫っていうか大陸帝国の皇女なんだけど。人族の姫ともいえるから、間違いではないか」
「……フィロンにとっても、久しぶりの接触……あたしにとっては初めての接触……無駄にしないように……したいね」
レーシュの言葉に、フィロンは納得すると同時に、軽く首肯いた。
「でも、本当にこのタイミングで……接触していいのかな……サリィ、不機嫌みたいだったし、もし反乱軍と通じているだなんて……バレたら死ぬより辛い目に合う……かな」
迷いなく走るフィロンに、レーシュは再び、不安そうに零した。




