第九十一話 最後の試練
「相変わらず、すごい樹だな……」
かつて訪れた際にも驚いたが、普通の植物ならば瞬く間に枯れてしまうこのグレンカムでこれだけの雄々しさを見せるセイバには、何度でも驚愕させられる。
「……しかし、最後の試練はどこでするんだ? 今までみたいな宝玉はどこに……」
「あそこだ」
俺が聞くと、イルガは珍しく答えてくれた。
指し示された指先……そこは、まさしく神聖樹セイバそのもの。
いや……よく見てみると、その幹の中央に何か埋め込まれている。
赤い宝石……先ほどまでと同じもののようだ。
「最後の試練はこの樹の下で、か」
人類よりも余程長い一生を送っているこの神聖樹から認められること、それがきっと最後の試練なのだろう。
「さっさと終わらせる」
言い、イルガは神聖樹に歩み寄る。
そしておもむろに赤い宝石へと触れた、瞬間。
突然、宝石が強く発光した。
思わず目を細める。だがイルガは怖気づくこともなく、その光ごと赤い宝石を握り込んだ。
「づっ……!」
が、途端にイルガはその腕を引っ込めた。
光が止む。
終わったのか、と目を開けるが、イルガの表情は芳しくなかった。
「……おい、その手……!」
「ぐ……」
今赤い宝石に触れたイルガの右手が、痛ましく爛れていた。
あの光が、高温の炎に触れても火傷などしないティガ族の皮膚をこうまで傷つけたというのか。
「まさか……拒否されたのか」
「黙れ……!」
そんなはずは、とイルガは再度手を伸ばす。
すると再び宝石は輝き出す。
イルガはまたもそれを握りしめるが……結果は同じだった。
イルガの手のひらは再び光に焼かれ、今度は血を流し始めた。
間違いない。イルガはこの宝石に……神聖樹セイバに、拒否されているのだ。
「バカな……! 何故だ!」
「……イルガ……」
イルガはここに来て初めて焦るような表情を浮かべていた。
先の二つの試練は順調だった。
だからきっと最後までうまくいくと思っていただろうし、俺もそう思っていた。
だのに、この最後の最後で……何故だ?
「試練を一つ飛ばしたりは……」
この複雑な山道だ、どこかで見落としたりでもしたのだろうかと思ったが、
「試練は三つだ。他の場所に試練はない……!」
そういうわけではないようだ。
では……なんだ?
「魔獣を蹴散らし"力"を見せた! 幻を見破り"勇"を見せた!」
イルガは神聖樹セイバを見上げて吼えた。
力、勇。それが先の二つの試練の内容だったのか。
ならば、この最後の試練は……。
「己れの"心"の、何が足りないと言う!」
心。
最後の試練で見せなければならないのは心……すなわち、想いと言うことか。
竜の力を得るための想いが足りないと、樹は判断した。
……だとすれば、イルガには悪いが少々納得できる。
「イルガ、君は……竜の力を得たいと本当に思っているのか?」
「なに?」
凄みのある瞳で睨まれる。
臆せず、俺は自身の考えを口にする。
「君は長老に言われて試練を受けに来た。自分自身の意志によってではなく、仕方なくだ。……神聖樹は、それを見抜いているんじゃないか?」
己が強い願いではなく、ただ言われたから来ただけの半端者には力を与えることはできないと、そう言われているのではないか。
根拠はないが……俺は、そう考えた。
「……っ、ならば、どうしろと言う!」
イルガは怒りを混じらせて叫ぶ。
「ああそうだ! 己れはそもそも竜の力なといらぬと思っていた! それを長老が言うからと山を登った! だと言うのに、意志が弱いからだと? ふざけるな!」
イルガの言葉ももっともだ。
だが……それならそれで疑問はある。
長老は、こういう事態に陥るかもしれないと知らなかったのだろうか。
……それは考えづらいな。あの人だって試練の内容は知っているはずだ。
ならば、この可能性には思い当たっているはずだ。
それなのにイルガに試練を受けさせた意味は……。
「……真実だ」
過酷な山を登るうちに、ひょいと頭から抜け落ちていたそれを思い出した。
「真実……?」
「長老の言葉を思い出せ。君はこの山に、試練を受けにだけ来た訳じゃない」
長老は、この山にイルガの知らぬ真実があると言っていた。
試練に失敗することを知りつつイルガを山に来させた理由……それを、探さなくてはならない。
「山の途中に何かあったか……?」
「怪しいものなどなかった。だいたい、この山自体には登り慣れている。真実などあるものか」
イルガは苛立ちながら言う。
となれば、鍵を握るのはやはり……。
「神聖樹セイバか……」
この樹しかあるまい。
「この樹には普段から近寄れるのか?」
「不可能だ。神竜の顎門は、選ばれし者がいなければ開くことはない」
あの骨自体が一種の門番だと言うことだ。
今回道を開いたのはイルガが試練を受けに来たからだろう。
となれば、常日頃からここに来れたわけではない。
なら……きっと何かあるはずだ。
「長老は何を……」
とりあえず、と俺はセイバの根本にまで歩み寄った。
イルガの時と違って宝石は光り出すことはない。
思い切って触れてもみたが、熱はない代わりに何かが起きると言うこともない。
この宝石自体は試練に関連するだけのものなのだろう。
他に何かないか、と樹を見上げる。
樹から伸びる枝葉の間には何もない。
幹に触れ、指をこすりつけながらその太すぎる幹の周囲を巡った。
故郷の近くにあった樹は周囲に泉があったため、これだけの至近距離まで迫ったことはない。
こうして見ると、思う以上に大きい。
その雄大さに驚き、感心しながら歩いていると、ふと、おかしなものが目に入った。
「これは……」
樹の幹に穿たれた小さなうろ。
それだけなら何も問題はない。
だが、その中には小さな炎が灯っていた。揺れることもなく、ただ静かに、仄かな明かりを放つ。
周囲が燃えることも焦げることもない。
ただの炎ではないことは明らかだった。
「イルガ!」
だから俺は彼女を呼んだ。
これが何も関係のないはずはない。
長老が見せたかったものはこれなのだろうか。
「これは一体なんだ?」
聞くと、イルガはその炎をまじまじと見つけ、そしてその目をわずかに見開いた。
この炎の正体に心当たりがあるようだ。




