第八十七話 神竜山へ
「まさか……」
信じたくはない。だが、長老が言うのならば本当なのだろう。
バラグノ……俺と死に別れたあと、お前は一体どうしたって言うんだ……。
「ですが……」
「え?」
長老は、じっと俺を見据えてそう言った。
「それには理由があるのです」
「理由……?」
バラグノが愛娘を我が身から遠ざけた、その理由。
それは一体何なんだ。
「理由とは……」
「その前に、一つよろしいか」
バラグノの不可解な行動の訳を尋ねようとしたところで、長老は俺の言葉を遮った。
「あなたは、イルガを外の世界に連れ出そうとしたのでしょう。それはなぜですか?」
「それは……」
隠したままでいるわけにはいかないと、俺はこのグレンカムにやってきたすべての理由を話した。
なぜバラグノに会いに来たのか、そしてその死を知って、なぜイルガに目を付けたのかを。
「イルガはバラグノの娘。つまり、父親と同じく竜の血を色濃く受け継いでいる。だからイルガも、バラグノと同じく飛竜になることが出来ると思ったんです」
バラグノの代わりを、俺はイルガに求めた。
だが、そのイルガ自身は俺に強い恨みを持っていた。
誘いには失敗したのだ。
「ふむ……。確かに、イルガがバラグノと同じく竜の血筋です。しかし……彼女は今、飛竜となることはできませぬ」
「え……?」
「彼女は試練を受けてはおりません。……イルガは自身から離れていった父を恨んでおります故、同じ生き方を嫌ったのでしょう」
試練を受けなければ飛竜にはなれない。
バラグノの娘ならば、と思っていたが、こんな事情ではそれも当然か。
……はじめから、希望などなかったということか。
俺がイルガに見出した光は、まやかしだったようだ。
「……わかりました」
バラグノが死んだと聞いて、それでも意気消沈せずになんとかあがいて見せたが、それもこれでおしまいだ。
わざわざグレンカムに来て収穫なしというのは辛いが、仕方ない。
セントジオガルズへ戻って、なんとか次の策を考えないといけない。
「長老、ありがとうございました。宿に戻ります」
ティガ族の力を借りることを諦め、皆の待つ宿に戻ろうと長老を横切ろうとした。
その時。
「……イルガは、真実を知りませぬ」
「え……」
長老が意味深にそう言って、俺は足を止めた。
背を向けたまま、長老は灰に覆われた空を見上げている。
「今まで隠しておりましたが……どうやら、頃合いのようですな」
「真実って……一体、何の話なんですか?」
俺の言葉に振り返った長老は、太い眉の隙間に深い皺を刻み、何かを決意した瞳で俺にこう告げる。
「明日の朝、神竜山の麓へお越しください。そこで、すべてをお伝えしましょう」
「神竜山って……」
ティガ族が試練を受ける場所だ。
苦難の道を乗り越えることで、竜の血を目覚めさせる力を得ると言われる山へ、どうして……。
長老はそれ以上何も言わず歩いていってしまう。
「……長老は何を……」
わからない。
だが、イルガが知らない真実とは、なんだ。
なぜ、今がその時なのか。
……でも。
「行くしかないな……!」
すべての希望は消えた。だが、まだチャンスがあるのかもしれない。
一度は消えた火種に再び火を灯すことの出来る可能性が、わずかでもあるのなら。
俺は、それに賭けることしかできないのだ。
「ひえー、でっけえ山だ」
明朝、仲間たち四人で神竜山の麓へと訪れた。
その頂上は灰に覆われた空よりも高く、道も相当に険しい。
ローガが天を見上げて間抜けな声を出すのも納得だ。
「よくぞ参られました」
すでに俺たちを待っていた長老が言う。
「……ふん」
その傍らには、イルガの姿があった。
憎しみ強い目線で睨まれる。
この場でいきなり襲いかかるようなことはないだろうが……。
「長老、なぜこいつらを呼んだのです?」
苛立ちの含まれた声でイルガは言う。
俺への恨みが高すぎて、他の三人にまでも嫌悪が向けられているのかもしれない。
「真実を伝えるためだ」
長老はそう答える。
真実……一体、何が伝えられるというのか。
「イルガよ」
「……はい」
長老はイルガへと強い視線を向けた。
「長老としての命令だ。お前には今から、試練を受けてもらう」
「なっ……!」
突然の言葉に、イルガは目を見開いた。
驚いたのは俺もだった。なぜ、彼女に試練を……?
「今、世の中に魔物が溢れんとしているのは知っておるな?」
「……はい。この間も、集落の近くに……」
魔王の復活による魔物の被害は当然、ここグレンカムでも増えているようだ。
「いつ、どこで強力な魔物が現れ、我らの土地を食い荒らそうとするかわからぬ。そのためにイルガ、お前の体に流れる竜の血の力が必要なのだ」
……そう言えば、そうだった。
若く試練を終えたバラグノは、俺の旅に同行する前はグレンカムの集落周囲で発生する魔物を退治していた。
しかし、際限なく現れる魔物に業を煮やし、根本を断ち切るために同行を決めたのだ。
「……しかし、己れは……!」
「竜の血を受け継ぎしものは、集落を守る義務がある。個人のわがままで一族を滅ぼすつもりか?」
「ぐ……」
ティガ族は家族のつながり以上に、同族としてのつながりが強い種族だ。
ひとりがみんなのために、そしてみんなはひとりのために。
そんなありふれた言葉を種族としての生き方で体言しているのだ。
「お前の力ならば試練も突破できよう。しかし、古来より試練には一人の同行者が許される。お前の父・バラグノの場合は後に妻となった我が孫娘・ミラルだったな」
……知らなかった。
バラグノの亡くなった妻というのは、長老の血筋だったのか。
つまり、イルガは長老のひ孫ということか。
「そこで、その同行者を……クローム殿、あなたにお願いしたい」
「え?」
「なっ……!」
イルガの目が見開かれた。
そしてきっと、俺も同じような顔をしているはずだ。
……まさか、そんなことを突然言われるとは思わなかった。
「何を言っているのです、長老! 部外者を試練に同行させるなど……!」
当然のようにイルガは怒り、声を荒げた。
イルガは俺のことを恨んでいる。
村を守るため、試練を受けることは飲み込めても、こればかりは許せないはずだ。
「昨晩のやりとりを見ていたのなら、奴のことは知っているはずでしょう! なぜですか!」
「見ていたからこそ、だ。あの実力なら、申し分あるまい」
「……昨晩?」
黙って隣に立つミリアルドが、不思議そうに俺を見上げてくる。
昨夜のことはみんなには話していない。
「……ちょっと、な」
というより、話せる内容ではない。説明できず、ごまかすことしかできなかった。
「これはすでに決まったことだ。お前に拒否権はない。イルガよ、今すぐクローム殿とともに山を登り、竜の血を目覚めさせよ」
「……っ」
「返事は?」
長老は眉の下の細い瞳を煌めかせる。
その威圧感は、俺の方にも十分伝わってきた。
長老命令でなくとも、拒否など出来そうもない。
「わかり、ました……」
気圧されたように、イルガは苦々しくも了承した。
あの凄みなら仕方あるまい。
「うむ」
長老は一つ頷くと、その視線を俺の方に向けた。
先の圧が思い起こされて、少しだけ心臓が萎縮した。
「そういうことですが、構いませんな?」
「ええ、私なら平気です」
イルガが知らなければいけない真実。
それと試練が関係あるというのなら、そしてその補佐をやれというのなら俺は、喜んでその役目を果たそう。
その結果イルガが俺たちに協力してくれるというのなら……いや、例えそうでなかったのだとしても、彼女は俺の旧友の娘なのだ。
このまま、父親を誤解したままでいてほしくはない。
「……ってわけだ。悪いな、みんな」
他の三人をずいぶんと蚊帳の外に置いておいてしまった。
今更確認を取ると、三人はそれぞれ思い思いの表情をしていた。
「はい、がんばってください」
ミリアルドとは笑顔を向けて、快く送り出してくれる。
「……よくわからんが、宿で待ってるよ」
理解など投げ捨てて、気だるそうに髪を掻くローガ。
「戻られたら、試練と言うものがどのようなものだったのか、お教え願いますわ」
好奇心にわくわくを隠しきれないサトリナ。
みんな、俺の大事な仲間たちだ。
そして、願わくば。
「行こう、イルガ」
「……気安く呼ぶな、人間風情が」
彼女も、この輪の中に加わってくれるのなら。
それはどれだけ、ありがたいことだろうか。
向けた背から目に見えそうなほどの敵意を発しながら、イルガは歩く。
それを追いかけながら俺は、そんな夢物語を、頭に描いた。




