第五十八話 人参
「……待て」
俺と話をしていたのとは逆の方に立つ兵士が一人、そう声を発した。
目を向けると、彼は先の兵士より余程年季の入った鎧を着た、壮年の兵士だった。
「その言葉……なぜ、君のような少女が……」
兵士はそう呟く。信じられないといった目つきで。
……この兵士は……まさか……。
「少々お待ちください」
「……はい」
壮年の兵士の言葉にうなずいて、俺たちは階段から少し距離を置いて待機した。
兵士は階上に上がり、門扉をくぐってゆく。王に伝えに行ってくれたのだ。
「……なんですか、今の?」
俺と兵士のやりとりを聞いていたミリアルドが、首を傾げてそう聞いてきた。
「ちょっとな」
申し訳ないが、話せる内容じゃない。
だが、一か八かの賭けが軌道に乗った。
あの兵士が、上手く話を伝えてくれれば、あるいは。
少しして、壮年の兵士は戻ってきた。
不穏な目つきを俺に向け、じっと体を見回した後、口を開いた。
「特別に許可が出た。国王陛下との謁見を許そう」
その言葉に俺以上に驚いたのは、先ほど応対してくれた兵士の方だった。
「なんですって!? しかし、それでは民たちへの公平性が……!」
「わかっている。今行われている謁見が終わると、陛下は二十分のご休憩に入られる。その時間の間、特別にお会いになるとのことだ」
順番に横入りしたのでは不平が出る。だから特別にそういった措置にしたのだろう。
これなら建前上は約束を守ることが出来る。
少々申し訳ないが……こちらにも事情がある。
「ただし、会えるのはあなた一人だけだ。うしろの二人は外で待っててもらう」
「……仕方ありませんね」
ミリアルドは素直に納得してくれた。
物分かりが良くてこういう時は助かる。
「まあ俺は別に、元々会う理由はなかったしな」
ローガもローガで不満はないようだ。
こちらとしても、これから話すことを考えると一人の方が好都合だ。
「大丈夫です」
そのため、そのまま了承した。
すると壮年の兵士は、「こっちだ」と謁見の間とは別の方向に歩き始めた。
さすがに堂々と入ることは出来ないらしい。
「ちょっと待っててくれ」
「はい。よろしくお願いします」
「粗相しでかすなよ」
二人に告げて、俺は兵士を追った。
鎧や壷、絵画などが飾られた廊下を進み、連れてこられたのは、先ほどの場所と比べて質素な……と言っても、そこら高級宿よりもよほど豪華な一室だった。
「我々の休憩用の部屋です。しばし、ここでお待ちを」
「はい」
兵士が出ていったのを見て、俺は適当なイスに腰掛けた。
なんとも座り心地のいいイスだ。
「……さて」
首尾良く事は運んだ。
あとは……あいつ次第だな。
待つこと……十分ぐらいだろうか。
扉がノックされ、開かれた。
顔を見せたのは先の兵士だった。
「間もなく陛下がお越しになる。その前に、腰の剣を預からせてもらおう」
「はい」
当然だ。例えその気がなくとも、国王陛下の前で帯剣などしていられない。
「……む……」
見覚えがあるのだろう、兵士は訝しんだように俺の剣を睨み、しかし、何も言わずに部屋を出ていった。
そしてすぐ、再び部屋がノックされた。
扉が開く。
そこにいたのは。
「……!」
金と銀の中間のような色をした毛髪を撫でつけた、中年の男。
その風貌は一見優しく、しかしどこか厳格なものを感じ取れる。
晴れた夏の空のような、澄んだ青い瞳は、見る圧倒させるほど力強い。
これが、クリスダリオ国王。
「初めまして、お嬢さん」
柔和に笑い、大人の渋みを含んだ声で国王はそう言った。
部屋に入ってくる。歩くと、国王の証たる黒のマントが揺れ、裏地の赤がちらりと覗いた。
兵士が扉を閉める。
扉の前に立ち、厳しい目つきを俺に向けた。
「時間もそうあるわけではない。単刀直入に聞こう」
国王の目が細められた。
俺の正体を、掴みとるように。
「君は、誰だ」
名前を聞いているわけではない。それはすぐにわかった。
そう聞かれるとわかっていた。
だから、そのための答えも用意していた。
だというのに俺は一瞬、息を呑んでしまっていた。
屈服してしまいそうな圧力を感じたからだ。
……さすがだな。
「私は……いやーー」
そう、「こいつ」になら、言ってもいいだろう。
「俺だよ、クリス」
「……!」
その言葉に、国王も……いや、クリスも、唇を引き締めた。
だから、敢えてもう一度聞こう。
俺とクリスにしか伝わらない、あの言葉を。
「人参は食べられるようになったか?」




