第五十七話 セントジオガルズ
「ん」
列車のベルが鳴り出した。
発車時刻のようだ。
ドアが閉まり、列車の中が静けさに包まれる。
そして、景色が動き始めた。
「あと数時間で、セントジオガルズですね」
「ああ」
セントジオガルズ……過去の俺にとっても思い出深い場所だ。
そこを拠点に、魔王討滅の道筋を探ろう。
そのためにもまずは、女神の泉だ。
かつての俺に女神の加護を施してくれた彼女に会えば……今、こうして女の体で生まれ変わったその理由も、わかるかもしれないからな……。
「ようやくだ……」
ようやく、一歩だ。
バラン・シュナイゼルに阻害され、大きく突き放された魔王への道取り。
遠回りの一歩だが、これでようやく前進だ。
魔物による恐怖が広がりつつあるこの世界を、また元の平和へ戻すために、俺は。
例え茨の道でも、歩き続ける。
「……マーティ……」
俺を守るために命を失った、親友のためにも。
列車の旅は順調だった。
かつては馬で走り抜けた景色が、一瞬で過ぎ去っていくのを眺めていると、英知の進歩への高揚と一種の侘びしさを同時に味わってしまう。
しかし、この二種の感動を人に話せないのは少々悲しいな。
なんとも言えない感覚なのだが……。
ともかく列車は、銀世界の線路を走り抜け、ついにセントジオガルズへとたどり着いた。
砦を兼ねた城壁に囲まれた大陸最大の王都、セントジオガルズ。
列車を降りた駅からでもどうしても目がつく、この町の最北にそびえ立つ、セントジオ城。
そこに、彼がいる。
かつて、俺と肩を並べて戦った、彼が。
「……なあ、一個聞いていいか?」
城を見上げ、感慨深い感情に浸る俺に、ローガが声をかけてくる。
「なんだ?」
「そういや、なんでセントジオガルズに来たんだ?」
……話してなかったか。
船旅やら地上やらでなかなか長い時間いっしょにいたはずだが、確かにその記憶はない。
しかし、意外だ。ミリアルドがまた勝手に話しているものだと思っていた。
「女神の泉に行くんだ」
「女神の泉?……ああ、なんか聞いたことあるな」
「正確には、このセントジオガルズの北東にあるカルネイアの森の泉ですね。女神ティムレリア様の聖骸が眠っているという伝説があります」
ティムレリア教団の神官であるミリアルドは、当然ながらそのことについて詳しいようだ。
ティムレリアはかつて……確か、二千年ほど前だったか……とにかく途方もないほど昔、人間の少女だった。
まだ拙い魔術しかなかった時代、少女は神霊術を編み出し、その力で数多の人間を救った。
その功績を認められた少女は、人々に神と崇められ、その生が尽きた後、遺体は泉の奥底に沈められたと言う。
「聖骸が放つ女神の御力によって、カルネイアの泉は神聖樹がなくとも、強大な神霊力を秘めているんです」
「へえ」
ローガはわかっているのかいないのか。それともわかる気がないのか。……もしくはわかる頭脳がないのか。
とにかく生返事で、視線を都の門の方へと移した。
「じゃあ、泉まで行くんだな」
「いや、それには問題がある」
しかし、そう上手くは行かないのが、人生の世知辛さと行ったところか。
「泉は今、王の許可がなくては立ち入れないんだ。ある理由があってな」
「んだよ、面倒だな」
「ですからまずは、セントジオ城に行って、国王陛下にお会いしましょう」
このセントジオガルズ、そしてこのセントジオ大陸全土を納める国王。
それが、クリスダリオ・ギナ・カールル・セントジオ。
若干四十にして、彼は王となった。
早すぎるほどに。
「んじゃま、城に向かいますか」
雪道を歩き、俺たちは視界の先の巨大な城へと歩みを進めた。
「しかし、こんな季節に雪かぁ……」
家の脇に退けられ、山のように積まれた雪の塊を見、ローガがため息混じりに言った。
今は六月に差し掛かった時期だ。
ソルガリア大陸なら、雪なんか積もるどころか降るべくもない。
「雪ってのはたまに降るから楽しいんだよな。年中はさすがにうんざりするぜ」
「別にここも年中降る訳じゃないけどな」
「そうなのか?」
ローガは不思議そうな顔をする。
雪国のセントジオガルズとは言え、四季がないわけじゃない。
「ああ。ただ、冬に猛烈に降った雪が溶けきらないだけだ」
真実はこうだ。
七、八月にそこそこ暖かくなれば、ようやく大地の色が見えてくるといった頃合いだ。
「大変だなぁ……」
「それがここでは当たり前ですからね。僕らからみると大変かも知れませんが」
大変は大変だろう。
だが、そうしなければ生きていけないのだ。
大変だからといって雪の処理を後回しにすれば、家が潰れる。
それが雪国の恐ろしさだ。
……と、かつての仲間から聞いたことがある。
「火の魔術とかでぐわっと溶かしちまえば……」
「雪を解かすと水になって、水は凍ってしまいます。そうすると、足下がつるつる滑って危険なんです」
ミリアルドが言った言葉と似たような話も、以前聞いたことがある。
積もった雪は邪魔にならない場所までどけるしかない。
それがもっとも安全で、もっとも確実な方法なのだ。
そんな話をしていると、城にたどり着いた。
門番をしている兵士がいるが、城の一階までは一般開放されていて問題なく入ることができる。
「うひゃあ」
城中はさすがに豪勢だ。
赤に金糸の絨毯が敷かれ、壁には飾り布が張られている。
顔を上げると、歴代の王を象った絵画が掲げられていた。
一番右には、新しい前王の絵もある。
……昔、実際に会ったことのある人だ。
絵画になるということは、死んだということ。
崩御の話はロシュアにも届いたが、あの時は……悲しかった。
「行こう」
奥に進むと、上の階に行くための豪華な階段があった。
その奥には巨大な扉があり、中は玉座が設置してある。
王と謁見するのはその場所だ。
しかし、扉の前と階段の手前それぞれに、屈強な兵士が二人ずつ、見張りとして備えられている。
不用意な侵入者はこの二重の護衛によって押さえつけられるということだ。
願わくば、そんな目には遭いたくない。
「すいません」
俺は階段の前の兵士に話しかけた。
「はい、なんでしょう」
「国王陛下にご拝謁願いたいのですが」
「謁見のご予約ですね。それなら、三日先まで予定が埋まっているのですが、よろしいでしょうか」
……三日先と来たか。
王は民からの人気も高く、毎日一市民と直接謁見を行っているという話は知っていたが、ここまでかかるとは……。
急ぐ話というわけじゃないが……ここまで来て、三日も待つことになるのは、気もどかしいな。
「急ぎの用事なんです。長い話をするわけでもありません。どうにか取り次いでもらえませんか」
「申し訳ありませんが、順番は守っていただきます。これは謁見の順番厳守というのは、国王陛下直々の御達しですから」
……やはり、無理か。
こうなれば……あの手で行くしかないな。
これも通じなければ、素直に待とう。
「わかりました。では、よろしければこれだけは陛下にお伝えください。……『人参は食べられるようになったか?』」
兵士が怪訝な表情になった。
俺の言葉を不可解に思っているのだろう。
……当然か。それはそうだ。この言葉を知っているのは、俺と、あいつと……。
「それでは、失礼します」
諦めて、引き返そうとしたその時だった。




