第五十三話 成長
「悪いな、ミリアルド」
店を出て、出口に向かいながら話しかける。
「いえ。なんにせよ、この薄着では辛いですしね」
「ああ。さっさと一頭狩って、マントを譲ってもらおう」
街から出て森へ向かう。
数十分ほどでたどり着く。雪が積もっているところを注視して、足跡を探した。
「お」
そして、すぐに見つけられた。
間違いない、ベアの足跡だ。
だが。
「……ずいぶん大きいな」
「確か、このあたりのベアはノーザンベアと言って、巨大な種類だったはずです」
ミリアルドが教えてくれるが、それに関しては俺も知っていることだ。だが、そうだとしてもこれは大きすぎる。
普通のベアの倍はあるだろう。
足跡が重なっている、というわけでもない……。
「ん」
考えていると、背後で草木の触れ合う音がした。
何かの野生動物が動いている音だ。
「いますね……」
「ああ。だが……この音は、小さい生き物のものだな。ベアじゃーー」
長年の経験からそう告げた、直後。
ざわりと、森の木々すべてが震えたかのような音が鳴った。
「これは……!」
「大きいぞ。ベアがいるかもしれない」
音源は小さな生物が走る音、さらにその背後からだ。
木々を揺らし、枝同士が打ち鳴り、葉が擦れ合う。
近くまで来ている。
俺は腰の剣を引き抜いた。
昔ならば、一人でベアを倒すのは辛いところがあったが、ここまでの旅の経験と、この剣の力があれば……!
例えノーザンベアだろうと、難しくはないはずだ。
「来ます!」
飛び出してきたのは、白毛の野ウサギ。必死に走って、何かから逃げているーーそして、その直後。
咆哮とともに現れた、ノーザンベ……。
「アぁ!?」
「なっ……!」
木々の間から飛び出てきた、茶褐色の獣。
しかしその大きさは、俺の予想を遙かに超えた、超巨体だった。
「そんなバカな……!」
ウサギが草木の間に逃げていく。
しかし、超巨大ベアはその興味を俺たちに移し、ぎろりと瞳を向けた。
「こんな大きさのベアなんか、見たことがないぞ!」
「ぼ、僕も聞いたことがありません!」
先に戦ったタウラスほどではないが、それでも人間の体躯をゆうに超えている。
爪も普通のものより凶暴に尖っているように見えた。
「この森の主、ということでしょうか……」
「かもな。……いいさ、でかくても所詮ベアだ。大きい分、店主も得するだろうさ!」
大きいだけ、力が強いだけだ。
魔物のような特性があるわけではない。倒すのは容易なはずだ。
ベアがその巨躯で立ち上がる。遙か頭上から見下ろされるとさすがに怖いが……。
「さあ、来い……!」
誘いに乗るように、ベアは腕を振りあげた。
視線を逸らさぬように後退。雪をめくりあげ地面を削る一撃を避けた。
重そうな一撃だ。当たればただではすまないだろう。
「ど、どうやって倒すんですか?」
服についた雪を払いながら、ミリアルドが聞く。
「毛皮を納品するってことを考えると、額を一突きが一番だな」
ベアの動きを警戒しながらそれに答える。
下手に傷つけて毛皮の価値を下げるわけには行かない。
ならば、狙うは頭部。頭部の皮はマントには使えないからな。
「綺麗にしとめた頭は、剥製にして収集家に売れるが……今は、そこまでは考えられないな」
以前そんな収集家と会ったことがある。
矢や剣に貫かれた野生生物の頭部を集める変人だ。
生と死を実感できてなんやかんやと言っていたが、正直理解できない。
それはともかく。
剣に魔素を注ぐ。火や氷で毛皮を劣化させるのもよくない。
ここは……。
「『疾風斬り』……!」
風を宿した魔剣術。これなら毛皮の保護は用意だ。
この寒空の中では、時間をかければかけるほどこちらの体力が奪われる。
凍えてしまう前に、一気に決めてしまう。
そのためにも……。
「ミリアルド、奴の足下に術を撃ってくれ」
「いいですが、何を?」
「何でもいい。一瞬、奴の気を逸らすだけでいいんだ」
野生生物の勘を舐めてはいけない。
向こうはすでにこちらが眉間を狙っていると気付いているはずだ。
だから、その注意を他に向け、そこを突く。
「頼むぞ」
「はい。ーー行きます! 『ペーブルホッパー』!」
ミリアルドの手の中に貯まった光が、ベアの足下に放たれる。
途端、その場所の雪と、砂利・小石が思い切り跳ね上がった。
その突然の出来事にベアが一歩退いた。
意識は完全にミリアルドの神霊術に向いている。
今がチャンスだ。
「はあぁッ!」
地面を蹴る。
風の力が宿った剣、それを握る腕を引く。
ベアが俺に気付く。吼え、同時に腕を持ち上げた。
思ったより復帰が早い。だが、もはやこちらも退くことは出来ない。
ならば、押し通す!
「『疾風突き』!」
斬り技ではなく、突き技の魔剣術。
風の力で貫通力を高めた渾身の突きを、ベアの額めがけて繰り出した。
切っ先がベアの額に沈む手応えーーと、同時、前に進もうとする意志に逆らい、身体は後方へ跳ね飛んでいた。
「ぅぐぁっ」
地面に落ち、雪を削り取りながら身体を引きずる。
「かは……っ」
「だ、大丈夫ですか!?」
喀血するが、大した傷ではないようだ。
あとでミリアルドに治してもらうとして、今はベアだ。
「どうだ?」
身体を起こし、ミリアルドに尋ねる。
「……動きませんね」
ベアの巨体は俺と同じように雪の中に沈み、動かない。
俺の手から離れたジオフェンサーが、眉間の中央を貫いていた。
どうやら……思い通りに行ってくれたらしい。
「魔術のこもった剣とはいえ、ベアの固い皮膚、しかもあんな巨体のベアを貫くなんて……」
痛む腹を押さえながら立ち上がる。
ミリアルドが驚いているが、正直一番驚いているのは他でもない俺自身だ。
「実はな、ちょっと前まで、私の魔剣術はベアには効かなかったんだ」
「え?」
「本当だぞ? まあ、剣そのものの性能とかもあるんだろうが……魔剣術も結局は剣で斬りつける技だからな。歯が立たなければ弱い魔術を撫でつけるだけでしかない」
魔物と違い、この世界に生きる動物にはそもそも魔術というものが効きづらい。
人間もそうだが、生まれたときから魔素の大気の中で生きているから、何かしら耐性がついているらしい。
ベアほどの巨体となれば、それも相当だ。
だから、ロシュアにいた頃はベアなんか数える程しか狩ったことはなかった。
しかし、これで確信した。
「私は、強くなってる。……確実に」
呼吸を整え、倒れたベアに近づいた。
開いた口から舌を垂らし、完全に息絶えているようだ。
脳を一突きにされたのだから、当然だ。
「すまないな。だがお前の血肉は、きっと誰かの命の糧になる。だから……安らかに、眠ってくれ」
祈るように目を伏せて、俺はベアの額から剣を引き抜いた。
「さて、それじゃあ……あ」
と、ここで気付く。
「これ、どうやって持っていこうか……?」
「あ……」
この巨大すぎるベアの骸を街に連れ帰る方法がわからず、俺は呆然とした。
……この展開、前にも一度やった気がするぞ……。
人間、成長することばかりではないということか……。




