第五十二話 風呂前に
「明日からお祭りが行われるみたいですね」
「祭りか……」
宿の枕元に、祭りを知らせる張り紙が張ってあった。
どうやら武闘大会もその一環のようだ。
世界中から武闘大会のために人が集まるのに併せて、観光客を流し入れる策略らしい。
「まあ、明日には出発するんだから私たちには関係ないな」
「……そうですね」
「残念そうだな」
ベッドに腰掛けるミリアルドは少々さみしそうな表情をしていた。
ローガが抜けたせいもあるだろうが、ミリアルドはこういう催しが好きなのだろう。
以前は神官として窮屈な生活を送っていた反動だろうか。
「……あ、そういえばラクロールって、お風呂場が有名でしたよね」
「風呂?」
「はい。寒い地域ですから、お風呂に浸かって体を温める文化が発達したそうです。なので街にはいたるところに大衆向けの浴場があるとか」
大衆浴場、か。
確かに、風呂なんて久しく入ってはいない。
冷えた体を温めるのも悪くはないだろう。
「そうだな……。寝るには早すぎるし、行ってみるか」
「はい!」
いい笑顔で返事をする。
なんというか、観光しがいがあるな、ミリアルドといっしょにいると。
「ああ、でもその前に、先に防寒具を買おう。せっかく暖まった体を冷やすのもよくない」
「そうですね。確か、この宿屋のすぐ側に雑貨屋がありましたよね」
そう、確か斜向かいにあったはずだ。
恐らくは観光客向けなんだろう。
「金、足りるかな……」
宿を出て雑貨屋に向かうが、怖いのは金銭面だ。
ここまでなんとかやってきたが、正直なところ財布の中身に余裕があるわけではない。
何せもともと逃げの旅。大した準備などできてはいなかった。
列車の乗り賃も安くはなかったし、防寒具もいいものを買おうとすれば値が張るだろう。
「とにかく、値段を見てからにしましょう」
「そうだな」
ミリアルドの言うとおりだ。もしかしたら手頃な値段のものがあるかもしれない。
気を取り直して雑貨屋に向かい、中に入って防寒具を探した。
手袋やマフラーなど、細かいものもいろいろと置いてあるが、ここに住むのならともかく、旅には向かないだろう。
となると、ここで買うべきなのは……毛皮のマントか。
「う……」
しかし、予想通りと言うべきか、毛皮のマントは非常に高い。
一つは子供用でもいいとはいえ、それでも二つ併せて15000。船賃の十倍だ。
こんなもの、セントジオガルズに向かう金を使っても足りないぞ。
「無理みたいですね……」
「ああ、諦めるか……」
妙に名残惜しくなって、ついマントに触れてしまう。
もこもこでふわふわで、着込めば暖かいとすぐにわかる。
……残念だ。
「お二人さん、それが欲しいのかい?」
というところに、店主が声をかけてきた。
雪国の寒さに耐えるためか、脂肪が厚く恰幅が良い。……いや、失礼か。
「ああいや、今は持ち合わせがなくて……」
「そうかい。いや、仮に金があったところで売るわけには行かなかったがね」
「どういうことですか?」
ミリアルドの言葉に、店主は困ったように答える。
「明日から観光客が増えるのに併せて、毛皮のマントも大量に注文したんだがね。その配達が遅れてるんだよ。だから、昨日からそいつは売り物にはしてないんだよ」
確かによく見ると、値札の下に売り切れと書いてあった。
値段に驚いてまったく目に入っていなかった。
なんにせよ、不可能だったということか。
「加工はこっちでも出来るから、ベアの毛皮さえ手に入れば作ってやることもできるんだがな」
「……ベア? これ、ベアの毛皮で出来ているのか」
ベアと言えば、故郷で何頭か狩り倒したことのある獣だ。
小さかったり、うまく罠にはめた時だけだったが……。
「ああ。ここから西の方にある森に生息してるんだ」
「……ベアを狩ってくれば、マントを作ってくれるんですか?」
「クロームさん?」
ミリアルドが怪訝そうな表情で俺を見上げた。
半ば冗談だったんだろうが、店主がベアを狩ってくればと言った時点で、俺の頭の中にある考えが浮かんでいた。
「あ、ああ。加工には一日かかるがな」
「……じゃあ、もし私たちがベアを狩ってきたら、このマント、譲ってもらえますか?」
店主が唖然とした顔で目を見開き驚いた。
「ま、まあ……。大人用と子供用なら、そこそこのベアの毛皮一頭分でちょうどいい」
「そうですか。……じゃあ、それで行こう」
「え?」
ミリアルドがかわいらしい声をあげる。
俺は微笑みながら視線を下げて、その後店主に向き直る。
「今から狩りに行ってきます。それで、このマントを譲ってください」
「ほ、本気で言っているのか?」
「本気もなにも、あなたが言い出したことですよ」
冗談を真に受けているということはわかっている。
しかし、ここで金を使わなければ、今後の余裕が出来ると言うことだ。
しばらくはセントジオガルズに滞在するつもりだから、何にせよ防寒具は必要だ。
ならば、これは願ってもない行幸だ。
「ベアは凶暴な獣だぞ? 無茶なことは……」
「大丈夫。故郷では狩りが趣味でしたから」
ほとんどはウサギやイノシシが対象だったことは、黙っておいた。
「……食い殺されても、恨むなよ」
拒否の言葉はない。
どうやら生きて帰ってくれば本当に譲ってくれるようだ。
というわけで、風呂に行こうと言い出したはずだったが、森に一狩り行くことになってしまった。




