第四十三話 大牛鬼
「よし、行こう」
御者の用意した馬車に乗り込む。
一台前後に五、六人が乗れるタイプのもので、俺とミリアルドは前に、後ろにはローガが、騎士を支えながら乗り込んだ。
騎士の指示に従い、御者が馬車を発車させる。洞窟までの道のりを駆け抜けた。
「そういえば、あんたの名前を聞いてなかったな」
まだまだ辛そうに隣に座る騎士に、ローガが問う。
確かにそうだ。聞くタイミングがなかったとは言え、いつまでも騎士騎士呼んでいるわけにもいかないだろう。
「あ、ああ……申し遅れましたね。私は、セントジオガルズ国防軍ソーサウス駐在隊のクリミア・ロッドバルトです」
「クリミアちゃん、か。へへ、今はちょいと血生臭いが、あんたはいい匂いがするな」
「は……? に、匂いですか……?」
「……気にしないでください。そいつはイグラ族なんで、ちょいと鼻が利くんです」
今から一部隊を全滅させた魔物を倒しに行くというのに、なんとも緊張感のない……。
「ああ、イグラ族……。さっき、まったく抵抗できなかったのはそういうことですか……」
そう言えば、クリミアはさっき、ローガに押さえつけられていた。
イグラはよく見ないと普通の人間とほとんど見分けがつかないから、言われなければ気がつかないことも多い。
今まで、考えもしなかったのだろう。
「すいませんね。女性の前で、血生臭いだの匂いだのと」
「いえ。……隊長もイグラでしたから。隊長にも、よくいい匂いがすると誉められていました」
「……そうですか」
だから、驚きも少なかったのか。
きっとクリミアも、そんな隊長を慕っていたのだろう。
「……安心してくれ、クリミアちゃん。同族の仇、俺が取ってやるから」
「……はい」
イグラ族の腕力は凄まじい。
魔物の闇の守りを腕力だけで打ち破ることができるほどなのは、ネーレウスとの戦いで見たとおりだ。
騎士隊長ともなれば剣の腕前も相当だろう。そんな人間が、一方的にやられる魔物とは……。
しばらくすると、洞窟の前にたどりついた。
俺とミリアルド、そしてローガのみが馬車を降りる。
「魔物を倒したら何か合図を出してくれ。そしたらすぐに迎えに来るよ」
「ありがとうございます。じゃあ、それまでは安全なところまで逃げてください」
ミリアルドが御者に伝えると、馬車の中に残ったクリミアが、今一度俺たちに頭を下げた。
「どうか……頼みます」
「おう!」
親指を突き立てローガが返事をする。
俺とミリアルドも頷いて、走りゆく馬車を見送った。
「行こう」
武器を抜き、洞窟へと進入する。
「ぐゅあっ」
途端、ローガが訳のわからない悲鳴をあげた。
「どうした?」
「……死臭がすんだよ。ひっでえ臭いだぜ……」
「……なるほどな」
多数の人間がここで死に、そして埋葬されることもなく放置されているのだ。
奥に進めばいずれは、イグラ族でなくとも感じることになるだろう。
「……う」
予想は当たった。
しばらく歩みを進めると、なんとも言えない臭いが鼻腔を突き刺してきた。
不快な臭いだ。
「鼻が曲がりそうだ」
「早く魔物を倒してしまいましょう」
言葉にはしなかったが、ミリアルドも眉間にしわを寄せて辛そうな表情をしていた。
早くこの臭いから逃れたくて、俺たちは歩む速度を速めた。
「近いな……」
臭いが強くなるとともに、魔物が放つ闇の気配がびりびりと肌を刺激するようになってきた。
今の俺でさえ感じるこの強力な気配……相手はどうやら、相当高次な魔物のようだ。
「軍隊を全滅させるほどの魔物です。……僕たちだけで勝てるでしょうか」
ミリアルドも不安そうだった。
「ジオフェンサーで魔力を高めれば、闇の守りも弾き飛ばせる。……きっと、どうにかなるさ」
それを安心させるように、俺は剣を目の前に掲げた。
いや……安心させたかったのは、他でもない俺自身だ。
昔ならいざ知らず、今の俺はまだ弱いのだから。
「三人寄ればなんとやらだ。臆せず行こうぜ」
「ああ」
ローガの言葉にも励まされ、さらに進んだ。
「……この先だ」
うねり、奥まったその先に、いっそう強い気配を感じる。
もはや目と鼻の先。覚悟を決めて、俺は剣の柄を握りしめる。
そして、俺たちはそこに足を踏み入れた。
「――ッ……!」
いた。
体毛に覆われた、丸まった背。その周囲には惨たらし、元・人間の四肢が散らばっている。
「あれは……!」
ミリアルドが上げた声に、それは気付いたようだ。
ゆっくりと振り向いたその顔面は、牛によく似ていた。
頭の両横から雄々しく、直角に天へと伸びる大角。
のっそりと立ち上がった足には蹄があり、隆々とした筋肉に覆われた腕には、人間のような五指が生える。
知っている魔物だ。
こいつは――。
「タウラスオーガだ……!」
大牛鬼はにやりと、真っ赤な血に汚れた口元を歪めた。
「なんつーデカさだ!」
その巨躯は、大人の三倍。ともすれば洞窟の天井に角が突き刺さりそうだ。
「ある程度の予感はしていたが……ここまでの相手とは……!」
タウラスオーガは、かつては魔王城の門番をしていた魔物だ。
前回の旅の最終盤に戦った魔物と戦うことになるとは……!
しかし、個体差だろうか、あの時相対したものより、感じる波動は余程小さい。
勝てない相手ではないはずだ。
「僕が神霊術で抑えます! お二人で攻撃を!」
魔物を見上げ呆然とする俺を、ミリアルドの勇ましい声が呼び戻す。
そうだ。今はもう、戦うしかないのだ。
「ローガ! 角を狙え! あれを叩き折ればタウラスの力は半減する!」
「おう!」
俺の指示に従って、ローガが飛び出した。
長剣を構え、飛びかかる。
「『ブレイズ』!」
ミリアルドの神霊術がタウラスの肌を焼く。
しかし、まったく堪えた様子はなかった。
「なっ……!」
怯みさえもしないタウラス。だと言うのにまったく動く気配もない。
「こなくそっ!」
ローガの剣が振り降ろされる。
巨大な刃が角へと迫り――しかし、甲高い音がして、それが通ることはなかった。
「硬――」
動きの止まったその一瞬、巨木のような剛腕から繰り出される剛拳が、ローガを叩いた。
「ぐぁ――」
悲鳴は一瞬、ローガの体は瞬間的に、洞窟の外壁に叩きつけられた。
「ローガさん!」
ミリアルドが叫ぶ。
しかし俺には、それを心配する余裕さえもなかった。
「おおおおお!」
剣に魔力を注ぎ込む。
出し惜しみは出来ない。魔素が尽きることなど考えてはいられない。
全力を出しきらなければ――殺られる!




