第四十二話 魔物の脅威
「……傷は、これで平気なはずです」
本格的な治癒術を施し終えて、ミリアルドはベッドで眠る騎士の元から離れた。
「ああ、ありがとう、旅のお方」
御者はほっとしたように胸をなで下ろす。
しかし……不可解だ。
国防軍の訓練は厳しい。盗賊ごときに負けるはずがない。
何か大きな罠にでもハメられたか、それとも……。
「あなたが国防軍に依頼したんですよね?」
「あ、ああ。うちの馬車が盗賊に襲われたってんで、駐在していた彼らに頼んだんだ。盗賊退治なら二、三日で終わるからって、待ってたんだが……」
「帰ってきたのが、この傷だらけの女騎士さんだけってか……」
ローガが騎士を見ながら言う。
そう、一人だけなのだ。
セントジオの騎士は少なくとも三人で一小隊。進軍しようが撤退しようが、その最低単位は崩さないのが鉄則だ。
それが崩れているときと言うのは、すなわち……部隊の、壊滅だ。
「う……」
女騎士が呻く。
瞼を開け、未だ痛む体を抑えながら起き上がった。
「こ、ここは……?」
「おお、目が覚めましたか!」
御者がうれしそうに声を上げた。
その顔を見て、しかし女騎士は悔しそうに唇を噛み、俯いた。
「も、申し訳ありません……! あなたの依頼を完遂できず……!」
「いったい、何が起きたんですか?」
俺の突然の言葉に、彼女は少し戸惑ったようだが、直に答えてくれた。
「依頼されたように、我らは盗賊を退治に向かいました。すぐに盗賊たちの根城を見つけ、突入したのですが……そこに、見たこともないような怪物が現れて……!」
「見たこともない、怪物……?」
間違いない、魔物だ。
だが、盗賊の根城に魔物……? どういうことだ?
何らかの方法で魔物を捕らえて、用心棒代わりにでもしていたのか?
「状況がいまいち掴めない。もう少し詳しくお願いします」
「は、はい……。盗賊たちが出入りするという洞窟を発見し、我らは洞窟へと突入しました。しかし、中にあったのは、盗賊たちと思われる人間の死体だけでした」
「死体って……」
ローガが息を呑んだ。
なるほど……なんとなく、読めてきた。
「仲間割れでもあったのかと不審に思いながら奥に進むと、そこに……大人の三倍はありそうな大きさの、巨大な角を持つ魔物がいたんです。しかも、そいつは、盗賊たちを無惨に殺し尽くしていたんです」
「魔物が盗賊を?」
ミリアルドの言葉に、騎士ははいと頷いた。
「洞窟内に発生した魔物に、盗賊たちは全滅させられていました。……そこで我らも退けばよかったのですが、港の近くに魔物がいるという事実を見逃すことはできず、戦いを挑み……そして、返り討ちにあいました」
悔しそうに、騎士は奥歯を噛みしめていた。
ここに帰ってきたのは彼女一人。つまり、ほかの騎士たちは、すべて……。
「致命傷を受けずに済んだ私だけが、なんとか脱出し……なんとか、この港へ帰ってきたんです……!」
悔し涙が目尻からあふれ、頬を濡らす。
仲間たちすべてを犠牲に、自分一人が生き残る。
無念に違いない。
「そんなことが……。俺が盗賊退治を頼んだりしなけりゃ、こんなことには……」
「いや、それは違いますよ」
悔やむような御者に、俺は言う。
「あなたが盗賊退治を頼んでいなかったら、魔物の発見も遅れていました。下手をすれば、港に進入してくるまで誰にも気付かれなかった可能性もあります」
そんなことになれば、この港町は確実に地図から消える羽目になっていた。
殺された騎士たちには悪いが、国を護るという使命は立派に果たされている。
そして、その志は……俺たちが引き継ぐ。
「騎士様。その洞窟の位置を教えてください。……私たちが、その魔物を退治します」
「え……!?」
女騎士は目を見開いた。
「不可能です! 我ら騎士隊でも手も足も出なかったというのに……! それに、あなたがたは一般の民人でしょう? 騎士として、そんな許可は出せません!」
まあ、普通はそう言うだろう。
だから仕方ないが、ここは"彼"の威光を借りることにする。
「大丈夫です。こちらには、女神ティムレリアに祝福された神官様がいらっしゃいますから」
言い、俺は横に立っていたミリアルドの肩を叩いた。
一瞬驚いたように俺を見上げ、しかし意図を察してくれたのか、すぐに騎士に向かって微笑みを向ける。
「はい。僕はミリアルド・イム・ティムレリア。ティムレリア教団の神官です」
ソルガリア大陸では指名手配されているだろうが、このセントジオ大陸までは悪名は広まっていない。
今までは隠していたが、ここからは最大限利用させてもらう。
「悪しき魔物の手から人々を救うのは、僕ら教団の役目です。ぜひ、僕らをお頼りください」
「し、神官ミリアルド様……? こんな子供が……あ、いえ、失礼しました!」
名前を聞いたことぐらいはあったのだろう。失言と思ったか、女騎士は頭を下げる。
「いえ、お気になさらず。実際、子供ですから」
「あ、ありがとうございます。……それでは、あなたがたお二人も、教団の……?」
「護衛のようなものです。なので、魔物と戦う術もしっかり持ち合わせています」
嘘も方便だ。
騎士は一般人に頼るようなことは出来ないが、これなら少なくとも同じ立場にまでは持っていける。
「魔物に殺された騎士たちの仇討ちを、私たちにさせてください。ひいてはこの港を、この国を、救うことになりますから」
俺の言葉に、騎士は視線を俯かせて悩んだ。
俺たちが信頼できかねるのか、それとも、騎士としての誇りが、誰かに頼ることを拒んでいるのか。
「今から本隊に応援を頼んでも、ここに来るまで一週間はかかるでしょう。そんな悠長なことをしていたら、魔物がこの港まで移動してくるかもしれません」
ミリアルドが言った。
それが駄目押しになったのだろう、女騎士は申し訳なさそうな視線を俺に、そしてミリアルドに向けた。
「本来ならば、町を護るのは我ら国防軍の役目です。しかし……こんな身では、それは果たせません。ですから、どうかお願いします。あの洞窟に現れた魔物を……退治してください」
頭を下げる。
俺たちから願い出たのだ、断ることなどあり得ない。
「はい。お任せください」
「ありがとうございます……!」
礼を言うと、女騎士はベッドの上から身を起こした。しかし、足下がおぼつかずにしゃがみ込む。
「くっ……」
「無理をしないでください。治癒術は傷は治しますが、体力までは戻りませんから」
治癒術だって万能ではない。
かければ万全、完全回復するようなものではないのだ。
「す、すいません……。しかし、私もここでじっとはしていられません……! 私も、魔物退治に協力したいのです……!」
それでも戦おうと、無理に立ち上がる女騎士の腕を、ローガが手に取った。
「悪いが、今のあんたが着いてきたって足手まといだ。その気持ちだけ受け取っておくぜ」
そして、その体をベッドに連れ戻す。
しかし、女騎士は諦めなかった。固めた意志は強く、瞳に濃く表して訴える。
「ですが……!」
「なら、案内だけでも頼みましょうか」
「おい、なに言ってんだよ」
俺の発言に、騎士に手を焼くローガが聞き返す。
仲間を殺された恨みがあって、意固地になっているんだろう。
しかし、足手まといというローガの意見は正しい。正直、邪魔になるだけだ。
だったら、その折衷で我慢してもらうしかない。
「洞窟までの道を私たちは知りません。だから、そこまでの案内を頼みます。しかし、その体じゃあ戦えない。だから、洞窟の中にまでは連れていけません」
「私なら平気です! 忍耐ならば、隊の中でも私が一番……!」
強がる騎士に歩み寄り、俺はその右肩鎧を軽く叩いた。
「づっ!」
それだけで、騎士は顔を歪めて膝をついた。
剣を振るう右肩がこれでは、戦うことなど出来やしないだろう。
「忍耐だけで勝てるほど魔物は甘くありません」
「……っ!」
現実を突きつけられ、騎士は強く歯を噛んで俯いた。
「……私は……!」
「出会ったばかりでなんですが、私たちを信じてください。きっと、魔物は倒してみせますから」
「……はい。どうか、お願いします……!」
魔物は倒すべき敵だ。
人間に害をなすのなら、即座に撃滅する。
それが、俺が今するべきことなのだ。




