第三十八話 船に眠るもの
「ネーレウスか!」
船の底を突き破り、半身のみを見せるのは、大きな半魚人型の魔物だった。
魚と人の相の子のような顔には、魚類の丸い目。
口には肉食魚のような尖った歯が生え、水掻きやヒレのついた腕は、鍛えた人間と変わらぬ太さを持つ。
だがそれ以上にネーレウスという魔物を特徴付けるのが、背中から生えた八本の触手だ。
イカやタコのような吸盤が目立つそれで、貨物室中の木箱を荒らし回っている。まるで、何かを探しているかのように。
「――『サンダーボルト』!」
雷を起こす魔術を使用する。空気中を走る雷鳴が襲いかかった。
だが、ネーレウスはそれを触手一本で弾き飛ばしてしまった。ダメージはまったくない。
「やはりダメか……!」
武器のない今、魔剣術は使えない。
そのため魔術を用いて攻撃したのだが、やはり俺程度の魔力では、闇の守りを突破できないようだ。
「っしゃあ! 到着ぅ!」
そこにローガがやってきてくれた。
肩に巨大な剣を担ぎ、獣のような目付きでネーレウスを睨む。
「へっ、焼いても不味そうな魚だぜ!」
「ローガ、触手を切り落とせ!」
「合点だ!」
長身な自身の背丈をさらに超す大剣を軽々と振り上げ、ローガはネーレウスに切りかかった。
「でぇぃや!」
防御行動か、ネーレウスが触手の一本を前に出す。
それに向かい振り下ろされた剣は、まるで闇の守りなどないものかのように、一瞬で触手を切断した。
「よし……!」
思った通りだ。
イグラ族の豪腕や、あれだけの質量を持つ剣ならば、闇の守りを貫通できると思っていた。
これなら、勝てる!
「次ぃ!」
さらに触手を切り落とそうと、剣を持ち上げる。
「油断しないでください!」
「え……」
しかしその時、背後のミリアルドが叫んだ。そして、次の瞬間。
「ぅぐっ!?」
切り落とし、無力化したはずの触手が突如、陸の魚のように跳ね、ローガの首に巻き付いたのだ。
「な――!」
そんな、バカな!
俺は以前戦ったネーレウスの触手は、切り落とせばそのまま動かなくなっていたはずだ。
あんな風に動くなど、俺は知らない。
「……かっ……」
切れた触手はローガの首を締め上げる。このままでは、ローガが窒息する。
「『ファイアー……ぐっ!」
炎弾で燃やそうと魔術を発動しかける。
だが、そこに他の触手が猛然と襲いかかり、阻まれた。
このままでは……!
「――『ブレイズ』!」
ミリアルドの声。同時に、炎の縄のようなものが、ローガの首に巻き付いた触手を燃やした。
神霊術による攻撃術だ。
「船員さんはもう大丈夫です!」
「ああ、ありがとうミリアルド」
隣に立ったミリアルドに礼を言い、ローガへ視線を戻す。
首に巻き付いたままの触手の燃えかすをふるい落とし、ローガは苛立ちの表情でネーレウスを睨んだ。
「舐めた真似しやがって!」
剣の柄を握りしめ、果敢に立ち向かう。
だが、一度切られてしまったからかネーレウスは、今度は簡単には剣に触手を向かわせなかった。
振られた刃を避け、ならばと本体に突撃しようとするローガには触手を払って近付かせない。
「援護だ!――『ウィンドカッター』!」
真空で対象を切り裂く風の魔術。しかしそれも、闇の守りを突き破ることはできない。
「ぐっ……!」
「切り離された触手ならともかく……今の僕らの術では、あれを突破することはできません……!」
闇の守りの解除さえできれば……!
しかし、それが出来るほどの力も、神聖な力が宿るものも俺たちは持ち合わせていない。
その場から動こかない一体の魔物に、俺たち三人は苦渋を舐めさせられていた。
「クロームさん、あの魔物……」
ミリアルドが言う。
「何か、探しているように見えませんか」
「え?」
ネーレウスは四本の触手でローガを翻弄しつつ、残りの四本で貨物室を荒らすのを続けていた。
確かにそれは、この部屋にある何かを探しているようにも見える。
「エサ……じゃあ、ないよな」
魔物は人を喰らうが、食欲を満たすわけではない。
では何を探しているのだろうか。……わかるわけはない。
だったら、わかる人に聞くのが一番早いだろう。
「ミリアルド、ローガの援護を任せていいか?」
「何をするんですか?」
「船長に話を聞きに行く。悲しい話だが、今の俺は役立たずだからな」
「……わかりました。お願いします」
一つ頷いて、俺は貨物室を飛び出した。
甲板に出ると、船員たちが乗客をまとめているところだった。
その中で目立つ服装をしている船長を見つけ、俺は歩み寄った。
「船長さん!」
「な、なんだ!?」
突然のことで驚かせたか、肩を跳ねさせて振り返る。
「貨物室に現れた魔物が何かを探しているようです。あそこには何が積んであるんですか?」
「べ……別に、何も……」
言いながら、船長はあからさまに視線を逸らした。
確信した。やはりあそこには何かがある。
「この船が魔物に狙われる原因かもしれないんだ! 手放せば船が助かるかもしれない!」
「手放すことなどできるか! あれは――」
発言の過ちに気付いたか、船長は慌てて口を噤んだ。
だがこれで確定だ。
「貨物室には、なにが?」
「……宝剣だよ」
宝剣?……剣があるのか!
「セントジオ王家に伝わる宝剣だ。長年ソルガリアにあったそれを、密かにこの船で運んでいるんだ」
「セントジオ王家の宝剣……ジオフェンサーか!」
15年前に、セントジオガルズで飾られているのを見たことがある。
現在では精製不可能な、魔素を含んだ金属で打たれた剣だ。
剣……剣があれば、俺も戦える……!
「セントジオの使者に直々に頼まれたんだ! 途中で手放したら、俺たちの信用が地に墜ちちまう!」
物資の搬送に限らずとも、商売に信用が第一だというのは知っている。
だとしても今は百人以上の人間の命が関わっている。本来なら、天秤で計れるものではないが……。
この、奇跡のような偶然に俺は、自然と口角がつり上がるのを感じていた。
「安心してください、船長。宝剣は手放させません」
「しかし、君は今……」
「あの剣があれば魔物を撃破できます! 剣は貨物室のどこにあるんですか!」
魔素を含んだ剣というのなら、俺の魔剣術との相性はいいはずだ。
魔剣術の威力を増すことが出来るのなら……きっと、闇の守りを打ち砕ける!
「……入って右手の隅の、林檎の箱の中だ」
「わかりました。……宝剣、お借りします」
そう言い残し、俺は踵を返して船内へと戻った。
宝剣ジオフェンサー……剣士として、一度は振ってみたいと思った名剣が、この船の中にある。
それがあれば、俺も……役立たずにはならずに済む!
そう願い、俺は貨物室へたどり着いた。
「ぐぅっ!」
触手に弾かれ、ローガがはね飛ばされる。
「ローガさん!」
さらに襲おうとする触手を、即座にミリアルドが迎撃。
二人とも大事ないようだ。
「大丈夫か!」
「クロームさん! 魔物が探しているものがわかったんですか?」
「ああ!」
返事をしながら、俺は部屋の右隅に積まれた木箱に視線を送った。
まだ剣は奪われてはいないようだ。
「二人とも、もう少しだけ耐えてくれ!」
木箱へ近づき、蓋を開ける。林檎が無尽に詰め込まれていた。
無造作に手を突っ込む。だが、それらしきものはない。
下か?
箱をどかそうと、縁を掴む。
しかし。
「クロームさん!」
ミリアルドの声がして、俺は反射的に振り向いた。
眼前に、触手が迫っていた。
「づっ!」
横っ面を思い切り殴られる。
視界が真っ白に染まり、床に頭から突っ込んだ。
「……っ……!」
脳が揺れる。頭が、割れるようだ。
木箱が砕かれる音。触手が貨物を破壊したのだ。
「け、剣は……!」
床中に林檎がばらまかれる。急いで周囲を確認すると、破壊された箱から飛び出したのか、白い布に包まれた何かが転がっていた。
「あれか!」
布が剥がれ、柄のようなものが見えている。
衝撃のせいか、定まらない視界の中で俺は、それに飛びついた。
同時、触手も迫る。
だが、一瞬だけ早く――俺の手が、それを掴んだ。




