第三十七話 海上戦
それから、数日が経った。
海の道行きとしては半ば過ぎ。時化もなく順調だ。
しかし、物事は順調なときほど恐ろしいものだ。
多少滞りがある方がむしろ安心できる――そんな、悪い予感が俺にはあった。
考え過ぎならいいのだが……。
「ぐはあああああああああ!」
……ちなみにこれはその予感とは関係ない。
ただ、ローガがまたポーカーで負けただけだ。
「も、もう一度だ……!」
「懲りないな、お前……」
何度もやってムキになっているのか、この数日はずっと、ローガはミリアルドにポーカー勝負を挑んでいた。
「僕は構いませんよ」
「……その笑顔はちょっと怖いぞ」
そしてミリアルドも、新たな知り合いとの遊びが楽しいのだろう、快く勝負を受け、そしてかんぷなきまでにたたきつぶし続けている。
「そろそろやめにしたらどうだ? いい加減、繰り返しだろ」
「いや、まだだ……! 俺はまだ諦めちゃいねえ……!」
「根性は認めるがな……」
「さあ、もう一戦だぜ、ミル坊!」
「ええ、いいですよ」
……ダメか。
結果の見えている勝負ほどつまらないものはない。
ローガのころころ変わる表情を見るのも、初めはそこそこ楽しかったが、それでもさすがに飽きてきている。
暇つぶしにと久々に勇者戦紀を通しで読んでいるが、それも読み終わりそうだ。
「……魔王戦の直前か……」
仲間たちとは、魔王城の奥地で別れた。
俺たちを分断する罠が待ち受けていて、気付きながらも敢えてそれに突っ込んだのだ。
そしてそのまま俺は一人で魔王と戦った。だから、仲間たちがどうなったのか、俺はこの勇者戦紀を読んで初めて知ったのだ。
全員生きていると知った時は安心したものだ。
「ああ、いいところですよね、そこは」
俺の呟きを聞いていたのか、ミリアルドが言う。
「ただ、仕方ありませんが、肝心の魔王との戦いが短いのが残念ですよね」
「ああ。魔王とは勇者が一人で戦って、しかもそのまま討ち死に。戦いの様子を知ることはできなかったようだからな」
もっとも俺は当事者だから、その書く事ができなかった
部分を知っているが。
完全版の勇者戦紀を知る唯一の人物だろう。
「勇者戦紀ねえ。俺も昔読んだが、一回だけだ」
ローガが言う。世界中で売れた本だから、まったく不思議ではない。
「内容はまあまあ面白かったが、なにせ活字を読むのが苦手なんだよなぁ、俺」
「だろうな」
「……どういう意味だ、それ」
いやあ、別に。
この数日で完全に把握できたローガという人物が、知識に偏りがあり、本嫌いであると察しているだけだ。
馬鹿にする意図があるわけではない。……ないぞ、うん。
「そんなことより、目の前の勝負に集中したらどうだ?」
「心配しなくて結構。なにせ今回は自信がある」
「へえ」
ちらりと覗くと、なるほど手札はフルハウス。確かに負けはほとんどないだろう。
だが、やはりこいつはアホだ。
「そうなんですか。じゃあ降りますね」
「ちょっ……」
言って、ミリアルドは手札を置いた。ワンペアだ。
「ぬおおおなぜ口に出した俺ええええ!」
「……バカめ」
自分で情報を開かせば降りられるのは当然だ。
勝ちはなくとも負けもないからな。
「もっかい! もう一回だ! 次は勝つ! おいクロ、次は口を挟むなよ!」
「はいはい」
俺が介入せずとも、ローガの表情だけでミリアルドは降りていただろうから、何度やっても結果は変わらないだろう。
……ローガは、俺のことを何気なくクロと呼び出した。
マーティのことを思い出す呼び名で、少々心が痛む。だが、悪気があるわけでもなし、わざわざ呼び名を変えさせはしなかった。
「っ!」
次の一戦のため、ミリアルドは未だ楽しそうにカードをシャッフルしだす。
だが突然、その表情を強ばらせた。
まだきちんと切れていないカードを机に置き、立ち上がる。
「ミリアルド……?」
「この感じは……!」
虚空を見つめ、ミリアルドは呟く。
ほぼ同時に、ローガも鋭敏な鼻をひくつかせていた。
「臭うぜ……! くせえくせえ、魔物の臭いだ!」
「魔物だと……!?」
ミリアルドが反応したのもそれなのか。
そう思い目を向けると、ミリアルドはこくりと一つ頷いた。
「そんな――ぐっ!」
そんなバカな、と思うのも束の間、突然船が大きく揺れた。
高波に揺さぶられたとも違う、不自然な揺れだ。
「外に出ましょう!」
ミリアルドの言葉に従い、甲板に行く。
すると、船員が青ざめた顔で、慌ただしく何事かを叫んでいた。
「どうしたんですか!」
「か、貨物室に魔物が……!」
「貨物室……!」
この船の貨物室は船内の再下底にある。そこに現れたということは、船の底部が破られたということだ。
つまり……。
「どうにかしないと、船が沈没しちまう!」
ただ魔物が現れただけではない。この船そのものが海の藻屑になる危機に陥っているのだ。
「行きましょう、クロームさん!」
「ああ!」
このままでは搭乗している人間がみんなお陀仏だ。
放っておくわけには行かない!
「私たちが魔物を倒します! 船に乗る人たちに、慌てず甲板に避難するように伝えてください!」
船員に伝えると、困惑する表情で俺たち一同を見回した。
「あ、あんたたちは……?」
「通りすがりの旅人です。ちょっと戦いが得意な、ね」
船員は不安そうな表情を消さない。当然だ。今の俺は勇者ではない。
今の俺に、人々を安心させるほどの力はない。
「……わかった。だが、無理しないでくれよ」
「はい!――ローガ!」
「おう! 剣取ってくらあ!」
部屋にずっと置いてあった巨大な剣。あれがあれば、魔物とも十二分に戦えるだろう。
「僕たちは先に貨物室に!」
「ああ、行くぞミリアルド!」
船内に戻り、底部の貨物室まで行く。
階段を降りると、すでに浸水が始まっているのか、海水に靴を濡らされた。
「ここか!」
貨物室へたどり着く。だがその時、部屋の扉を突き破って、何かが俺たちの前に転がってきた。
「ぐ、ぅ……」
「大丈夫ですか!」
血を流し呻く船員だ。貨物室の様子を見に来ていたのか。
「ミリアルド!」
「はい!――『エイドライト』!」
ミリアルドの両手が光に包まれた。
その光を浴びた船員の傷がふさがっていく。
神霊術の治癒術だ。
「頼んだぞ!」
船員を任せ、壊れた扉をくぐる。瞬間、飛んできた木箱を反射的に魔力の爆発で破壊した。
「……っ!」
中に入っていた果物が弾け飛ぶ。その向こうに、魔物はいた。




