第三十四話 船内にて
「…………」
布の匂いの中で、目を覚ます。
身体を起こすと、机の上でミリアルドとローガがカードを手にして遊んでいた。
「あ、おはようございます。クロームさん」
「……ああ」
俺の起床に気付き、ミリアルドがカードを伏せて立ち上がる。
「おはようつっても、夕飯過ぎの時間だけどな」
茶化すようにローガが言った。
確かに、部屋の中にかすかに、何かの料理の匂いが残っている。となると、半日以上眠っていたようだ。
そのせいか、急速に空腹を自覚した。
ぎゅるるる、と腹の虫が鳴る。
「う……」
「何か貰ってきます。ちょっと待っててください」
「いや、自分で――」
言い切る前に、ミリアルドはさっさと部屋を出ていってしまった。
心優しいのはありがたいが、いつか痛い目を見ないか心配だ。
「……何やってたんだ?」
ミリアルドが戻ってくる間の暇つぶしに、カードを持つローガに話を振った。
「いやさ、時間つぶしにポーカーやろうぜって誘ったんだけどよ。あいつ、ルール知らないってんで教えてやってたんだ」
ローガは皿の上の、三枚のビスケットを指で叩いて示した。
それがチップ代わりということだろうが……。
「お前、子ども相手にギャンブルか?」
「ちげえよ。俺ぁ賭け事は好きじゃない。ただ純粋なゲームとして好きなだけだ」
引いたカードの数字の組で勝敗が決まるポーカーは、簡素なルールながら、駆け引きがとても重要で俺も嫌いじゃない。
しかし、いくら暇だからとはいえ、子ども相手にやるようなゲームではないだろう。
「あいつすげえのな。一回ルール教えただけで完璧に覚えて、さっきなんかワンペアしか揃ってなかったのにカマかけて来やがった」
……そうでもなかったようだ。
確かによく見れば、ミリアルド側にはビスケットが五枚ある。
少なくとも一度は、ミリアルドが勝っているという事だ。
ミリアルドが天才的な頭脳を持っていることを失念していた。
「さすが教団の神官様って感じだぜ……」
ローガは一人納得したようにうなずいて、手にしていたカードを伏せて机に置いた。
「それよか、あんたたちも大変だな」
「……何の話だ」
背もたれに体重をかけ、腕組みをしながらローガは言う。
「冤罪ふっかけられて、教団に追われてんだろ?」
「な……!」
なぜそれを。……まさか……!
「それも、匂いでわかったのか……?」
「バカ。んなわけあるか。ミル坊に聞いたんだよ。匂いをなんだと思ってるんだ」
人の素性や戦術を見抜いた奴に言われたくはない。
というより、ミル坊ってなんだ。
「ミル坊?」
「ああ。ミリアルドの坊主の略だ」
「……一応神官様に向かって、それはないだろう」
「本人は初めてあだ名で呼ばれました! って喜んでたぜ?」
……ああ、そういうことで喜びそうだな、確かに。
しかし、ミリアルドめ。また勝手に話したのか……。
「どこまで聞いた?」
「……たぶん、全部じゃねえかな。ミル坊と同じ顔の偽物とか、バランとかいう悪どい神官とかな」
ここまでのそれなりの経緯はすべて話した、ということか。
「俺は宗教ってもんに興味はないからよ、よくわかんねえが……魔物を放置するってのは、あんまりよくないことだと思うぜ」
「ああ。だからこそミリアルドは、教団に黙って魔王退治に向かったんだが……」
結局、それもバランの手のひらの上だったわけだ。
「……ところで、お前はなぜセントジオに? ただの旅というわけではなさそうだが」
いくら怪力のイグラ族とは言え、あの大剣は護身用には大きすぎる。
何か他の目的があるのだろうとは考えていた。
「ああ、武闘大会だよ。来月、ラクロールで開かれるんだ」
「ラクロールの武闘大会か……。なるほどな」
15年前にも開かれていた、伝統的な武術の場だ。
あの時は魔王を倒す旅の途中だったため参加しなかったが、その存在は知っていた。
「優勝すれば1000万ガルだ。それに、男としての株もあがる。参加しないわけにはいかないだろ?」
だからセントジオに向かう、というわけだ。
「しかし、ならばなぜこの貨物船に乗ったんだ? セントジオ港から向かう方が近いだろう」
「船のチケットが取れなかったんだよ。空いてたのはこの貨物船だけだった」
そういうことか。
武闘大会は参加者だけではなく、見学するものたちにとっても大人気だ。
この時期の旅行者は多いのだろう。
「お待たせしました」
区切りよく、ミリアルドが部屋に戻ってきた。
盆の上に載せられた、堅そうなパンとスープだ。
「ありがとう、ミリアルド」
「いいえ。あ、ちょっと待ってくださいね」
受け取ろうとしたところで、ミリアルドは盆を机の上に置いた。
「スープが冷めてしまっているようなので、今から温めます」
「え?」
何をする気かと思っていると、ミリアルドは人差し指の先端に、ごく小さな炎の塊を生み出した。
そしてそれを弾くようにして、スープの中に入れた。
すると一瞬でスープが煮立ち、湯気立った。
「おお……」
温まったおかげで、スープの香りが鼻腔を刺激して、空腹にさらにダメージを与えてくる。
「……いただきます」
料理に祈りを捧げてから、スプーンで一口、スープをすすった。
具はざく切りの野菜だが、スープ自体は魚介の風味がする。
久々に胃に温かな液体が送られて、十二分に染み渡る。
「うまい……」
続けてもう一口、二口。
堅いパンはちぎって口に入れ、口内の水分でふやかして飲み込んだ。
「で、なんだったんだ今の?」
俺が黙々と食事をする横で、ローガがミリアルドに問う。
神霊術だろうとは思うが、俺も何をしたかは気になっていた。
「神霊術で、熱の塊をほんの少量作り出したんです。昔は僕、食事はお付きの人が毒味してから食べていたので、冷めたご飯は嫌だと思って編み出したんですよ」
神の子だなんて呼ばれていたようだから、当然厳重に保護されていたのだろう。
この前、教会では普通に食べていたはずだから、神官になって多少融通が利くようになったのかもしれない。
もしくは、多少の毒なら自分で治療できるから、かもしれないな。
「はあー、便利なもんだなあ」
「逆に冷やすこともできますよ。少し疲れますけど、凍らせたりとか」
「ああ……暑い時に氷を作るってのは、いいねえ……」
何をしみじみ思っているのかわからないが、ローガはうんうんと頷いている。
俺も氷の魔術は使えるが、ミリアルドのような細かい微調整は不可能だ。
単純に物を凍らせる以外で出来るのはせいぜい、空気中の水分を作り上げて氷の針を作ったりすることぐらいだ。
「その首輪……解除出来そうか?」
パンを飲み込んで、俺はミリアルドに問う。
ミリアルドの首に填められたリングは、その神霊力を奪う卑劣なもの。
今のような、弱い神霊術なら使えるようだが、魔物と戦うことになった場合にはまだ不安が残る。
「いえ……。毎日少しずつ進めてはいるんですが……」
「物理的にぶっ壊すってのはどうだ?」
落ち込むミリアルドに、ローガが提案する。
しかし、ミリアルドは途端に顔を青ざめさせて首を大きく振った。
「だ、ダメですよ! これは、無理に切断したり引きちぎろうとすると、込められた魔力が周囲に襲いかかるようになってるんです! そんなことしたら、ローガさんが死んでしまいます」
「……対策済みってことか」
イグラ族の腕力なら不可能でもないだろうと思ったが、無理なようだ。
俺があの首輪について知っていることは何もない。協力できることも、何もない。
それが少し、歯がゆかった。




