第二十八話 脱出 夜の世界へ
どれほど進んだだろうか。
緩やかに数度曲がっていたような感覚はあるが、どういう道筋だったのかはわからない。
どこに繋がるのか、どこまで行けばいいのか。
あるいは、実はヴルペスでさえバランの策略で、この先は処刑場に繋がっているのでは。
そんな邪推に脳内が支配されそうになった、その時。
「――ぁ痛っ」
右手が壁に突き当たった。もう少しで突き指をするとことだった。
ともかく、曲がり角かと周囲を手で探るが、四方壁に囲まれている。
まさか行き止まりかと恐れたが、前方の壁に手を当て、強く押しやると、多少の抵抗とともに、壁がずれていってくれた。
青い光が入ってくる。月光――外か?
「出口だ」
狭い通路から体を這い出す。
見上げると、月光に照らされ、映し出されたそれが、大きく目に映った。
「……女神、ティムレリア……!」
本物ではない。俺の視線の先にあるのは、月光を浴びて青白く輝く、ティムレリアを模したステンドグラスだった。
見覚えがある。ここは――。
「旧聖堂、ですね……」
ミリアルドが言う。
そう、ここはかつてティムレリア教団が使っていた聖堂だ。
15年前の旅で、俺はここに立ち寄ったことがある。
ここで俺は、かつての仲間の一人と出会ったのだ。
「10年ぐらい前に総本部が建てられ、そこに新しい聖堂を作ったので、使われなくなったとは聞いていましたが……まさか、隠し通路で繋がっていたとは」
その10年前には生まれてすらいなかったはずなのに、ミリアルドはそう言う。教団の歴史すべてを把握していそうな勢いだ。
辺りを見回す。この旧聖堂は木造で、この巨大なステンドグラスを見上げられるよう、長椅子が並べられている。
確か……昔は毎朝ここで祈りを捧げるのが、教団員の日課だったはずだ。
「女神ティムレリア様……」
声に気付いて振り向くと、ミリアルドがステンドグラスを前にひざまずき、指を組んで祈りを捧げていた。
「どうか、罪深き我らに神のご加護を……」
「……!」
ステンドグラスを通じた光を浴びたミリアルドの姿に、俺は感動のようなものを感じていた。
淡い金色の髪の煌めき、白い肌の輝き。憂う表情は、どこか耽美的だ。
まるで、神の化身が光臨したかのような……。
「……クロームさん?」
「……えっ?」
その声に、我を取り戻す。
しまった。ずっと見とれていた。
「大丈夫ですか?」
「え、ああ、はい。……ああいや、平気です」
「そうですか……。さっきの魔術でお疲れなのかと」
疲労感はさほどではない。ただ、またしばらく魔術は使えないだろう。
さっき使った大爆発は体内魔素をほぼすべて使い切る。
「隠し通路を通ってきたのでしばらくは平気だと思いますが……安心は出来ませんね」
「はい。今のうちに逃げましょう、ミリアルド様」
最後にもう一度、ステンドグラスを見上げる。
優しい微笑みを浮かべ、慈愛の心で俺たちを見下ろしてくれるそれを見て、俺は逃亡先を思いついた。
この窮地を脱するには、ミリアルドの言うような神の加護が必要だ。
ならば、彼女を模したステンドグラスではなく、直に会いに行こう。
もしかしたら……俺がこの姿に生まれ変わった理由も、わかるかもしれない。
「ミリアルド様。これからのことですが……」
「はい。これからどうしましょう?」
恐らくだが、ここで教団の手を逃れたとしても、奴らは俺たちを凶悪な罪人として指名手配するだろう。
教団はソルガリアの王族とも繋がりがある。
国の力を使えば、波及はあっというまだ。
「セントジオ大陸へ行きませんか?」
「セントジオですか……。そうですね、あそこなら、このソルガリア大陸より教団の力は弱いですから、追われることもなくなるかもしれませんね」
セントジオ大陸は、この世界の中央に存在する大大陸だ。
そして、その大陸のある場所には、女神ティムレリアが眠る地がある。
そこへ行けば、きっと彼女に会えるはずだ。
「では、行きましょう」
「ええ」
旧聖堂を出る。
わかっていたが、外は夜で、暗い。しかし、星の輝きと月の光で、なんとか道を見ることは出来た。
「明かりは……つけない方がよさそうですね」
「そうですね。神霊を発光させる術は、夜だと目立ちますから」
歩き出す。
とりあえずの目的は、この近くにある港町スールカだ。
そこからセントジオ大陸行きの船が出ている。
月明かりを頼りに、夜道を歩く。
その道中、俺たちは先ほどバランの後ろにいたもう一人にミリアルドに関して話した。
「あの偽物に関して、何か知っていることはないんですか」
「……わかりません。僕も初めて見ましたから」
それはそうだろう。そうでなければあれほどの驚きようはない。
「他人に化けれる神霊術はあったりしませんか?」
「対象に虚像を被せる術はありますが、それでは声を作り替えることは出来ません」
「なら、幻覚のような……」
「生み出した幻では、ああまではっきりと、自らの意志を持つことは有り得ません」
「……そうですか」
ダメか。……それはそうだ。ミリアルドは優秀だ。
神霊術において、俺が気付いて、ミリアルドが気付かないことなんてないだろう。
「……僕は、生まれてからずっと教団のため、世界の平和のために生きてきました」
「生まれてから……」
そう言えば、バランはミリアルドのことを"神子"と言っていた。
神子……どういう意味なのだろう。
「ミリアルド様。一ついいですか?」
「はい。……あ、ごめんなさい、こっちも先にいいですか?」
「え?……はい、なんでしょう」
「敬語は、もうやめてくれませんか?」
「……は?」
……何を、突然言い出すかと思えば。
「それは、どういう……」
「クロームさん、あなたはきっと、僕が教団の神官だから敬語を使ってくれているんですよね?」
「あ……まあ、そうですね」
俺自身はティムレリア教の信者というわけではないが、それでもミリアルドは高い地位にある人間だ。
それに、一目見たときからこの少年に、俺は畏怖のようなものを感じてもいた。
だから丁寧な物言いを意識してきていたというのは確かだが……。
「それなら、僕はもう"神官"ではなさそうなので、敬語はいりません。どうか普段の言葉遣いで接してください」
「え?」
言ってる意味がよくわからず、俺は聞き返すことしか出来なかった。
「あの偽物ですよ。たぶん、バランはあれを僕として扱うでしょう。そうなれば、世間にとっての"偽物"は僕です。教団の神官、ミリアルド・イム・ティムレリアにそっくりなだけの子供に、敬語を使うのはおかしいでしょう?」
「それは……そうかも、しれませんが……」
だが実際、本物はこの目の前のミリアルドの方だ。
世間がどう言おうと、敬意を払っておいた方がいいとは思うのだが……。
「僕が"ミリアルド・イム・ティムレリア"だと、あまり大っぴらにはしない方がいいと思うんです。そうすると、年下の子供に敬語を使うのは不自然でしょう?」
「はあ……」
「それに……」
一見正しそうに聞こえる発言をしたあと、ミリアルドは少々恥ずかしそうに、顔を俯けた。
「僕はあなたと……対等な友人でありたいんです」
「……ぅ」
顔を俯けたまま、気恥ずかしいのか胸の前で指先をいじりながら、上目遣いでそう言うミリアルドの姿は――破壊力、抜群だった。
そ、そんな顔でそんなことを言われて……応じれない人間は、いないだろう……。
「わ、わかりました……」
「本当ですか? ありがとうございます! 僕、生まれてから友達とか、友人というものがいたことがないのでうれしいです!」
そして満面の笑みだ。
ぐ……やばい、やばいぞ。この威力はやばい。上級魔術だ、これは。
魅了される。
違う! 俺は決して少年趣味ではない! というか、未だに男と女どっちを好きになるべきかわかってないんだぞ、俺は!
「そ、それでは……み、ミリアルド……?」
「はい! なんですか?」
にっこり。
真夜中に浮かぶ太陽が、そこにあった。




