第二十七話 聖獣の導き
……どれぐらいの時間が経っただろうか。
体感では数時間ほどだが……窓一つなく、時間を示すものも持っていないのだ。
正確な経過はわからなかった。
牢獄の扉が開く音。
バランが再びやってきたのだろう。
だが、その様子がおかしかった。
バランはさっき顔を見せたことなどなかったかのように、まるで珍獣を見るかのように俺たちを睨め回した。
「リハルトから聞いたとおりだが、こんな面妖なこともあるのですなあ」
「なにを言って――」
要領を得ない発言にミリアルドが顔をしかめる。
だが、その言葉は途中で遮られる。
バランのうしろに着いてきていた、その人物の姿に。
「な……に……!?」
今俺は、何を見ているのか――バランのうしろで、俺たちに冷たい視線を送ってくるのは、他でもない。
――ミリアルドだった。
「そんな……!?」
俺は思わず、格子の向こうと、今まさに隣にいる二人のミリアルドを見比べた。
同じ顔をしている。双子……いや、そういうものでさえない。
まるで鏡像のように、瓜二つだった。
「まったく、失礼しますね。この僕の"偽物"だなんて」
そして、声さえも。
服装も同じ。ただ違うのは、今まで一緒にいた方のミリアルドには、封輪が装着されている、ということだけだ。
「あなたは、いったい……!?」
ミリアルド当人も困惑している。
いきなり現れた、自分と寸分違わぬ同じ顔の人物――しかもそいつに、お前は偽物だと言われている。
気が狂いそうになる。
「まったく、我らがティムレリア教団の筆頭、三神官に化け、あまつさえ飛空艇を盗み出し破壊するなど……女神ティムレリアに逆らう、おおうつけに他なりませんな」
「ええ。協議するまでもありませんでしたね。即刻、死罪でしょう」
……このもう一人のミリアルドが何者かは知らない。だが、バランがこんなにすばやく帰ってきた理由はこれで明白だ。
協議は執り行われた。ただ、すぐに結論が出たというだけだ。
恐らくはすでに、決められていた事柄だからな。
「ティムレリア教団の規律に、死刑はありません! 罪人を許し、更正させ、生の喜びを知らせることが、我らの――」
「僕の姿と名を騙ったんです、特例中の特例ですよ。それに、それを幇助したあなたも、ね」
本物の言葉を、偽物が遮る。
同じ声で行われるやり取りに、頭がこんがらがりそうだ。
俺を見る目の色さえ、まったく同じなのだ。
「処刑は明朝、団員や信者たちを集め、公開して執り行う。最後の晩をせいぜい楽しむがいい、罪人よ」
バランはそう言い、気色の悪い笑い声をあげる。
処刑されれば死ぬ。
死ねば終わりだ。
……死んでたまるか。
「ミリアルド様」
「なんでしょう?」
偽物が答える。だが、違う
「貴様じゃない。――私に任せてくれますか」
「え?」
本物が聞き返す。
目だけで改めて問うと、ミリアルドはその目に強い光を宿して、うなずいた。
「ありがとうございます。……おい、貴様ら」
「なんだ、小童」
バランが言う。
俺は不敵に笑った。
人間、危機に陥ったときほど……ふてぶてしく笑うのがいいもんだ。
「気をつけた方がいい。巻き込まれたら……痛いじゃ済まないぞッ!」
体中、全身の魔素を活性化させる。そしてそのすべてを両腕のみに集中した。
「な――」
偽物のミリアルドが驚愕に目を見開いた。
魔力の高まりを感じ取ったか。だが――もう遅い。
俺はその腕で、鉄格子を握る。
「吹き飛べぇッ!」
全身全霊の魔素を、ただ単純に爆発させる。それだけの――だが、だからこそ強烈な、魔力の爆裂が起きた。
「ぐぅ――ッ!?」
爆風の最中、バランの悲鳴。
そして、俺が握っていた鉄格子はねじ切れ、折れ曲がり、人一人が脱出するだけの穴を作り上げていた。
「ミリアルド様!」
「はい!」
振り向き、手を伸ばす。
子供の小さな手を握り、俺は穴をくぐって一目散に走り抜けた。
「お、追えぃ!」
背後からバランの声。
あわよくば爆裂でけがの一つでも負わせていればと思ったが、うまくはいかなかったようだ。
だが今はいい。
とにかく、教団を脱出せねばならない。
「ミリアルド様! 出口は!?」
「そこを右です!」
教団本部など入ったことがない。だが、構造を把握している人間が着いているのだ。
脱出は難しくないだろう。
「いたぞ!」
だが、走る前方にも騎士が現れた。
他の騎士にも逃亡が伝わり、先回りされたか。
「くっ……」
すぐそこの角を曲がる。とにかく捕まらないことを優先するしかない。
「ダメです……! 教団には数百人の騎士たちが待機しています! 逃げ切るなどとても……!」
「……っ、せめて武器があれば……!」
剣は取られたままだ。
それに、さっきの大爆発で体内魔素は使い切った。
今の俺に、騎士と戦う術はない。
どうすれば……!
「……待ってください!」
ひたすら走る中で、ミリアルドが言った。
上手く撒けているのか、今は背後から騎士は来ていない。
声に従い、いったん足を止めた。
「なんですか?」
「あれを」
ミリアルドが示した先。細い通路の奥に、何かがいる。
それは、小さな獣のように見えた。
「動物……?」
銀に煌めく、細く短い毛が全身を覆う。
太い尾を揺らしながら、金色の瞳でこちらを見つめる姿は、狐によく似ていた。
「あれは……聖獣ヴルペスです」
「ヴルペス?」
聖獣とは、神霊力を持った獣たちのことを指す。
さほど数がいるわけではないため、俺も知っているものしか知らない。
あの銀色の狐も、そうだと言うのか。
「教団の紋章にも使われる、強い神霊力を持った聖獣ですが……なぜあんなところに」
ヴルペスは四つ足で立ち上がり、振り向いた。そして俺たちを一瞥したかと思うと、走り出した。
まるで、着いてこいとでも言わんばかりに。
「行きましょう!」
「今は、聖獣様にすがるしかない、か……」
悩んでいる暇はない。藁よりはマシだと思い、俺たちはヴルペスを追った。
角を曲がるとヴルペスは待ってくれていて、俺たちの姿を確認してから走り去る。
やはり、どこかへと連れていくつもりのようだ。
さらに追う。するとヴルペスは廊下の中途で止まった。
接近しても逃げない。ただ、その目はじっと、何もないはずの壁を見つめている。
「……ここでしょうか?」
その視線の先の壁に、ミリアルドが手を這わせる。すると、何に反応したのか、壁に光が走り、横にスライドして壁が開いた。
「これは……!」
「隠し通路か!」
ヴルペスはこの通路のことを教えてくれていたのだ。
だが、なぜだ。どうして聖獣とは言え動物が、俺たちに逃げ道を教えてくれたのか。
気になってヴルペスの方へ向き直ったが、その姿ははたと消えていた。
「……聖獣様の思し召し、か」
「クロームさん、行きましょう」
「ええ」
通路は大きくはなかったが、屈めばなんとか通ることが出来た。
道は暗く、ほとんど何も見えはしなかったが、右手を壁にこするようにしてなんとか進んだ。




