第百八十二話 覚悟
――クロ……」
マーティの声。俺は振り向いた。
その顔を見て、俺は――気付いてしまった。
「……あたしは、いいよ」
「マーティ……」
――マーティが、覚悟を決めているのを。
「あたしは、大丈夫だから。だから……お願い」
「ダメだ、私には……!」
「クロにしか、頼めないから。あたし……楽しかったよ。死んだと思ってたのに、またクロと出会って、少しの間だけど旅をして……本当に、楽しかった」
その瞳から涙が溢れ、頬を伝う。
だのにマーティは――笑っていた。笑おうとしていた。
「ありがとう、クロ。死人には、充分すぎる夢だったよ」
「マーティ……!」
違う。
お前は死んでなんかいない。
消えるなんて嫌だ。別れるなんて嫌だ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ!
「バランを放っておいたら、また誰かが涙を流すことになる。それを、あたしの命一人で防げるなら……安い物じゃない?」
安くなんかない。お前は私にとって、誰よりも、何よりもかけがえのないものなんだ。
世界の平和とマーティの命を天秤にかけるなんて……!
「……クローム、覚悟を決めろ」
「イルガ……」
迷い続ける俺へ、イルガが告げる。
「当人が決めたことだ。ならば……親友であるお前が、引導を渡してやるんだ」
「……っ」
バランを目で追った。
まだ追いつける距離にいる。
今ならば、まだ。
……俺は……私は……!
「……クロ」
マーティの潤んだ瞳を覗く。
透き通るほどに美しいそこに、俺の姿が映っていた。
ぼろぼろと涙を流す、ひどい顔で。
「クロームさん……」
「……わかった」
もう、それしかないんだ。
マーティ自身が、それを望んでる。
何百万という命と、一人の親友の命。比べられるわけがない。
俺は……私は……。
「ごめん、マーティ。……また会えて、嬉しかった」
「うん。あたしも」
泣き腫らした笑顔がとても辛い。
でも、それでも、私も同じような顔を向けた。
うまく出来た、と思う。
「……っ」
振り返る。
バランの背を追った。
「おおおおおおおおお……!」
振り向く。
バランの驚愕の表情が目に入る。
お前のせいだ。お前のせいで、俺は。私は。
また、助けられなかった!
今度こそ、今度こそと思ったのに!
私は――二度も、マーティを、親友を!
その命の犠牲の上に――立つ羽目になったんだ!
「やめ――」
「うおおおおおおおおおおッ!」
さようなら。
マーティ……。
怒りと悲しみと、憎しみと恨みをすべて。
この一刀に注いだ。
「ぐはぁっ……!」
バランの身体を切り裂く。
血しぶきが舞う。醜い身体が森へ転がる。
「ば、馬鹿な……」
「ああ、私は大馬鹿だ。親友一人救えない――無能な大馬鹿だ……!」
「――……」
それきり、バランは動かなくなり。
そして――事切れた。
つまり。
「……っ! マーティッ!」
振り返る。そこに、彼女の姿は――
「………………あれ?」
依然、その場にあった。
消えて、いない……?
「マー……ティ……?」
自分自身が一番不思議そうに、身体の隅々を見回して、さすり回す。
俺は急いで駆け寄って、同じように彼女の身体をなで回した。
「ど、どこか悪いところは……?」
「ない……と、思う」
「なんで……バランが死んだら、消えるはずじゃ――」
まさか、と思ったその横で。
ミリアルドがくすり、と笑った。
「なるほど。また、騙されたってことですね」
「……どういうことだ?」
ローガが困惑した表情で問う。
「恐らく、バランの先ほどの言葉は、生き残るための苦肉の策だったのでしょう。ああ言えば僕らには殺されることはないと思っていたんでしょうね」
その策は半ば成功していた。
俺たちはまんまと騙されたと言うことだ。
だが……。
「しかし、それをクロームさんとマティルノさんの二人の覚悟が上回った、ということですわね」
「ええ。お二人のどちらかが決心できなかったら、バランの思う壺だったわけです」
「……じゃあ、あたし……死んでないってこと?」
そう言うマーティの声は震えていた。
「消滅していないという事実が、その証明でしょうね」
マーティは、死んではいなかった。
バランが作った幻ではなかった。
俺たちは――私たちは、もう、別れることはないのだ。
「よかった……」
ようやくその事実を飲み込めて、俺はがくりと膝からくずおれた。
「く、クロ!?」
膝が笑ってしまう。
腕にも力が入らなず、立ち上がることもままならない。
「よかった……本当に……!」
でも、嬉しかった。
もう二度と会えなくなるなんて嫌だったから。
本当に、本当に……!
「これにて一件落着……ってところだな」
ローガが言った。
ああ、そうだ。
終わったんだ。全部。全部……。
そして、それはすなわち――……




