第百七十二話 幻夢
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!」
絶叫。
――そこで、俺はハッとした。
立っている。二本の足で、この大地に。
何故だ。さっきまで俺は、イルガに突き飛ばされて地面に転がっていたはずなのに。
いつ立ち上がった?――いや、待て。それだけじゃない。
目の前にはバラン。動いた様子はない。
――みんなの、死の跡がない。
周囲を見回した。
みんなが、倒れていた。それぞれが苦悶の表情で、目を閉じて倒れている。うめき声のようなものも聞こえてくる。
悪夢にうなされているかのように。
――悪夢、だと。
「まさか……」
「ようやく気付いたか」
バランの声に向き直る。
「今貴様が見ていたのは、我が輩が見せた悪夢の幻像だ。内容は知らんが、どうやら相当に恐ろしいものを見ていたようだのう」
「幻……」
そうだ。バランは幻を操る。
今のは、夢だったのだ。みんな生きている。死んでない。
それを安堵するべきなのか、それともそんな恐ろしい悪夢を見せたバランを恐れるべきなのか――わからなかった。
「……貴様……!」
ただ、怒りが湧いてきた。
弄ばれたのだ。
恥辱の感情も立ち上る。
こんな奴に、してやられてしまった。
だが――身体は、動かなかった。
先の悪夢が――まるで、実際に起こったかのような悪夢の映像が、頭から離れない。
戦っても、あれと同じ事になるだけじゃないのか。
みんな、死ぬ。殺される。手も足も出ずに。
そう考えると……剣を握る手が、震えてしまう。
「身体は正直なようだな。貴様は我が輩を恐れている。とても強く、な」
「く……!」
何も言い返せない。事実だからだ。
恐いのだ、どうしようもなく。
みんなの死の幻想が俺を、まるで石のように変えてしまった。
「大丈夫です、クロームさん……!」
声。振り返ると、ミリアルドが立ち上がっていた。
その顔は青く、辛そうだ。――恐らく、俺自身同じような顔をしているのだろう。
「悪夢は、あくまでも悪夢です。現実ではない……!」
「現実にしてやることも出来るぞ?」
言い、バランは高らかに笑う。
嘘や出任せではないだろう。バランが本気を出せば、俺たちはさっきの夢のように、簡単に殺される。
そんなのは、嫌だ。
「神子殿、あなたは何を見た? 仲間の死か? それとも家族の?」
「……違います。でも、とびきりの悪夢でした」
言うと、ミリアルドは自嘲気味に笑った。
「では、なんだ?」
「……クロームさんに、殺される夢です」
「え……?」
苦しそうに――しかし、しっかりと歩き出す。ゆっくりと、一歩一歩。
俺の元へと向かって。
「魔王城の玉座に座っていました。そこにクロームさんが現れて――バッサリと」
でも、とミリアルドは、俺を見上げた。
そして、にっこりと笑う。
「おかげで悪夢だと気付けました。だって、クロームさんが僕にそんなことするはず、ないですから」
「ミリアルド……」
悪夢の影響が残っているはずだ。
汗が額に滲んで、吐く息も荒い。
しかし……笑顔だけは、とてもきれいだった。
「クロームさん。僕は、あなたに出会えて救われたんです。初めてあなたと会った時、その正体にすぐ気付きました。この人は勇者クロードだって」
俺たちはベルガーナ山で初めて出会った。その時から、救われた?……俺は、何もしていないのに。
「いくら魔王ディオソールの記憶があっても、ミリアルドという僕個人にとって、勇者クロードは憧れそのものでした。だから、あなたと出会った時すごく嬉しかった。憧れの人物と出会えたんですから」
憧れ。
前から何度も聞いていた。勇者戦紀の中の勇者クロードが、自分は大好きだと。
「そして、前世の記憶を持っているという意味でも、あなたという存在は大きかった。ある意味、旧い知り合いみたいなものですから。親近感のようなものを感じていました。それを隠していたのは、申し訳なかったですけど」
俺は勇者クロードの記憶を保持し、ミリアルドも魔王ディオソールの生まれ変わりだ。
俺たちは、同じだった。
「そして、希望でもあった。かつては敵同士――勇者と魔王という相反する存在だった僕らが、こうして肩を並べていられる。同じ目的を持つ仲間でいられる。それが、とっても嬉しかった」
かつては敵対した俺たちが、今は仲間として。
……確かに、考えてみればおかしな話だ。
俺たちはお互いに、互いのことを敵として知っているのだ。
だというのに、長い間仲間として旅をした。
そして、今もこうして。
「魔王城で真実を話した時――正直、恐かったんです。拒否されたらどうしようって。でも、あなたは僕を認めてくれた。僕を、魔王ディオソールの生まれ変わりではなく、ミリアルドという一人の人間として見てくれた。その時から、僕にとってあなたは――いえ、たぶん、最初から――」
ちょっと、恥ずかしそうに。
綺麗な顔を赤らめて。
ミリアルドは言う。
「とても大事な人に、なりました」




