第百七十一話 死
「ぁ……」
巨大なバランの眼前に、ローガは留まっていた。
バランの指に、胸を貫かれた状態で。
「……か、はっ」
だらりと両腕を下げ、大量の血を吐いた。
脱力した腕から大剣が滑り落ち、地面へと突き刺さる。
ローガの背中から伸びる真っ赤に染まった指からおびただしい量の血がしたたり落ちる。
俺たちはただそれを、呆然と見つめることしか出来なかった。
「脆い」
バランが手を振るう。手にゴミを払うかのごとく、無造作に。
勢いでローガの身体が飛んでいく。森の木一本にぶつかって、地面へと落ちた。
「ローガさん!」
悲痛な声を上げ、ミリアルドが駆け寄る。だが。
「……っ」
その瞳にはもはや、光はなかった。
死んだのだ。呆気なく。簡単に。
「そんな……!」
マーティが声を震わせた。
死んだ、ローガが。ずっといっしょに旅をしてきた仲間なのに。
――こんな、簡単に。
「バラン……ッ!」
「ああああああああッ!」
怒りの眼を向けた、その時にはすでに、サトリナが飛び出していた。
「ダメだ、行くな!」
「よくも……ッ! よくもッ!」
涙の筋が目元から流れる。
怒りと悲しみで、もはや俺の声は届かない。だが、無謀が過ぎる。
「はあああああッ!」
跳ぶ。雷を纏わせた槍を突き出す。しかしその槍はバランの胸板に阻まれ、鈍い音を立てて中途から折れ飛んだ。
「脆い……!」
正面。拳を突き出す。サトリナの身体すべてに叩きつけられて、その細い身体は紙屑のように撥ねられた。
森の木々へと突っ込んで、折れた枝葉を纏いながら落ちてくる。
手足があらぬ方向へ曲がっていた。突っ込んだ拍子にだろう、身体中に枝が突き刺さり、貫通していた。
ぴくりとも、動かない。
「……っ」
二人。また、死んだ。
ローガだけではなく、サトリナまで。
何が起きている。こんな、こんなことが。
これがバランの本気なのか。
身体が動かない、足が竦む。呼吸が、うまく出来ない。
「脆い!」
バランが両腕に紫の炎を生み出した。暗黒の炎だ。
ディオソールも使っていた。あれに触れれば、瞬く間に灰燼と化してしまう。
動け、動け、動け。だが、意思とは裏腹に足も腕も動かない。
放たれる。熱気が襲う。――死ぬ。
「クロード!」
硬直した俺を、イルガが突き飛ばした。地面に強か肩を打って、激痛が走る。
「ぐぅううううッ……!」
炎髪を逆立てながら、イルガは全身に竜の炎を纏わせて紫炎を防いでいた。
炎の申し子であるティガ族ならば、あの炎も耐えられる。
だが。
その、一つだけでも恐るべき闇の炎をバランは――いとも容易く、二発目を放った。
「ッ――、があああああぁぁぁぁ……ッ!!」
吞まれる。イルガの身体が闇炎に包まれ、紫の火柱となった。
「イルガ……ッ!」
「あああああああッ! あぁぁぁ……ッ! ぁ……」
鎮火する。だが、同時に苦しみの絶叫さえも消え去って――残されたのは、物言わぬ。
「……そんな……」
イルガまで。
信じられない。信じたくない。
なんだ、なんだこれは。こんなことが……。
バランの眼光が俺を貫く。
蔑まれている。見下されている。それがわかっているのに――沸いてくるのは怒りではなく。
ただ、恐怖。
「クロ!」
マーティが俺の前へと飛び出した。弓を番え、バラン目がけて射った。
「だ、ダメだ! マーティ!」
嫌な予感がする。予感?――いや、これは、そんなものではない。
確信だった。俺たちは負ける。死ぬ。殺される。
恐怖が更なる恐怖を生んで、俺の思考は塗り潰される。
「脆いっ!」
飛来した矢を、バランは指先一つで摘まんで掴む。
そして、その鋭く腕を振るう。瞬きする間もない刹那。
「ぅっ」
マーティが放った矢が――その額を貫いて。
「ぁ……」
倒れる。目を見開いて、静かな顔で。――額から、血を流して。
「マー、ティ……」
マーティまで。
せっかく再会できたのに。せっかく生きていてくれていたのに。
「ああ……ああ、ああああああああああ……っ!」
涙が溢れた。
怖い。恐い。こわいこわいこわい。
みんないなくなる。みんな死んでいく。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
こんなの――嫌だ。
「脆い、脆いっ、脆すぎるぞっ!」
バランが咆哮した。
勝てない。勝てるわけがない。
六人なら勝てると思ったのが間違いだった。
俺たちは弱かった。勝てるはずなどなかったのだ。
無謀だった。無茶だった。無理だった。
「クロームさん……」
ミリアルドの声。泣きじゃくったまま起き上がれない俺を見下ろして、頬に優しく触れる。
「僕が時間を稼ぎます。だから、逃げてください」
「……だめだ、ミリアルドっ……!」
優しい笑顔が――辛かった。
時間を稼ぐ? 稼いでどうなるというんだ。
もう誰もいない。俺の仲間はみんな、死んでしまった。
ミリアルド、君まで死んでしまったら、俺は……私は……!
「バラン……」
バランの方を向いて、ミリアルドは駆けだした。
小さな身体が巨体へと迫る。
象に迫る蟻のように。
「これで、最後だ……!」
低く、くぐもったバランの声。
拳を振り上げる。狙いは、当然。
「やめろ、やめろッ、バラン! ミリアルド……!」
もう、見たくない。
見たくないのに、目が離せない。誰かに抑えつけられているかのように、身体が動かなかった。
拳が振り下ろされる。
ミリアルドの子供の身体は、大岩のような拳に押しつぶされて、赤い飛沫を残して――




